第3話「初めてと繰り返し」

第三章



「さてとっ。」

ホームルームが終わり、クラスメイトがわいわいと談笑している中、僕は急いで教室を後にした。

僕が所属している写真部は、部員数六人の小規模な部活動だ。

一応部室はあるが、その場所はお世辞にもいい場所にあるとは言えない。

それでも、こんな少人数の部活動にも部室を割り当ててもらえるのは、とてもありがたい。

「佐伯さん、気に入ってくれるかな。」

新学期に入ってから、何人か新入生が見学に来たけれど、皆違う部活動に入部することになってしまった。それはどこも人数の多い部活動ばかり。

弱小は弱小なりに頑張ってるのだが、なかなか難しいのが現状だ。

数の暴力、というのは言い過ぎかもしれないが、人数が多いだけで活発な部活動であると思われるので、少人数で活動している側としては、そこはもう仕方ないと割り切るしかないのかもしれないが。

しかし今年は、まだ新入部員が一人もいない。これだけは避けたかった…。と部長が言っていた。



待ち合わせ場所に到着すると、佐伯さんはベンチに横になって、スヤスヤと寝息を立てていた。

…どうしようか悩んだが、部活動が始まってしまうので、申し訳ないけど起こすことにした。

「おーい。佐伯さん。」

「…え、あれ?」

完全に寝ぼけている。

「ごめんね、遅くなっちゃって。」

「あ、先輩。すみません、こんなつもりじゃ…。」

「全然大丈夫。ほら、部室行こうよ。」

「はい!」

相変わらず、屈託のない笑顔だ。

ゆっくりと歩き出すと、すぐに違和感に気が付いた。

「さ、佐伯さん。近くない?」

そう、歩いていると、頻繁に手が触れてしまう。

嫌な気持ちはしないが、もしもクラスメイトに見られていたら、明日には間違いなく、クラス中の話題のネタにされる。

「す、すみません。」

「お友達と歩くときは、いつもこんな感じなの?」

嫌な聞き方をしてしまったと、少し後悔してしまったが、

「いえ、そんなことないです。今日はたまたま…。すみません、自分でもよく分からない

です。」

「そ、そっか。」

思わずなんて返答したらいいのか迷ってしまった。こんなこと初めて言われたからだ。

それから部室に行くまでは、佐伯さんも適度に距離をとって歩くように気を付けているように感じた。

少し申し訳ない気持ちになってしまったが、これくらいの距離が普通であろう。

何を持っての普通なのかは…、自分でもよくわかっていないが。

「こっちのほうって来たことある?」

「いえ、今日初めて来ました。なんだか雰囲気が違いますね。」

僕も初めて来たとき、同じことを思った。

僕たちが普段過ごしている本館は、大まかに東側と西側に分かれている。

授業の効率化を図ったらしく、通常利用する教室は、基本的に東側に集約されている。

そうすると、必然的に西側に空き部屋が多くなる。

そのため西側には、先生たちが授業の準備などをする部屋を作ったり、我々のような小規模の部活動の活動拠点に割り当ててもらっている。

授業のある時間は生徒を東側に集約させ、人数が減る放課後は、生徒を先生が多くいる西側に集中させる。なかなかうまいやり方だと思う。

「部活動をしてなかったら、こっちのほうに来ることもないですよね。」

「そうかもしれないね。校門からも遠いし、用事が無ければわざわざ来る場所じゃないよな。」

「ですね。一人で来るのは少し怖いかも…。」

「ははは。確か、このあたりに幽霊が出たっていう噂は、昔はあったみたいだよ。」

「そうなんですか?」

「うん。でも、本当に昔の話で、少なくとも僕が入学してからは、そういううわさは聞いたことが無いから、気にすることではないと思うよ。」

「そう、ですか…。」

しまった、これは今話すことじゃなかったか。

「ぶ、部室、着いたよ。」

「…。」

横に目を向けると、佐伯さんが見たことのない表情で固まっている。

「大丈夫?明日も活動日だから、また明日にしようか?」

「い、いえ!大丈夫です。先輩がいてくれるので。」

時折ドキッとする言葉を言うのは、無意識なのだろうか。

「僕なんかいてもいなくても変わらないって。」

「そんなことないですよー。」

昨日出会った関係とは思えないくらい、自然と会話ができている。

これだけ社交的があるなら、少し事情があるにしても、友人の一人や二人、すぐにできそうな気もするけど…。

「あれ、誰もいない。」

軋む扉を開けて入った部室には、誰もいなかった。

このようなことは初めてだ。

「おかしいな。今日って休みの日だったっけ…。」

その時、机の上に書置きがあることに気が付いた。


【雄太郎くんへ。急だけど、陸上部から記録用の写真撮影を頼まれたから、皆で運動場に行ってきます。よければ雄太郎くんも来てね。部長より。】


「なるほど、そういうことか。」

「皆さん、どこかへ行っているんですか?」

「うん。僕たちは他の部活動から要請があった場合は、その部活動の活動に寄り添って、依頼された通りの写真を撮影する仕事を請け負っているんだよ。あとは学校行事…、体育祭や学園祭のときも記録係として活動するんだ。」

