シグナル

雪海

第一話 あなたが好きです

 チャイムが鳴った。


「ん~、やっと終ったかぁ」


 前席の人が伸ばした両腕が、私の板書の邪魔をする。


 体を通路側に傾かせるも、黒板は恥ずかしがり屋さんのようだった。数学教師の背から姿を見え隠れさせる。

 

 私はその姿を追うように傾きを調整した。


「――よっ」

「きゃっ」


 隣席の男子が唐突に、私の左肩を押した。

 倒れかけるギリギリで床に手を当てて体を支えるも、持っていたシャープペンシルが手のひらに押し付けられる。


「ごめっ、大丈夫か?」

「う、うん」


 シャープペンシルを握りしめ、ゆっくりと慎重に起き上がる。目の前には荒く切られた短髪の男子生徒が心配した顔で、反射的に僅かに伸ばした手をそのままにして立っていた。


「その、倒れるとは思ってなくて」

「うん……」


 怒っていない手前、許す必要もないので返す言葉が見つからない。

 空気の重さに口が押しつぶされる。

 しかし押した側の彼の口には私以上の重りが乗っているようだった。


「あ、あの、この前の、ありがとうございました」

「え、……ああ、あれか。気にしないでいいよ」

 少し空気が和らぎ、私の勇気が功を奏した形となった。 

「あれ、もしかしてそのシャーペンって……」

「あ、これは、はい、そうです、あの時の」

「まさか本当に万引きを…」

「ち、違います! ちゃんとお金、払いました」


 「そうか」と、彼は胸をなでおろす。同時に、私の勘違いされたという焦りも解け消えた。


「あんなことがあったのに態々それを買うなんて。そのシャーペン、よっぽど好きなんだな!」

「あ、……はい、そうなんです」

「実は俺も前にその色違い使っててさ。いいよなそれ、グリップの部分とか特にさ」

「は、はい。私も気に入っています……!」


 体が前のめりになりかけるほど、らしくなく心が躍る。

 彼も初めとは打って変わり、ニコニコな表情を浮かべていた。そして突然、表情が笑顔から閃きに変わった。


「そうだ! さっきの詫びになるか分からないんだけどさ、そのシャーペンの色違いやるよ」

「え、それは」

「遠慮するなって! ちょっと待っててな」


 私が口を半開きのまま彼の言葉を反芻していると、彼が自分の席から戻ってきた。

 広げられた手には青色のシャープペンシルが乗っていた。


「これ、大事に使ってくれよ!」


 有無を言わさない彼の勢いが、私の両手を前に運ばせた。同じ種類のはずなのに、青色のシャープペンシルの方がずっしりとして重い。


「じゃあ次移動だからこの辺で!」

「あ、うん……」


 黒板の板書は係によって既に消されていた。

 


 

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シグナル 雪海 @yukiumi

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