恋の魔法は、3グラム。
@ramia294
第1話
その昔、
僕の学生時代は、アルバイトの時代。
生活の全てに、余裕がなく。
若者の特権の、激しく燃え上がる真夏の恋。
僕には、縁遠い存在と勝手に決めつけていました。
もちろん、素敵な彼女とオシャレなお店でディナーなんて、縁が無く。
それでも、アルバイト料が入った時には、下宿から歩いて5分程の喫茶店へ行きました。
古風な建屋の喫茶店。
ヒゲのマスターは、いつもニコニコ。
とても雰囲気の良いお店でした。
一週間に一度の贅沢の時間。
紅茶で、ティータイム。
貧しい楽しみに、つきあってくれたのは、同じ大学の
学部の違った君。
アルバイト先で知り合った、バイト仲間の君だけでした。
その頃の喫茶店には、紙に包まれたスティックシュガーなんて無く、シュガーポットのグラニュー糖をスプーンでひとつ、ふたつと、入れていました。
今でこそ、味の分からないブラックコーヒーを飲む事が、多くなりましたが…。
その頃は、レモンティーがお気に入りでした。
その喫茶店のシュガーポットに入っていたのは、その頃すでに、絶滅危惧種に指定されていた角砂糖。
薔薇の形?
では、ありませんでしたが、
その頃、既に珍しい存在でした。
僕は、角砂糖をティースプーンに乗っけて、レモンティーの中で溶けていく様子を見ることが、好きでした。
「溶けるまでの短い時間。
その人の事を思い続けると、恋が叶うよ」
どの喫茶店にもある、小さな魔法を教えてくれたのも、君でした。
なぜ、彼女が同じ事をしていたのか、その時は、気づかず笑っていた僕。
今なら、彼女の僕を見つめる視線と、ヒゲのマスターの笑顔に気づく事が、出来たのに。
その時は、余裕がなく、疲れた心で君の顔をボンヤリ眺めている時間を楽しんでいました。
彼女は、その頃流行していた(今もあるのかな?)ミス・キャンパスに選ばれ、そのまま芸能界へ旅立っていきました。
それから1年の間に、数本の映画に出た彼女は、国民的スターに。
僕には、遠い存在に、なってしまいました。
あの頃、同じ職場でバイトをしていたとは、本当の事だったのかとしだいに思えなくなっていきました。
一緒にティータイムを楽しむ仲間がいなくなって、喫茶店からも足が遠のきました。
さらに、半年が過ぎ。
学生も無事終わり、さらに無事就職。
忙しいながらも、ささやかな時間の余裕を手に入れた僕は、久しぶりにあの喫茶店へ。
その頃既に、ブラックコーヒーを飲み始めていましたが、そのお店では、やはりレモンティーを頂く事にしました。
学生時代から、変わった事といえば、シュガースティックが差し込まれている容器が、テーブルの上にある事でした。
「レモンティーです」
マスターのヒゲは……
健在でした。
ティーカップとシュガーポットをテーブルの上に、優しく置いてくれました。
「角砂糖?」
「お久しぶりです。ご就職、おめでとうございます。レモンティーには、角砂糖でしたよね」
「ありがとうございます。僕の事、覚えていてくれたのですね」
レモンティーの中、角砂糖が溶ける様子を見ていると、急に彼女の事を思い出した。
恋の魔法とまではいきませんが、角砂糖のお話は、僕の貧しい学生時代にも、静かながらも恋があった事に気づかせてくれました。
レモンティーの後味に、ざらついた舌が、もうひと口と要求します。
1杯のレモンティーを時間をかけて、飲みほすと、あの頃よりお金持ちになった記念に、他の物も食べてみようと、メニューを開きました。
その時、二人がけのテーブルのもうひとつの椅子が引かれ、メニューに落としていた視線を上げると、あの頃よりも、さらに綺麗になった君がいました。
「私も、レモンティーを頼んでいいかしら?」
あの頃のままの笑顔。
君のための新しい一杯と、僕もレモンティーをおかわりしました。
ふたりで、何も話さずレモンティーの中で溶けていく角砂糖を眺めていた。
角砂糖の全てが、紅茶の中に溶けた頃、僕は彼女に言った。
「角砂糖の魔法の話なんだけど、ただの噂話というわけでもなかったようだ」
「あら、少し会わない間に、どんな恋をしていたの?」
「まさか。今日、久しぶりにレモンティーの中の溶けていく角砂糖を見ていると、君の事を思い出したんだ」
彼女は、僕の顔を見て、可笑しそうに、言った。
「きっと、それは一年半前の私の魔法よ。今頃になって効果が出て来たのね」
カウンターの向こう側。
マスターの笑顔が向いていたのは、僕にだろうか?
それとも彼女にだったのだろうか?
彼女は女優を辞めました。
あれから、随分時間が経ちました。
今では、毎朝、彼女が淹れてくれるコーヒーが、美味しいと思います。
しかし、休日には、相変わらずふたりでティータイム。
あの喫茶店へ通います。
最近、髪に白いものが混じりだしたマスターのヒゲは、今も健在です。
その喫茶店に伝わる魔法。
人によって効果の出る時間に、違いがあります。
使用するときは、ご注意下さい。
終わり
恋の魔法は、3グラム。 @ramia294
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