第4話「幸と不幸」

第4章


次の日の朝。一時間ほど早くに目が覚めたので、久しぶりに朝食を食べに近くの喫茶店に足を運んだ。

普段は本を読みに来ることが多いのだが、テスト前の時など、勉強をしたくても自宅だと気が散ってしまうことが多いので、近所にこういう場所があるのは、とても助かっている。

高校生としては贅沢なことかもしれないが、とりあえず店の一番人気のホットドッグとアイスコーヒーを注文して、偶然空いていた窓際の席に座った。

「お?」

 一台の自転車が、喫茶店の前を猛スピードで通過していった。子供を乗せていたから、保育園の送り迎えだろう。

 …少々スピードを出しすぎだと思うが…。

 朝っぱらからこういうことをしていると、学生なんだからもっと他にできることがあると言ってくる人もいる。

 確かにその通りなのだが、必要以上に友人といると疲れてしまう。限られた自分の呪医感は、唯一の休憩時間だ。ここでしっかり休憩をとれるかどうかで、次の日の朝のモチベーションが全然違ってくる。

 でもここ数日は少し環境が変わった。一緒に楽しく食事ができる友達ができた。それに、僕が所属している部活動に興味を持ってくれている。

 話していても疲れない…、むしろもっと話していたいと思える友達は、生まれて初めてかもしれない。だからこの数日間は、僕にとってはとても新鮮な日々だったし、これからも続いてほしいと思っている。

 そう思いながら朝食を食べ終えたとき、机に置いてあったスマートフォンに通知が来ていることに気が付いた。

 てっきりSNSの通知だと思っていたが、この時間に通知が来ることは殆どないため、おかしいなと感じて、確認したところ…。

「え、人身事故?」

 不幸なことに通学で利用している路線で、つい先ほど人身事故があったようだ。

 こうしてはいられないと思って、急いで店を出て駅へと向かった。


「ああー、やっぱり。」

 駅は通勤・通学をする人でごったがえしていた。これは当分の間電車が動くことはなさそうだ。

「とりあえず…、バスだなこれは。」

そう思って足早にバス停に向かった。のだが…。

「ええ!マジかよ…。」

 バス停に伸びている長すぎる行列。これはしばらくの間バスもここへ来ていないということだ。


 さて、選択肢は二つだ。運転再開の見込みはたっていないが、この場で電車が動くのを待つか、何台目のバスに乗れるか分からない行列に並んで、一応動いてはいるバスを待つか…。