「責任重大ですね…。」

しまった。プレッシャーを与える言い方をしてしまった。

「そこまで難しくないよ。業務内容はちゃんと分担するし、今日みたいな記録用の写真撮影とか、いい練習になるし。」

「そうなんですね。好きな写真を撮るだけではないんだ…。」

うちの写真部は、ちょっと特殊かもしれない。

「今日はどうしょうか。明日も部活動来れる?」

「はい、その予定です。」

「そっか…。」

少しの間悩んだ。どうしようか…。




「せっかくだから、撮影風景、見に行こうか。」

今日は記録のための撮影なので、そこまで難しいことはしていないはずだから、見学をしてもらうには丁度いいかもしれない。

ぜひ見たいと佐伯さんも言っているので、さっそく撮影場所へ向かうことにした。


運動場へは、ここから十分ほど離れた場所にある。

撮影を依頼してきた陸上部は、自治体の指定強化部活動に認定されている。

そのため学内でも優遇されていて、放課後に運動場を利用できるのは、原則として陸上部だけなのだ。

我々のような弱小部とは、扱いが天と地の差である。

「ふわあ…。」

不意に隣を歩いていた佐伯さんがあくびをした。そういえば、さっき待ち合わせをしていたときも、横になっていたな。

「今日、何かあったの?」

「いえ、特には…。少し寝不足で。」

そうか、無理もない。学校生活に慣れていないと、そろそろ疲れが出てくるころなのだろう。

「早めに帰って、休んだら?」

「いえいえ、そこまで疲れているわけではないので大丈夫です。見学、楽しみですし。」

「それだったらいいけど…。無理はしないようにね?」

「ありがとうございます。」

疲れているときに、無理に身体に負荷をかけるのはよくない。

ましてや、部活動のせいで学校生活に支障が出てしまうのは、もっとよくない。

それからしばらく僕たちは、西日が差し込む校舎を後にして、会話をせずに歩き続けていた。

「あれ?」

不意に目を向けた、別館二階の食堂がある部屋の窓から、誰かがこっちを見ていた気がした。

この時間の別館は、一回の共用スペースを除いて、放課後は閉鎖されているはずだ。

「気のせいか…。」

少し気味が悪かったが、見なかったことにしよう。

もっとも、食堂の関係者かもしれないし。

「先輩?」

「ん?」

「難しい顔してますけど…。私が見学するの、迷惑でしょうか?」

「ううん、そんなことないよ。ちょっと考え事してただけだから。」

しまった。顔に出ていたか。後輩に心配をかけさせてしまうとは、情けない。

ホッとした表情の佐伯さんを見て、僕もホッと胸を撫でおろした。

六月とはいえ、夕方はまだ涼しい。

部活動終わりの帰り道では、少し肌寒くなって缶コーヒーで暖をとることも多い。

そういえば、佐伯さんの自宅はどのあたりなのだろうか。

特に行事の日やその直前・直後は忙しくなって、学校全体が消灯する時間まで作業をすることもある。

その時だけは、運動部並みの体力と根気がいる。

いい体験ができるともいえるが、そのあたりも近いうちに聞いておかなければいけない。人によっては、過度な居残りができない場合もあるからだ。

「あ、着いたよー。」

校庭の真横にあるのが、放課後は陸上部だけが使用できる、運動場がある。

