君がいるなら…

柏季せんり

第1話「2人がけのベンチ」

第一章


 2年生になって3ヶ月と少し。梅雨空が徐々に遠ざかって、太陽が顔を覗かせる日も増えてきた。

 陽の光を浴びると、やっぱり気分が和らぐ。

「絶好の昼休み日和だな。」

 別館から少し歩いたところにある、2人掛けの小さなベンチ。ここで僕は、いつも昼休みを過ごしている。

 校舎からそこまで離れていないのに、滅多に人が来ないから居心地がいい。

 おそらく今日も、使用している生徒はいないだろう。

 加えて屋根もついているので、天候に左右されずに食事をすることが出来る。流石に雷雨のときは教室に戻るけども。

「なにか動画でも見ようかな…。」

 校内では電源を切らないといけない決まりになっているスマートフォンも、この場所ではある程度自由に使うことが出来る。


 そんな事を考えていると目的地であるベンチに着いた。しかし…。

「あれ、誰かいる。珍しいな。」

 すこし驚いたが、ここは皆の場所である。

「今日は教室に戻るか。」

 そう呟いて背を向けようとしたとき、僕の目の前に一枚の紙が飛んできた。拾ってみると、部活動体験入部届だった。

 あれ?と思って前を見ると、困った顔でこちらを見てくる女子生徒が一人。

 今年から共学になったので、転校生でない限りはおそらく新入生で間違いないだろう。

「す、すみません…。」

 すごく申し訳無さそうにこちらに駆け寄って、深々と頭を下げてきた。

「いやいや、気にしないで。はいこれ。」

「ありがとうございます。」

「部活動、どこにしようか迷ってるの?」

「え…、あ、はい。そうなんです。」

 しまった。いきなり話を切り出したのは失敗だったか?

