よみちの、すずは

サカモト

よみちの、すずは

 学生時代のことになる、夜にその住宅街を歩いていると、時折、鈴の音がきこえることがあった。

 家の中からではなく、外で鳴らしている。数年間で数えるほどしか聞いた記憶はないが、きいたのは必ず夜だった。

 町は古い建物と、新しい建物が、半々があり、学生のほとんどは、古い建物の方に部屋をかりていた。そのほとんどは木造アパートだった。

 ある日、その町を真昼に歩いていると、いくつかある木造アパートの一棟の敷地内に、小さなお堂を見つけた。背の低い木々と茂みに覆われていて、少しがんばって、のぞきこまないと、奥にお堂があるとは気づけない状態だった。

 そういえば鈴の音は、いつもこのあたりで聞こえた。もしかして、夜、誰かがお参りでもしているんだろう。

 そう思っていると、それから何度か朝、お堂の傍で眠りこけている若い者を見たことがある。酔って、お堂のそばで眠ってしまったらしい。 

 そして、ある夜のことだった。学校での実験作業が長引き、アパートに帰るのがかなり夜遅くなった。途中、駅前のコンビニで、弁当と、ビール缶をひとつ買い、ビニール袋をさげて家まで歩いた。

 帰り道は、街灯のあまりない。夜は、いつもスマートフォンを眺めながら歩いていた。気持ちの半分は、画面の明かりで、歩行者がいると知らせているつもりだった。

 画面に視線を落としながら歩いていると、ふと、足元の溝にはめられた鉄格子の向こうで何かが、白いものが見えた。それは、スマホの間接的な光を浴びると、一瞬で溝の奥へ消えていった。溝からは、それが走ってゆく小さな足音のようなものがきこえた。

 驚いた。一瞬しか見えなかったけど、かくじつに猫とはちがった。白かったし、長く、ほそかった、イタチかなにかだろう。

 そう思っていると、少し先の溝から、小さな光が勢いよく飛び出した。それは塀へ飛び移り、屋根に飛び移り、電柱の線へ飛び移る。そして、止まった。光っていたのは目らしい。夜のなか、目だけが光ってみえた。

 そんなに大きくなさそうだった。やはりイタチか何かだと思った。欲が出て、写真を撮ろうと思った。すると、それは電柱の線を伝って移動をはじめた。明りもないノに、目は光り続けていたので、それの行き先はよくわかり、暗闇でも追うのは簡単だった。

 スマホを片手に追いかけた。写真をとって、ネットにあげたかった。

 駆け足気味に白いそれを追いかけた。そのとき、何かが足にひっかかって、こけそうになった。

 見るとさっき、白いそれが出てきた溝の場所だった。鉄格子が外れている。鉄格子はまるで、内側から何かが出て来て、外れた感じだった。

 たとえば、あの白いのがイタチだったとして、あれくらいの小さな動物が、この重そうな溝の鉄格子を押し上げて出てくることは、不可能としか思えなかった。

 見上げると、頭上の電柱の上で白いそれの目が光っていた。でも、光っているのは、二つではなかった。目と、位置で言えば、額あたりに、もうひとつ光がある。

 三つの小さな光すべてがこちらを見ていた。

 三つ目があるのか。

 ああ、ダメだ、これ以上かかわれば、きっとよくないことになる。そう思って、背を向け走って家へ戻った。

 振り返ると電柱の線を滑るように、三つの小さな光が追いかけてくる。

 このままだと家までついてこられる、焦った。家まで着いてこられたら、まずい。何もわからないはずなのに、それだけははっきりわかる、絶対にまずいことになる。

 写真を撮ろうと、こちらが追いかけた。でも、いまはこちらが追いかけられている。

 ひたすら家とは別の方へ走った。それでも、まったく引きはがすことができない。向こうには、余裕さえ感じた。あそばれているのがわかる。

 ふと、あの古いアパートに横にあったお堂を思い出した。慌ててそこへ向かい、無造作に生い茂る木々を手で払いながら、奥のお堂へ向かった。それから、扉をあけた。なかには束になった鈴があった。

 鈴を振り返ると、三つの小さな光がまっすぐに、すーっと、こちらへ迫ってきていた。

 地を這い、近づいてくる小さな三つの光に対して、心が捕食されるイメージが浮かんだ。

 ふりかまわず、鈴を手にとって振った。

 鈴の音が夜に響くと、三つの小さな光はそこで止まった。それからなにか、惜しげそうなうなり声をあげて、ゆっくりとさがっていった。

 けっきょく、そのままそのお堂の傍で鈴を握りしめながら一睡もせず、朝まで待った。鈴を握りしめて、朝陽のなかを歩き、家へ戻った。

 それからすぐ、無理して親から金を借り、その町を離れた。この町では生きていける気がしなくなっていた。

 引っ越しの日、お堂へ鈴を戻しにいった。すると、すでに別の似たような鈴が置いてあった。それで、けっきょく鈴を持ち帰ってしまった。

 それが数年前のことだった。いまは、あの町からはひどく遠ざかったし、一度も近づいていない。

 でも、いまでも出かけるときは必ずこの鈴を持って歩いている。もう、この生涯では、この鈴を手放して生きることは難しいと思う。

 この話を聞いた友人は、それだとまるで、きみが鈴に呪われているみたいだ、と、いった。

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