「えっと、部長はー…。」

スタートダッシュの練習をしている陸上部員と、それを撮影している写真部員はすぐに見つけることができた。

しかし、佐伯さんに写真部を紹介するためには、部長の存在が欠かせない。

「結構本格的に撮影するんですね。」

「そうだね。いつもならもう少し和気あいあいとしてるんだけど…・」

あまり詳しくないが、おそらく夏に大会があるので、それに向けての練習中なのだろう。


その時、後ろから声をかけられた。

聞きなじみのある声の方向へ顔を向けると、部長がいた。

「部長、遅くなってすみません。」

理由があったにしろ、活動開始時間から、既に三十分ほど経ってしまっている。

それでも部長は笑顔で許してくれた。というかこの部長とは一年以上の付き合いになるのだが、怒ったり不機嫌になったりした時を見たことがない。

いつもニコニコしていて、それでいてしっかりしているから、いつも頼りになる。

「は、初めまして。」

緊張からだろうか。僕が紹介するよりも先に、佐伯さんは自分から挨拶をした。

事情を知らない部長が、「この方は?」といった表情で僕を見てくる部長。

「僕が誘って、写真部に見学をしに来てくれたんです。」

そう言った瞬間、部長の目がキラキラと輝きだした。

怒ったり不満げな態度は見せないが、嬉しいときやよかったことがあると、分かりやすいくらいに表情にでる。

「佐伯奏といいます。あの、よろしくお願いします!」

元気よく自己紹介をして、深々と頭を下げた。

僕が体験入部にやってきたときはどんな感じだったか、少し考えたものの、悲しくなったのでやめた。

基礎基本というのだろうか。そういうことが頭に染みついているから、緊張する場面でも

、自然と口に出して行動ができるのだろう。

少々律儀すぎることもあるけれど。

「佐伯さん、写真撮影が好きみたいです。待望の体験入部希望者ですよ。」

そう言うと、笑顔で佐伯さんに歩み寄る部長。

「部長、その笑顔、少し怖いですよ。」

吹き出す部長。僕、なにか変なことを言ってしまっただろうか。

「ふふっ。」

吹き出した部長につられて、佐伯さんも笑顔になった。

なぜ吹き出されたのかは分からないけれど、もしかしたら部長なりに、佐伯さんの緊張を和らげてあげようと思っていたのかもしれない。

「あの、部長。今日ってスマホ撮影の許可申請ってしてますか?」

これはどういうことかというと、学内ではスマホは原則として電源を切っておかなければいけないのだが、写真撮影時において、スマホがカメラとして活躍できる場面は、意外と多い。

そのため、その都度申請を出して許可が下りれば、例外としてスマホを使用できるようになる。もちろん、用途は写真撮影に限るという条件付きだ。

部長は、もちろんと自慢げにうなずいた。

今日はあくまでも記録用の写真撮影のため、多少は画質が荒くても大丈夫。

よって本格的なカメラを使わなくても、コンデジやスマホを充分に活用できる機会である。

それでもいいなら、写真部をわざわざ呼ばなくてもいいのではないか。と言われたら、その通りだと思う。それでも僕たちが呼ばれるのは、部員のだれかがカメラマンにならないといけなくなって、練習の効率が落ちるからだろう。

