機械蜂の光彩は天からの恵みのようで

上田カズヤ

 

 

 風光明媚な浜辺の道に、凧のような形でするめいかが干されている。通り過ぎるバイクや車の排気ガスを浴びながら、私は恋人と砂浜付近を歩いていた。

 ひとけのない定食屋の隣にガソリンスタンドがあった。スイカのように大きい、透き通った緑のガラス球が網袋で吊り下げられている。透明な緑玉には幾つかの貝が入っている。


 私は恋人と口論をしていたので面白くもない気持ちで国道沿いの道を歩いていた。お互いがどうしても感情的に譲れないところまでくると、何故、この人と一緒にいるのだろうかという疑問が自然と湧いてきてしまった。


 傍から見れば取るに足らないことで醜悪に言い争っているに違いなかった。お互いがお互いにうんざりしているようだった。


 ガソリンスタンドの手前で、私たちは向こうからやってくる黒人女性に気付いた。そこは外国基地がある郊外の街で、彼女は米軍兵の家族なのかもしれなかった。

 私は単純にマーチン・スコセッシか何か外国映画の登場人物になったような、国際社会の一員であるような、おめでたい気分を感じてしまいそうだった。


 丁度そのとき、私たちの頭上に巨大な蜂のような大型の虫が現れた。午後の海岸線には澄んだ秋空が広がっていた。これはユーチューブか何かの悪ふざけなのだろうか。ドキュメンタリー方式で通行人を驚かせ、その反応を楽しむ質の悪い悪戯なのだろうか。

 巨大な虫と思われた飛行物は、よく見ると機械製の昆虫型ドローンのようだった。それは何もない空中から突然現れたように見えたが、周囲の景色と同化し、動作音を完全に消していたのだろうか。何もないガソリンスタンド上空に不意に出現したようにしか見えない。

 私たちの手前、黒人女性の頭の斜め上にその巨大な昆虫ドローンは不気味に漂っている。

 私は恋人と喧嘩していたことなど忘れてしまった。

 これは映画か何かの撮影なのだろうか。どこかに隠しカメラが用意されていて、私たちの反応が生中継で配信され、収録されていたりするのだろうか。私は惨めな一般人として見ず知らずの大勢から笑い者にされるのはどうしても避けたかった。

 SF映画の撮影にしては周囲に人が誰もいないし、社会実験の記録撮影としてはあまりに昆虫ドローンが真に迫りすぎている。

 悪戯や撮影などではなく、これは本物なのだろうか。

 黒人女性はそれが演技であればアカデミー賞クラスの表情をして機械製の巨大昆虫を見ている。驚きと疑問、恐怖心とそれを抑えようとする意志、突如姿を見せた物体に対する警戒、それは丁度、登山者が山奥で巨大熊に遭遇した瞬間を思わせるところもあった。

 私はなぜ恋人と口争いをしていたのだろうか。本棚に本をどう置くか、そもそも本棚は必要か、という点で私は彼女と言い争いをしていたのだった。私はそのことを忘れていた。彼女は部屋が狭くなるので本は処分すべきだという断捨離だかミニマル生活だかの主張を繰り返していた。それは私とは相容れない意見であった。


 地上約二メートルの宙空に柴犬ほどの大きさの機械昆虫が浮かんでいる。

 その機械蜂は黄金と黒のメタリックカラーで、古代エジプトの出土品めいた美術的な光沢を煌めかせている。ナイロンのエコバックを肩から下げた黒人女性は古代剣闘士のような血気迸る顔付きをした。

 周囲には何人か巨大昆虫ドローンの出現に気付いた人々が遠巻きに集まってきていた。彼らの多くはスマホを掲げ撮影をしたり、頻りに何か文字を打ち込み、誰かと連絡を取っているようであった。


 メタリックな昆虫ドローンはどういう仕組みなのか巨大な光体をガソリンスタンドの地中からゆっくりと浮かび上がらせた。


 それはクリスマスの大型装飾のようでもあるが、建築破壊用クレーンの超大型危険球体のようでもあった。

 球体はコンクリートの灰色ではなく、太陽のように発光していた。

 SF映画の結末近くに現れる最終物体か、シューティングゲームのボスキャラに似ている気もする。それは肉眼で見るにはあまりに眩しく輝かしい、不可知のエネルギー物体のように見える。

 剣闘士たる黒人女性は今やゆっくりと身の丈以上に膨張した光臨煌めく黄金水晶に、時を止められたように静止している。それは今まで誰も見たことがないような恐ろしい位に威容に充ちた、謎の、思わず平伏してしまうほどに神々しい、巨大な発光体だった。

 ガソリンスタンド地下から生まれる人工新星の出現を目の当たりにするようだった。

 黄金の機械昆虫がその御業を行っていた。

 私は平伏はしなかったが、光体から発せられる温度のない放射を何かの顕現であるかのように感じてはいた。漆黒の宇宙空間でひたすらレーザーやミサイル、ボム爆弾で周囲の敵を倒し続ける、子供の頃に遊んだテレビゲームを思い出した。あの球体に目玉があれば、どこかで見た何かの敵に似ているような気もする。太陽のプロミネンスに似た光体の放射線は『パルテナの鏡』だったか昔のゲームで見た、メデューサの生きた蛇髪も思い起こさせた。


