初詣はあなたと。

一花カナウ・ただふみ

初詣はあなたと。

 初詣に行っておみくじをひくのが、私の一年の始まりである。


「むむ……」


 今年のおみくじは吉だった。悪いことは多くはないが良いこともまた多くはないとのことらしい。無難に生きるにはちょうどよさそうな塩梅である。


「あはは、君らしいねえ」


 物心ついた頃からの腐れ縁である麗央(れお)が私のおみくじを覗き込んで笑う。来年からは進学の都合で離れ離れになることが決まっているので、こうして二人でお詣りに来るのもこれで最後になるだろう。


「そういう麗央はどうなのよ」


 貸しなさい、と手を出せば、彼はふふふと笑った。


「大吉、だよ」


 そう答えて、麗央は私におみくじを見せてくれる。だが、おみくじには大吉の文字はない。代わりにそこにあったのは。


「大凶じゃん。初めて見た……」

「うん。僕も初めて見たから、ラッキーだなって」


 彼はニコニコしている。


「ええ……確かに、大吉と凶って同じくらいの比率だって聞いてるけど……大凶……」


 レアなのはそうなのだろう。しかし、不吉だと思うのだが。

 私は書いてある内容に目を通す。


「待人来ず、恋愛は新たな恋はまやかしとか、転居は控えよとか、願望は今は叶わずとか……なんかひどくない? 第一志望の大学に推薦で決まったのにさ……」


 そう。麗央は第一志望の大学に推薦であっさり進学を決めた。私はこれから受験を控えているので、どうなるのか不安でいっぱいなのだが、彼はそうじゃない。

 麗央はおみくじの進学の欄を指差した。


「進学のところ、迷いで逃すってあるから、このまま進めば問題ないってことでしょ? 縁談は、今の縁を大事にせよだし、病気は無理すればそのまま返るってことだから無理しなけりゃいい。悪いことばかりじゃないよ」

「それは、そう、だけどさ……」

「ふふふ。まあ、見ててよ。それで、来年に報告会をしよう」

「今までそんなことしたことなかったじゃん」

「そりゃあ、答え合わせなんてしなくても、家はすぐ隣だしよく見ていたからねえ」

「あ」


 それはそうだ。私は納得した。

 学校のクラスも二クラスしかないような地域で、進学校って言ったらほとんど一校に絞られたと言っても過言じゃないような町だ。保育園から高校までずっと一緒に通ってきた私たちなのだ。お互いに知らないことなんてない。

 私がポカンとして見上げていると、麗央は私のおみくじを手に取った。


「ふぅん。君も待人は来ないんだねえ。縁談は願えば良縁が舞い込む、か。恋愛は……ふふ、そうきたかあ。進学はできそうでよかったねえ」

「ちょ、私のおみくじ返してよ」

「はいはい。君は大事に持っておくんだよ。僕のは結んでおこうかな」


 吉のおみくじが私の手元に戻ってきて、麗央は私ににっこりと微笑んだ。


「麗央はさ」

「ん?」


 他の人がそうしているように、麗央は自分のおみくじをその並びに結びつけている。私の手の届かない高い木の枝のその先に結びつけているのを見ると、ずいぶんと背が伸びたのだなと思う。


「年末年始にはこっちに帰るつもりでいるんだね」

「そういうものでしょう?」

「ウチの兄貴、戻ってこないし」

「ああ。確かに見なくなったねえ。向こうで会ったら、顔を出すように伝えておくよ」

「別に帰ってこなくてもいいんだけどさ」


 なんとなく、戻らないもののような気がしていた。進学して、向こうで就職して、そのまま向こうに定着して。それが普通のような気がした。

 この町は娯楽らしいものはあまりないし、友だちも町を出てそのまま向こうで会うようになったらいよいよ帰る理由もなくなる。親が元気な間は帰ろうという選択肢が消えるんだって、いつのまにか常識のように考えていたことに気づく。


「君は帰らないつもりなのかい?」

「進学先次第かなぁ。まだ決まってないし」

「帰ってきなよ」

「私が運よく麗央と同じ地域の大学に進学できたら、向こうでも会ってくれる?」


 一人で知らないところに行くのは怖くて、保険をかけるつもりで尋ねる。

 麗央は改めて私に顔を向けた。


「会わないよ」

「兄貴には会うのに?」

「うん。君には会わない」


 どういう意図があるのかさっぱり掴めない、さわやかな返答。

 麗央はいつもそうだ。ふんわり穏やかな性格で、人と競うのを嫌がる。その上、何を考えているのかよくわからないような、噛み合わない会話ばかり。

 だから勉強ができると知ったときにはすごく驚いたし、陸上競技で県大会まで行って準決勝で終えて帰ってきたのにはびっくりした。

 だから、彼がこの町を出るのは妥当。もっと活躍できる場が、きっと彼にはたくさんある。


「そ……そっかぁ……」


 なんだろう。思ったよりもショックだったな。

 鼻の奥がツンとなって、私は横を向いた。


「……寒くて鼻水出そう」

「確かに冷えるねえ。帰ろうか」


 くるりと身体の向きを変えて、麗央は家の方向に歩き出す。その少し後ろを、私は意図的に歩いた。



※※※※※



 年が明ける。

 麗央は戻って来なかった。なんでも、バイトが忙しいらしい。

 初めて初詣に一人で行った。くじをひく。


「……大凶って、マジかよ」


 麗央のように私には笑えない。待人来ず、確かにそのとおり。

 大きなため息をついて、私はおみくじを結んだ。麗央が結んだ場所には全然届かない。なんか悔しい。



※※※※※



 さらに翌年。

 おみくじは吉。待人は来ず。

 町が開催する二十歳の祝いのイベントは、人数が集まらなくて複数の市町村で合同のものになった。そこに麗央の姿はなかった。


「……見せたかったのになあ」


 馬子にも衣装ではあるけれど、こんな綺麗な振袖を着る機会はきっとない。撮った写真はメッセージで送った。悔しがるスタンプがついていたけど、本気なのかどうなのかよくわからない。相手は麗央だし。



