チャプター22

 帰り道、運転は的場に頼んだ。

 矢上は車内から3人に電話を掛けた。

 最初は大和田幸治に電話して、犯人は逮捕したのでもう安心して良いと伝えた。大和田は何度も何度も、ありがとうございます、と連呼した。

 次にドクターに電話し、大和田に伝えたのと同じ話をした。彼もお礼を言っていた。

 最後は山手警察署の太田署長へ電話した。ずっと目星を付けていた建物があり、それが拳銃組立工場であったこと、そして今日、朝駆けして入り、そこで逮捕した犯人たちを尋問したところ、米山のマンションで米山をかたっていた男が判明したと報告した。

 「とみおかやいち、富岡製糸工場の富岡、やいちは陰歴3月の弥生の弥、一は漢数字の一です――えっ、もう一度ですか?ショートメールに書き込んで送信しておきます――えっ、ショートメールがわからない?それは警務係の若い人に聞いて下さい」

 今日はまだ上司には報告してはいませんので、これ以上は話せません、明日また連絡をします、と言って矢上は電話を切った。

 運転していた的場がケラケラと笑っていた。

 車は京浜急行線黄金町駅前の一般道路を走行していた。真金町へ到着までは間もなくだった。


 根城に戻ってから、報告書を作成した。体は疲れているが、眠くはない。矢上と東原が手際よく下書きを起こし、それを的場と滝上がパソコンに入力していった。ところどころ、質問が飛びかう。誰かが答え、手直しをし、そしてより事実に基づいた報告書が書きあげられていった。4人のチームワークはこのとき最高に調和していた。

 皆の作業が無駄なく、完成するのに1時間も掛からなかった。

 ひと段落し、朝食を摂っていないことを思い出した矢上と東原が、子供のように「腹が減った」と声を上げた。まるで母親のように男共をなだめ、的場と滝上が買い出しに行った。

 10時になって、矢上は藤崎に報告しようと電話を掛けたら、

 「寝てないだろうから、午後5時に来い。覚悟して来いよ!」

 と、一方的に電話を切られた。

 既に一次的現場処理からの報告で一連の事件の流れは、藤崎の耳にも入っているのだろう、と矢上は勝手に思った。

 買い物を終えた2人が食事を抱え込んで戻って来た。お約束のようにビールもチューハイもお茶割りもコンビニの袋に入っていた。

 帰ってきた2人に、矢上が簡単に藤崎とのやり取りを話した。

 午後4時にここを出て、1台の車で皆一緒に行くことになった。運転はリュウさんにお願いします、と矢上は言ってから、

 「今日は、お疲れさんでした。報告書も納得できるものが出来たと思ってます。この後のことを考えると、気が滅入るような気もしますが、まずは乾杯して、一旦区切りを付けましょう。では、死にそこないの女性陣2人に我々4人の生還を記念して乾杯の発声をお願いします!」

 と真顔で言った。

 的場と滝内がユニゾンで元気良く「乾杯!」と言った。


 4人は雁首揃えて、藤崎の前に座っていた。室内は重苦しい空気に包まれていた。

 黙って報告書に目を通していた藤崎が、読み終えて開口一番に言った。

 「馬鹿もんが!」

 その瞬間、矢上と的場は下を向いて吹き出してしまった。藤崎は勿論もちろん、東原と滝内も何事かといぶかった。

 「何が、可笑しい!矢上、的場、言ってみろ!」

 藤崎の目は決して怖くはなかった。

 矢上は言った。

 「的場が報告するそうです」

 「え、ずるい。人でなし」

 的場が頬を膨らませて言った。2人のやり取りを見て、東原も滝内も笑いを噛み殺していた。

 藤崎が言った。

 「この続きは河岸を変えてやる。『微風そよかぜ』に6時、矢上も的場も覚悟して来い。それから、お前ら4名の罰棒ばっぽうを言い渡す。明日から5日間の出勤停止だ」

 4人は感じていた。それは、5日間の休養だ。ゆっくり休んでこい、という藤崎なりの粋な計らいだと。



『微風』は今日も貸切りにしてあるようであった。

 席は藤崎が中心でカウンター奥から的場、矢上、藤崎、藤崎の右側に滝内、東原と並んだ。生ビールが全員に行き渡ったところで、藤崎が音頭を取り、乾杯した。

酒と料理に舌鼓したつづみを打ち、宴もたけなわになっていた頃、気色ばんで藤崎が言った。

 「俺が馬鹿もんと言ったら、何故笑った、的場?」

 「隣の人でなしから聞いて下さい」

 的場が先程の借りをきっちりと返してきた。

 「言ってみろ、矢上」

 「はい、では言います。統制官が最初に何と言われるか、的場と2人で話しました。おそらく、馬鹿もんと一喝されるだろうと意見が一致しました」

 矢上は立ち上がり、敬礼しながら真面目な口調でそう言った。重い任務が終わった安堵感と宴席の酔いも手伝ってか、珍しく矢上がはしゃいでいた。

 怒って良いのか笑って良いのか、と複雑な表情をしている藤崎を尻目に、的場、東原、滝内は手を叩いて笑っていた。

 女将が助け舟を出した。

 「これは親分の敗けね」

 女将に酌をされながら、まんざらでなく藤崎は言った。

 「そうか。じゃあ、許すしかないか」

 「そうよ、それが男の度量ってもんじゃないですか」

 「女将の顔に免じて許してやる。良し、この話はこれで終りだ」

 藤崎はご満悦だった。

 電話が鳴り、店の外で話していた藤崎は長官に呼ばれたと言って帰り支度をした。

 「お前たちはそのまま好きなだけ飲んでくれ。女将あとは頼んだ」

 そう言って引き揚げて行った。

 「わたしもご一緒させていただこうかしら」

 と女将が言った。的場も滝上もはしゃぎ出した。女将が席を詰めてと矢上に藤崎の席へ座らせた。的場の隣に座った女将が言った。昨晩も藤崎はここで飲んでいて、皆さんをとても心配していた、と。

