11. Another world/もう1つの世界

「それにしてもお前さんの体、面白いことになっとるのぉ」

 

 研究所から抜け出したあの日世話になった『クリニック』――微塵もそうは見えない――のベッドに、僕は再び横になっていた。傍らには老人が立っていて、モニターを眺めながらニヤニヤとしていた。確かドクと呼ばれていたか。サングラスに煙草。左腕は屈強そうな義手だ。その着ている白衣がなければ到底医者には見えないだろう。というか白衣を着ていても、いいとこ怪しい研究者といったところだ。


 あの男たちを倒した後、カミラが家に帰ってきて大騒ぎになった。カミラは僕たちが危ない目に遭ったと知ると大慌てで僕たちの体の診察をした。僕たちが(特に僕が)怪我をしていると知ると、これまた大変焦りながら僕たちをドクのところに連れてきて、何やら研究に励んでいたドクを引っ張り出して僕たちの治療をさせたのだった。


 僕たちはあの男たちを殺した。それについて、これからどうなるのかとカミラに聞いてみたが、カミラは「私に任せて」と言うばかりだった。「何も心配しなくていいから」と。


 ミクのことも心配だったが、本人はなんだか平気そうだった。むしろ僕の方がひどく心配されてしまった。今のところは大丈夫なのかもしれないが、一応注意してみておくべきだろう。


 『ああ、本当に良かった。あなたたちまでいなくなったら私は……』


 カミラは一応生きている僕たちを抱き締めて、本当に良かった、ごめんなさいと泣きながら言っていた。僕たちはカミラと出会えて本当に幸運だったと思う。きっと彼女は本気で僕とミクを大切にしてくれている。だから僕は安心できる。僕が失敗しても、ミクは1人にならずに済むだろうから。


 さて、あまりぼーっとするのもよくないか。

 

「何が面白いって?」


「お前さんの体じゃよ。背中の傷はまあいいじゃろう。お前さんの話とも合致するしの。問題は……」


 ドクはそう言って、僕の方にモニターを向けてくる。モニターには僕の体が隅々まで正確にモデリングされており、それに加えて大量のデータが付与されていた。その技術はさっぱりわからないし、1つ1つのデータの意味もよく理解できないが、目で見てすぐにわかることもあった。

 

 全身の筋肉の部分が赤く染まっていた。まるで警告するように。


「ボロボロとまでは言わんが、全身の筋繊維がかなり損傷しておった。普通はこんなことにはならん。まるで、超高負荷のトレーニングを積み続けたかのような……。どんなことをされたらこんなことになるんじゃ?いや……」


 そこまで言って、ドクはいつも浮かべているニヤニヤ笑いをさらに深めて僕の顔を覗き込む。


「どんなことを……かの?」


「……」


 ドクは僕の顔を覗き込んでくる。心の中まで覗かれているような気がして気持ちが悪い。いや、実際に覗き込んでいるのだ。僕の体を診察して、その詳細を明らかにして、僕の表情を丹念に観察して、僕の心の内を暴こうとしているのだ。


 僕が不快な表情を浮かべると、僕の横から手が伸びてきて、ドクの顔を押しのけた。


「顔が近い。離れて」


「つれないのう……」


 ミクだ。美玖は明らかに不機嫌そうな顔をして、ドクの顔を押しのけると、ベッドに横たわっている僕の頭を抱えるように抱き着いてくる。ぞんざいな扱いを受けたドクだが、ニヤニヤとしたままだ。何を考えているのやら。

 

 恐らくドクは感づいていることだろう。僕には何か特殊な力があると。そしてそれについて明らかにしたがっている。それが医者としての探求心からくるものなのか、それとも僕を利用しようとしてのことなのかはわからないが、どちらにせよ、この力のことをおいそれと話すわけにはいかない。半ばばれているとしてもだ。


 僕は弱い。この世界は厳しくて、大切なものを守るには僕の力はまだ足りない。この力は僕にとってのジョーカーだ。最後の切り札。看破されれば最後。僕に勝ち目はなくなる。だからこの力をばらす相手についてはよっぽど考えないといけない。