 先日とは少し異なる状況のため数分間悩んだが、学校に連絡さえ入れれば多少の遅刻は見逃してくれるだろうと思って、電車が動くのを待つことにした。

 問題は、運転再開までどこで待つかなのだが…。

 改札口周辺は人でごった返していて、数少ないベンチはすでに埋まっている

 だから、電光掲示板は見えなくても、人の流れが分かれば動き始めたかどうか分かるだろうと思って、改札から少し離れた場所にある、手すりに浅く腰かけた。

「あ、そういえば…。」

本を読む前に、スマートフォンで情報をチェックしてみた。

人身事故が起きたのは、僕が利用する路線ともう一つ、会社は同じだがいわゆる支線と呼ばれる、短い路線が交差する踏切内で起きたらしい。

 僕の記憶が正しければ、佐伯さんはその支線沿いに住んでいたはずだ。

「大丈夫かな…。遅刻していないといいけど。今度連絡先聞いておこう。」

 それでもこのまま心配してもしょうがないので、とりあえず頭を切り替えて、スマートフォンをポケットにしまって、好きな本を読み始めた。

 今読んでいるのは、日常ラブコメ系の恋愛小説だ。

 普段はライトノベルを読むことが多いのだが、通販サイトでたまたま見つけて、買って読んでみたら、自分が思っていた以上に興味深く読めている。

 佐伯さんと出会ってから、僕自身の心の変化の中に、微量な暖かい感情があることに気がついた。

 しかし、これが何の感情なのかは、まだはっきりとは分からない。

 恋愛とはここ何年間も縁のない生活を送っていたから、ただ頭の中で考えるだけでは、どうしてもピンとこなかった。

 しかし、佐伯さんと出会ってから、少し考え方…、というよりは捉え方が変わった気がする。

これから先、もっと佐伯さんと関わればこの気持ちの答えが見つかるのだろうか。

 ただ、確かめたいからという理由で、付き合ってくださいというわけにはいかない。

 …、そもそもどうして付き合うことを想像しているのだろうか。

「出会って数日の後輩に、何を求めているのやら。」

こういう問題は、時間のある放課後以降に考えるのが正解だ。

「それにしても…。」

 一時間待ち続けるのは、想像以上にきつかった。人混みが疲労感に拍車をかけてくる。

「これくらいで音を上げちゃうんだな、僕は。」

 自分の限界を悟ったその時、運転が再開したのか、改札口にごったがえしていた人が、少しずつホームへと流れていくのが見えた。

「…意外と早かったな。」

とは言っても運転を再開したばかりの電車は、混みあうし速度も遅い。もう少し様子を見てから登校しようとも考えたが、これ以上遅刻したら昼休みをまわってしまいそうな気がしたので、流れゆく人混みの一部になりながら、なんとか電車に乗ることができた。


「うげえ…。」

 超満員の通勤電車を甘く見ていた。

 学校にはなんとか昼休み前には着いたが、そのころにはもう疲労困憊だった。

 加えて学校に着くなり先生から言われたのが、

「申し訳ない。急に先生たちが出張になってな。だから今日は午前中で授業を切り上げないといけなくなったんだ。」

「なんですか、それ…。」

ついてない。せっかく苦労して学校に到着したのに、もう帰らないといけないのか…。

 とりあえずこれ以上学校に居てもやることがないので、仕方なく帰ろうとしたとき、バス停に見慣れた人物が立っていた。

「佐伯さん。」

「あ、高宮先輩。」

 とりあえず、無事に学校に来れていることが分かって安堵した。

「大丈夫?疲れてそうだね。」

「高宮先輩こそ…、今日は災難でしたね。」

「ほんとだね。学校も、もう少し早く連絡くれればいいのに。」

「あはは。」

「これから帰るところ?」

「はい。その予定です。」

 授業がなくなったら、帰るのも当たり前か。しかし、せっかく会えたのだ。このまま帰るのが、なんとなくもったいない気がしてきた。

「この後って時間ある?」

「はい。ありますけど…。」

 ふむ、そうか。それなら…。

「最近できたショッピングモールがあるんだけど、行ってみない?」

「近くにそんなところがあるんですか?」

「うん。裏門から、歩いて十五分くらいかな。僕も行ったことないから、よく分からないけど…、それでも良ければ、どうかな?」

「行ってみたいです!」

「おー、じゃあ行こうか!」

「はい!」

 これは…、無自覚にデートの約束をしてしまったことになるだろう。

 正門前のバス停にいた僕たちは、裏門に向かった。

 十五分いうのは概算だが、マップを確認する限り、学校から徒歩で行ける距離であることは間違いない。

 最近オープンしたのは施設で、ショッピングモールは一人で行っても見るとことは限られている。だから、行ってみたかったけど行けなかった。

 もちろん友人を誘えばいいし誘ってみたことはあるのだけれど、オタク気質な友人ばかりで、誰一人として行きたいと言ってくれる人がいなかった。

「あ、そういえば、今日ご両親は?」

「仕事ですよ。帰ってくるのは遅くなるって言ってました。」

「そっか。寄り道することとかは、許してくれてる?」

「帰宅が遅くならなければ大丈夫です。心配してくれてありがとうございます。」

 よかった。これで安心して寄り道ができる。

「お昼まわってるし、最初にご飯食べちゃおうか。」

「はい。学校に来るだけでお腹空いたのって、生まれて初めてです。」

「それならよかった。僕もお腹空いてたから。」

「似た者同士ですね、私たちって。」

「あはは、そうだねっ。何食べたい?」

「高宮先輩が食べたいものを食べたいです。」

「え、あ…、いいの?」

「はい!」

 佐伯さんらしい返答なのだが、本当にそれでいいのだろうか。

「フードコートでもいい?」

「もちろんです。」

 よかった、助かった。フードコートだったら、いくつかのお店の中から各々が食べたいものを選ぶことができる。せっかく行さんだから、佐伯さんにも自分の好きな物を食べてほしい。