 そう思ったが、新入生と1対1で話すことのできる機会なんてそうそうない。

 普段は特定の人としか交流を持たないから、思い切って話題を振ってみたけれど…。

「あの、失礼ですが何年生の方ですか?」

「2年生だよ。言うのが遅くなってごめんね。」

 こう聞かれるのも無理はない。彼女からしたら僕は何年生の人間なのか分からないのも当然だ。

 それにしても…、かなり中性的な容姿をしていて、身長こそ150センチ前後で小さいものの、男子用の洋服を着ても似合うような見た目をしている。

「そうですか。先程はありがとうございました。」

「いやいや、書類を拾っただけだから。それにもし無くしたとしても、入部届くらい

 なら先生に言えばまたもらえるって。」

「確かに、そうかも知れませんね…。あの、先輩。」

「ん?」

「もしお時間があれば、ですけど…。少しだけ相談に乗ってくれませんか?」

「あー、うん。僕なんかでよければ。」

「そんなこと言わないでください。学校にいるときに話しかけられたの、すごく久し    

 ぶりなんです。」

「そ、そっか。分かったよ。昼ご飯食べながらでもいい?」

「もちろんです!」

「ありがと。そういえば、君は昼ご飯食べたの?」

 昼休憩になってから10分と少し。見た感じ食事をしていた形跡はない。

「私なら大丈夫です。お昼ご飯は食べないことが多いので。」

「え、午後の授業の時お腹空かない?」

「なんとか大丈夫です。それに、学校にいるときは食欲がなくて…。」

 ふむ。そうか…。しかし今は成長期のはずだ。少しくらいお腹に入れておいた方がいいのは間違いない。

「もしよければだけど、僕のご飯、半分あげようか?」

「ええ、そんな…、申し訳ないですよ。私なら大丈夫ですから。」

「まあ、そう言わずにさ。普段は1人で食事してるから、たまには誰かと食べたいなって思っ てたんだよ。」

 これは紛れのない本音である。

 別に他の人と食事をすることが嫌いなわけではないのだ。

 クラスがあまり居心地のいい空間ではないため、ここで食事をしているというだけだ。

「そ、それじゃあ…、いただきます。あ、お代はちゃんと払いますから。」

 とことん律儀で感心するが、早くしないと昼休みが終わってしまう。

「お金のことは気にしないで。僕が勝手に言ってることだから。」

「あ、ありがとうございます。先輩って、その…、優しいですね。」

 そう言って、初めて笑みをこぼした。

 こうして僕たちは、一緒に食事をすることになった。

 事前に購買で買っていたのは、メロンパンとコロッケパン。

 彼女の見た目だけでメロンパンをあげようとしたが、甘いものは控えていると言われたので、コロッケパンをあげることにした。

「いただきます。」

 そう言うと、黙々と食べ始めた。よほどお腹が空いていたのだろうか。僕も食事中は殆ど喋らないので、これはこれで居心地がいい。

 たまには人と食事をするのも、いいものだ。

 そんなおっさん臭いことを思ったとき、肝心なことを思い出した。

「そういえば、相談ってなに?」

「これです。」

 予想していたとおり、部活動の体験入部届だった。

「どの部活動に行こうか迷ってて…。」

 これは新入生あるあるだ。同じ小学校の同級生が多かった中学時代と違って、高校では場合によっては地元の友人が一人もいない人もいる。僕もその1人だ。

 しかし、それを加味しても気になることがある。

「もう7月だけど、ずっと悩んでたの?」

 そう。

 時が経つのは早いもので、もう新入生も入学してから3ヶ月目が過ぎている。

「そう、ですね…。実は入学してすぐに体調を崩して、入院していたんです。それで

 先週に退院できたんですけど、すっかり入部する機会を逃しちゃったんです。」

 なるほどそういうことか。適切な言い方か分からないが、とても気の毒な話である。

「そっかあ。皆入部して、どんどん友達作ってるもんね。」

「そうなんです。だから、やらなくてもいいかなって思ったんですけど、1年生は部 

 活動入部 が必須だって言われて。」

「え、そうなんだ。僕の時はそういう決まりなかったな。」

「そうなんですか、いいなー…。先生からは事情も事情だから、もし決め兼ねたら言

 ってくれ れば何とかするよって言われてるんですけど、せっかくの高校生生活だ 

 し…。」

「うーん、確かにその気持ちはわかる。それなら、もしよければだけど…。」

「はい?」

「僕が所属している部活動に来てみない?」

「何の部活動ですか?」

「写真部だよ。カメラは部室に余ってるから、手ぶらで来ても大丈夫だけど、どうか   

 な?」

 我ながら思い切った勧誘をしてしまった。少々強引であったことに少し後悔をしたが…。

「行ってみたいです。」

「え、本当に?」

「はい。写真を撮ること好きなので。」

「へえー、そうだったんだ。それなら丁度良かった。明日活動日だから、来てみた

 ら?」

「明日ですね、分かりました。よろしくお願いします。」

「こちらこそ。」

 まさか、こんなに話が弾むとは思ってもいなかった。

 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、もうすぐ午後の授業が始まってしまう。

「それじゃあ、そろそろ戻ろうか。授業に間に合わなくなる。」

「そうですね。あ、あの…。」

「どうしたの?」

「明日もここに来ますか?」

「ああ、うん。その予定だよ。」

「よかった。明日も一緒にご飯食べたいです。」

「奇遇だね。僕も同じこと思ってたよ。」

 こうして僕たちは、明日も会う約束をした。

「あ、そうだ。名前聞いてなかったね。」

「そういえば…。すみません。佐伯奏っていいます。」

「佐伯さんか。うん、りょーかい。僕は高宮雄太郎っていうんだ。」

「ありがとうございます!それじゃあ午後は体育なので、そろそろ戻りますね。」

「うん。また明日ね。」

「はい!」

 そう言うと足早に、でも少し名残惜しそうに教室に戻っていった。

「ふう…。」

 僕もそろそろ戻らないといけない時間だ。

 飲みかけのミルクティーを飲んだら、いつもよりもずっと、心地よい甘さが口の中に広がった。


 今日は5限で授業が終わる日だったので、放課後の少しだけ時間が長くなる。

「さて、帰るか…。」

 僕は放課後も、基本的に一人で過ごしている。特別な理由があるわけではないが、友人と遊ぶよりは一人で読書などをする方が好きなのだ。

 それでも途中までは帰宅路が同じ友人が数人いるので、帰り道は最初から一人というわけではない。

 最寄りの駅まではバスを利用するので、みんなでバス停に向かったのだが…。

「ん、あれ?」

 いつもポケットにしまっているはずの、自宅の鍵が見あたらない。

「やばい。落としたか…?」

 僕の家は母子家庭で、母はこの時間は間違いなく職場にいる。妹と弟もいるが、2人ともまだ小学生のため、僕よりは帰宅時間が僕よりずっと早い。だから放課後は、友人と遊んでいて家には居ないことが多いのだ。

