心に残る穏やかで柔らかな時間と、その思い出が風化していく痛みが愛おしい

心の中に残り続ける穏やかで柔らかな時間への思いを、寂寥感たっぷりに描いた作品でした。

郷愁、というテーマ自体は珍しいものではありませんが、それでも心の深い所へ切り込んでくるものがありました。
「フランスパン同好会」という言葉や、それが繰り返される独特のユーモアや味わいが、語り手の過ごしてきたのだろう日々を感じさせるからでしょう。
穏やかで優しくて少しとぼけた感じ。
その何でもないようでいて、とても心地よかった時間の手触りが、よく伝わってきました。

けれど、一番胸を打つのは、

「ふざけんなよと思う。私たちのフランスパン同好会を笑うんじゃねえよと思う。」

この二文。

それまで切なくはあれど、のんびりした語り口だった所へ、急に強い不快感が載ってくる。
それだけで、どれだけ語り手にとって「フランスパン同好会」が大切なのかが、より強く重く感じられます。
ここで何より切ないのは、その語り手の思いに反して、他人には「フランスパン同好会」が取るに足らないものだろうこと、面白いネタのひとつとして悪意のない笑いを向けて然るべき事柄なのだろうということです。
おもしろ話として笑って、それを咎められるようなものではないところ、それを語り手も分かっているのだろうことが、また心を抉ります。
だからこそ、語り手が未来のパートナーに話せずにいるのだろうと感じ、私なりに、ではありますが語り手の感情に寄り添って読むことができました。

けれど、「フランスパン同好会」のことを誰にも話さずにいることで、当時のままで心に留めておくことも、できるのかな、などということも感じます。
その空間に居なければ決して分からないことがあり、分からなければ、その人にとっては「ただのネタ」でしかなくなってしまうかもしれない。
だからこそ、なるべく話さず心の中に留めておくことで、悪意のない笑いから守ることが出来るのかなと、そんなことを考えさせられました。

それでも、「フランスパン同好会」として過ごした日々は、風化していってしまうでしょう。
それを示すラストも、また切ないです。
けれど一方では、まだそのことに心を痛めるくらいには、「フランスパン同好会」が語り手の胸に残り続けているのだということも強く感じました。
その痛みを、大事にしてほしいと、思える作品でした。

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