「なんか、こっちのほうって全然雰囲気違うんですね。」

「こっちは工場が多い地域だからね。まだまだ土地も余裕があるから、これからどんどん新しい建物も増えると思うよ。」

「高宮先輩って何でも知ってますね!すごいです!」

「いやいや、そんなことないって。たまにこっちのほうにも来るから、気になって調べたんだよ。」

 気になったことはすぐ調べないと気が済まない、という自分の性格が、思いもよらないところで役に立った。

「そうなんですね。私、寄り道って初めてです。」

「え、本当に大丈夫なの?後で怒られたりしない?」

「大丈夫です。中学生のころまでは、スマートフォンに位置情報を知らせるアプリを入れられていたんですけど、高校生になってからは、それを入れなくてよくなったので、大丈夫です。」

「いや、でも…。」

「いいんですよ。高宮先輩とお出かけ、してみたかったですから。」

 そう言って満面の笑みを見せた。

 そういうことなら帰宅時間に気をつければ大丈夫なのかな。

 そんなことを考えながらも、ここでこれ以上話しているのは勿体ない気がして、二人並ん

でショッピングモールへと歩いた。


「す、すごいですね。」

 話しながらだったので、あっという間に目的地に到着。

 驚いたのが、佐伯さんはショッピングモールに来ることも初めてだったらしい。

「いろんな人がいます。」

「そうだね。メインは家族連れって感じなのかな?」

「そうなんですね。平日なのに結構人がいる…。」

「そうだね。オープンして間もないからかな?」

「みんな、すごい笑顔です。」

 そう言って、どこか羨望ともとれる眼差しで、ショッピングを楽しむ人たちを見ていた。

「あんまり、気に入らなかったかな。」

「いえ、そんなことないです。感じたことのない空気感だったので、ちょっと驚いちゃっただけです。でも高宮先輩が一緒にいてくれるから、寂しいとか、そういうことは全く感じていません。」

 やっぱりそうか。さっきの眼差しは、やっぱりそういうことだったんだ。

 そう思った僕は、無意識に佐伯さんの頭をやさしくなでていた。

「せ、高宮先輩?」

「ご飯食べに行こうか。」

「はい。」

「あ、そうだ。腕、貸そうか?」

「え、でも…。」

「軽くつまむ程度ならいいよ。さすがにしがみつかれると、ちょっと困っちゃうけど。」

 そう言うと、そっと僕の制服の裾をつかんだ。

 学校の近くだから誰かがいる可能性が高いけれど、今はそんなことどうでもいい。

 嬉しそうに隣を歩いている佐伯さんを見ていたら、そう思った。


 三階のフードコートに到着すると、平日の昼間とはいえ、オープンしたての大型商業施設には人が大勢いたが、幸いお昼のピーク時間帯は過ぎていたので、一割ほど空席があった。

