第3話

 那月さんと会話を交わしていると、身体が火照って仕方がない。私は熱を冷ましたくて、シルバーの細長いスプーンを手に取ると、緑色のソーダ水に浮かんだ白いアイスクリームを頬ばった。


「…………」


 黙って食べている間も、那月さんの一途な視線を感じて、頬が熱を帯びてしまう。アイスクリームは口の中であっという間に溶け、すぐになくなってしまった。


 後はソーダ水を飲み干して、さくらんぼを食べたらおしまい。……でも、もう少し長くこのカフェにいたくて、すぐには口にはしないでいた。


 すると、那月さんがまたしても話をふってくれた。


「ところで、和奏さんはどうして皆さんから怖がられているのです? こんなにも可愛らしいのに」


 もう、すぐそういうことを言う。そういうところですよ、那月さん。誰に対してもそんなことを言っていたら、女の子が悲しんじゃいます。

 でも、那月さんに言われるのは、ぜんぜん嫌じゃない。むしろ、もっと褒めて甘やかしてほしいと、声を求めてしまう。


 やむを得ず、私はため息交じりに事情を説明した。


「私、学級委員長として皆を取り締まる立場にいて。それで今日も隠れてゲームしている男子に注意したら、逃げられて。きっと面倒くさい女だと思われているんでしょうね」

「立派なことじゃないですか。なかなかできることじゃありません」

「那月さんは、本当にそう思ってくれますか?」

「はい、和奏さんはとても偉いと思いますよ。それに、よく頑張っています。やっぱり和奏さんは魅力的で素敵な人です」


 那月さんは感心したようにうなずいてくれた。

 那月さんの優しさが、孤独な心に沁みわたる。


「……私、時々思うんです。私はなんて損な生き方をしているんだろうって。注意しなければ怖がられることもないし、嫌われもしない。でも、どうしても言わなくちゃいけないことってあると思うし。ただ、どうしてその役目が私なんだろうって……それが辛くて……」


 胸の奥底にずっと沈殿していた暗い感情が、言葉となって次々とあふれ出す。

 那月さんは真剣な顔をして、涙ににじむ私の声にじっと耳を傾けてくれていた。

 そうして那月さんは優しい眼差しを私に注ぎながら、口を開いた。


「それが和奏さんの天命だから、でしょうか」

「天命?」

「はい。人は誰もが天から与えられた使命を生きます。和奏さんが今頑張っていることは、きっと和奏さん以外の人にはできないことです。和奏さんは今、己の運命を生きていると言えるかもしれません」

「そんな運命は嫌だなぁ」


 自ら望んで嫌われ役を買って出たのならいい。けれども、私の場合は、いつの間にかそういう立場に置かれてしまったに過ぎない。それが私の高校生活における運命なのだとしたら、そんなの悲しすぎる。


 私がすっかり落ちこんでいると、那月さんは諭すような柔らかい口調で告げた。


「僕の祖父は、この店を両親に引き継ぐつもりでいました。それが、二人とも事故で亡くなってしまって。それで僕が急に引き継くことになったんです」


 那月さんの芯のある声の響きが私の耳を打つ。那月さんは悟ったような顔で淡々と話を続ける。


「もちろん、はじめは上手くいきませんでした。挫折もしましたし、たくさん悩みました。でも、この店を訪れる常連さんたちが僕をたくさん支えてくれて。おかげで今でもこの店を守り続けることができています。今にして思えば、それが僕の天命だったんじゃないかな」


 那月さんはそこまで言うと、ニコッと私に微笑みかけた。


「和奏さん。大事なことは、傷つかないことじゃなくて、傷ついた時に頼れる人がそばにいるかどうかです。だから、もし学校で何かあったら、またこの店に足を運んでくれませんか? そうして僕を頼ってください。僕が精一杯和奏さんをおもてなしいたします」


 私の頬を涙が伝い落ちていく。那月さんの誠実さが、私の胸を熱くする。

 那月さんはフッと私に微笑みかけ、さらにアドバイスしてくれた。


「それと、もし和奏さんが嫌われていると感じているのなら、嫌われない方法を教えてあげましょうか」

「そんな方法、あるんですか?」

「相手を否定しないこと。相手に愛情をもって接すること。僕がこの仕事を通して学んだことです」


 そっか。接客をしていると、きっといろんなタイプの人がお店に来るはずだもんね。思い通りにいかないことだって、たくさんあるに違いない。


「愛情、ですか。たしかにクラスの男子に愛情をもって接したことはないなあ」


 言いながら、おかしさがこみ上げてきて苦笑した。少なくとも北原に愛情を抱いたことはないし、むしろ否定的でいた。


 私が接し方を変えれば、相手も変わるのだろうか? 今はまだ分からない。けれども、学校での過ごし方のヒントになるようなアドバイスを那月さんからもらって、暗く塞ぎがちだった胸の内が少し軽くなった気がした。


 那月さんは真摯な瞳をキラキラと輝かせて、強く訴えかけてくる。


「きっと和奏さんなら大丈夫ですよ。和奏さんは、自分で思っている以上にずっと素敵な方ですから。もっと自分に自信を持ってください。和奏さんなら誰からも愛されます」

「……那月さんからもですか?」

「はい」


 軽くたずねたらきっぱりとそう断言されて、ボッ! と顔から火が出る思いがした。


「…………」


 私は真っ赤になった顔を両手でおおいながら、那月さんを恨めしく思った。


 那月さんは悪い人だ。これだけのことを言っておきながら、私を口説いているという自覚がまるでない。


 高身長、清潔感、誠実さ、イケメン、とろけるような甘いイケボ。何一つ欠点のない那月さんこそ本当に素敵な人で、誰からも愛される存在だ。


 そう考えて、ふと冷静な考えが頭をよぎった。こんな素敵な人に彼女がいないワケがないじゃないか。

 私は炭酸がゆるんだクリームソーダを最後まで飲み干し、冷めた調子で言った。


「那月さんみたいな人が彼氏だったら、きっと彼女さんも幸せでしょうね」

「そうでしょうか? 彼女なんていないから分かりませんけど」

「えっ、いないんですか?」

「はい」

「へ、へぇー。そうなんだ」


 しぜんと口角が上がってしまう。ふうん、那月さん、彼女いないんだ。


 帰り際、私は那月さんにたずねた。


「もし学校で何もなくても、またお店に来ていいですか?」

「もちろんです。いつでも歓迎しますよ」


 こうして私は那月さんのまぶしい笑顔に見送られ、後ろ髪を引かれる思いでカフェを去っていった。


 すっかり日が暮れた帰り道、私はときめく心を抱えながら、一人ぽつりとつぶやいた。


「……本気でアルバイト考えよっかな」

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