帳 華乃

 相席居酒屋をよく利用する。そこで行きずりの関係をもって、日々のストレスを発散していた。

 ここの大抵の女性は出会いより、金をかけずに酒を飲むことを目的に来ている。飲酒を求めるのはやはりストレスが理由らしく、ヤケになっている人も少なくはない。私はそういった弱みに漬け込んでいるクズだ。

 経済的に余裕があれば、彼女らはこんな場所へはやって来ず、私のような者や、肩や腰に無断で手を回す奴らの相手もしないだろう。もっとまともなバーに行くだろうし、余るほど金があればホストクラブにでも出向いて相手をしてもらうだろう。

 そもそもそれだけの金があれば、もっと違うストレスの発散方法を見つけることができるはずだ。

 洒落たカフェに行ったり、スパに通ったり、買い物をしたり、映画館に行ったり、酒以外で逃避することが可能なはずだ。ストレスの原因に割く時間や労力や気力が減れば、身近に素敵な人がいることに気づく余裕が生まれたかもしれない。

 この雑居ビルの二階で、皆、酒に溺れている。脳みそがアルコールでバカになって、何もかもが楽しく夢うつつになっている。私の頭もまた、ぐらぐらと揺れている。記憶が曖昧になっていくのが、心地よい。


「わたしのこと、忘れるよ」

 マンションの一室。寝慣れたベッドの上。白のハイネックニットの女が、私の顔を覗き込んでいる。私はいつものように家に女を連れ込んだようだ。間接照明がぼんやりと彼女の姿を浮かび上がらせる。

 彼女はボトムスを履いておらず、下半身には下着のみを纏っている。私は完全に何も着ないまま、布団に包まっている。酒の匂いが漂っていた。嗅ぎなれない甘い匂いもした。彼女の香水だろう。化粧は崩れ、髪もやや乱れているのに、それすらも魅せてしまう、整った顔だ。そう簡単に忘れるとは思えない。綺麗な顔だ。

「素敵な夢を見てね」

 彼女が私に微笑みかける。抜け切れていないアルコールが私を眠りに誘う。

 最後に重い瞼を持ち上げて見た彼女の背姿は、どことなくクロード・モネの『日傘をさす女性』と同じ雰囲気を漂わせていた。


 目覚めて、水を飲んで、彼女としたことを思い出そうと頭をひねるけれど、顔は霞がかかってぼんやりとしている。身体のラインを浮き上がらせていた白いニットのことは覚えている。顔以外のことを覚えているのだから、きっと、顔を覚えていないのではなく、忘れたのだ。

 夢のような人だった。迎え酒のジンのショットを飲み干す。そして、彼女のことを、忘れた。

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帳 華乃 @hana-memo

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