 あの4人は、俺の自慢の戦士だ。頭も切れるし、仕事の能力は群を抜いている。もう2度とこんな連中を揃えることは出来ないだろうって。だから無鉄砲なことはさせたくないって。

 「ねぇ、矢上君」

 馴れ馴れしい女将の言葉に、東原と滝上が驚いて矢上と的場の顔を交互に覗き込んだ。

 的場はにやにやしていた。

 そんな好奇の眼差しに気付かずに矢上は言った。

 「俺達、皆な藤崎統制官のこと良い上司だと思っています。こんな良い人いないですよ」

 女将が手招きで滝内を呼び、そこから3人は女同士の話に花を咲かせていた。

 矢上は東原と差しつ差されつしながら、お互いのこれまでの経歴に耳を傾け合っていた。


 宴会がお開きとなり、4人は店を出て行った。東原と滝内は室(へや)へ戻ると言って、ここで別れた。

 夜風に吹かれながら矢上と的場は夜の街を歩いていた。

 矢上が珍しく自分の昔のことを話し出した。

 「昔、証券会社に勤務したことがあるんだ」

 「え!それって、教師になる前?」

 「いや、教師を辞めてから。実家近くの街の支店で勤務したことがある。最初は都内で、場立ち取引所の立会場で手サインを使って売買注文を伝達する証券マンをやってから、地元の支店に回された」

 「そうだったんだ。教師を辞めてから」

 「そこの支店長に良く飲みに連れて行ってもらったんだ。その支店長が飲むと決まって言っていた故事があって、それは、『天下の憂いに先立ちて憂い 天下の楽しみに後れて楽しむ』だ」

 「ねぇ、それって范仲滝《はんちゅうえん》の岳陽楼記《がくようろうのき》の一説でしょ?世の中の人々が不要に思うようなことは、人々よりも先に心配し、世の中の人々が楽しんでいるようなことは、人々よりも後に楽しむってことね」

 「さすがは才媛の誉れ高いメグミちゃんでございますね」

 「茶化さないで。で、それが?」

 「支店長曰く、これが株式売買の極意だって。でもこれって、藤崎の親父のような人のことを言ってるんじゃないのかなぁと思ったんだ」

 的場が言った。

 「あるかもね。で、証券マン辞めたのは?喧嘩でもした?」

 的場が横目で聞いた。

 「いや、向いてないと思った。そのことで悩むのもめんどくさいので、支店長に話をしたら、俺もそう思う、絶対に向いてないし大成しないって賛成してくれたから、翌日退職願を提出して辞めた。でも、その時の支店長とは今でも付き合いがあって、時々会ってるよ」

 「そうなんだ、じゃ今が一番しょうに合ってんだ、矢上君、良かったね」

 的場の口調や切り返しが本当にレイに似てきた。出会った最初の頃の素っ気なさは一体何だったんだろうかと、的場の変化を好ましく矢上は思った。

 同じ釜の飯を喰う、とは良く言うけれど、苦楽を共にすることで、人と人との関係は変化するものだ。的場とはまだ日が浅いが、トシちゃんの店への出入りや、真金町の根城での時間、拳銃捜査での感情の衝突、東原たちとの拳銃組立工場への突入、そうしたことを経て的場は変わった。そして、おそらく俺も変化したと矢上は思った。

 思えば、まるで姉のように的場がレイを諫めた時から、仕事仲間でありながら家族のような親近感が増した気がしていた。

 的場はもう、トシちゃんやドクター、レイたちと同様の仲間なんだ、と矢上ははっきり実感した。

 そこに東原たちが加わった。不思議なもので、同じ刑事(デカ)だからか、矢上は一度の現場経験で直ぐに東原の真価に気付き、東原には最初から胸襟を開いていた。

 思わぬ異動で思わぬ出会いがあり、新しいチームが出来上がった。こいつらとこれからどんな事件(ヤマ)を経験することになるだろうかと、矢上の心が勇みたった。


 「5日間の間に会えるよね?」

 的場が聞いた。

 「いいよ、明日以外なら」

 「何か、あるの?」

 「女房の墓に花を手向けてこようと思ってるんだ」

 的場が聞いた。

 「わたしもじゃ、駄目だよね……」

 「1人で行って来る」

 その矢上の言葉で、僅かに的場の歩みが止まった。

 そのことに気付いて矢上が振り向くと、的場は何かを振り払うように一つ呼吸して、小走りに矢上を追った。

 「じゃあ、後の4日、全部わたしにちょうだい。まず映画見て、夜景を眺めながら食事して、スタンドバーも行きたい。居酒屋にも、あっちもこっちもつれて行って欲しい。ねぇ、約束して」

 この数日、大変な経験をした『相棒』を労ってやろうと、矢上は思った。

 「分かった。約束する」

 「いつか、奥さんのお墓参りに一緒に行きたい」

 的場が、独り言のように言った

 矢上はただ何も言わず、隣を歩く相棒の横顔を見つめた。

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