 地下に貯蔵されたガソリンを黄金機械蜂たちは採集していた。それがどのようなテクノロジーなのかは不明だが、プロミネンスを発するメデューサの太陽光体は、花々の濃厚な蜂蜜めいた生命力を感じさせた。

 球体は地下から巨大なカプセルのように浮き上がってくる。大道芸人が等身大のシャボン玉を作り、その中に見物人を入れてしまうような薄膜が発光体の中にあった。地下のガソリンはそこに転移したのか、浮遊する機械虫たちは発光する球体と共に眼前から消えた。

 スマホを手に見物していた人々は騒ぎ始めていた。

 その光景は僅か数十秒の内に現れ、消えてしまった。その間、すぐ横を通過する数台の車があったが、音もない出来事に、車内の人たちは何も異変に気付かなかったかもしれない。

 SF映画のような現実味のない景色が去った後、そこにいた人々は、正に今、眼前にあったものが信じられない、といったように体の動きが止まっている。

 何を見たのか解釈できず、意味も分からず、ましてそれが自分たちの命を脅かすような威容なものであれば、人は虚を突かれたように静止し唖然とするものらしい。

 

 無音の偉業か暴威が去った後、そこには以前と変わらぬガソリンスタンドの屋根と、秋の青空があった。何度も見た、いつもの空だが、そこには、圧倒的なものが消えた後の虚無がなぜか色濃く感じられた。

 海近くの岩に鳥が止まっていた。それはやってきた他の数羽と一緒に飛び立った。

 

 ある青年がガソリンスタンドに歩み入り、給油用のホース、その先にある拳銃式ノズルを手に取った。

 彼も私と同様に機械蜂の異様な光景を目にしていたらしい。彼はポケットからライターを出し、給油銃に着火しようとした。トリガーを引いたまま、彼は油が垂れ出るか確かめていた。

 給油所のガソリンは完全に消え盗まれてしまったようだった。青年の持つ火はどこにも燃え移らなかった。


 海岸沿いを走っている大学生の体育部らしい一団がいた。

 彼らも機械昆虫の出現時に近くを通っていたが、やはり映画の撮影か何かかと思ったのか、何も目に入らず、気にも留めていないようだった。

 彼らはマラソン選手のような軽装でジョギングをしていた。


 私は今しがた目にした禍々しくも神々しいような黄金昆虫と、その巨大な幾つものエネルギー放射球体に圧倒され、暫く身動きができなかった。 

 

 体育部の学生たちの様子に異変があった。黒人女性はその場から離れていた。学生らは定食屋付近でしゃがみ込み、幾人かは道路に倒れたまま動かない。道端には当たり付きらしい旧型の色褪せた自動販売機があった。カルピスやコーラが設置されているその横で、彼らはだらしなく休憩しているのではなく、体に現れ出したおぞましい異常に苦悶していた。


 彼らの肌は溶け出していた。体の形が子供の粘土細工のようにぐにゃりと折れ曲がり、皮膚の色が変色している。軽装で露わになった腹や腕がクレヨンの黄色か卵の黄身のような色で、その内側からどす黒い血管が葉脈のように浮き上がっている。定食屋の前に人だかりができていた。

 大丈夫ですか、と誰かが声を掛けたが、明らかに彼らは大丈夫ではなかった。溶け出した皮膚同士がくっつき、ピザのチーズのように伸び合っている。膨れ上がった血管は今にも烏賊墨かトマトソースのような血流を噴き出しそうだった。

 黄金のメタル虫が原因だ、と思ったとき、私は離れていた恋人を振り返った。ガソリンスタンドの給油メーターの前で彼女は誰かに狙撃されたかのようにぐらりと膝から崩れ落ちた。学生たちの顔は凹凸(おうとつ)を失い、鼻も口も目も一枚の黄色い紙のように溶けて失われていた。

 私は自身の体も彼らと同じ異常が出ているのに気付いた。

 機械蜂が左右した発光するエネルギー球体の放射を浴びたからなのか、その威容を瞠目し過ぎたからなのか、私の腕の皮膚も溶解し始めていた。

 私は恋人の近くに走り寄った。空には鳥が弧を描いて飛んでいる。波の音が強くなった気がする。

 彼女の体は私や先ほどの学生らと同じく、ピザのチーズ状に変形している。私は自分の顔や体がどこまで崩れているのか鏡もなく知る術もなかった。私は彼女を連れ、どこかひとけのないところに行きたかった。

 彼女は何も言葉を発さなかった。もう意識は薄れ、何も言うこともできないのかもしれない。人目を避けようと、私は海の反対側にある森を目指そうと思った。

 彼女の手を取ると感情が伝わってきた。周囲の人が私と彼女を心配気に、しかし好奇の目で見ていた。

 山の奥に入り、どこか誰もいないところで地面に体を横たえたい。体中が痛い気がしたが、好奇と同情の目で見遣られるほうがどちらかというと苦痛だった。

 私の手に恋人の感情が伝わってきた。

 森の入口はまだだろうか。人目を避けて森の中で死にたかった。

 私の手には恋人の感情が伝わってきた。他には何もない、ただ悲しみの感情が深く私に伝わってきた。私は恋人の手を引いて歩いていた。





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