ハルゲニア大陸紀
弓の人
危ない出会い
「はるか西には美しい獣と険しい自然、そして逞しい者たちの国があり、南には鬱蒼とした木々とその木々に宿る大いなる精霊を崇める者たちの国がある。東には火を吹く山と鉄火場の者たちの国があり、そして俺たちが住む北には美しき白銀の雪原と汚れのない獣たちが住んでいる。そしてその隙間を埋めるように我ら、ノマたちの国がある」
朗々と子守唄のように俺の父はこの話を何度も語り聞かせてくれた。北の厳しい寒さの中で過ごす俺の父の手は幼子だった俺の手とは比べものにもないくらい荒れ、樹皮のようなその手は熱を感じさせないが、俺にとっては何よりも暖かく感じられた。
この思い出は俺の子供時代で何よりも鮮明に輝く、幻想のような思い出だった。
父はもういない。村の食料や鉄が尽き、生き延びるために他の村へ戦にいった際、殺された。父は偉大な戦士で、偉大な父親だった。
俺も、すぐに大人になる。この村で大人になるということは、戦士になるということでもある。幼い頃から戦士になるための教えを受けてきた。だから、心構えはできているし、父がいなくなった俺たち家族を養ってくれた村の皆にも恩義を感じているから、戦士になることは嫌じゃない。
でも、俺は、父の語り聞かせてくれた、あの世界をこの目で見てみたいという考えから逃げきれない。どうしたらいいのだろうか。
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俺が住む村は一つの大陸の上、すなわち北方に位置している。冬が長く、雪も多いため話に聞く西やら東やらとは違い、作物を育てることが難しい。それ故、狩りや漁、牧畜を主にしている。だが、採れる量にも波があるため、豊かとは言いづらい。そのためか、ここいらの民は西や東と比べて、とても逞しいらしい。横断商人が言うにはだが。
寝起きはぼーっとして、取り留めもないことを考えてしまう。早く起きて、仕事に取り掛からなくては。
一昨日から薪の数が少なくなってきているため、今日は薪になる木集めと薪割りを優先してやらなければいけない。他には、羊の世話と屋根の雪かきだな。
頭で今日の日割りを雑に考えて、温もりの聖域から飛び出す。大きく背伸びとこれまた大きなあくびをした後、靴を履いて家の外に出る。
家の外の扉横に立て掛けてある斧を担いで薪割り株の横に放る。すると、目の隅方に影が現れ、それがどんどん近づいてくる。
「レオ!あんた、いつまで寝てんだよ!もう日が昇ってるよ!」
影は母親で、いつもと変わらない雷のような声と山のように高く釣り上がった目を浮かべながら怒鳴ってきた。片手にはなみなみと水が入った底の深い桶を持っており、その手は歳を感じさせながらも力強さを感じさせる。
「ひぃ!ごめんよ、母ちゃん。い、今薪集めに行くから許して!」
小さな頃にこっぴどく叱られた思い出が、俺の体を操り、瞬時に情けない態度を全面に出す。こうすれば、これ以上叱られないはずだ。多分。
「あんたねぇ、もうすぐ成人の儀がある年なんだろう!なのになんだい、その体たらくは!」
無理だった。俺の造りのいい頭が、まだまだ叱られるだろうという予測を立てはじめた時点で、俺は諦めて母のありがたい叱責を受け続けることにした。
母の説法が経ってからしばらく、枯れ木集めに行くと言って、近くの森へ走り出してから少し経った。今でも母の叱責が頭の中にこびりついている。あれで昔は美人で評判の手弱女だったらしい。どこがだ。
まあ、母も苦労したんだろう。父が死んでからは、俺の家は苦しさの中にあり続けていた。一家の大黒柱がいなくなったんだ。それでも父を想い、寡婦を貫き、俺たちを育ててくれた母には感謝してる。ちょっと怖いけどな。
