第2話 中国の南の方の人と間違われたらしい(完結)

 さて、自分たちのベッドがある場所まで戻り、通路にある折り畳みの椅子に腰掛けて、友人としゃべったり日記を書いたり勉強したりしていた。

 その間も同じ寝台の場所にいる人々の視線が向けられていて、それなりに居心地は悪かった。

 今はどうだか知らないが、当時の中国の人はけっこう遠慮なく人をじろじろ見たりしていた。悪気は全くない。ただ気になるだけだろう。別に声をかけられるわけでもないのでほっておくしかない。どうせ列車に乗っている間だけである。

 カップラーメンを食べて夕食を終えた後、何人かの青年たちが通り過ぎた。


「あれ? さっきの人じゃない?」


 友人が、食堂車で向かいに座っていた青年たちに気づいた。


「え? そうだった? もう行っちゃったからあっちは気付かなかったんじゃないかな」


 そんなことを言っていたら、向こうも気付いていたらしくわざわざ青年たちが戻ってきた。


「おい、やっぱり納得がいかない。お前らはどこ出身なんだよ?」


 まだ気にしていたのかと笑ってしまった。


「だから日本人だってば」


 と答えた。それ以外答えようがない。


「外国人が列車になんか乗ってるわけないだろ? 冗談も大概にしろ」


 全然信じてもらえない。確かに学生だからキレイな服を着ているわけではないが、ある意味ショックである。友人は苦笑していた。これはもう学生証を見せるしかないと、友人と共に学生証を見せた。


「ほら、出身は”日本”て書いてあるでしょ!」

「……とても信じられん」


 青年は自分の頭に手をやってゆらゆらと揺らした。証拠を見せても信じないとは、なんとも失礼な青年である。


「信じてよ。こんなこと嘘ついてもしょうがないでしょ」


 そう話していたら、同じ寝台にいた人々がいきなり近づいてきてわあわあと話しかけてきた。私と友人は面食らった。


「やっぱり! 日本人じゃないかと思ってたのよ! 私の読みは当たってたわ!」

「なんで外国人が列車になんか乗ってるんだ? 飛行機じゃないのか?」

「本当に日本人なのか?」

「南方人じゃないのか。顔は一緒じゃないか」


 矢継ぎ早に声をかけられて、本当に困ってしまった。当時外国人が硬卧インウォーに乗っているとは誰も思わなかったらしい。(軟卧ルワンウォーに乗っていることはあった)


「北京の留学生。旅行で雲南省に行ったの」


 と一つ一つ質問に答え、私たちは疲れてしまった。


「中国語うまいわね」

「ありがとう」

「君たちはなんで中国語を学んでいるんだ?」


 という問いに、友人は「中国が好きだから」と答えた。


「中国歴史が好きで、歴史書を中国語で読みたいから」


 と私は答えた。私が中国語を学び始めた原動力はこれである。未だ中国古典を読んで悶えていたりする(変態)がそれは割愛する。


「それじゃ古典を読むのか? すごいな」

「難しいけど学びがいがあるよ~」


 私たちは消灯時間ギリギリまで話し、有意義な時間を過ごした。

 翌朝は同じ寝台を使っていたキレイな女性に話しかけられた。


「何を読んでいるの?」

「学校の教科書」

「見せて。あら、これ英語が書いてあるじゃない。英語の勉強になるわね」


 余程珍しかったらしく、しばらく返してもらえなかった。しょうがなく日記を書いていたら、


「日本語で書いてどうするんだ? 勉強にならんだろう」


 とおじさんに声をかけられた。


「日記だからいいの」


 そんな会話も全てが学びだった。

 列車は途中五時間ぐらい遅れて走っていたが、服務員は到着予定時刻に合わせてごみ箱もお湯を入れていた魔法瓶も片付け、床も清掃してしまった。「掃除したから足をできるだけ下ろさないように」とか無茶なことを言われた。

 みなも到着予定時刻に合わせて下りる準備をしていたのが面白かった。


「確かに残業したくないよねー」


 なんて友人と笑い合った。

 列車の北京西駅到着予定時刻は夜7時過ぎであった。五時間も遅れたら十二時になってしまう。十二時以降にタクシーに乗って学生寮に戻ったら寮母さんに怒られるだろうなと冷汗を掻いた。(学生寮の門限は十二時だった)

 しかしそれから列車は加速し、結局二時間遅れの夜9時頃に到着したのである。


「やればできるじゃん!」


 と友人と喜んだ。失礼な話である。

 列車に乗っている間いろいろなことを話した人々と、連絡先の交換などはしなかった。またいつか会えたらいいね、ぐらいの一期一会で列車を下り、私たちはタクシーで大学へ戻ったのだった。

 あれから何度も火車には乗ったが、あんな得難い体験はしていない。

 あれはあの時だけの特別な出来事だったのだと思う。

 みんな優しくて、いろいろ話してくれて楽しかった。


 ちなみに、学校をサボッて旅行へは行ったが成績は下げなかった。旅行に教科書と辞書を持って行き、自分なりに勉強はしていたからである。

 何より、当時の私にとっては旅行中の何もかもが学びの場であった。

 でも聴力(リスニング)の授業を受け持っていた先生には、「ちょっと(中国語の)聞き取り能力が下がったんじゃない?」と嫌味は言われた。

 それに笑って、私は「精進します」と答えた。

 今思えば嫌な学生である。


 北京語言文化大学(現在の名称は北京語言大学)一年目の冬のことだった。



おしまい。


ーーーーー

当時の記憶を引っ張り出しました。学生時代はいろいろな経験をしてとても楽しかったです。

楽しんでいただけたなら幸いです。

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中国で寝台車に乗ったらド田舎出身者だと思われた件 浅葱 @asagi

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