怒り——不正に対する復讐——への応援コメント
ヴィルヌーヴの『静かなる叫び』、懐かしいですね。
そうそう、白黒ワイドで銃乱射事件をモチーフにしていました。2009年ですか。
原題『Polytechnique』って理工科学校って銃乱射現場そのものなんですよね。
この映画の結末は考えさせられますよね。
文中にもあるように、本当にこれでいいのかと。
人間には差別はあっても、流す血には差別はない。
そうなんですけど、何だかなあと思わずにはいられません。
作者からの返信
そのもやもや感といいますか、納得いかない感覚や、悲惨であるにもかかわらずカタルシスが欠如している点こそが、ヴィルヌーヴが生み出したかったものなのかな、とも考えたりします。
前提にあるフェミニズムとアンチフェミニズムの単純な二項対立として描かなかった(あるいはそれ以外の解釈に対する幅を意図的に持たせた)ことで、個々人に対してあらゆる形での問題提起を可能としたのでしょう。
私にとっては、根幹に触れる作品だったので、これを書いているうちにまた観たくなってきました。
お読みいただきありがとうございました!
漠然とした不安、自殺への応援コメント
お久しぶりです。
さすがにノンフィクションだったらと思いましたが、上記コメントを見て少しだけほっとしました。
とはいえ、一部は紛れもなくノンフィクションなのですよね。
死、その中でも自殺はしてほしくないと願いつつも、これだけ世の中に自殺者が多いという事実は消せません。
それだけ現実から逃れたいと思う人が多いのでしょうね。
作者からの返信
水無月 氷泉様
お久しぶりです。
あらためて自分で読み返してみましたが、概ね自分の記憶には従っているかなと思いました。
遠すぎる記憶ということもあり、事実か否かの確信は持てませんが……。
なので、それをノンフィクションと呼べるかは自分でもよくわからないです。
人は鬱病などによって、考えられる思考の幅が狭くなってしまうのでしょうね。
現実は多くの人を苦しめるけれど、同じく、そこには喜びもある。それすらも見えなくなると、人は盲目的に死を望んでしまうのかもしれません。
お読みいただきありがとうございました!
嘘と後悔、罪悪感。そして回るへの応援コメント
testtestさんの文章は、いつも心の奥に隠しているものをえぐってきます。自分でさえそうと気づいていない感情を、言葉で表してくれます。
ただ、お母さんに言いたい。「悪いことをしている自覚があるなら、絶対に外にはもらすな。もらすようなことをするな。意地でも守りぬけ」
作者からの返信
ほんと、それですよね。
母はある種の自己破壊欲求をずっと抱えていて、そうした方法で悲劇的な終焉というのを望んでいたように思います。そうした小さな自己破壊の連続の先に自殺未遂があったのかな、と。
子供は無防備で、自分自身ではなにもできません。ですが、坂口安吾がいうように、親があっても子は育つものだと思っております。ろくでもなくても、憎くても、母が今の私の一部を作ったことは否定しようがありませんから。
お読みいただきありがとうございました!
