10. それでも生きる

 ボブと呼ばれる男にとって、デイビスは、唯一の友と呼ぶべき男であった。

 ボブはその肉体を改造される以前の記憶のほとんどを失っていた。覚えているのは、スラムで生まれいつの間にか1人になっていたこと。そして、デイビスに拾われ一緒に過ごしていたことぐらい。

 デイビスはスラム街の子供をまとめるリーダー格であった。彼は親のない子供を集めて、スラムで生きる術を教えた。善意からではなく、ただ単に徒党が欲しかったのだ。自分が成り上がるために。

 デイビスの動機はどこまで利己的であったが、そんなことはボブには分からないことだった。彼にとってデイビスは尊敬できるリーダーであり、信頼すべき友だった。記憶と思考の大部分を失った今でもそれは変わらない。

 デイビスは友だ。守らねばならない。傷つけてはならない。

 おそらく理由としてはそんなところだろう。

「ボブ!?」

 デイビスに銃弾が迫ったその瞬間、ボブはデイビスの目の前に躍り出た。ボブがデイビスを庇い、その体でもってデイビスを守ったのだ。

 ボブはただただ安堵していた。今度はうまくいったと。





 僕は驚きに目を見張っていた。僕が狙った男を、巨人のような男が庇ったのだ。警戒していなかったわけではないが、間に合うとは思っていなかった。それに、彼のこれまでの様子から、こういった突然の奇襲に対応できる瞬発力や思考力があるようには思えなかった。

(しかも、ピンピンしてるな……)

 巨人は、胸の辺りに銃弾を食らったのにもかかわらず平然として立っている。銃弾はあまり効果がないようだ。

「……いい加減、離れやがれッ!」

「く……ッ」

 ミクが鍔迫り合いから弾かれる様に僕の近くに戻ってくる。多少消耗したようだが、まだまだ余裕も見える。おそらく肉体改造を行っている成人男性とまともにナイフを打ち合ったのにもかかわらずだ。力では明らかに負けている。一体どんな手品を使っているのか……さっぱりわからない。

(……さて、どうするか)

 今ある策は出尽くした。仕切り直し……というのは相手から見た話だろうな。こちらから見れば状況は圧倒的不利だ。奇襲は失敗に終わり、もうこれ以上は通用しないだろう。正面切って戦うにしても、ここには隠れ場所もほとんどない。僕が銃を使ってもあの巨人のような男に防がれるだろうし、ミクのナイフは通用するかもしれないが、そもそも近づけないだろう。

 スロー状態もかなり厳しい。今のでもだいぶ体力を消耗してしまった。目の前がチカチカして、頭がぼうっとする。使えてもあと1回というところか。無駄にできない。確実なチャンスを作る必要がある。

「……私が、あのおっきいのを相手する」

「ミク……?」

「手持ちの武器だと、あいつらが一緒にいたらどうやっても勝てない。分断させないといけない」

「それは……」

 それは、分かっている。だがその作戦はだめだ。

「……それだと、ミクが1人になる。危ないだろ」

 ミクが死ぬのは絶対にだめだ。彼女は生きなくてはならない人だ。これからようやく新しい人生を送れそうだというのに、こんなところで終わらせるわけにはいかない。

 僕の言葉を聞いて、ミクは僕の方をじっと見た。青い瞳が僕を貫いているようだった。

「……私は、もう守られるだけじゃない。は……もうたくさん」

「ミク!」

 ミクが飛ぶように走り出し、巨人に接近する。巨人は反応できていない。そのままミクは、巨人の腹の辺りをナイフで切りつけた。切り口が目に入る。浅い。それも異常に。あの巨人の肉体強度はやはり凄まじいようだ。

 ミクは全く慌てず、巨人とは反対方向、部屋に取り付けられた窓の方に走る。切りつけられた挙句、逃げられそうになっている巨人は、ミクの方を追い始めた。

「おいボブ!」

 相方の男が叫ぶが、全く耳に入っていない。ミクはそのまま窓から外に躍り出た。その先には中庭がある。続いて巨人も、窓を半ば破壊しながら外に飛び出していく。

 ……仕方がない。これはミクがつくってくれたチャンスだ。僕がぼうっとしているわけにはいかない。

 僕は目の前の男に向けて銃を乱射しながら走った。男がドアの陰に隠れたのを見て、僕は傍らにあった椅子を男に向かって投げながら、転がるように部屋から出る。そのまま廊下を走りながら思考を回した。