森の中で先程のことをあーだこーだと考えながら、手に持てるだけの枯れ木を集め、薪割り株の側に置くという作業を何度か繰り返した。家から森までは大した距離じゃないが、何度も往復したとなれば多少は疲れる。まだ何も置いてない株に座り、一息つく。
突然、わあ!と大きな声が耳を打ち抜く。ついでに頭も。
どちらかというと頭への衝撃に、おああと呻きながら、声の出所へ目を向けると
「にひひ、びっくりした?」
子憎たらしい笑みを浮かべた弟の姿があった。弟はにやにやしながら俺の顔を覗き込み、
「ねえ、びっくりした?びっくりしたでしょ?」
と、しつこく尋ねてくる。こいつッ…!と思いながら、馬鹿への対処を考える。こいつは構ってやらないとしつこいからだ。顔をゆっくり弟の方へ上げて、
「ああ、びっくりしたよ、シーガ。これでもくらえ!」
手に握り込んでいた雪をシーガの顔面へぶん投げる。シーガはぶべッと珍妙な声を上げ、尻餅をついた。そして暫くすると、目に〜、目に〜、と情けない声を上げながら、顔面の雪をこすり落としていた。
「ぶわぁっはっはっ、この馬鹿やろう目が!俺に勝てると思うなよ、チビ助ェ!」
兄への反逆というおかし難い罪を行った弟へ、俺は高らかに勝利の宣言を下した。
するとシーガは、半目になり、口を窄ませながらジトっとした目つきで口を開いた。
「さっき、母ちゃんに怒られてたくせに。大寝坊かまして怒られたくせに。情けない声して謝ってたくせに」
この弟は礼儀というものを知らんようだ。人には突いちゃいけないところがあるのだ。俺は兄としての威厳のために、精一杯の弁明を行う。
「あ、あれはだな、母ちゃんは怒ると長いから仕方なく、仕方なく!謙った態度で謝っただけだ!お前が思ってるようなことではもちろんないぞ!」
まったくお前はだな、と先達者のありがたいお説法で煙に巻いてやろうとすると、目に小動物をいたぶるような色を浮かべたシーガが歌うように言葉を発した。
「へぇ〜、そうなんだぁ〜。じゃあ、シャルのお姉さんに聞いてみよーっと」
こいつはイタズラ妖精の鱗粉でも飲んだのか!?なんて卑劣なやつなんだ?!クソッ、俺の出来のいいオツムが、これはシャルの姉であるシャーロットに知られたらマズいと森神に届くほどの声で叫んでいる!どうする、対処法を考えるんだ、俺!
出来のいいオツムが出した答えは、賄賂。それ一択だった。幸いこいつは馬鹿だ。簡単に釣れるだろう。まずは口を回さなければ。
「なあ、シーガくん。ちょーっと提案があるんだけどさ、今日は母ちゃんの兎煮込みが食べたくないかな?俺はすんごい食べたい、シーガくんはどうかな?」
よし、これで釣れるはずだ!あまり頻繁に食べることのできない肉に、謙った俺!この組み合わせで釣れないはずがない!
シーガの反応を伺うため顔を見ると、だらしなく口角を落とした阿保の顔が見えた。俺の弟、こんな阿保そうだったか?まあいい、考えを黙殺し、やつの返答を待つ。へへ、今に見てろよ。年長者の凄さってやつをなぁ!
やがて考えがまとまったのか、シーガがなんだかテカテカしている口をゆっくりと開いた。
「ま、まあ?兄ちゃんが食べたいって言うなら?乗ってあげないこともないけど?それに、言い出しっぺが兎を取るんだろうしね?」
あわよくば、兎狩りに巻き込むつもりだったが、回避されてしまった。ちくしょう、なんてズル賢いんだ。面倒だが、了承しないと言いふらされてしまうだろうし、ここは頷いておこう。
「へぇ、もちろんでさぁ」
機嫌を損ねないように謙った態度つきでなぁ!惨めだ…。しかし、今後のためだ。仕方ない。覚えてろよ、ボケカスめが。
理不尽な契約を終えた後、シーガは見るからにルンルンな足取りで家の方へと帰っていった。何しに来たんだあいつ…?まあいい、夜にお化けのフリをして脅かしてやろう。
さて、では増えた業務のため、家から罠と弓矢を取ってきて森へ行かなくては。捕まえられるかな?