「佐伯さん、スマホって持ってる?」

「はい。カバンの中にあります。」

「それじゃあ、それを使って撮影してみようよ。」

「あー、それが…。今朝充電するのを忘れてしまっていて、バッテリーがもう少しでなくなっちゃうんです。だから、今日は見学だけさせてください。」

「そっか、それなら…。」

僕は自分のバッグの中から、一台のコンデジを取り出した。

「これ、使っていいよ。」

そう言って、佐伯さんに差し出した。

「ええ!そんな、気を使わないでください。私なら大丈夫ですから。」

「そんなこと言わずにさ。こういう時って一年の中でも数回くらいしかないから、貴重な日なんだよ。だから、はい。これ使って。」

「ありがとうございます…。」

少し申し訳なさそうに、カメラを受け取った。そんなに気を使わなくてもいいのに。

「構図とか、そういう難しいことは意識しないで、ここだって思う瞬間を、自由に撮影してみてよ。」

「はい!」

「とりあえず、今日は僕と一緒に撮影しようか。」

「分かりました。」

一年だけではあるが、僕は先輩である。佐伯さんがどれくらい写真の知識を持っているか分からないけれど、僕と一緒に撮影するほうが、安心できるだろう。

そう思って一緒に撮影を始めたのだが、技術的には問題ないどころか、充分であった。

意識せずとも、基本的な構図がしっかりと頭の中にインプットされていて、作品としては申し分ない。

しかし、記録用というよりは、些か芸術作品のような感じになっている。

それでも初めてでこのレベルであれば、何も問題はない。とりあえず今日は深くは掘り下げず、僕たちが普段どのような活動をしているのか、それを知ってもらうことが何よりも先決だ。



楽しい時間はあっという間に過ぎて、下校時間になった。

「どうだった?楽しかったかな?」

「はい!とっても楽しかったです!」

それならよかった。内心とってもホッとした気分。

「それじゃあ、暗くなってきたし、そろそろ帰ろうか。」

「はい。あれ…?」

「どうしたの?」

「財布…、どこかで落としちゃったみたいです。」

それは大変だ。

先日僕も同じような経験をしたが、自宅の鍵と財布では重要さが段違いである。

「落としそうな場所、心当たりってある?」

「えっとー…。教室か、写真部の部室か、あとはあのベンチ、それくらいしか思い浮かばないです。」

ふむ、そうか。まずは心当たりのある場所を探すのが原則である。

問題は、どこから探すかだが…。

「そういえば、僕が迎えに行ったとき、ベンチで横になってたでしょ。その時に落としたんじゃない?」

「そうですね…。あの時はポケットに財布を入れていたので、あそこで落としちゃったかもしれないです。」

「それなら、ベンチに行ってみよう。これ以上暗くなっちゃうと、探しづらくなるから。

 」

「そうですね、分かりました。」

 こうして僕たちは、校門からはかなり遠い位置にある、ベンチへと向かった。

「こんなことになってしまって…、すみません。」

「いいって。こういうのは誰でもあることだから。そこまで凹まないで。」

「ありがとうございます。」

 それにしても…、部活動の活動時間を過ぎた学校は、一気に静まり返るから、少し不気味だ。一気に負のオーラが漂いだすというか、こういう空間にいると、夜の怪談話が多く存在するのも頷ける。

「く、暗い…。」

「あれ、大丈夫?」

 早く着くことを優先していたのだが、隣をみると佐伯さんが小刻みに震えていた。

「この時間の学校って初めてなので、ちょっとだけ怖いです。」

 僕は部活動で何度か残ったことがあるけれど、その経験がない…、ましてや新入生だ。

 学校内の土地勘もあまりない中で、この状況はつらいだろう。

「せ、先輩…、今だけ、腕につかまっていてもいいですか?」

「え、あ、うん…。別にいいけど。」

 そう言うと、とても申し訳なさそうに、僕の腕にしがみついてきた。

「えっ…。」

 これは最早、つかまるというよりは腕組みである。

「佐伯さんって、結構大胆な時あるよね。」

 僕が苦笑しながら言うと、

「小学生の頃から転校ばかりしていたんですけど、こんなに優しく接してくれた方って、今までいなかったんです。部活動も今までやったことがなかったので、嬉しくて、つい…。」