 つまり、放課後寄り道をしない限りは必須のアイテムなのだ。

「ごめん、先に帰ってて!」

 一緒に帰る予定だった友人に事情を説明して、急いで校舎に戻った。

 幸いにも、僕の学校内での行動範囲は広くない。

 よって第一候補は教室となる。いや、これは殆どの生徒がそうか。

「はあはあ、はあ…。」

 こういうときに、運動不足は露呈するものだ。

 軽く走っただけなのに、とても息が上がってしまう自分が情けない。

「あれ、無いな…。」

 期待をしていただけに、露骨に落胆してしまった。

「あと考えられるのは、購買?」

 もしそうだとしても、今日はもう営業時間外だ。

 明日改めて行ってみるしかない。

 今日はどこかで時間をつぶして、母親が帰宅するのを待とうかと思ったとき、

「あ、ベンチ…。」

 可能性は低いが、座ったときに落とした可能性もある。

 そう思ったら行ってみない理由はない。

 帰宅を急いでいるわけでもないので、見に行ってみることにした。

「せっかく良いことがあったのに、ついてない。」

 しかし恥ずかしいことに、こういうことは僕の中ではよくあることなのだ。

 いいことや嬉しいことがあると、その直後になにかしらの失態を犯す。

「ふう、着いた。相変わらずここは…、静かな空間だな。」

 独特な雰囲気。

 そこが良いところではあるのだが、今はそんな気分に浸っている場合ではない。

「ええっと…、あれー、無いか。」

 万事休すか。

 そう思ったとき、後ろから声をかけられた。

 少し驚いて振り返ると、担任の先生が立っていた。

「先生。どうかしたんですか?」

 そう聞いた僕の手に、とても見覚えのあるものを差し出してきた。

 それは紛れもなく、僕の家の鍵だった。

 なんでも、違う学年の生徒が届けてくれたらしい。

 違う学年の生徒と交流があったのかと、先生は少し驚いている様子だった。

 もしかして、と思って容姿を聞いてみると、佐伯さんで間違い無さそうだった。

 授業後もここに来たのだろうか?いずれにせよ助かった。

 明日もし会ったらお礼を言うように先生に注意を受け、ホッとした僕はゆっくりとした足取りでバス停に戻ると、他の生徒は誰もいなかった。

 それもそのはず。

 この時間は六限目まで授業のある生徒、もしくは部活動のある生徒しか残っていない。

「まあ、これはこれで新鮮かも。」

 郊外に位置するこの高校は、周りは住宅街だ。

 静かな空間がBGMのように流れているバス停で、1人ベンチに座っていた。

 少しだけ時間があったので大好きなライトノベルを読んでいると、やっとバスが到着した。

「帰宅のピークを過ぎると待ち時間も大分変わるのか。」

 そう思って次から気をつけようと決めて乗り込もうとしたとき、ある違和感を感じた。

「このバスって…、確か僕が小学生の頃によく走っていたバスだよな。」

 そう。最近では全く見なくなった古いバスがやってきたのだ。

 マニュアル車で、詳しい用語が分からないのだが、シフトレバーが長いタイプのバスである。

「まだ走ってたんだ。」

 乗り物が好きな自分にとっては、嬉しい誤算だった。

 なかなかバスが来なかったので、歩いて帰ろうかと思っていたからだ。

 しかし、都内は排気ガス規制などの影響で、車齢の古くなったバスから、定期的に入れ替わっているはずである。

 幼少期の思い出のバスのため、ラッキーと思う反面少し違和感を感じたが、せっかくなので乗ることにした。

 ここではまず見かけない、2ステップバス。

 内装も昔のままだ。

 まだ一般的な帰宅ラッシュには早く乗客はまばらで、都内とはいえ郊外の住宅街を走っている路線のため、乗っていたのは主婦や高齢者が多い。