他人という地獄のなかでへの応援コメント
純文学の世界、ですね。圧倒されます。
作者からの返信
過分なお褒めの言葉、恐縮です。
月森乙様のコメントに見合うようなものを書けるよう、より洗練させていきたいと思います。
コメントありがとうございました。
怒り——不正に対する復讐——への応援コメント
うちの近所でも銃乱射はしょっちゅうあるんですよ。みんな言わないけど、それは「いじめられっこの報復」なんです。子供と巻き込まれそうになったこともある。それでいつも思う。「公共の場で銃乱射する勇気があるなら、自分をいじめた本人にやれよ!」って。だからこの回を読んで、する側の気持ちはわかった。もちろん同情はしないけど。「うちの子だっていじめられたけど銃は乱射してないよ」って。でもそこで思う。その怒りを受け止めてなだめてくれる誰かがいる、というのは大切だな、と。うちの場合は私がその怒りといら立ちを受ける側に回ったけど、本気できつかった。親になるって大変だな、って思いました。だからといって、誰かを責めてるわけじゃない。人は性格もそれぞれだから。同じことを経験しても、感じることはみんなちがうので。生きていくのって、ほんと、むずかしい。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
月森 乙様のおっしゃる通り、どこでも銃乱射は起こっているのかもしれません。
周囲を巻き込もうと思うのは、復讐の対象は不正であり、不正はいじめっ子に限定されないからだ、という気がします。とりわけ子供は、自分一人で周囲に起こる様々な問題を解決する力など持ちません。となれば、真の不正は子供を取り巻く環境そのものに存在するのでしょう。
お子様にとって月森乙様は怒りを受け止めてくれる人というだけでなく、不正を正してくれる存在だったのかと思います。子供の環境のなかに正しさを示してくれる人の有無もまた、怒りが抑えようもないほど巨大に膨らむか否かを左右する一因だと思います。
生きるの、難しいですね。どんな経験をしてみても、どれだけ生きてみても、やっぱり難しい。
絶えず困難は向こうからやってきて、その度に新しい問いを突きつけてくる。
まあそういうものなのでしょうね。今も昔も。
お読みいただきありがとうございました。
編集済
漠然とした不安、自殺への応援コメント
testtest様
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
コメントをさせて頂くことがお邪魔にならないか悩んだのですが、思わずコメントさせて頂きたくなりました。
母の自殺未遂、という出来事に
フラッシュバックを覚えまして
良くも悪くも私も『死』に関する小説を書いてしまうことに、恐れ多いですが💦 漠然とした不安という共通点を感じてしまいました。
なんだか上手く言えませんが……💦
testtest様の文章から感じる魅力に、いつも癒されたり、感銘を受けたりとさせて頂いております。
testtest様の書く世界、影ながら応援させて頂いてます。
長文失礼致しましたm(_ _)m
作者からの返信
鳥兎子様
コメントありがとうございます!
邪魔だなんてとんでもないです、こうしてコメントを頂けることを大変うれしく思います。
私の作品を読んだことで嫌な記憶を呼び覚ましていたとしたら、申し訳ないです……。(と同時に、誰かの記憶を喚起できるほどのものが書けたのならば、私にとってとても嬉しいことです)
あくまで私はこれを小説として書いています。すべてが事実、というわけではありませんので、ご理解いただけるとありがたいです。
鳥兎子様もまた大変な経験をなさったのですね。言葉にしたら単純だけれど、当事者にとってはあまりに大きな出来事を。それを小説に昇華しようとしても、なかなかに難しい。言葉というのはそれほど扱いづらいものなのかもしれません。
この漠然とした不安感というのは生涯拭えないものなのでしょうね。
それはそれとしてなんとなく受け入れているはずなのですが、時々黒い波となって打ち寄せては自分をまるっと飲み込んでしまうんです。
ふと、そんな不安が大きくなったために、私は今この小説を書き始めた次第です。書くと落ち着くし、私の経験を私から切り離して考えられるようになります。
鳥兎子様の丁寧に綴られた作品にもまた、無数の過去の経験が地層のように折り重なり、美しい綾となって反映されているものかと思います。引き続き、拝読いたします。
お読みいただきありがとうございました。
漠然とした不安、自殺への応援コメント
少年時代の歪みは、いつまでも引きずってしまう物ですよね。
私も何度かそう考えたことがありますし、今でも親から何度も受けた怒鳴り声がトラウマで中学頃から大きい音に恐怖を感じてしまうようになりました。
文章は起きたことと心情が事細かに分かり易く書き綴られておりとても共感しやすかったです。
あと、文才の塊ですね。語彙力が天元突破してないですか?
こんな文章縦読みで読みたいな~と思ってしまう、調べてみればありました……
気にしないでください
作者からの返信
アイスメーカー様
お読みいただいた上に、私には過分なほどのお褒めの言葉、誠にありがとうございます。
私の体験を土台にして書いているので、現実に立脚したリアリティのある言葉となっているのかもしれません。
アイスメーカー様のお褒めのお言葉に見合うよう、まだまだ勉強して、(また、アイスメーカー様の『フェンリルに転生した俺、人間に復讐を決意します』からも勉強させていただき、)よい文、よい小説を書けるよう精進してまいります。
あらためて、お読みいただきありがとうございました!