 カミラにはこの前話したが、実はミクには話していない。ミクはとても賢いが、まだ子供だ。信用していないわけではないが……。あまり余計な心配もかけたくないし。


「……カミラにだいぶしごかれててね。診察が終わったんなら帰ってもいい?」


「まあ待て。実はわしから提案があっての」


「提案?」


 碌なものじゃなさそうだ。この老人はどうにも信用できない。


「そこまでよ。ドク」


 すると、カミラがドアを開けて入ってくる。診察中は外で待っていると言っていたんだけど……。まさかずっと聞いてたのかな。


「なんじゃカミラ。お前さんは関係ないじゃろ」


「大ありよ。私の可愛いケイを妙な実験に巻き込んだら承知しないから」


「実験か……そんなことはせんよ。お前さんの前ではな」


「……」


 ドクがそう言うと、カミラは苦虫を嚙み潰したような顔をして黙り込む。ドクはそれを見て、珍しくため息をついた。


「……わしが言いたいのはな。この子たちにインプラントを入れるのはどうかということじゃ」


「インプラント?」


 ミクが尋ねる。僕にも分からなかったが、言葉の意味からある程度の想像はつく。ドクはミクの質問を受けて、再びニヤニヤ笑いを取り戻して話し始める。


「人間の体は不完全じゃ。パーツの性能は低いし、使い続ければすぐにガタが来る。だから人はこう考えた。役に立たないパーツなど取り換えてしまえばいいと。」

 

 そこまで話したドクは、自身の機械化した左腕を指差しながら続ける。


「そこで生まれたのがインプラントじゃ。機械を肉体に移植して生体機能を肩代わりさせる。このエデンではほとんどの人間が何かしらのインプラントを入れておる。お前さんたちも見たことがあるじゃろう?儂や、そこのカミラもそうじゃ」


 カミラは腕を組んで不機嫌そうに立っている。僕はドクの鈍く光る黒い腕を見て、それから、カミラの腕を見た。その腕はドクのものと違って、普通の腕にしか見えない。だが僕は、それが凄まじい力を持っていることを知っている。


 あのレストランでの出来事を思い出す。ミクが人質に取られそうになった時、カミラは一瞬にして強盗の腕を斬り飛ばした。その速さは、集中した僕でさえ認識できなかったほどだった。


 カミラの技量があるためあれほどの動きはできないとしても、それに準ずるような動きを可能にするのであれば、インプラントは確かにすごい技術だろう。


「でもそれは……まだ早いわ。インプラントは成長を阻害する可能性がある。それに、体への悪影響も……」


「この子らが攫われそうになった時、この子らはお前さんに連絡すらできなかったんじゃろう?何も四肢を取り換えろと言っておるのではない。せめてパーソナルリンクくらいは繋げておけ。それだけなら大した影響は出ないじゃろう」


 パーソナルリンク。またわからない単語が出てきたな。先程のインプラントと違って、いまいちどんなものか想像がしずらい。


 「そのパーソナルリンクってのは何?」


 僕の疑問に対して、今度はカミラが答えてくれる。


「パーソナルリンクっていうのは……まあ詳しい説明は省くけど、要はオンライン上に自分のアカウントを表示させるビーコンみたいなものね。脳に移植した上で感覚器官と同期させて、ネットに転がってるいろんな機能を使えるようにするの。例えば通話とか、調べものとか……色々ね」


「それって……大丈夫なの?追跡されたりしたら危ないんじゃ……」


「そのリスクは実際にあるわ。その情報で商売をしてる企業もあるくらいだしね。それでも便利なのよ。誰もがネットを使わないと生きていけない。まあ、ネットと一口に言っても広い世界だし、あなたたちが追跡されたりする可能性はほぼないわ」


「カミラは大丈夫?」


 ミクが不安そうに尋ねた。カミラは傭兵だ。エデンの裏社会で生きる人間である以上、ネット上で危険にさらされる可能性も高いと考えたのだろう。カミラは少し微笑んで答えた。


「私?私は大丈夫……とは簡単には言えないわね。リスクが高いのはわかっているし。ただまあ、対処が出来ないわけじゃないからね。私を含めた多くの傭兵は自分の情報を偽装しているし、情報のプロテクトも相当なものよ。ネットのリスクを抑えつつ、必要なところをうまく使う。その辺は腕の見せ所ってやつね」


 そういうものなのか。まあパーソナルリンクがそこまで生活の中に溶け込んでいるなら、それを使わないでいるというのも難しいんだろう。このエデンで活動する傭兵なら特にそうなんだろうな。


 この世界には電話というものがない。僕が元居た世界ではスマートフォンが普及していたが、そういったものもない。ネットとパーソナルリンクが普及するにつれて、電話は廃れていったのだろう。この世界の人々は、パーソナルリンクを持たないと通話もできないことになる。僕が気付いたのは電話くらいだが、そのほかにもそう言った事例は多くあるだろう。