 僕が席についたのを確認してから、運転手が無言でドアを閉めて、重いエンジン音を響かせて発進した。

「そうそう、この音だよ…。」

 唸るような加速音と大胆なギアチェンジ。

 昨今のオートマ者ではまず聞くことができない音だ。

「しかし…、なんか眠たくなってきたな。」

 今日は新鮮な一日だった。

 久しぶりに、心地いい時間を過ごせた

「佐伯さん、か。」

 後輩で、しかも異性である。

 慣れない状況であそこまで自然に振舞うことができた自分は、結構レアだったのかもしれない。

 そう思い返していたら、いつの間にか終点まで眠ってしまった。

 学校からの最寄り駅ではないものの、終点の最寄り駅からも自宅まで向かうことは十分可能である。

 しかし、運転手に体を揺さぶられて起きたため、少し恥ずかしかった。

 足早にバスを降りようとしたときに、運転手から

「お気をつけて。」

 と声をかけられた。

「ありがとうございます。」

 そうお礼を言った僕は、自宅の最寄り駅の電車に急ぐため、駆け足で駅舎へと向かった。


 自宅へ帰ると、珍しく母が出迎えてくれた。

 何かあったのかと聞くと、妹が風邪で学校を早退したらしい。

 そのため、急遽午後の仕事を切り上げて帰ってきたとのことだった。

 幸い妹は大事に至るほどの風邪ではなかったらしく、病院で処方された薬を飲んで、ぐっすり眠っていた。

「夜ご飯、作ろうか?」

 そう聞いたが、看病をするほどではなく暇だったようで、今日は私が作ると言われた。

 だから、素直にお言葉に甘え、自室でくつろぐことにした。

「えっと、明日の予定は…。」

 小学生の頃からの習慣で、明日の準備は帰宅後すぐに済ませるようにしている。

「そうか。明日の午後の授業は全部実習の日だっけ。」

 通っている学校は、都立第一工業高校という。

 名前の通り工業高校なので、当然普通科にはない実習の授業が存在する。

 高校生なのであまり難しい作業はやらないため、一般的な座学の授業よりは、幾分か気分が楽だ。

 しかし同じ工学科の中でも、進学コースというものが存在していて、僕はそのクラスに所属している。

 とりわけ理数系の授業の割合が多く、実習の時間は他のクラスよりは少ない。

 だから明日は、一週間の中で貴重な日なのだ。


 夕食時ができたからと母親に言われたのは、それから30分ほど経った時。

「やけに早いな。」

 先程からずっとそうだが、ついつい思っていることを口に出してしまう癖がある。

 今はそのことは置いておいて、お腹が空いていた僕はリビングへと急いで、食卓を見た瞬間に理解した。

 大事には至っていないとはいえ、体調を崩している妹がいる。

 夜ご飯はネギと卵が入った雑炊だった。

 僕はこれだけでも充分足りるが、元気いっぱいの弟は少々不満げであった。

 しかし母もちゃんと予測していたようで、ご飯は大量に炊いていたようだ。

 さすが母、僕たち家族のことは知り尽くしている。

 結局、僕はどんぶり1杯、弟は3杯もおかわりしていた。

 これは…、近い将来身長追い抜かされるな。

 食事を終えて自室に戻った僕は、ベッドに横になりながらそんなことを思っていた。

 急激に身長が伸びるとしたら、おそらく中学生くらいだろう。しっかりした人になってくれるといな。

「なんか、また眠たくなってきた…。」

 今日1日慣れないことをしたせいだろうか、なんだか眠たくなることが多い。

 仮眠をとろうかと思ったけれど、さすがに今寝てしまうと今晩に支障が出てしまう。

 少々重たくなった体を持ち上げて、お風呂に入るために部屋を出た。


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