第2話「温もりの空間」

第二章




 次の日、昨晩ぐっすりと眠って体調が回復した妹に、元気いっぱいに「兄ちゃんおはようっ。」と言われた。

 この時間…、僕が学校へ行く準備をするときに起きているのは稀なことだったので、とても新鮮な気持ちになりながら身支度を整える。

 小学生の妹が起きているということは、当然(?)ながら母も起きているだろうと思って台所に行くと、今日は珍しくお弁当を作ってくれていたらしい。

 いつも仕事と家事で忙しいのを身近で見ているから少し申し訳ない気持ちになったが、僕の大好きなハンバーグがお弁当に入っているのを見ると、素直に嬉しくなった。

「ありがとう。」

 心の底から出た言葉だと伝わったのだろう。

 微笑んだ母を、とても久しぶりに見た気がする。


「行ってきます。」

 元気に家を出た僕は、眩しい朝日に目を細めた。

 今日の授業は聊か楽なことは先に述べた通りで、単純な性格なのだが、こういう日は家を出た瞬間からテンションが上がってしまう。

 そんな気分でいつもの時間に最寄り駅に着くと、一時間ほど前に車両点検があったらしく、十分ほど電車が遅延していた。

 いい気分だっただけに少し残念な気持ちになったが、公共交通機関であるため、毎日のように利用していればこのような事態もあり得ることだ。

 問題はどうするかで、高校の最寄り駅までは三回ほど乗り換えをしなくてはいけないため、少しの遅延であっても場合によっては大きなロスになる可能性がある。

 すぐに思いつく迂回ルートは、途中駅がある沿線までバスで行くという方法だ。

 そのバスも、どうしても多少の遅延は避けられない乗り物だが、バスを使うとその後の電車は乗り換える必要がなくなる。

(………。)

 数分ほどどうするか悩んだが、一時間ほど前の車両点検で現在電車は動いていることを考えると、そこまで影響はないだろうと思い、いつも通り電車で通学することにした。

 

 しかし、少なからず遅延の影響はあったようで、僕が利用するのは都心とは反対方向に向かう下り線だが、いつもよりは混雑していて少し窮屈だった。

 これも仕方のないことで、上り線でなかっただけまだよかったと思い、車両のドア近くに偶々空いていたスペースに体を滑り込ませて、イヤホンで適当な音楽を流した。

 いつもは座っていて見ることがなかった車窓を、何となく眺めてみる。

 すると、以前はガソリンスタンドだったところが更地になっていたりと、見てみると意外と面白いなと感じることが出来た、ある意味貴重な体験となったのかもしれない。

 

 いつも時間に余裕を持って登校していたので、十数分ほど遅れたくらいではどうってことがなかった。

 教室に入ると、いつも早く来ている友達が、「おせーよ。」と絡んできた。

 始業には間に合っているし、むしろまだ登校している生徒のほうが少ないくらいだ。

 理由があって自宅からわざわざ遠い高校を選んだので、これに関しては文句を言ってもどうにもできないものだが、中学校と違って学区制が存在しない高校というものは、勿論メリットを洗い出して選ぶのだが、それと引き換えにデメリットも浮き出てくるものだ。

 それでも僕は、どんなに早起きしても授業はしっかりと受けているし、成績は学内でも上位をキープしている。

 自宅が遠いからなんて理由で、印象を悪くしたくないからだ。

 この友人との朝のやり取りも少し面倒ではあるが、一日のルーティーンと考えると、これはこれでいいことなのかもしれないと思えるようになってきた。


 もう一度言うが、少々面倒くさいけれども。

 