※※※※※



 その翌年は吉で、さらに翌年は大吉だった。


「大吉、あるじゃん」


 これまで中吉までしか見たことがなかったので、私は小躍りした。

 概ね私にとって都合のいいことが並んでいる。就職も良いらしい。頑張って都会にある職場を選んだから、ケチがつかなくてよかったと思う。


「願望は正しく願えばすぐに叶う、か。転居もいい感じだし、失物はすぐ出るねえ」


 嬉しい気持ちを胸に、私は家に急いだ。



※※※※※



 卒業して、就職して。

 環境が大きく変わったその年の暮れ。私は体調を崩していた。


「……ごめん。そっちに帰れそうにない。うん、大丈夫。病院も近いし、何かあったら連絡できるから。うん、うん。おせち、楽しみだったんだよ。お土産話もたくさんあったの。ごめん、うん。じゃあ、またね」


 通話を切って、私は泣いた。帰るつもりでいたのに、帰れなかった。年末年始しか長く休むことができない仕事なので、次に帰郷するのは一年後だ。悔しい。


「そういえば……旅行は計画どおりにいかないみたいなこと、書いてあったなあ……」


 おみくじのことを思い出しながら、私は布団に潜り込んだ。



※※※※※



 年が明けた。一人の朝なんて慣れっこになってきたはずなのに、新年を一人で迎えると泣けてくる。誰かと通話しながら新年を迎えようなんて考えていたのに、薬を飲んで横になったら初日の出も見逃した。


「まじか……」


 頭痛は残っているが、幸い熱は下がった。私はスマホを見やると、一件の通知に気づいた。


「麗央?」


 電話があったらしい。私は気づくと通話ボタンを押していた。

 コール音。


「はっぴぃにゅういやぁ。調子はどうだい?」

「あけましておめでとう、麗央。熱は下がったみたい」

「そう」

「麗央は今年、実家なんだよね? ごめんね、行き違いになっちゃった。ウチの両親によろしく伝えて」

「それは電話で自分で言いなよ」


 麗央の声に混じって色々な声が聞こえる。賑やかな場所にいるようだ。


「そう……だね。あとで電話かけるわ」

「うんうん。それがいいよ」

「電話、掛けてくれたのに出られなくてごめんね。なんの用事だったの?」

「一番に君の声が聞きたかっただけだよ」

「聞かせられなくてごめんね」

「何を謝っているのかなあ。……ねえ、動けそう?」

「動けはするけど」


 なんだろう。電話しながら外でも行こうって話だろうか。


「じゃあ、すぐに行くね」

「行くって……え?」


 普通に考えて、実家からここまでは最短でも四時間くらいかかる。何を言っているんだろう。お酒でも入っているのか、それとも私の幻聴か。

 通話は切れていて、履歴にはそれがちゃんと記録されている。どういうことだろう。

 スマホを見つめていると、今度はインターホンが鳴った。びっくりして出れば、懐かしい顔が画面の向こうにある。

 幻覚……? 熱、上がったのかな。

 信用できなくて無視したら、スマホが鳴った。麗央からだし、インターホンの画面に映る彼もスマホを耳に当てている。


「えっ、もしもし?」

「出て。ちゃんといるから」


 ドアの向こうで軽く叩く音がした。

 私はパジャマのままドアを開ける。そこには麗央がいた。手には大きめの紙袋。


「ええ?」

「届けてって、おかあさんが……って、咲希(さき)のお母さんのほうね。頼まれたから来た」


 ニコッと麗央が笑う。夢にしか感じられなくて彼の頬を摘むと、困ったように眉を下げた。


「痛いよ。こういうときは自分の頬を摘むんじゃないのかな」

「実在するのか疑わしくて、つい」


 手を離すと、麗央は私の部屋に遠慮なく入ってくる。


「って、ちょっと待って。片付いてないし、寝込んだあとだし、汚いから!」

「大丈夫大丈夫。足の踏み場はあるから」

「大丈夫じゃないから止めてるの!」

「ふふ。元気そうで何よりだよ」


 狭いキッチンの空いている場所にタッパーの山を置いて、麗央は嬉しそうに笑う。


「……なんで」

「なんでって?」

「麗央がウチに?」

「頼まれたからって言ったよ?」

「それは、そうだけど」

「さすがに会いたくなってね。恋愛、攻めの姿勢がよし、だったんだ、前回のおみくじ」

「待人じゃなくて?」

「恋愛、だよ。縁談も待つよりは願いの通りに行動せよ、だし、旅行も行き先で幸ありだったからねえ」

「……なにそれ」


 もう、おみくじの有効期限が過ぎているんじゃないかと思うけど。

 私は笑った。


「おせち、もらってきたから一緒に食べよう。元気が出てきたら、初詣、一緒にどうかなあ」

「元気が出たら、ね」


 私は返事をして、お皿を探す。一人暮らしの部屋にそんなに皿はないのだけど、お母さんが紙皿と祝い箸をつけてくれていた。ふたりで食べるようにということらしい。

 久しぶりにふたりで食べる食事はとても嬉しくて幸せで。一緒にそのあと初詣に行った。おみくじの結果は、内緒だ。



※※※※※



 なお、麗央が私の家に行った理由が私に告白するより先に両親に挨拶に行ったからなのだと知るのは次の帰省のときである。気が早いぞ。



《終わり》

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