第2話

「こちらの席へどうぞ」


 私は促されるまま、カウンターの一番奥の席に腰を下ろした。


「ご注文はいかがなさいますか?」


 カウンターを挟んだ向かい側で、店員さんが温かい目で私だけを見つめている。私は気恥ずかしさを覚えながら、視線を逃れるようにメニュー表に目を落とす。


「クリームソーダをお願いします」

「かしこまりました」


 にこやかに微笑む店員さん。どうしよう、子供っぽいと思われたかな? こういう時、颯爽とコーヒーをブラックで頼めるような大人になりたい、と思う。


 もじもじと、作業中の店員さんの様子をそっとうかがう。大学生? それとも社会人? どちらにせよ、二十代前半と見てまちがいない。


 それにしても、えらくイケメンだな。彼女はいるのかな? いるに決まっているよね。こんなに格好いいんだもの。


『可愛い子には旅をさせよ』なんて諺があるけれど、そんな必要はない。だって、可愛い子には決まって守ってくれる彼氏がいるもの。一方、可愛くない私には彼氏どころか友達すらいない。


「お待たせしました。クリームソーダです」


 目の前に色鮮やかなクリームソーダが運ばれてくる。緑色のソーダ水、白いアイスクリーム、そして宝石のように輝く赤いさくらんぼ。

 日頃の辛い学校生活から遠く切り離された、非日常を象徴するような魅惑的な飲み物に思わずため息がもれた。


 ストローをくわえ、ソーダ水を口に含む。はじける炭酸が爽やかに喉をうるおし、緊張がゆるやかに解けていく。


「はあ……美味しい」

「よかったです」


 店員さんが、私が独り言のようにもらした声を拾い、にこやかな笑みをこぼす。

 照れくさいような、くすぐったいような、そんな心地よさに胸が温かくなってくる。

 他にお客さんがいないからか、店員さんはさらに言葉を重ね、私に話しかけてくれた。


「今日はお越しいただき、ありがとうございます。ところで、今日はどうしてこちらへ? 目立たないところだったでしょう?」


「えっと、その、お店の前を偶然通りかかりまして。とても雰囲気のよいお店だったので、吸いこまれるように、つい」


 私は戸惑いながらも、懸命に声を返す。年上の男性との会話になんて慣れていないから、ハラハラしてしまう。

 けれども、会話を途切れさせたくなくて、今度は私から勇気を出して問いかけてみた。


「ずっと昔からあるんですか? このお店」

「ええ、祖父の代から続いています。今でも常連さんがよく訪れてくれるんですよ」

「そうだったんですね。ぜんぜん知らなくて、失礼しました」

「いえ、今日こうして足を運んでいただけたじゃないですか。僕はあなたとの出会いに感謝していますよ」


 店員さんがニコッと白い歯をこぼす。そんな優しい微笑みは反則だ。心臓がとくん、と大きく跳ね上がってしまう。

 それに、なんて耳障りのいい声なんだろう。録音してずっと聞き惚れていたくなるような、しっとりとした声だ。


「ところで、今日、学校で何かあったのですか?」

「ど、どうしてそう思うんです?」

「店に入ってきた時、あなたが少し沈んだ表情をしていたように感じたものですから」


 知的で涼やかな双眸が、真っすぐ私を見つめている。すべてを見透かすようなその瞳を前にして、私は観念した。経験値で勝る年上の男性には、しょせんJKに過ぎない私の胸の内などお見通しらしい。

 私はストローをグラスの中で軽く回しながら、うつむいて応えた。


「……私、学校で嫌われているんです。みんな私を怖がって、距離を置きたがって。おかげで今でも友達もできなくて」

「不思議ですね。あなたはとても魅力的なのに」


 甘いイケボにそうささやかれ、頭から白い煙がボッと吹き上がる。

 私は顔を赤らめながら、挑むような目で店員さんを見上げた。


「わっ、私のどこが魅力的だっていうんですか?」

「すべてですよ。手入れの行き届いた髪も、長いまつ毛も、きれいな瞳も、意志の固そうな唇も、すべてが魅力的で素敵です」

「なっ!?」


 私の体温がにわかにカアァッ! と上昇していく。生まれてこの方、こんなにも人に優しくされたことがあっただろうか?


 ……ハッ、分かった! この人はイケナイ人だ!

 こうして女性にとろけるような甘い言葉をささやいて、その気にさせて、お店に足しげく通わせて、貢がせるつもりなんだ。


「……そういうの、よくないと思います」


 私が非難めいた言葉を口にすると、店員さんはなにを思ったのか、細い顎に手を添えて考える仕草をした。


「たしかに、よくないですよね。『あなた』なんてぞんざいにお呼びしては。人にはそれぞれ大切な名前が付けられているというのに」


 店員さんは一人合点したようにうなずき、さらに己の胸元に手を当てて、うやうやしく礼をしてみせる。


「失礼しました、お嬢様。よければ名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「……和奏です。竹内和奏」

「では、これからは『和奏さん』とお呼びしますね」

「ど、どうぞお好きに」


 イケナイ人だと頭では理解しながら、心が少しも拒否できない。


 ああ、もうどうにでもなれ。いったいいくら貢げばいいんですか? 私のお小遣いでは600円のこのクリームソーダでさえ贅沢品なんですけど。これからアルバイト始めようかな。

 それでもって、お金ができたら一緒にチェキしてもらえますか? お姫様抱っこはいくら? ……って、ここは執事喫茶じゃなかった。

 それに、いくらなんでもチョロすぎるだろ、私。いったん落ち着こう。


 店員さんはうろたえる私の内心を見透かしてか、悪戯っぽく微笑んだ。


「僕の名前は『那月なつき』といいます。よろしくお願いしますね、和奏さん」


 自分で許可したはずなのに、那月さんの艶やかな声で名前を呼ばれたら、耳の奥が燃えるように熱くなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る