神様の塔
黄黒真直
神様の塔
バベルの塔は、神が破壊したのではない。
人間が壊したのだ。
天から降ってきたその巨大な塔に、恐れおののいて。
しかし数千年の時が経つと、そんなことはすっかり忘れ去られていた。
バベル人達は、自分たちが住むこの塔がいつなんのために建てられたのか、誰が建てたのか、何も知らぬままに生活していた。
バベルの主な産業は観光だ。世界各地から来る冒険者たちに武器や防具を売って宿に泊めたり、観光客に食事や土産物を提供していた。
「やぁそこのお兄さん達、よくこんな高さまで上って来れたね」
店先で遊んでいたリクは、若い団体を見つけると声をかけた。ここは地上の遥か上空、どの山よりも高い場所にある。ここまで来る冒険者は滅多にいなかった。
「こんなところに子供が?」
と彼らは驚いた。一流の冒険者でないと来れないような場所だ。
「どうやって上ってきたんだ?」
「上ったんじゃないよ。僕はここの生まれなんだ」
ああ、バベリアンの子供か、と彼らは納得した。
よく見ると、彼らは冒険者とは雰囲気が違った。十人ほどの団体だが、剣や鎧で武装しているのは二人だけ。あとのメンバーは分厚い防寒着に身を包んでいる。その下からは、金属の擦れる音はしない。
「お兄さん達、何者? ドラゴンを捕まえに来たって感じじゃないね?」
「そんなものがもしいるなら捕まえたいところだが」
僕は何度か見たことあるけど、とは言わなかった。
「我々は科学者だ」
「科学者って何?」
「この世界の法則を調べ、それを人類の役に立てる仕事をしてる人たちだよ」
「そんな人たちが、なんでこんなところに?」
「この塔の頂上を調査し、可能ならばさらに上へ延ばすためだ」
「上へ? 何のために?」
リクの質問攻めに、科学者たちは嫌な顔ひとつしなかった。むしろ、興味を持ってもらえて嬉しそうだった。
「上へ延ばすのは、天に昇るためだ。この塔がなんのために作られたのか、誰も知らない。だが、この塔が未完成であることだけはわかっている。おそらく古代の人々は、この塔で天に昇ろうとしたに違いない」
「天に何かあるの?」
「わからない。だから彼らも、この塔を建てたのだろう。我々は、それを知りたいのだ」
「それがなんの役に立つの?」
「わからない。だが、いつか何かの役に立つかもしれない。我々は、そういう不確かな仕事をしている人間なんだ」
科学者たちはリクの家の店で食べ物と着る物を買うと、さらに上を目指して歩いて行った。
しかし彼らは数日後、疲れ切った顔で戻ってきた。
「天には昇れそう?」
「分からない。我々は頂上まではいけなかった。酸素が足りなすぎる。気温も低い。装備を整えてから、また来ることにしたんだ」
「そうだ、少年。これをあげよう。おそらく、前に上った人間が落としたものだろう。我々には不要なものだ」
「なにこれ?」
「望遠鏡だ。こっちから覗くと、遠くが見える。見づらいときは、ここをいじって焦点を合わせるんだ」
そう言って彼らは塔を下りて行った。
リクは、渡された筒状の道具をしげしげと眺めた。リクにとっては初めて見るものだったが、彼らには当たり前の道具のようだった。
言われた通り筒を覗いてみたが、視界がぼやけるだけで何も見えない。側面のダイヤルを回すと視界が歪み、やがてしっかりと見えるようになった。
たしかに遠くがよく見える。大通りの一番端まで、はっきりと見えた。
しかし、これがなんだというのだろう。面白いが、子供だましのおもちゃにしか思えなかった。
リクは塔の外を見てみた。遠くの山が、すぐ近くにあるように見える。地面を見ると、一度も行ったことのない地面を歩く人々の姿も。
そしてリクは、ふと、上を見てみた。
「誰かいる」
リクは自分の言葉に驚いた。見えるはずがない。高い天井に阻まれているのに、その上を見ることなんて。