 始業のチャイムが鳴って、熱血教師と評判の担任が、五月病を引きずってだらけている生徒に喝を入れて、今日の授業がスタートした。



 午前中の授業は特に何事もなく終了して、あっという間に昼休みの時間。

 いつもの癖で財布を手に勾配へ行こうとしたとき、間一髪でお弁当を作ってもらっていたことを思い出した。

 そんな僕を珍しそうに見ていた友人たちに、「彼女ができたのか?」とか「愛妹弁当か」等と、それはもう言いたい放題言われる始末。

 普段なら反論するところなのだが、佐伯さんとの約束があるため、なるべく早くあのベンチに行きたかった。

「ごめん、今日はちょっと急いでるからっ。」

 そう友達に断って教室を後にした僕は、注意されない程度の絶妙な速度の速足で、自摸のベンチへと急いだ。


「はあ、はあ…。」

 速足でも距離があるとそれなりにつらい。それでも、そのかいあって5分くらいでベンチまで来ることができた。

「あれ、もういる…。早いな。」

 相変わらず律義に背筋を伸ばして、かわいいバッグを膝の上に置いている。

 少し、少し照れくさくなってきた。


「佐伯さん。」

「あ、こんにちは先輩っ。」

 僕の姿を見た途端、一ノ瀬さんは目を輝かせた。

「ごめん、待たせちゃったかな?」

「いえ、今来たところです。」

 なんともらしくない恥ずかしい会話をしてしまったが、少なくとも高校生になってからは初めての経験かもしれない。

 まだ出会って二日目の後輩に、だ。


「あれ、先輩。今日はお弁当なんですね。」

「ああ、偶々母さんが作ってくれてさ。」

「いいなー。私もお弁当食べてみたいです。」

 この言葉を直球で受け止めるとすると、今まで一度もお弁当を作ってもらったことがないということになる。

 出会ってまもない人に家庭事情を詮索するほど、僕も野暮な人間ではない。

 きっと忙しくて作る余裕が無いのだろう。

 だから、少なくとも今深堀する話題ではない。

「先輩?」

「ごめんごめん、何でもないよ。今日はお昼ごはん買えた?」

「いえ…。購買へ行くのは少し気が引けたので、学校にくる前にコンビニで買ってき

 ました。先輩にいただいたコロッケパンが美味しかったので、同じようなものを選

 んでみたんです。」

 そう言って、可愛らしいエコバッグからコロッケパンを取り出した。

「ああー、この学校で売ってるコロッケパンは、そこら辺のコンビニで売っているも

 のとは比べ物にならないよ。」

「え、そうなんですか?」

「うん。2階に食堂があるでしょ?そこで提供してるコロッケを使ってるから、衣が

 サクサクしてるし暖かいんだよ。」

 僕の話を興味深く聞いていた佐伯さんは、自分が買ってきたコロッケパンを一口食べると、納得したように僕のほうを見た。

「確かに、昨日食べたコロッケパンのほうが全然美味しかったです。」

「でしょ。あそこは他の総菜パンも美味しいから、買う価値はあるよ。」

「でしたら、明日は購買で買ってみます。」

「ただ、いつも混んでるから無理はしないようにね?」

「ありがとうございます。昨日も思ったんですけど、先輩って本当に優しいですね。

 お友達になれてよかったです。」

 満面の笑みでそんなことを言ってくるものだから、照れてしまう顔を隠すことができなかった。

 学校では食欲が出ないと言っていたけれど、それはきっと食べる場所が無かったり、一緒に食事をする友人がいなかったからだろう。

「あの…先輩?」

「ああ、ごめん。食べようか。」

「はいっ。あ、そうだ…。明日もお弁当ですか?」

「いや、明日は購買に行く予定だよ。…一緒に行く?」

「…っはい!よろしくお願いします。」

 おそるおそる聞いてみたが、ここまで快く承諾してもらえるととても気分が晴れやかになる。

 一人で行くよりは、絶対に安心できるし楽しい時間になるはずだ。

「先輩と一緒だったら怖くないだろうなって思います。だからすごい嬉しいです。」

 ニッコリと笑うその表情は、屈託がないという表現がぴったりと当てはまった。

「それならよかった。それじゃあ明日は購買で待ち合わせる?」

「…えっと、まだこの学校に慣れていないので、できたらここで待ち合わせがいいで

 す。」

 確かにそうかと思った。

 学校に通い始めて間もない佐伯さんからしたら、そう思うのも当然で、僕のほうが考慮したことを言わないといけない場面だった。

「それじゃあ明日はここで待ち合わせようか。」

「はいっ。」

 こうして明日の約束をした僕たちは、雑談を交えながら楽しく食事をした。

 まだ出会って2日目で、共通の話題があるわけではないのだが、お互い相性がいいのかとても会話が弾んで楽しい時間を過ごせている。

 佐伯さんのご両親は、誰もが知っている大きな企業で働いていて、金銭面で困ることは殆どないが、残業が多いらしい。

 今時らしくテレワークをする日もあるらしいのだが、そういう時は基本的に夜遅くまで自室にこもって作業をしているとのこと。