 そうなると、僕たちもパーソナルリンクを導入する必要があるように感じられる。特に連絡手段があるのは大切だ。カミラも常に僕たちと一緒にいられるわけではないし、そういった時に連絡できないのは困る。


 僕たちは、一応企業の研究所から逃げ出している身だ。少し怖いが、かといってこのままでは別の危険が発生するだろう。背に腹は代えられない。


「カミラ……」


「……そうね。まあパーソナルリンクは必要か。お願いドク」


「ようやく観念しおったか。そうじゃのう……3日後にまた来い。そのくらいにはインプラントも仕入れられるじゃろう。坊主の体も休ませねばならんからの」


「わかったわ。ケイ、ミク、行きましょう」


 カミラに声を掛けられ、僕はベッドから立ち上がろうとする。ベッドに手をついて、力を入れて……。


「あ、ケイ待って!」


 カミラが声を上げた瞬間であった。


「~~~ッ、痛っつぁ~~~ッ!?」


 痛い!痛い!体中が痛い!なんだこれは!?


 思わずドクを見ると、彼はニヤニヤ笑いをさらに深めて僕の方を見ている。


「筋繊維が損傷していると言ったじゃろう?そんな状態で動けば、当然痛むじゃろうて。お、そういえば、さっきは麻酔が効いていただけじゃということは言ってなかったかのう。おお、愚かな年寄りを許しておくれ」


「このくそ爺が……ッ」


 この世界は医療技術もすごく進歩しているから、この傷もすぐに治るのだと思っていた……。ミクが心配そうに僕の体を触っている。カミラが慌ててこちらに駆け寄ってくる。


 この爺絶対に許さん。





 数日後、僕たちはパーソナルリンクを脳に移植した。僕たちの見た目はほとんど変わらず、唯一変わった点と言えば、首筋にデータチップを挿入するポートが付いたことぐらいだ。


 データチップは、この世界の一般的なデータ保存媒体だ。映像や文章、画像などを頭に直接読み込ませることが出来る。一度読みこんだ情報は脳内のパーソナルリンクに自動的にアーカイブされて、いつでも直感的に閲覧できるらしい。凄まじいな。


 ドクのクリニックを出て、カミラの運転する車で家に向かう。車が都市部に差し掛かったところで、僕たちは驚きに目を見張った。


「すごい……」


 町中が、色とりどりのネオンに囲まれてぎらぎらと光っていた。それらは建物に沿う様に張り巡らされていたり、集まってイラストや文字を形作っている。たくさん見えるのは、標識や、広告だろうか?


「こんなの、今までなかった」


 ミクの言葉に、運転席のカミラが少し笑って言う。


「なかったんじゃなくて、見えなかったの。そういうのはパーソナルリンクを脳に移植した人だけが見ることが出来るデータね。広告や標識は、実際に作るより電子データのまま表示した方がコストや場所を取らないからね」


「でもこれじゃあ、周りがまともに見えないんじゃ……?」


「それは大丈夫よ。受信するデータはこっちである程度制限できるから。例えば、そうね」


 カミラはハンドルから右手を放して、人差し指をのばしてくるりと回した。


「広告よ、消えろ!って念じてみて。パーソナルリンクは脳に直接つながってるから、思考するだけでその通りに動いてくれるわ」


 僕は一度目をつむって、カミラに言われた通りに念じる。再び目を開けると、それまで町中をぎらぎらと覆っていた広告たちはさっぱりとなくなっていた。いや、見えなくなったのか。


 ミクは広告たちを消そうとはしていなかった。むしろ目をキラキラと輝かせて、その広告の1つ1つをじっと見つめていた。僕はそんな姿を少し見つめて、カミラに話しかける。


「これはすごいね。世界が変わったみたいだ」


「そうね。実際にもう1つの世界にアクセスできるようになったわけだから。ただ気をつけてね。パーソナルリンクはとても便利なものだけど、危険もある」


「……そうだね。気を付けるよ」


 僕たちは、デジタル上の世界にアクセスする権利を得た。それは文字通りのもう1つの世界。この世界で、僕は生きなければならない。ミクや、カミラの為に。それがどれだけ苦しくとも。


 あのロケットペンダントが頭の中から消えてくれない。これも見えなくしてしまいたいけれど、きっとそれはしてはいけないのだと思う。


 

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サイバーコア @DetectiveHippo99

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