〈火薬庫の女〉6

「『呪詛返シ』に『人ヲ呪ワバ穴フタツ』。私の好きな東洋の言葉だよ」

 暗く、静まった町外れの道路を一台の車が走っていく。

 クラウンはゆっくりとした速度で、車を走らせている。

 道路を照らすのは、今にも消えそうに点滅している街灯と、彼の車のヘッドライトだけだった。

 左の後部座席には東洋の本が数冊積まれている。

「そんなこと言ってるとお前、次は自分に返ってくるぞ」

「ふふん。残念、俺はこの場合『シュ』や『式神シキガミ』だよ。返ってくる対象じゃない」

 コワフュールは掌の上に顎を載せて、右窓の外を眺めている。

 血を浴びたジャケットをフィリアの父親に被せ、先ほどとは異なるシャツに袖を通している。

 鼻唄を、唄い始めた。

「おい、これ」

 車の操作をしているクラウンが、前を向いたままポケットから紙切れを取り出し、コワフュールに差し出した。

「ん?」

「今回の依頼書」

「ふふ」

 それを受け取り、四つに折られた紙を開いて、もう一度、依頼文に目を通した。

 鼻唄を、唄い続けている。

「それ、いるか?」

「ね、救出ってどういう意味だと思う?」

 車が街灯をくぐり、一瞬、ふたりの顔が、弱く照らされる。

 クラウンは、少しだけアクセルを緩めた。

「父親にとってはあれが娘を救うことだと思ったんだろ」

「……そう。いらないや」

 そう言って、コワフュールは、窓の外で依頼書を手放した。


 捨てられた依頼書は風に舞って、宙を泳いでいく。

 ジジ……。

 風に吹かれたまま、少しずつ紙の隅が赤くなっていく。

 こぼれ落ちた血が広がるように、コワフュールの掴んでいた隅から、熱が広がっていく。

 徐々に灰になっていく。

 フィリアの父親によって書かれた文も、灰となって天の彼方へと飛んでいく。

『娘の救出と交際相手の殺害』


 コワフュールは煙草を一本取り出してそれを咥え、そして、先端に指の腹を近づけようとすると、左隣から声が掛かった。

「俺にも一本」

「前見て運転しろよ」

 ふふっ、と笑うと、咥えていた煙草を右の指で摘んで、親指と人差し指、中指を使いながら、半回転させるようにして前後の向きを変えた。

「しまうま」

「目の位置な」

 フィルターの付いていない、火を点ける先端部分の方がコワフュールの口を向いている。

 右手の人差し指と親指で支えたまま、その煙草の先端を、咥えた。

「こっち向いて」

「向けるか」

「じゃあ、止まって」

 コワフュールの左手がパーキングブレーキのレバーに触れた。

 それを、引こうとする。

「ばか」

 その手をクラウンの右手が覆う。

 ふたつのペダルを踏んで、減速し、静かに車を停止させた。


 コワフュールが顔をクラウンへと近づけて、唇で挟んだ煙草を差し出す。

 クラウンはその煙草の先端を、フィルターを、咥えた。


 コワフュールが唇を離すと、煙草には、火が点いていた。

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火薬庫の女 氷川 晴名 @Kana_chisa

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