 そういうことなら別にいいか。今は誰かに見られることも無いだろうし。

「今日は特別だよ。」

「はい。ありがとうございます。」

こうして僕たちは、腕を組みながら歩いた。

こうなるとついつい足取りが遅くなってしまうが、ベンチの周りには電灯がないので、少し急ぎ足に戻した。


ベンチに着くと、見事に財布が鎮座していた。

だれも来ないことが幸いだった。中を確認してもらったが、触られた形跡もなかったようだ。

 僕たちは、お互い一安心といったような表情を浮かべ、少しだけ笑いあいながらバス停へと戻ることにした。

「そういえば昨日、カギを拾ってくれてありがとうね。」

「いえいえ、とんでもないです。お気になさらないでください。」 

この学校には校門が二つ存在していて、ここからだと裏門のほうが近い。そこから出て、表の道路を歩いたほうが怖くない。

 そう思って提案してみたが、不服そうだった。

 これは…、また腕を組みたいということなのだろうか。

 仕方ないなあ。と思いつつも、その提案を承諾した。

 一度通った道なので、心なしか佐伯さんも余裕がありそうだ。

それはとてもいいことだと思う。

これから先、部活動に入ったらこの時間も学校内に残ることがあるし、必ずしも僕が一緒に居られるとは限らないからだ。

 そんなことを考えていた時、僕の目にあるものが映りこんできた。

「………。」

 それは静かに、こっちを見ていた。この時間はとっくに閉鎖されている、食堂の窓から。

 それは不運にも佐伯さん側から見ていたので、僕のほうに注意を向けるべく、必死に話題を絞り出した。

「佐伯さん、今日の晩ご飯の献立って決まってるの?」

「えっ、献立ですか?特に決まっていないですけど…。」

 しまった。完全に間違えた話題を振ってしまった。

 しかし幸運なことに、この短いやり取りをしている間に、それが見える位置は過ぎ去ってくれた。

「怪談って本当に存在するのかも。」

「え、急に何ですかやめてくださいよ…。」

「ああ、ごめんね。」

 思わず口に出してしまった。

 佐伯さんは、少しだけ頬を膨らませて、ぎゅっと僕の腕にしがみついた。


 こうしてなんとかバス停に着いた僕たちは、お互い別の意味で安堵の表情を浮かべた

「財布、見つかってよかったね。」

「はい。ホッとしました。危うく家に帰れないところでした。」

そうか。ということは、バスもしくは電車通学なのだろうか。

「自宅ってここから遠いの?」

 なんとなく聞いてみた。

「私の家ですか?そこまで遠くはないですよ。バスと電車を使って、だいたい一時間くらいです。」

いや、それは遠いほうではないだろうか。

僕の家も電車とバスを利用して、おおよそ一時間と少しかかるが、僕の地元の話が通じる友人は、ほとんどいない。

都内で一時間以上通学に時間を使っていると、稀にこういったことが起こる。

「いえ、私は遠いとは思っていませんよ。親の都合で何度も転校をしましたけど、一番遠いところで、片道徒歩二時間かかったこともありましたから。」

「それは、すごいね…。」

 転校自体がいい思い出ではなかったようだったので、これ以上聞くことはやめておいた。

「先輩のご自宅はどのあたりなんですか?」

「僕の家は、ここから一時間と少しの距離にあるところ。特に見どころのない街にあるよ。」

 自虐のように聞こえるが、本当のことだったりする。別に遊ぶところがあるわけでもなく、大きな商業施設があるようなこともない。

「そうなんですか。」

「つまり、話が膨らまない場所ってことだ。」

「そんなことはないと思いますよ。」

「ふふっ、ありがとうね。」

「あ、いえ…。」

 急にほほを赤らめて視線を外した佐伯さんを見て、なぜか僕も変な気分になってしまった。