 ちらほらと同じ高校の生徒がいたので、その周辺を避けようと思っていたら、運よく窓際の席を見つけることができた。

 貴重品以外の荷物を椅子に置いた僕たちは、それぞれ昼食を選ぶことにした。

 これは想像していた通りだったが、大型商業施設は、いわゆる基幹となる店舗は決まっている。よく言えばつぶれない業績の安定した店、悪く言えば新鮮味がない。

 それはフードコートにも言えることで、その土地の名前を使ったメニューはあっても、出店している店の傾向はどこも大きな差はない。

 とりあえず麺類に絞って検討していると、佐伯さんは海鮮丼にしようとしていた。

 そういえば、以前に海が好きだと言っていたっけ。

「ここにする?」

「うーん、高宮先輩はどうしますか?」

「僕はラーメンにしようかな。あそこに美味しそうな店があったから。」

「それじゃあ、私もそのお店にします。」

「いやいやいや、自分が食べたいものを食べていいんだって。そんなに気を使わなくていいよ。」

「気を使ってなんかいませんよ。ただ、高宮先輩と同じものが食べたいっていうだけですから。」

「そ、そっか。それなら、あそこの店にしよう。」

 僕が選んだ店は、その土地の名前が商品名になっているラーメン屋さんだ。

 一見した限りだと、おそらく醤油系のラーメン店だと思う。人によって好き嫌いが分かれにくいから、店選びとしては正しいと思ったのだが…。

「これって、醤油ラーメンですか?」

「多分、そうだと思うよ。」

「私、ラーメンって初めて食べます。」

「えっ、そうなの?」

 一度も食べたことが無いというのはさすがに予想できなかったから、とても不安になってきた。

「早く買いましょう、高宮先輩。」

「う、うん。」

 こうして僕たちは同じものを頼んだ。せっかくだから僕は半チャーハンを追加注文した。

 席に戻ると佐伯さんが、

「この機械って何ですか?買ったときに手渡されましたけど…。」

 ああ、そうか。このシステムにも馴染みが無かったんだ。

「頼んだものが出来上がったら、音と振動で知らせてくれるんだよ。」

「自分で受け取りに行さんですか?」

「う、うん。」

「そうなんですね。高宮先輩と会ってから、初めてなことをたくさん経験している気がします。」

「楽しんでくれてるかな?」

「はい、とっても!」

 満面の笑み。直感的に、この笑顔なら問題はないと思った。

 程なくして出来上がりのアラームが鳴って、二人で受け取りに行った。

 デートと呼ぶには程遠いような、だいぶ大衆的な食事である。

 それでも佐伯さんは、「美味しい」と言って食べていたので、一安心した。

 このラーメン…、地元の特産品を使っているわけでもなさそうだし、おそらく他の店舗で提供しているラーメンを、簡単にアレンジしたものだろう。

 美味しいから別にいいけど。

食事中に何度か辺りを見回してみたが、近くの席に同じ学校の生徒は見当たらなかった。先ほど何人か目撃したが、学校から近いことを考えると、今のところは穴場のようだから

助かった。


 食事を終えてからは、ゆったりとウィンドウショッピングを楽しんだ。

 先に言った通り、場所は変わってもショッピングモールに入るテナントは、どこも似ている。

 もちろんすべてではないけれど、特に普及価格帯の商品を売っている店は、だいたい決まっている。

 しかしそれが、佐伯さんには新鮮だったようだった。

「何か買ってあげるよ。」

「いやいや、悪いですよ…。」

「僕のことなら気にしないで。」

「うーん…。それでしたら、外出することを親に行っていないので…、アクセサリーとか、どうですか?」

「え、アクセサリー?」

「はい。お揃いのアクセサリーが欲しいです。」

「う、うん。別にいいけど…。どんなものが欲しいの?」

「まだ決めてないです。時間はまだあるので、ゆっくり選びたいです。」

「わ、分かった。」

「アクセサリー、あんまり好きじゃないですか?」

「いや、そういうことではなくて…。」

 佐伯さんの中では普通のことなのだろうか。男女でアクセサリーを買うなんて、好きな人同士でしかありえないことだと思っていたからだ。

 それでも、今日は佐伯さんが楽しんでくれていたらそれでいい。

 そう考えたら、お揃いのアクセサリーも、悪くない気がしてきた。

「アクセサリー、買おうか。」

「はい!」

 そう決めた僕たちは、雑貨など色々な商品を取り扱っているお店に入った。

 自分一人では絶対に入らない類の店なので、この空気感には少々馴染みづらいところがある。

「欲しいものとかあったら、言ってね。」

「ありがとうございます…!」

 そう言って楽しそうに商品を選ぶ佐伯さんを見ていたら、ある重要なことを思い出した。

「佐伯さん、ちょっとトイレ行ってくるね。」

「分かりました。」

「ごめんね。」

 手持ちのお小遣いだけでは心もとないと思った僕は、ATMコーナーへと急いだ。

 自分でもほとんど使うことが無かった貯金が、思わぬ場面で役に立とうとしている。


 問題なくおろせたので一安心して戻ると、真剣な顔で商品を選んでいた。

 学校からすぐ近くにあるんだから、また来ようと思えば来ることができるけれど、こういう場所に来るのは初めてだと言っていたから、僕が思っている以上に特別な時間なのだろう。

