姉弟

弟が通う学校に忍び込んだ薄井幸は、全速力で階段を駆け上がっていた。厚がまだ校内にいるという確たる根拠はないが、薄井はまだ彼がここにいると確信していた。

きっと、まだ間に合う筈だ。だが、もしそうじゃなかったら?

…どうなるのだろう。

邪念を振り払うように、彼女は足を早めた。

厚がいるであろう2階に到着した途端、薄井はあるものが目に留まり、思わずその足を止めた。廊下の真ん中辺りに、ワイシャツ姿の蝶のような怪人が、背を向けて佇んでいた。その足元には、首から上が無くなった制服姿の少年が横たわっていた。その右手にはどんな冗談なのか、頭部のないフィギュアがしっかりと握られていた。例え顔が無くても、その少年が誰なのか薄井には一瞬で分かった。

「………」

息を荒げながら薄井が呆然自失になっていると、蝶男がゆっくりと彼女の方へと振り返った。シャツは少年の帰り血で赤く染まっていた。彼は薄井を視界に捉えると、言った。

「おや、君は…?制服からして、ここの生徒じゃないようだけれど…」

薄井は返事をする代わりに、胸元のポケットから何の変哲もないボールペンを取り出した。すると、それが瞬く間に巨大な両刃の戦斧へと早変わりした。

蝶男は軽くため息をつくと、ポツリと呟いた。

「…そうかい」



トイレで用を済ませた陸海は、携帯を片手に教室に戻ると、開口一番に言った。

「なぁサッちゃん、アンタの弟…いや妹か?どこ中って言ってたっけ?アレ?」

教室には薄井の姿はなかった。その代わり、彼女の席の側に、ポツンと一冊の本が落ちていた。さっきまで薄井が読んでいたものだった。

「おいおい、まさかな…!」

彼の携帯の画面には、ここから近くの中学校で変異者が出現したことを知らせる、ネットニュースの文面が写っていた。



薄井は前方へ跳躍すると、斧を片手で軽々と振り上げ、蝶男の頭頂部目がけて振り下ろした。蝶男は上体をのけ反らせて、それを難なく躱した。斧は床に深々と食い込むと、地割れを思わせるような大きな亀裂を作った。

蝶男は見下すような姿勢のまま、薄井に尋ねた。

「君も変異者なのか?見た目は普通の人間に見えるな。それによく見ると、さっきの彼にどことなく似ているような…」

蝶男は首を曲げて、背後の死体をチラリと一瞥した。

「しまった、もう確認しようがない」

「…べらべらとよく喋るヒーローさんだな」

薄井は斧を日本刀へと変化させると、素早く相手へ斬りかかった。蝶男は羽根を羽ばたかせながら、後方へバックステップして回避した。その際、七色の鱗粉が周囲に漂った。薄井は咄嗟にそれを腕で振り払った。

「下らない小細工しやがって」

薄井は刀を槍へと変化させると、一瞬にして蝶男のもとへ間合いを詰め、彼の顔面目がけて突きを放った。蝶男はそれを片手で鷲掴みにして攻撃を阻止した。

「おっと危ない、イケメンな顔が台無しに…ン?」

余裕をこいたのも束の間、薄井の持つ槍の刀身が伸び、彼の顔面を串刺しにした。

「ッ………」

「そのまま死ね」




「ハイ、そこまで」

勝利を確信した薄井の耳元で、ふいに何者かが囁いた。すかさず後ろを振り向いた途端、彼女は腹部をその何者かの腕によって貫かれた。

薄井は吐血しながらよろよろと後退すると、膝をついて前方を確認した。そこには無傷の蝶男が立っていた。ふと自分の手元を見ると、彼女が手に握っているのは槍ではなく、刀のままだった。

「これは…?」


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