サイレント

山田 詩乃舞

第1話


  並ぶ街灯の光は雪が積もった路面を照らしている。

 

 それは白い地面と黒い空ばかりが強調された寂し気な空間を少しだけ優しい色合いに変えていた。

 

 普段であれば、たくさんの車が行き来し賑やかな道路も今夜はひっそりとしている。

 

 そんな場所にある錆の浮いた屋根がついた小さなバス停。そこにわたしは一人きりで、落ち続ける雪をぼんやりと眺めながら、ここに辿り着くまでのことを思い出していた。


 

 三ヶ月前から二人の関係はずいぶん変わってしまったことには気付いていた。

 些細なことで掛け違ったものは時間が経つほど元に戻すことが難しい。


 ぎこちないまま食事の約束を交わし一欠片の希望を持って店に来たものの、漂うのは別れ話特有のあの空気感。


 やっぱりかと考えながら食べるチキンはぼやけた味で、ワインはただ苦いだけの色がついた水だった。


 付き合いたての頃に来れば感動で目が潤むような、そんな素敵なお店の内装も今はお葬式の花輪と同じにしか思えない。

 

 中身のない話はお互い続ける意味が見いだせないから二往復も続かなかった。重たい時間がただ過ぎる。


 いつまで経っても話を切り出さない彼がトイレに立っていった。不用意に置いていったスマホがテーブルの上で何度も震える。


 ……落ちそうになったところを思わず手に取った。


 すぐさまテーブルに置けばよかったのに、表示された名前が気になって元の場所に戻せない。


 みつめるうちに震えがとまり、かとおもえば、また震え、画面には通知メッセージと短い本文。


 『終わったらいつもの場所で』


 苗字だけの差出人。電話の相手と同じ名前。短い文章から目が離せなかった。


 見ないふりをしていた色々な事が答えになって像を結んでしまう。


 手に持ったスマホが、着信が来たわけでもないのに不規則に揺れる。握りしめているせいだ。床に叩き付けてしまいそうになるのをなんとか抑えてテーブルに置く。


 居ても立っても居られなかった。


 おどろくウェイターに二万円を押し付けて、預けてあるコートを早くだしてと急かす。彼が戻ってくる前に店をとび出すと、店に入った時には無かった雪が道を埋めていた。


 はやくここから離れたくて行き先も決めずに歩きだす。すれ違う人みんなが振り返るぐらいの酷い顔をしている自分が腹立たしくて恥ずかしかった。


 コートのフードを深くかぶり、逃げるように狭い路地に飛び込む。


 一歩踏みしめるたびに、あれもこれも全部嘘になったからこんな思い出は投げ捨てろと叫ぶ声が耳鳴りになって響く。頭は熱く、息は浅い、わかりやすいぐらいに動転している。


 冷たい外気が茹った頭の芯を冷やしてくれるまで、ひたすらに道を歩いて曲がってまた歩く……。


 熱くなった頭が冷えてきたと自覚出来る程度には歩き、少し疲れて立ち止まった時。店から出たのは衝動的だったけど案外悪くない幕引きだったとも思えてきた。


 彼はわたしを傷付けるのが怖くて、遠回しに伝えるのですらためらっていた。


 あのままあそこに居ればそんな彼にイライラしてヒステリックに叫んでいたと思う。


 綺麗に終わらせるのが無理なら、どう思われようと逃げてしまった方がきっとお互いのためだ。


 相当鈍い彼だけど、わたしの席の近くに置いてきた彼のスマホで大体のことは察したと思う。


 コートのポケットで何度も鳴る通知音がそれを伝えてくる。どうせ謝罪と心配のメールだろうから見る気も起きない。


 電話をかけてくればすぐに出て、表示された名前の相手をだしてなじりながら、わざわざ店なんか用意してどうするつもりだったのか、馬鹿じゃないのかと、優しさと優柔不断をはき違えたその態度に対してありったけの罵声を浴びせてやるのに。


 ……だけど、彼には電話を掛けてくる勇気がないことも知っている。

 

 せっかく落ち着いてきたのに、自分だけが愚か者みたいな構図が悔しくて、二時間前まで好きだった人が今は嫌いな人になった事実が苦しくて、気持ちがまた暴れようとするのを抑えくちびるをかみしめる。


 声を出して泣きそうになるのを我慢しながら、行き先も決めずにまた歩きだす。

 

 ……どれぐらい経っただろう、歩き疲れてまた立ち止まると目の前には左右に伸びる大きな道路と立ち並んだ街灯、それと屋根のついた古びたバス停。


 怒りと熱と悲しみに任せて歩き続ける気力はもうなかった。道路を渡って屋根の下に飛び込む。



 エンドロールのスピードで降り続く雪の中、わたしはバス停にひとりきり。


 道路につけた足跡が少しずつ消えていく。わたしの心についた跡も、こんなふうにすぐ消えてしまえばいいのにと思うけれど、そうはならないだろう事だけはなぜだかわかった。


 少し手を伸ばせば、手のひらに次々と舞い降りてくる雪。すぐに溶けて消える。


 ふと、バス停に据え付けられた時計と時刻表が目に入った。


 最終便まであと八分。

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サイレント 山田 詩乃舞 @nobuaki_takeda

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