「佐伯さん、お待たせ。」

「あ、高宮先輩。これなんかどうですか?」

 うーん、悪くはない。悪くはないのだが…。

「これ、恋人同士が買うものだと思うよ?」

「え、そうなんですか?」

 どうやら知らないで選んでいたらしい。

「そっか、どうしよう…。」

「他に欲しいなって思った商品はないの?」

「ありますけど…、これがいいなあ。」

 これがどういうものかというと…、うまく表現ができないが、一見すると可愛いキャラクターがモチーフのアクセサリーで、大小二つのペアで販売されているので、そういうことだろう。

「それなら、これにしようか。」

「いいんですか?」

「いいよ。特別ね。」

「えっ、はい。ありがとうございます…。」

 顔を赤らめながらお礼を言われてしまった。他意はなかったけれど、こういう反応をされたらこっちまで恥ずかしくなってしまう。

「か、買ってくるね。」

「はい…。」

 自らまいた種とはいえ、店内でこの状況は早々に打破しないといけない。

 佐伯さんに店外で待っているように伝え、レジに商品を持って行った。

「そういえば、この商品、いくらだ?」

値段を確認せずにレジまで持っていってしまったが、

「一千五百円です。」

 そう店員に言われた僕は、普段だったらホッとするところなのだが、

「佐伯さんらしいな。」

 と思ってしまった。

 この時くらいは、もう少し遠慮しなくていいのに。



 そのあとも何店かでショッピングを楽しんで、時刻は夕方五時くらいになった。

「そろそろ帰ったほうがいい時間かな?」

「え、もうそんな時間ですか…。」

 とても名残惜しそうに呟いていた。僕も高校生になってから、始めてと言っていいくらい、充実した放課後だった。僕だって名残惜しい。

「そうだ、高宮先輩。」

「これっ、どーぞ。」

 そう言って、先ほど買ったアクセサリー…というか、少し装飾の大き目なストラップを、手渡してくれた。

「お、ありがとう。」

 大小二つあるうちの、大きいほうだった。

「大きいほう貰っちゃっていいの?」

「はい。高宮先輩に買ってもらったものですし、私の中で高宮先輩は、とっても大きな存在ですから。」

 照れくさいことを言われてしまった。僕からすれば佐伯さんも大きな存在なのだけどね。

「お揃いですねっ。」

「う、うん。」

 終始押され気味だった今日の一日も、もう少しで終わってしまう。

「あ、そうだ。」

「どうしたんですか?」

「もしよかったらだけど、連絡先、交換しない?」

 一瞬驚いた様子だったが、すぐに穏やかな表情になった。

「私も交換したいって思ってました。」

「そうだったんだ。それじゃあ、交換しようか。」

「はい…っ。」


(………。)


 こうして僕たちは、連絡先を交換した。

 …なんだこの雰囲気は。男同士なのに。


「帰ろうか。」

「はい。あ…。」

「ん?」

「腕、つかまってもいいですか。」

 (ん、なんでだ?)