 ミクがあの巨人を引き付けてくれている。今は距離をとらなくては。

 そしてチャンスを作る。また作戦を練って――。

「……最悪だぜ。また報酬が減っちまう」

 ぱん、と音がして。背中に強烈な衝撃が走った。視点がぐるぐると回る。廊下の壁に叩きつけられて、ようやく自分が吹き飛ばされたことに気づいた。

「……ぐっ……くそッ……!」

 痛い。いたい。背中が痛い。

「ははは、動けねーだろ。全く……これ使いきりなんだぜ?また報酬から天引きされちまう……」

 背中を強く殴られたか蹴られたかしたようだ。視界が揺らぐ。耳鳴りもひどくて、立ち上がることが出来ない。

(まずい……距離を……距離をとらないと……)

 僕は床を這いずるようにして移動する。このままでは捕まる。それはだめだ。何か手を考えないと。

「追いかけっこはもう終わりだ。手こずらせやがって……」

 男が近づいてくるのが足音で分かる。逃げられない。どうする。どうする。


「もうガキは1人でいいんじゃねえか?残りは始末しちまうか……」


 残り。ミクのことだ。男の言葉を聞いて、あの子の顔が思い浮かぶ。

 最近は随分表情が現れるようになってきた。美味しいものを食べたときの嬉しそうな顔。僕やカミラの傍にいるときのリラックスしたような顔。訓練の時の真剣な顔。

 あの子の人生はようやく始まったのだ。あの子は生きたいと思っている。その未来を、誰にも奪わせたりはしない。

 もしそれを奪おうとする者が現れるなら――殺すしかない。

 痛みが消える。体が動く。僕は立ち上がって、男を見つめた。






 私は中庭に出て、巨人と相対していた。改めてみると、やっぱり体が大きい。筋肉が凄い。私もこんな風になれば、もっと強くなれるのかな。

『ミクは暖かいね』

 ……いや、やっぱりいいかな。あんなに大きくなっちゃったら、ケイと一緒のベッドで寝られなくなっちゃう。それは

 ケイは大丈夫かな。置いてきちゃったけど、あの時はああするしかなかったと思う。あの二人が一緒にいたら、こっちの攻撃が全く通じなくなる。私は近づくことが出来ないだろうし、ケイの銃も巨人に防がれちゃう。

 頭の中に、こびり付いて消えない記憶がある。あの研究所から逃げた日。ケイが血をたくさん流して、壁に寄りかかって座ってた。それを見つけたときの感覚は、多分忘れることが出来ないと思う。頭の先から体中の温度が奪われて、ひどく寒くなるようなあの感じ。

 ……やっぱり心配だな。はやく巨人を倒して、ケイを助けに行こう。


 どん、と。

 巨人が大きな音を立てて一歩踏み込み、私に殴りかかってくる。私はそれを躱すために、バックステップで後ろに下がる。巨人が地面を思いきり殴ると、その地面が大きく陥没していた。

(あれは食らったらだめだ)

 あんなのを食らったら、一撃で動けなくなる。ケイを助けに行きたいのに、それは困る。

「……躱して、切る」

 巨人が地面から拳を引き抜くと、また私に向かってくる。突進するつもりみたい。そんなに速くない。私はそれを横っとびで躱しながら、背中にナイフを突き立てようとした。

「……硬い」

 が、できなかった。銃弾を弾くくらいだから、皮膚も相当硬いみたいだ。私は巨人の背中を蹴って、いったん距離をとる。

(まだまだ……弱いな)

 私は弱い。カミラがいっぱい褒めてくれるからちょっと勘違いしていたかも。こんなんじゃだめだ。こんなんじゃ、ケイの助けになれない。また前みたいに、何も言わずにいなくなってしまいそうになるかもしれない。それは……たまらなく怖い。

「守られるだけなのは、もう……」

 巨人がこちらに振り向いて、また拳を向けてくる。

 ドンッ!

 地面を勢いよく蹴りぬいて、飛ぶように私の方に殴りかかる。私はそれでも、さらに一歩

『近接格闘を極めれば、たとえ銃が効かない相手でも対処できるようになるわ』

 顔のすぐ横を豪風が吹き抜けていく。相手の拳はもう目に入っていなかった。

『相手がどんなに速くても、どんなに硬くても、どこかに弱点はある』

 走る。巨人の体が眼前に迫る。私は巨人の顔めがけて飛び上がり、手に持ったナイフを突き出した。

『あとは、それを貫くだけよ』

「ぁあああッ!」

 持てる力の限りを尽くして突き出したナイフは、巨人のに深々と突き刺さった。私はそのナイフをさらにねじ込むようにして突き入れていく。

「アガガ……ガ……」

 巨人はしばらく暴れていたけれど、その力はかなり弱まっていた。やがて巨人の抵抗が止まり、その場に崩れ落ちるように仰向けに倒れた。巨人の頭から流れる血で、その周辺が赤く染まっていく。私の手も返り血で真っ赤になっていた。

