知らない君を探している
※本編軸。時間軸は本編以前〜本編後くらい
※モブ(男)が語る、平優希の話
※見方によってはモブ→優希のブロマンスぽく見えるかも
**
初めてソイツの存在を認識したのは、入学式を終えた後の、自己紹介の時間だったように思う。平優希です、と。そのやたら可愛い顔をした男は、その顔によく似合う、これまた高めの声で、女だか男だか判別つかないような名前を口にした。
最初に感じたのは、コイツと仲良くなることはないんだろうな、ということ。落ち着いた喋り方で、趣味は読書で、などと話すソイツは、運動が好きで、人と話すことが好きなオレなんかとは生きる世界が違うな、と。そう思ったからだ。
実際、本格的に学校生活が始まっても、ソイツと会話したことなんて、殆どなかった。ソイツとは席が隣同士だったから、授業内のペアワークなんかで、差し障りのない会話を数回した程度だ。
そんなソイツと話す機会ができたのは、本当に偶然のことだった。
ある日。オレは昇降口で、困ったように佇むソイツの姿を見かけたのだ。
外はざんざん降りの大雨。そこでオレは、彼が何に困っているのか、おおよその見当がついた。
きっとコイツ、傘を忘れたんだな。
殆ど話したことがないクラスメイトだとしても、困っている様子を見かけてしまっては、放っておくのもなんとなく居心地が悪い。オレは「おーい」となるべく普段通りを意識して、ソイツに声をかけた。
「平、どうしたんだよ。こんなところで突っ立って」
「あ……えっと……傘、忘れちゃって。どうしようかなって思ってたとこ」
「ふーん」
声を掛ければ、想像通りの言葉が、想像以上に困った声音を伴って返ってきた。その表情はほとほと困り果てた、といった風情だ。こちらの予想以上に、平はこの状況に悩んでいたらしい。
「職員室で傘とか借りれねーの?もしくは走って帰るとかさあ」
「職員室には行ってみたけど、どうやら傘は全部借りられちゃったみたいでね。それに、僕一人なら走って帰ってもいいんだけど……」
そんな含みのある言葉を溢すと、目の前のソイツはしまった、と言いたげな表情を浮かべて、急に押し黙った。逆にオレはといえば、そんな含みを持たせるような言葉を、聞き逃すわけがない。オレは食いつくように、目の前のソイツに向かって叫んだ。
「えっ何!?お前、彼女いんの!?」
「え!?いないよ?」
「ウッソだろお前!そんな含み持たせるみたいな言い方して!彼女いないはねーだろ!!」
「ホントにいないって!確かに今から迎えに行こうとしてたのは女の子だけど……」
「やっぱ彼女じゃん!」
「違うって!!」
会話は平行線を辿ってばかりだ。このままでは埒があかないと判断したオレは、はあ、とこれ見よがしに溜息を吐いて、鞄の中を漁る。そして、目的のものを掴むと「ん」と目の前の彼に差し出した。
「まあ、彼女じゃねーにしても、傘無しでその女迎えに行きたくねーんだろ?オレの傘でよかったら貸してやるよ」
「え、で、でも、君は……?」
「オレは走って帰るからいいよ。そんなに寒い季節でもねーし。んじゃ、気をつけて帰れよ!平!!」
「あ……」
呆けた顔をした平の前を横切って、オレは雨の中に飛び込む。ざあざあと耳障りな雨音に混じって「ありがとう」と。平の礼を言う声が聞こえたような気がした。
そこからだ。平とオレが、なぜだか度々、ほんの少し話をする仲になったのは。
授業が始まるまでの、少し退屈な時間。掃除の担当場所が、偶然被った時。そんな時、なぜかオレは、平に話しかけるようになった。
平は、話してみると、けっこう話しやすい奴だった。その話題は漫画の話だったり、流行りのドラマや映画の話だったり。そんなごく普通の会話を、平は普通にできる奴だった。
男にしては高めの声で、優しい口調でオレの言葉に返事をくれる。平は学校が終わればすぐに教室を出てしまうから、そんなに長々と駄弁ることはなかったのだけれど。だけど、そんな平と話す時間が、オレは案外、嫌いではなかったのだ。
それでも、平と「彼女」についての話をしたのは、あの雨の日の昇降口以降、一度もなかった。
平と、そんな踏み行った話をすることに抵抗があったのもある。あの雨の日、あんなふうに平に詰め寄られたのは、その場のノリのようなものもあったのだろう。
だけどそれよりも、平の口から「彼女」の話を聞くことが、嫌だと思った。
それがなぜなのか分からないまま、オレは中学を卒業し、高校生になった。