 不思議に思ったが、今日は佐伯さんの好きなようにしてあげようと思って、

「いいよ。」

 と言って腕を差し出した。

「ありがとうございます。」

「こういう場でするのは、今日だけね。」

「え、そうですか…。」

「…二人でいるときだったら、まあ、いいけど。」

「やった!」

 そう言うと僕の腕に思いっきり抱き着いてきた。

 さすがにびっくりしたけれど、幸せそうな佐伯さんを見たら、なんかもうどうでもよくなって今日はこのまま帰ってもいいかも、と思うようにもなった。


 家まで送っていくよと言ったが、そこまで心配していただかなくても大丈夫ですよって言って、佐伯さんは帰っていった。

 そうして本来の帰宅時間に家に帰った僕は、ベッドに横になりながら、明日一緒に購買に行く約束をしていたことを思い出した。

「それにしても…。」

 決して人見知りではない、というよりも、かなり社交能力が高いように思える。

 それこそ、僕なんかよりもずっと。

「クラスでも友達、できそうなんだけどな。」

 そう考えずにはいられなかった。

 しかし、三か月間も入院していたとなると、それなりに重大な、もしくは難治性の病気やケガだったのではないだろうか。

 そこに関しては、本人に聞かないと何とも言えない…、というかさすがにこの話題を切り出すのは時期尚早なのは間違いない。

「頃合いを見て聞くか。まあ、無理に聞かなくてもいいことだけどね。」

 今日みたいに楽しい時間を過ごせれば、別に辛い過去を聞く必要もない


(ピロリン)


不意にスマホの通知音が鳴った。

 確認すると、佐伯さんからだった。


「高宮先輩、今日はありがとうございました。とっても楽しかったです。」


 律儀だなあ。さっきの会話で十分伝わってるのに。

 それでも全然悪い気はしない。


「僕も楽しかったよ。ありがとうね。」


 こんな感じの、簡潔にまとめた文章がいいだろう。

 さて、明日は一限目から数学がある。

 授業中に眠たくなるといけないから、早めにご飯を食べて寝ないといけない。


「高宮先輩が同じクラスだったらいいのに。」


 これはまた…、照れくさくなることを言う。


「ドキドキするから、そういうこと言わないで。また明日たくさんお話ししよう。」


「すみません、分かりました。また明日です、高宮先輩。」


「ん。また明日。」


さっそく連絡が来るとは思わなかったから、ちょっと、いや、かなりびっくりした。

 考えてみたら、十数年生きてきて一度も家族以外の人とショッピングモールに行ったことがなかった。だから、まさか他学年の異性の後輩と一緒に行くことになるとは思ってもみなかった。

「人生分からないとは、こういうことなのかな。」

 思わずませたことを言ってしまった自分に嫌気がさして、明日の準備をすることにした。

「…、誰かの配信を聞きながらやろう。」

 なにかいい動画は無いかと探していたら、タイミング良く好きな配信者がから配信していた。

「あ…。」

 思い出した。夕方の学校の、あの人物は誰だったのだろうか。

 ジーっとこっちを見ている姿は、生気が感じられなかった。

「あれは絶対、そういうことだよな。」

 あの時のことを思い出した僕は、無意識に学校の怪談を調べていた。

 同じような話が無いかと思っていたが、どれもこれも子供向けの怪談話ばかり。加えてそのほとんどが、昔の学校の出来事だった。

「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花。こんな言葉があったな。」

 例えばトイレの怪談も、水洗トイレではなく、ほとんどが汲み取り式トイレの頃の話。

 当直の先生による見回りの怪談も、今となっては殆どの学校が機械警備だろう。

 つまりは、そういうことだ。

「たとえあれが本物だとしても、そこまで怖がることではなさそうだな。」

 寝る前なので、半ば強引に自分に言い聞かせた僕は、ちょうど始まった配信を聞きながら、予習を含め、明日の身支度を始めた。


次の日、少し早めに身支度を済ませて、普段は乗らない時間帯の電車に乗った。

昨日のような不測の事態があった場合に少しでも対応できたほうがいいと母に言われたからだ。

 普段から始業の三十分前には登校しているので、これ以上早く行けというのか…。と少し不満だったが、多分言われるのは今後数日間だけだと思うから、少しだけの辛抱だと思う。というか、そうであってほしい。

 いつもより空いている電車に乗って、適当な席に腰掛けてからスマートフォンのニュースサイトを開いた。

 母子家庭だとどうしても、食卓で話題になる内容が限られてくる。

 だから、たとえ考えすぎだとしても、仕入れられる知識は仕入れておくに越したことはない。

さて、余計なことを考えている間に乗り換えの駅に着いてしまった。

 乗り換える電車は違うホームのため、少々不便だ。

 いつもと違う時間に通学をしているのだが、乗換案内を確認することを忘れていたことに気が付いた。少し不安だったが、待ち時間は三分ほどだった。

 そのためホッとしてホームに降りて電車を待とうとしたその時、今までに感じたことのないような悪寒が全身を突き抜けた。

 驚いて周りを見渡したが、何もおかしなことはなかった。

「気のせい、か?」

 生まれて初めて感じた強烈な悪寒だったが、気にしすぎても仕方がないと思ってカバンから本を取り出そうとした、その時。

(プーーーン!)