 それにしても…、本当に少しだけタイミングがずれただけで、他の生徒とはすれ違わなくなる。

 部活動は、延長申請をすれば、最長で夜の八時まで活動することができるが、どうやら今日は、申請をした部活動はなかったようだ。

「あ、そういえば。」

「どうかしましたか?」

「僕はこっちの方面のバスに乗るけど、佐伯さんは?」

「私も、先輩と同じ方向のバスです。」

 どうやら途中までは、帰宅経路が同じなようだ。

「次のバスはー、三分後か。これなら早く帰れると思うよ。」

「んー。でも、帰っても今日は一人なんですよ。お父さんとお母さん、出張に行ってまして…。だから、帰るのは遅くてもいいんですよ。」

 そう言って、静かに視線を落とした。

帰宅しても誰もいないというのは、誰だって寂しくなる

「そうだ、もし良ければだけど、夜ご飯一緒に食べない?」

「ええ!そんな、悪いですよ…。」

「僕のことは気にしなくていいよ。母さんには、友達と外で食べてくるっていえば大丈夫だから。」

「そうですか…。あ、そうだ。そういえば…。」

「どうしたの?」

「今日の夜ご飯、お母さんが出張に行く前に作っておいてくれていたものがあるんです。ですので、申し訳ございませんが、今日は自宅で食べることにします。」

「ん、分かった。また機会があったら、一緒に食事しよう。」

 そういう理由があるのなら、それを遮ろうとは思わない。

「部活動のことは、ゆっくり考えてもらって大丈夫だからね。」

「ありがとうございます。ちょっと、まだよく分からないです。」

 無理もない。

今日一日で全部知ろうとするのは、さすがに無理がある。

「転校のせいで、クラスに馴染むので精いっぱいで…。馴染めたとしても、すぐにお別れになってしまったことも、たくさん経験しました。」

「そっか…。ごめんね、気が利かなくて。」

「いえいえ、謝らないでください。むしろ、誘っていただいたことも殆どなかったので、嬉しかったです。」

 そう言って、にっこりと笑った。

 僕だって悩み事がないわけではない。けれど、佐伯さんと比べたら、きっとたいしたことではないのだろうと思った。

 絶対的な悩み事を聞くのは初めてだったので、心が痛くなった。

 すこし暗い雰囲気になっていた時に、バスが到着した。

 先日のような古いバスではない、最新型に近いオートマ車だ。

 しかし、今日はそんなことを考えていてもしょうがないので、後ろの二人掛けの席に座ることにした。

 そうしたら、気のせいだろうか。少しだけ僕に体を寄せたように感じた。

 僅かな感覚なので、確証はないけれども。

「初めての部活動で、疲れたでしょ。最寄り駅になったら起こすから、寝てていいよ。」

「えー、でも、せっかく先輩と帰ってるのに…。」

「いや、明日だって一緒に帰れるし、眠たいときは寝たほうがいいよ。」

「そうですね、すみません…。少しだけ寝させてください。」

「うん、いいよ。」

 そう言うと、素直に目を閉じた。

僕が窓側で、佐伯さんが通路側。これは、座る順番を間違えたかもしれない。

 そうしたら、よほど疲れていたのだろう。すぐに眠ったようだ。

 そして通路側に、どんどん体が傾いていった。

 このままでは危ないので、仕方なく僕の肩を貸そうと思って、佐伯さんの腕をつかんだ。

 そうしたら、佐伯さんのほうから僕の肩にもたれかかってきた。

 一瞬びっくりしたけれど、

「まあいいか。」

 そうつぶやいて、いつも通り本を読もうとしたが、バッグに入った本を取り出そうとす

ると、佐伯さんが起きてしまうかもしれないので、ポケットからスマホを取り出して、

適当にネットサーフィンをして時間を過ごした。

 佐伯さんが降りるバス停は事前に聞いていたが、僕が降りるバス停よりも幾分か手前に位置している。

そのためバスに乗っている時間は、十五分程度である。