それでも、リクにはたしかに見えた。この筒を覗くと、塔の天井を貫いて、上の上、天まで見通すことができるのだ。そこにいる人々の影が、たしかに見えた。
あの科学者たちは、そのことに気付いていなかった。気付けば、天を見るのに使っただろう。
リクは度々、その筒で天を眺めた。遠くにいる人々が、そこで生活しているのが見えた。
だがある日、天より遥か下に、誰かがいるのが見えた。
もしかして、天から落ちてきた人だろうか。
リクはその姿を見ると、旅の準備を始めた。
科学者たちは、酸素が足りないと言った。気温も低いと言った。だが、リクにとってはそうではないだろう。
リクは生まれてからずっと、ここに住んでいる。ここより低い場所には、一度も行ったことがない。高い場所になら、何度も冒険しに行っている。
今まで行った高さよりも、ほんのちょっとだけ上へ行けば良いんだ。
ドラゴンの鱗のコートを用意した。空飛ぶ魚の浮袋を、酸素ボンベ代わりに準備した。たっぷりの食料をバッグに詰めると、リクは上を目指して出発した。
ここより上は、リクにとっては庭みたいなものだ。生えている植物も、欠けているレンガの場所も、すべて知っている。
リクは悠々と塔を上った。望遠鏡で、あの人の場所を確かめながら。
(あの場所には行ったことがないな)
何度も場所を確かめるうちに、リクには場所の見当がついてきた。
頂上にとても近い場所。瓦礫が雪崩のように積み上がっていて、近付くのが難しい場所だ。
その先に、その人はいる。
(ここだ)
望遠鏡を覗いて、リクは確信した。この瓦礫の向こうに、その人はいる。リクがここにいることに気付いてはいないようだ。
近くで見ても、望遠鏡には人のシルエットしか映らなかった。表情も何もわからない。椅子に座って、何かを読むか書くかしているようだった。
「あの! すみません! 聞こえますか!!」
リクが大声を出すと、その人は体を震わせた。
「えっ、だ、誰!?」
「よかった、聞こえるんですね! 僕はリクです! 下から来ました!」
「下から……って、人間!?」
その人物は、突然逃げようとし始めた。
しかしそこは袋小路だったようで、どこにも逃げ場がない。
リクが瓦礫を乗り越えると、背中に羽を生やした女性が頭を抱えて震えていた。
「人間は怖ろしい生き物だと、教わって生きて来たんです」
天使ニィはそう語った。
「今から三千年前、神々は人類に文明を与えようと、この塔を建てました。この塔を下りて、人類に文明の利器を与えようとしたんです。ところが、この塔は壊されてしまった」
「壊された? 誰に?」
「人間にですよ。それ以来、神々は人間を恐れ、天に引きこもって生きているんです」
「じゃあ、どうしてニィはここにいるの?」
「それは、その……1か月ほど前に、うっかり足を滑らせて」
時々、そうした天使がいるとニィは言った。その者達も、この地上のどこかで、人間を恐れながら生活しているはずだと。
「この筒って、もしかして君たちの?」
「あら、これは……ええ、天のものです。どれだけ離れていても、天使の影を見ることができる利器です」
リクは望遠鏡を地上に向けてみた。すると、小さな影をひとつふたつ、見つけた。人間に紛れて生活している天使たちだ。
リクは上を見て、下を見た。
そしてニィを見た。
「人間は怖くないよ、ニィ。それに僕達は、もう文明を手に入れている。科学者って人達がいて、色んな道具を作ったりしているんだ。だから、君を天に帰すこともできる」
「どうやって?」
「この塔を直すんだ。いま、科学者たちはそうしようとしている。うちのお店もそれを手伝える。だからいつか、君を天に帰してあげるよ」
リクはニィの手を取って、下へ歩き出した。
科学者になる方法を調べよう、と思いながら。
神様の塔 黄黒真直 @kiguro
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