「後で洗わないと……」

 しばらく警戒してみたけど、巨人は動かない。死んだふりができるような知能があるようには見えないし、本当に死んだんだろう。

「早くケイを助けに行かなきゃ」

 私は立ち上がって、家の方に走り出す。

「……」

 ふと振り返って、私は巨人の方を見た。もう1人の男をかばった巨人の姿がやけに目に焼き付いていた。

「……あなたも、同じだったのかな」

 だとしても、構わないけど。





 

 デイビスは仕事の完了を確信して、ようやくかとため息をついた。このガキを捕えれば、ボスも満足するだろう。もう1人のガキは始末してしまえばいい。殺していいならいくらでもやりようはある。虎の子だった加速装置まで使わされ、デイビスはこの仕事にうんざりしていた。加速装置のエネルギーは1回限りしか持たず、その補充費は報酬から天引きされる。そのこともデイビスの憂鬱に拍車をかけていた。

 こんなことを考えていたからか。ケイがその場で突然立ち上がったとき、デイビスはとっさに反応できなかった。

(体へのダメージは相当なはずだ……!這うだけならまだしも、立ち上がるなんざあり得ねぇだろ……!)

 デイビスはとりあえずケイを取り押さえようとして、その「目」を見た。獲物を狩る狩人の目。純粋な殺意をたたえた瞳。

「……ッ」

 それは無意識だった。これまで、デイビスはケイを殺さないようにしようとしていた。それが仕事だったからだ。だが今、デイビスはその仕事を忘れた。懐から拳銃を引き抜いて、ケイの眉間に向けて発砲した。これまでの人生で最高の動きだった。デイビスの防衛本能が、その行動をとらせたのだ。

「……は?」

 だからデイビスは茫然とした。目の前の光景が信じられなかった。

 ケイは首を傾げた状態でただ立っていた。ケイは

 デイビスが我を忘れたのはほんの一瞬だった。次弾を撃ち込もうと、拳銃を構えようとする。

「え?」

 だができなかった。体に力が入らない。指先から熱が奪われていくのがわかる。拳銃を取り落とした。立っていられない。視界がかすんでいく。デイビスはようやく気付いた。ケイは既に拳銃を構えている。

 デイビスは、自分が死ぬその瞬間まで、自分がいつ撃たれたのか気づくことが出来なかった。

 最期に思い浮かべたのは、ある女性の顔だった。共に生きようと、まともな暮らしをしようと約束した女性。

「ごめ……、約、束……」




「はぁっ……はぁ……」

 僕は男が死んだのを確認した後、その場に跪いて荒い息を吐いていた。体中が痛い。あの男の攻撃に加え、集中によって体を酷使しすぎたせいだろう。

 自分がどうやってあんなことをしたのか、よく思い出せない。ミクが殺されると聞いた後、痛みが消えて、視界がいつもよりもずっとスローになった。一体僕の脳はどうなってしまっているんだろうか。

「くっ……ミクは……」

 休んでいる場合じゃない。ミクを探しに行かないと。体がうまく動かない。こうなったら、もう一度集中して――。

「ケイ!」

「ミク……?」

 声に振り向くと、ミクがこちらに走ってきていた。見たところ怪我なんかもなさそうだ。

「良かった……」

「ケイ?大丈夫?」

「うん、僕は大丈……」

 体がふらついた。ミクが駆け寄ってきて僕を支えてくれる。ひどく不安そうな表情だ。ああ、また心配させてしまったな。

「ケイ……、もう無茶はしないで」

「でも」

「お願い」

「……うん、分かった」

 返事に、時間がかかった。ミクにはばれているだろうか。ミクが危ない目に合うなら、きっと僕はまた無茶をする。

 僕はふと、足元に何かが落ちていることに気づいた。

「これは……ロケットペンダント?」

 男が身につけていたものだろう。チェーンが切れて、床に落ちていた。僕はそれを拾い上げて、中身を見る。

「これ……」

 中身は写真だった。今や死体となった男と、隣に女性が写っている。非常に仲がよさそうだ。恋人……だろうか。

「ケイ……どうかしたの?」

「何が?」

「辛そうな顔してる」

「……」

 誰にでも、大切な人がいる。誰かに大切にされている。僕の大切を奪われないためなら、僕は何度でもこの手を汚すだろう。でもそれは、誰かの大切を奪うことだ。その重みに、僕は耐えられるんだろうか?

「ケイ?」

「ん……大丈夫だよ」

 僕は大丈夫。とりあえず、今のところは。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る