そろそろ起こさないと、寝過ごしてしまいそうだ。

「佐伯さん、そろそろ着くよ。起きたほうがいいんじゃない?」

「ん、え、早い…。」

「仮眠をとるならこれくらいがいいんだよ。あとは家に帰ってから、ゆっくりと休んだほうがいいよ。」

「分かりました…。」

 誰から見ても寝足りないのは明らか。今日はゆっくり休んでもらおう。

「それじゃあ先輩。また明日です…。」

 眠たすぎてふにゃふにゃになっているので心配だったが、この場からいなくなった後のことを心配しても、僕にはどうすることもできない。

 そう思って考えるのをやめた途端、僕も睡魔に襲われてきた。

「慣れない環境だったのは、僕も一緒か。」

 自然と笑みがこぼれた。

 今までの学校生活がつまらなかったわけではないけれど、少しだけ刺激が欲しかったのかもしれない。

 だから、決して嫌な疲れではない。むしろ、頭の中がすっきりとした気がする。

 目的を持って生活をしろと、昔誰かに言われたことがある。その時は、うるさいなあくらいにしか思えなくて、反抗的な感情を持ってしまっていた。

 けれど、佐伯さんが部活動に来てくれて、楽しそうに写真を撮る姿を間近で見たら、忘れかけていた自分の好きなものに対する情熱が、再燃した気がする。

 明日も部活動に来てくれると言っていた。

「明日はどんな体験をしてもらおうかな?」

 部長に聞いた限りでは、明日は他の部活動からの撮影依頼は無いらしい。

 今日せっかく撮影してもらったデータがあるから、明日は写真編集用のパソコンソフト

とか、そういうものにも触れてもらうのもいいかも。

 しかし、それを決めるのは僕ではなく部長だ。明日会ったら言ってみよう。




家に着いたのは、夜の八時を過ぎたころ。

 遅かったじゃないと心配そうに出迎えてくれた母に、今日会ったことを事細かに説明した。

 楽しそうに話をしている僕に一安心したのか、最後は安心してくれた。

「今度から遅くなりそうなときは、連絡いれるよ。」

 そう言った僕は、少し足早に自室に向かった。今日は楽しかったけど疲れたからだ。

 ワイシャツを脱ぎ捨ててトレーナーに着替えた僕は、勢いよくベッドにダイブした。

 ご飯を食べないのかと母が聞きに来たが、もう少し待ってくれと言って、そっと目を閉じた。



(………。)

「あれ?」

 気が付いたころには、もう遅かった。

 しまった。なんとなく危惧していたことだったが、寝てしまっていたようだ。

「今はー…、午前二時か。どうしよう。」

 ふと机を見ると、おにぎりが二つ、お皿に乗っていた。

「食べられるようだったら食べて、か。ありがとう母さん。」

 さて、この時間に目が覚めても、何もすることがない。とりあえずおにぎりは食べるとして、あとは…、風呂か。

「結局することはなくても、しなければいけないことは変わらないんだな。」

 当たり前のことに気がついた僕は、さっさと風呂と食事を済ませて、もう一度ベッドに横になった。一時期不眠症になったことがあって、その時に処方された睡眠薬がある。

 体調が悪いわけではないけれど、生活習慣が乱れるといろいろと支障が出てきてしまうのは、幾度となく経験している。

「佐伯さんの前で格好悪いところは見せられないな。」

 そう思ったら、自然と薬に手を伸ばしていた。

 飲むこと自体に抵抗があるわけではないので、自分の気持ちに素直に従って薬を飲んで横になった。

 今までは一人で楽しむことができる時間を大切にしようと思ってきたが、この数日で考えが変わった。友人とももう少し接する時間を増やすようにしよう。

 そんなことを考えていたら、薬が効いてきて、いつの間にか夢の中へと落ちていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る