 遠くのほうでけたたましい音が鳴ったと思った瞬間、僕はすごい力で引っ張られてホームに転げていた。

「何やってるの君!だめだよ、こんなことしちゃ。」

 駅員さんがものすごく焦った様子で、僕に話しかけてきた。

 自分では何が起こったのかまるで分らなかったが、カバンから本を取り出そうとした瞬間、一瞬意識が遠のいた気がして、その瞬間、僕は何かに引っ張られるかのようにホームから飛び降りようとしていたらしい。

 そこで電車が大きく警笛を鳴らして、たまたま近くにいた駅員さんが僕のことを助けてくれたらしい。

 幸い僕は無傷で済んだものの、駅員さんや周囲の利用客に迷惑をかけてしまった。

 すみませんでした。と平謝りして、ベンチに座ることにした。

 なんだかここ数日、まともに通学ができていない。ましてや今日は、自分が命を落とすることだった。直前に感じた悪寒が関係あったのだろうか…。

 その時僕は、とあることに気が付いた。

「あれ、さっきの電車ってなんで通過したんだ?」

 ホームに降りる直前に電光案内板で確認したときは、先発が急行で次発が各駅停車だったはず。この駅はすべての種別の列車が停まるため、通過するとしたら回送列車くらいだ。

「見間違えたか?」

 そう思って再度案内板を見てみると、次に来るのは各駅停車となっていた。

(え、なんで…?)

 仮にさっきの列車が特急だったとしても、特急と他の列車は、分かりやすいようにしっかりと表示されているから、見間違えることはないはずなのだ。

 加えて次に各駅停車が来るようだが、直感的に、

(この電車には乗らないほうがいい)

 そう思った僕はホーム上にいるのも危険と判断して、一旦改札階へと非難した。

 幸い大きな駅のため、改札階に来れば人目はある。

 とりあえず安堵した僕は、本来立ち寄ることのないエキナカのコンビニに入って、ホッとココアを買った。さすがに今はコーヒーの気分ではない。心を落ち着かせるときは、やっぱりココアが一番。

 佐伯さんのことが頭をよぎったが、なんて会話を切り出したらいいのか分からない。人と気持ちを共有することに慣れていないからだ。だから、こういう時は無理をしないで自分の慣れた方法でやり過ごすのが一番。

 動画サイトのアプリをタップして、好きな配信者の動画を再生した。

 ゲーム実況から雑談系まで幅広い動画を配信している人で、暗い気分になったときはよくお世話になっている。

 幾分か気分が楽になって心に余裕が生まれたとき、ふと乗るのを躊躇った電車のことを思い出した。

 イヤホンを片耳外して案内板を見ていると、到着の時刻になって電車が止まる音が聞こえた。しかし、変なことに改札階へと誰も上がってこない。今は通勤通学時間帯だ。だれも降りてこないのはおかしい。

 そしてもう一つおかしいのは、電車の走行音だ。この路線では見ることのなくなった、古い電車の走行音。抵抗性御車特有の、重々しい音が改札階まで聞こえてきた。

「…なんだ?」

 いずれにせよ、乗らなくてよかった。

 その次には急行が到着する予定だったが、警戒して到着直前まで改札階にいて、電車の音が聞こえてから、階段を下りてホームをそっと覗いた。

 見た限りではあるが、この路線で最も車両本数の多い電車であることと、車内にもちゃんと人が乗っていたので、少しだけ安堵した。

 気持ちが落ち着いたら話のネタにしようと自分に半ば言い聞かせて、両耳にイヤホンをはめ直して学校へと向かった。

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