第4話

 那月さんのカフェを訪れた翌日。


「北原のやつ、またゲームしてる」


 昼休み、おなじみの光景が私の目の前にくり広げられていた。

 私はつかつかと北原に歩み寄り、声をかけた。


「北原。そんな調子だとまた見つかるよ」

「げっ、委員長!?」

「まったく、しょうがないな。でも、それが北原の個性なのかもね」


 私は軽い調子でそう告げてみた。


 昨日、私は那月さんからアドバイスをもらっていた。相手を否定しないこと。愛情をもって接すること。それが何よりも大事なのだと。


 具体的にどう接するのが正解なのかは分からない。けれども、今までの自分を少しでも変えてみようと挑戦することくらいなら、私にだってできる。


 すると、北原はきょとんとして、私の表情をのぞいてきた。


「なに?」

「委員長、怒っていないのか?」

「怒っても仕方ないじゃん、何度言っても意味ないんだもの。それより、私も悪かったのかなって。北原のこと、ずっと否定してきた気がして」


 私はこれまでずっと損な生き方をしていると思ってきた。けれども、他人との接し方を変えられるように、生き方もまた変えられるかもしれないと思いはじめていた。



――私は将来、那月さんみたいな大人になりたい。



 そんな憧れの存在に少しでも近づけるような生き方をしていきたい。それが今の私の目標だ。

 北原はますます訳が分からないといった顔で首をかしげる。


「つまり、俺を許してくれるのか?」

「さあね。ただ、これからは北原との接し方を変えようかなって思っただけ」

「……別に変えなくてもいいんじゃね?」

「は?」


 今度は私のほうが訳が分からない。北原はいったい何を言おうとしているんだ?

 黙って北原の言葉の続きを待つ。すると、北原はもじもじしながら、不満げに唇を尖らせた。


「だから、委員長は別に変らなくてもいいだろって。いつも正しいことを言ってるわけだし。だから、変わらずにそのままの委員長でいてほしいっつーか……」


 私の顔をチラチラ見ながら、言葉を選ぶ北原。なんとも歯切れが悪く、心なしか頬が赤く色づいている。


「つまり、私にどうしろと?」

「かーっ。分かんねえかなあ」

「ぜんぜん分からないよ」

「だから、俺を見捨てんなってこと。もっと俺にガンガン来いよ」

「やだよ、めんどくさい」


 私は北原のお母さんか。そんな役割はまっぴらごめんだ。


 私はすっかり呆れ果て、教室を後にした。

 私は私の天命を生きる。私はクラスの委員長という役割を与えられた。だから、私は天から与えられた己の使命をきちんと果たすまでだ。


 ちょうど廊下の向こうから、いかつい体育の先生が肩を怒らせて歩いてきた。


「あ、先生。北原君が教室でゲームして遊んでいます」


 その後、北原は仕事熱心なその先生に首根っこをつかまれて、職員室へと連行されていった。先生、今日もお勤めご苦労様です。


「覚えておけよ、委員長ーッ!」


 北原の捨てゼリフが昼休みの廊下中に響きわたる。

 一方、私は己の使命を果たしてスッキリしていた。きっとこれでいいんですよね? 那月さん。







 放課後、私は那月さんに早く会いたい一心でカフェへと直行した。


 那月さんの爽やかな微笑みやしっとりとした甘い声を思い出すと、身体がカッ! と熱くなった。心臓はしぜんと鼓動を速め、細い路地を曲がる頃にはもう足が弾んでいた。


 魔法使いの館のようなカフェの、レトロな扉に性急に手をかけようとして、私はふと思い止まる。

 そして呼吸を整え、スクールバッグからスマホを取り出して黒い画面に自分の顔を映し出し、前髪の乱れをチェックしてから、ついに扉を押し開いた。


「こんにちは、那月さん」

「いらっしゃいませ、和奏さん」


 すべてを包みこむかのような那月さんの温かい微笑みが、私を出迎えてくれた。たちまち、私の頬はとろけそうに熱くなった。


「どうぞこちらへ」


 那月さんは今日も私をカウンターの席へと案内してくれた。


「ご注文は?」

「クリームソーダを。……それと、実はもう一つお願いがあって」

「なんでしょう?」

「私を、ここでアルバイトとして雇っていただけませんか?」


 昨晩からずっと考えていたことだった。


 高校一年生の私には、クリームソーダは贅沢品だ。けれども、このカフェで働かせてもらえたら金銭面での心配がなくなるし、なにより敬愛する那月さんのそばにずっと置いてもらえる。私にとっては夢のような環境だ。


