エピローグ

 その後、警視庁に指名手配された米山の行方はようとして知れなかった。

 米山のマンションの捜索・差押ガサを執行したあと、捜査・差押・は山手署の太田に任せた。ガサで分かった以上のことは、何もなかったと太田から聞いている。

 一方、警視庁の指名手配の結果、いくつかの目撃情報が寄せられたが、いずれも不確かであるか、あるいはガセ情報ばかりだった。照会したところ、正式な方法で高跳びをしたという形跡もないので、米山がこの日本にいる可能性が高いが、果たして生きているとは思えなかった。

 拳銃組立工場で逮捕された3人の尋問も続いていた。立原勇治が行方をくらましているので、管轄署は村田組が入居するビルの周辺で、地道な捜査をしているようだ。立原が捕まれば、拳銃組立の実態も解明するだろうし、米山の事件も何かの進展があるかも知れない。現場で捕まった犯人たちは、米山の船舶を襲撃したのは自分らだと言っていた。そして襲撃した相手は、米山のマンションで米山をかたっていた富岡弥一だとも言った。この富岡と米山の関りはまだ分かっていない。

 そして、江の島のヨットハーバーで米山と一緒にいた男が一体誰なのか。解明が待たれることは山積していた。


 刑事の捜査には無駄が多い。というより、無駄だと思われることを追い続けて、一つ一つ物事を見極めていく。追ってみたところ、無縁なものは脇におき、また次の物事を見極める。そうしてまた次を、というように連鎖して捜査し続けるのだ。その結果、無縁だと思っていたものが実は核心で、有力だと思っていたものが無関係であるということも多々あった。だから矢上はどんな情報(ネタ)もまずは全て拾って、丁寧に確認する作業が刑事(デカ)の仕事だと考えていた。実際の捜査はドラマのようにはいかない。地道だと言われるかも知れないが、その地道な捜査に、矢上は刑事の誇りを感じていた。

 そして、そうした捜査を支えてくれる人間関係が、最もデカに必要な力量だと、矢上は信じていた。だから、江の島ヨットハーバーの川上も、山手警察署の太田も、トシちゃんも、レイも、ドクターも、その他の多くの協力者も、あまねく矢上は大切にしてきたのだ。相手にとって有り難いと思うことをすれば、それはそのまま自分に返ってくる。矢上はそうして、人生で出会った人々との縁を切らないように心掛けてきた。

 藤崎から託された的場をそのような捜査員に育て上げることは、重責だが、仲間そして相棒となった今では、確かに出来ると、矢上は自信を持っていた。

 そして何よりも、警察庁内で自分の大切なチームが出来た。

 当初、今回の異動がとても居心地の悪いものに感じていたことが、今では嘘のようだと矢上は苦笑いした。


 5日間の休暇を言い渡された翌朝、3人での食事の時に、今日は夕食を外食にしようと矢上が言った。

 弘美は、ラッキーと言って喜んでいた。里江も、ありがとうと賛成してくれた。

 「最近、父さん忙しかったよね。事務仕事だって言ってたのに、帰りが遅かったりしたじゃん」

 「仕事には繁忙期っていうのがあるんだ。今は3月だろ。3月は年度の終わりだから忙しかったんだよ」

 「えー、そうなの。じゃあ、これからは忙しくなくなるんだ」

 「そうとも言えないな。異動したとき父さん偉くなっちゃったから、いろいろ責任があるんだ」

 ふーん、そうなんだと納得のいかない顔をしている弘美に、里江は弁当をテーブルに置いて、

 「早くしないと遅刻するよ」

 と急かせた。

 「はーい」

 と掛け声と同時に駆け出して行った。

 もう春休みに入っていた。今日は友だちと図書館へ行くんですって、と里江が弘美を見送りながら言った。

 矢上が里江に言った。

 「おかあさん、今日は奈津子のところへ行ってきます。何か手向ける物があったら預かります」

 「そう、きっと喜ぶわ、あの娘。何か考えておくわね」 


 矢上家の墓に入りたいと、死期を感じた奈津子本人が希望した。里江に相談したら、あの娘が自分で決めたことだからそうしてあげて、と言ってくれた。

 矢上家の先祖の墓は、矢上の実家近く、小高い丘にあった。矢上家の宗派は臨済宗である。

 矢上は分家の立場だから、先祖代々からの墓には入れないので、この寺の住職に相談してこの敷地内に新しい墓を建てさせてもらった。

 奈津子の御霊《みたま》はこの墓に眠っている。

 線香をあげ仏花を手向けた。仏花には菊、カーネーション、アイリス、竜胆《リンドウ》、グラジオラス、百合の6種類を花屋でアレンジしてもらった。

 静かに両手を合わせて奈津子の御霊と色々な話をした。

 「今回の事件(ヤマ)、いろいろな駆け引きがあった。いろいろ気を揉んだ。そんな話をお前にしたら、なんてお前は言うんだろうな」

 矢上はそう独り言ひとりごちた。奈津子が頷いたり、笑ったり、矢上を労ったりする姿が、矢上の脳裏に浮かんでは消えていった。

 まだ肌寒い日が多い季節だが、時には太陽の暖かさが感じられる、そんな午後だった。優しく吹く風が「良くやったと」と、奈津子の代わりに矢上を労ってくれていた。

 朝方、里江が言った言葉が寄せては返すように耳に残って離れようとしなかった。


 「きっと喜ぶわ。あの娘」




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矢上俊一郎事件帖 追跡 岬弘 @Kou_Misaki

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