第4話 一番の幸せ

 優れた嗅覚を頼りに先を行くクウカ。俺は戸惑いながらも、そんな彼女の後を追っていた。

「ほんとかよ、血の匂いって!」

「ああ、間違いない。だんだん濃くなってる」


 クウカが立ち止まったのは、建物に挟まれた細い路地裏。さっき老人に絡まれた場所の近くだ。

「多分、この先だ……」


 俺たちは恐る恐る確認する。

 そこには、先ほどの老人が倒れていた。自らの腹部に刃物を深く突き刺した状態で。

「嘘だろ……」


 その表情を確認する。ピクリとも動かない、もう命はないのだろう。

 そして、俺は隣に横たわっているもうひとつの亡骸の存在に気づく。それは瘦せこけた毛並みの悪い、おそらく野良犬だった。


 異様な光景だが、俺はここで何が起きたのか想像できてしまった。

 自分の描いていた未来の最悪の結末、それと重なって見えたからだ。


 大切にしていた野良犬が餓死してしまい、絶望して自ら命を絶った。さっき俺に声をかけてきたのは、最後の最後まで食べさせてあげられるものを探していた。

 そんな想像が、嫌でも頭に浮かんでくる。


 なんか、俺たちみたいだな。

 口には出さなかったが、そう思った。何もかもから逃げたその末路は、こんな姿なんじゃないかと。



 ひとまず近くにいた人に声をかけて、自分たちはそっとその場所を離れて行った。

 言葉はなかった。クウカは多分、沈む俺に気を使って黙っていたのだと思う。しかし、いよいよ痺れを切らしたのか彼女はこう切り出した。


「そういえば、さっきなんて言いかけてたんだ?」

「ああ、それはな……」

 先ほどの痩せこけた野良犬の姿がよぎる。


「いや、何でもない」


 次の瞬間、強い風が吹いてクウカの帽子をさらう。

 その先にある彼女の表情は、不思議そうな目で俺を見つめていた。


「あっ!」

 飛ばされた帽子を追おうとするクウカの腕を握って制止する。


「すまない、せっかく買ってもらったのに……」

「いや、いいんだ。もう顔を隠す必要もないしな。ファンサービスしたいって言ってただろ?」

「いいのか……!」


 キラキラと瞳を輝かせるクウカ。やっぱり闘志でいる自分が一番好きなのだろう。

 そんな彼女に、俺はそっと首飾りをかける。


「なんで返すんだ? まさかそんなにいらなかったのか⁉」

「勘違いするなよ、俺は大切な人にあげたんだぞ」


 そう言って、俺も同じものを首からかけた。

 クウカはきょとんとして、少したってから小さく頷き始める。状況は理解できているが、自分の感情に整理がついていないという様子だ。


「ごめんな、俺なんかじゃこれで精一杯みたいだ。本当はもっと……いや、何でもない。明日に備えて今日はもう帰ろう」



 一応怪我人なのに今日はだいぶ走らせてしまったので、帰り道は俺がクウカをおぶって歩くことにした。


「よし、そこで右だ」

 背中から聞こえる声に従って、街の中を歩いていく。

 人々は皆クウカを見つけると嬉しそうに手を振り、クウカもまた楽しそうに手を振り返していた。


 俺たちが通った道には声援が鳴り響く。その迫力はすさまじいもので、闘技大会の期間は国中が祭りになると言われる意味が改めて分かった。


 最初から勝ち目なんてなかったんだ。俺なんかの用意できる小さな幸せなんて、この歓声や拍手の足元にも及ばない。


「クウカ、明日頑張れよ」

「ああ」

 俺の声は周囲の声援にかき消されるほどの小さなものだった。しかし、彼女の聴覚は優れているらしい。


「明日から、一緒に頑張ろうな」

 クウカは俺の耳元に口を近づけて言う。

「…………は?」

「次を左に曲がって、そのまままっすぐ行って街から出よう」


 彼女が指示したのは、家とは真逆の方向。

 俺は戸惑いながらも、言われるがままに足を進めた。


 やがて街の中心部から外れ、周りも静かになったところで疑問をぶつける。

「どこに行くつもりなんだ?」

「どこって……遠く? 誰にも見つからないところまで」


 俺は立ち止まってクウカを下ろし、顔を向き合わせる。

「それ、どういう意味か分かって言ってるのか?」

「ああ、逃げよう、私と!」

 ずっと言いたくても言えなかった言葉を、彼女が口にする。


「本気なのか……?」

「もちろんだ!」

 俺の手を握って先に進もうとするクウカ。しかし、俺の足は動かない。


「どうしていきなりそんなこと……。それに、俺でいいのか? 俺なんかじゃ、苦しみを悪戯に長引かせることしか――」

「ジンじゃなきゃダメだ!」

 彼女は力強く言い放つ。


「私、一番の幸せに気付いたんだ」

「一番の……幸せ?」


 クウカの指が俺に向く。

「今日、本当に楽しかった。それって多分、ジンが幸せそうにしてたからだと思う。大切な人が幸せだと、私も幸せになる。それが、私の見つけた一番の幸せ」


 気づくと、俺の目からは涙が流れていた。

「後悔、するかもしれないぞ」

「その時はちゃんと二人で公開しよう。そうすれば最終的には『私たち馬鹿だな』って笑い合えるはずだから」


 今度こそとクウカが再び俺の手を引き、二人で駆け出していく。

「ジンが私を幸せにするわけでも、私がジンを幸せにするわけでもない。二人で幸せになるんだよ」

「……ああ、わかった。それじゃあ、逃げるか!」


 二人で、一番の笑顔を見せ合う。

 逃走劇の幕が上がるかのように、夕焼けが月明りに変わった。

 俺たちは駆けていく。二人の幸せを、ずっと噛みしめていくために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奴隷少女は幸せを噛みしめたい 揚羽焦 @017aserase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