 私の急な申し出に、那月さんはさすがに困惑の色を浮かべている。


「うーん、アルバイトですか。和奏さんの勉強の妨げになりませんか?」

「大丈夫です。私、頑張りますから! それに、那月さんから教わることが、学校で教わることと同じくらい、いえ、それ以上に私には大事なんです!」

「それ程のものでしょうか?」

「それ程のものなんです」


 私は真剣な目で那月さんに訴えかけた。

 すると、しばらく思案顔だった那月さんが、私に告げた。


「分かりました。お願いできますか、和奏さん」

「はいっ! 竹内和奏、頑張りますっ!」


 こうして、私は天にも昇る心地で、光の粒子が飛び散るような満面の笑顔を輝かせたのだった。


 それから、今にも歌い出しそうな機嫌の良さで美味しいクリームソーダを堪能していると、那月さんが悩ましげな声でつぶやいた。


「うちの弟も、和奏さんくらいしっかり者でいてくれるとよかったのですが」

「へえ、那月さんって、弟さんがいるんですね。おいくつなんですか?」

「高校一年生です」

「ふふっ、それじゃ私と同い年だ。那月さんの弟さん、きっとお兄さんに似て格好いいんだろうなー」


 私は勝手にふくらませた想像を楽しみながら、アイクリームを口にする。ひんやりとした甘さが口いっぱいに広がって、さらに私を幸福にした。


 その時だった。

 カラン、という音と共に店の扉が開かれ、一人のお客さんが入って来た。

 そのお客さんの姿を目にした瞬間、私は仰天した!


「はあー、今日はさんざんな目に遭ったぜ」

「北原!? アンタ、なんでここに!?」

「げっ、委員長!?」


 アイスクリームをすくおうとしたシルバーの細長いスプーンが宙に止まる。那月さんと二人きりで過ごしていた夢のようなひと時から、急に現実へと突き落とされた気分だった。


 那月さんが朗らかな声で言う。


「なんだ、二人とも知り合いだったんですね。それなら話が早い。和奏さん、彼が弟の颯斗です」

「ええ~っ!?」


 私は驚きの声を店中に響かせてしまった。だって、那月さんと北原が同じ血を分けた兄弟だなんて、とても信じられないんだもの。

 北原と那月さんの顔を慌てて交互に見比べてみる。顔立ちはタヌキと美の彫刻くらい違うけれど、言われてみれば、たしかに目元が似てなくもないような。


 北原は不満げに頬をふくらませ、那月さんにつめ寄る。


「で、なんで兄貴は委員長を『和奏さん』って呼んでんだよ? いつの間にそんなに親しくなったんだ?」

「颯斗君。和奏さんには、今度アルバイトとして店を手伝ってもらうことになったんですよ」

「答えになってねーぞ、兄貴」


 にこやかな笑みをこぼす那月さんに、北原はすっかり呆れ顔だ。


「……ま、兄貴が委員長を名前で呼ぶなら、俺だって」

「ヤダ。北原は絶対に名前で呼ばないで。北原にそんなことされたら舌嚙んで死ぬ」

「なんでだよっ!?」


 私がジト目できっぱりと断ると、北原がすかさずツッコんだ。

 でも、私を名前で呼んでいいのは那月さんだけなんだからね。


 この先、私の放課後はますます賑やかになりそうだ。




【完】


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放課後にはクリームソーダを 和希 @Sikuramen_P

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