また森へやってきた。今度は家なら弓矢と罠を持って。今日は一体何回森に来たんだ?考えると嫌な気持ちになるので、無心を心がけて獲物を探し始める。
地面が雪を被り、本来複雑な地形が雪という布で判別しづらくなっているので、少し足場に困る。全く嫌になるぜ。とはいえ、しのごの言ってられないので、足元に注意しながら目当ての獲物を探すことに専念する。あと罠の設置も忘れずに行う。
探し始めるてからしばらく。ようやくお目当ての獲物が見つかった。まっちろな兎ちゃんだが、こいつはなかなかの大きさをしている。二度三度、ゆっくりと息を吸って吐いてを繰り返す。繰り返すたびに白かった息が、見えなくなっていく。
矢を番え、獲物の首辺りをじっくりと狙い、そして放つ!ぴょうと音を立てながら、矢は風よりも早く兎の首元へと駆け抜ける。そして、矢と兎が音もなく重なり、やがて倒れ込んだ。
うまく当たったことが嬉しくなり、思わずよしっと声に出してしまう。すぐさま獲物へ駆け寄り、ナイフを取り出す。
矢が立った兎の体は、首の辺りを赤く染め上げていた。白と赤のどちらも色に濁りがなく、血であるということを忘れそうになるほど綺麗に見えてしまった。
気を取り直し、彼の体から掬い上げ、空に放つ動作をしてから、解体に移る。俺はこの感謝の儀が好きだ。彼の霊体を掬い上げ、御霊の輪へ戻す。それが、糧となる生き物へのせめてものお返しだと父が教えてくれた事だ。この儀をすることで父を感じられるような気がする。
血抜きと解体が終わり、兎は兎肉へと早変わりした。個人的に今回は特に良い出来だと思う。
次の獲物を、と考えた瞬間。右斜め前、十歩ほど先の茂みががさっと音を立てた。何かいるのかと思い、顔を茂みへ向けると、そこには人が倒れ込んでいた。
ぎょっとして、すぐさま助けなければという思いとこいつは誰だ?という考えが頭をよぎったため、すぐに動くことは出来なかった。
しかし、すぐに頭を動かして答えを出した。急いで矢を番えて、見知らぬ人間に誰何する。
「そこのお前!何者だ?!怪我してるのか?!」
いつでも打てるようにしっかりと狙いを定めたまま、謎の人物に声をかける。応答はあった。しかし、よほど重症なのか声はか細く、十歩ほども離れていては聞き取ることができなかった。また、フードを被っているため顔の仕草などもわからなかった。仕方ないので、近寄る決心をした。
「おい、今から近寄る!何もするな!」
そろり、そろりと謎の人物へと近寄る。近寄って分かったが、謎の人物はどうやら女だった。しかも、左腕に矢傷を負っている。その他の傷は見当たらなかったため、俺は毒と結論づけた。状況は芳しくないが、念のためもう一度問いかけることにした。
「おい、あんた誰だ?!何で死にかけてる!?」
女はぼそぼそっと呟いた。
「…助けて…、熱いの…。体が熱いの」
彼女の今にも消えそうな声を聞き、俺は急いで弓矢を背負い、矢筒を前にし、彼女を担いだ。
「すまんが、弓はちと我慢してくれよ。今、村の薬師に見せてやるからな」
そして、俺は彼女を背負い森から村の薬師の家を目指して駆け出した。
ハルゲニア大陸紀 弓の人 @koilld
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