高校生になっても、平は同じクラスにいた。高校生になっても、平は相変わらず、学校が終わればそそくさと帰宅していく。
理由は、聞かなかった。いや、この頃になれば薄々察していた、というべきかもしれない。
あの雨の日、誰かを迎えに行こうとしていたらしい平。学校が終われば、いつも、いそいそと帰っていく平。
(やっぱりお前、彼女、いるんだろ)
おかしいな、と思う。何故オレは、平に彼女がいるかいないか、なんてことで、こんなにモヤモヤ考え込んでいるのだろう。
何故かは、考えても、考えても、分からなかった。ただ漠然とした寂しさが、胸の奥でぐるぐると渦巻いているような気がした。
月日は飛ぶように過ぎていく。オレは大学生になり、地元を飛び出して、東京へと上京した。
驚くべきは、オレと同じ学部に、平の姿があったことだろう。ここまでくると腐れ縁だな、なんて思いながら、オレは平に声をかける。
「よお、平!まさか大学まで一緒なんて驚いたぜ!また4年間よろしくな!」
「ああ、うん……こちらこそ、よろしく」
嘗てより、ほんの少し低くなった、それでも男にしては高めの声で、平が返事
をする。
その声は、表情は、オレが見てきたどれよりも、ひどく弾んでいるように思えた。
「ねえ君、合コンの幹事してるんだって?」
まだ空きがあるなら、僕も混ぜてほしいんだけど。
平がそんなことを言ってきたのは、四月の末、世間が長期休暇に入る少し前のことだった。
「は?お前、こんなのに興味あったのか?」
平がそんなことを言うのが信じられなくて、思わず呆けたような声を出す。そんなオレに、平は苦笑を漏らしながら「君は、僕のことをなんだと思ってるのさ」と言った。
「ま、まだ空きはあるから来るなら数に入れるけど……」
「うん、助かるよ。ありがとう」
そう言うと、平はスタスタと歩いて、席へと戻っていく。
—平、お前、彼女居るんじゃなかったのかよ。
席に着いた彼の横顔に問いかけたって、勿論、返事は返ってこない。
だけど、平の、これ以上ないくらいに追い詰められたような表情が、オレの脳裏に焼き付いて、離れなかった。
平は、何回か、オレの主催する合コンに参加していた。平の顔の良さや人当たりの良さは女子受けが良いようで、女子に質問攻めにされている姿も、連絡先を交換しているであろう姿も、何度も見かけた。
そして気がつけば、平は合コンに参加することもなくなっていた。
きっと、良い相手ができたのだろう。その証拠に、平が先輩と思わしき女性と昼食を共にしているのを、何度か見かけた。
彼女がいるんじゃねえのか、そんなの浮気じゃねえか、そう思わなかったと言われたら、嘘になる。
だけど、そんなことを言えるほど、オレと平は仲良くない。そもそも、平に本当に彼女がいるかすら、知らないのだ。
だからオレは、何も言わないことを選んだ。何も言わず、今までと変わらない距離感でいようと、決めた。
そんな矢先だった。平が、姿を消したのは。
平が大学に姿を現さない。それに気がついたのは、7月の半ばのことだった。
オレと平は、いつも一緒にいるほど仲がいい訳ではない。だからこそ気付けなかったのだろう。平が半月もの間、一度も講義に出席していないことに。
どうして、と思った。平は不真面目な奴ではないから、サボりだなんて、ましてや退学するなんて、思えなかった。
それに、思ってしまったのだ。退学するなら、オレに一言くらい、あったってよかっただろうって。
そう思ったって、平がいなくなった事実は変わらなくって。日常は、平一人がオレの前から姿を消したところで、何も変わらずに過ぎていって。
きっとオレはいつか、友人と呼べるかも分からないような彼のことなんて、忘れていくのだろう。
それが、堪らなく嫌だった。オレの世界から、平優希という人間が消えてしまうのが、堪らなく嫌だと思った。
友人と呼べるかすら、分からなかったアイツ。こんなにも中途半端な距離だったから、連絡先さえ知らないアイツ。
「せめて、連絡先くらい知ってたらなあ……」
後悔しても、もう遅いけれど。
それでも、彼の深い部分に踏み入ることができなかったことが、泣きそうになるくらい、悔しいと思うのだ。
アイにつける薬はない―短編集 一澄けい @moca-snowrose
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