 僕の母は、働いているが資格が必要な専門職のため、就業時間は決まっていて残業はめったにない。

 あっても小さな会議などで、1時間くらいである。

 だから夕食の時には帰宅しているので、一緒に食事をすることができる。

 それを踏まえると、当然のような疑問がわいてくる。

「夜ごはんってどうしてるの?」

「無足から一人で食べる日が多かったので、基本的には自分で着くて食べてることが

 多いです。毎日というわけではないですけど…。」

 慣れた口調で話していて一見すると分からないが、その瞳の奥には確かな寂しさが浮かび上がってきている。

 少し深く効きすぎたと反省して、話題を変えてみることにした。

「佐伯さん、好きなものってある?」

「え、好きなものですか?んー………、すみませんすぐには浮かばないです。」

 暗い雰囲気を打開しようとして、何ら脈略のない質問をしてしまった。

「先輩は、何かあるんですか?」

「僕はー、写真かな。一応部活動でやってるしね。」

「写真が好きって言えるの、とっても羨ましいです。私も写真を撮るの好きですけ

 ど、専門用語がわからないので、自信を持って言えないんです。」

 まあ、基本的な知識は少し学ぶ機会さえあれば、割と簡単に理解ができる用語が多い。

 その先の実践こそが、難解だけど楽しいことなのだ。


 食事を終えてからは、少しだけ静かな時間が流れた。

 母が作ってくれたお弁当は、美味しいことは食べる前から確信していた。

 いつも買っているコロッケパンなども勿論美味しいのだが、それには無かった暖かさがあって、食べた後の満足感が桁違いだった。

(ありがとう母さん。)

「ここって、凄い静かですよね。」

「やっぱりそう思うよね。僕もここで半年以上食事してるけど、この時間に他の生徒

 を見かけたことは一度もないよ。」

「いい場所なのに不思議ですね。」

 大きく頷けるほどに共感できるが、できればここは穴場スポットのままでいてほしいと思っている。

 それは佐伯さんも同じ考えらしく、「ここほど居心地のいい場所はない。」とまで言っていた。

 今までは一人で食事をする行為こそが、最高のひと時だと思っていた。

 しかし、佐伯さんとお話しするようになってから、心が変化したというか、考え方そのものが変わった気がする。

 よくわからないが、一つだけ大人になったのだろうか。


 その時、予鈴が鳴り響いた。

「え、もう終わっちゃうんだ…。」

「まあ、今日は部活もあるから、その時にまた会えるじゃん。」

「そうですね。」

「場所は本館3階の一番端っこだけど…、分かるかな?」

「多分…、分かると思います。」

 なんとも微妙な反応だが、無理もない。

 この学校は生徒数が非常に多いため、その全員が勉強するための教室や各種設備を備える必要があり、本館はとても大きな造りになっていて、少々分かりづらい構造になっている。

 だから新入生の中には、時間通りに行動しようとしても、道に迷って授業に遅刻をしてしまうことが、あるある話として有名なのだ。

 僕が優しく「自信ないんじゃない?」と聞くと、素直に首を縦に振った。

 これは別に恥ずかしがることではなくて、新入生に課せられる試練のようなものだ。

「それだったら、教室まで迎えに行こうか?」

 一年生の教室は、僕がいる教室から比較的近い場所にある…、もっと言うと部室に行く途中にあるため、迎えに行ったほうがむしろちょうどいい気がしたのだ。

「えっ…、教室はちょっと…。」

 しまったと思った。

 クラスにまだ馴染めていない佐伯さんを、得体のしれない上級生が教室まで迎えに行くのは、やめたほうがいいに決まっている。

「結構遠回りになるけど、ここで待ち合せようか。」

「はいっ。先輩のご負担にならなければここで待ち合わせがいいです。」

 結局ここが一番適した場所なんだなと思ったが、一つ大きな問題があることに気が付いた。

「そうだ、今日って何限まで?」

「今日は5限までです。」

「そうなの?僕のクラスは6限まであるんだけど、どうしよう…。」

「それくらいでしたら待てますので、心配しないでください。」

「えっ、一時間近くあるけど…、いいの?」

「はいっ!」

 僕だったら絶対に待っていられないから、凄いなと感心してしまう。

 授業は50分間で、実習の授業で教室移動があるため、さらに時間がかかってしまう。

 とりあえずなるべく早く来るという約束をしたところで、腕時計を確認するともう戻らないと間に合わない時間になっていたので、「また後で。」と約束を交わして、お互いの教室へと戻った。

 

 自分から誘っておいて何なんだが、部活動は楽しいと感じたことがなくて、最近は休みがちになっていた。

 しかし仲の良くなった人が来てくれると思ったら、憂鬱が一気に晴れ渡るから不思議だ。

 単純な性格だと自分でも分かっているが、あの笑顔が見れるのなら何だってしてあげたいと思うようになっていた。


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