第12話 心に中に広がるラビリンス

 その晩、美弥と連絡を取った。美弥が優しい口調で電話に出る『今日の別れ際のこと美弥はどう思っているのだろう?』そんなことを考えながら話す和也の思いとは裏腹うらはらに、美弥はまったく気にしていないような口調で話をする。


 帰り際のことよりもショッピングモールでの不思議な体験の方にあまり触れたくないような感じだった。


どれくらい話しただろう。楽しいひと時だった。

会話は楽しかったが、なにより美弥もかなり疲れているようで、スマホから聞こえる美弥の声は今にも眠ってしまうのではないかと思うほどまどろんでいた。


「ごめんね。遅くまで話して」

「いいのよ」

「もう、寝よう」

「うん。また明日ね」

 次の日また会う約束をして電話を切った。本当に今日の出来事はいったい何だったんだろう。和也は思い返してみようとしたが、眠気に勝てず、そのまま深い眠りに落ちていった。


 気が付くと朝七時前。結構早く目が覚めたと思ったが、昨日の疲れは取れ、すっきりした朝だった。いつもと変わらない朝。天気もいい。昨日のことが全部夢だったかのように普段と変わらない朝だった。十時に美弥と待ち合わせしていた。

 待ち合わせの場所は人通りも多い交差点の一角。町ゆく人は相変わらずの日常を過ごしているように見える。おそらく誰もが昨日も普段と同じ生活を送っていたのだろう。自分たちだけが、今まで行ったことのない場所で不思議な体験をしてきたような感覚だった。

 十時ちょうどに美弥がやって来た。

「おはよう。待った?」

「今来たところだよ」

その日、美弥は薄いピンクのシャツに薄い水色のスカート。初めて白以外のコーディネートを見た気がした。

「美弥ちゃん、今日の服もかわいいね」

そういう言葉が自然に言えた。

「ありがとう。そんなに白のイメージが強かった?」

微笑みながら、そう言う彼女は『白い服』じゃない、たったそれだけで、まるで別人のようだった。

 二人で市内を歩いていると、和也たちの母校の制服を着た女子学生たちが歩いてくる。この制服を着た美弥の姿にまったく記憶がない。

 美弥と二人だけで過ごす一日。東京で何度か見たときの神秘的な感じ、どこか現実離れしているような印象を受けた彼女も一緒に歩いていると、段々普通の女性に見えてくる。あの時は駅の構内で、どこからともなく和也の前にスッと現れて、どこへともなく消えていく見ず知らずの女性だった。そんな彼女と今は東京から遠く離れたこの場所で、一緒に話をしながら街を歩いている。こんな現実があるんだなと、めぐり合わせの不思議を感じる。

 しかし、改めて思うことは、こうして街を歩くと意外と知っている人には会わないものだ。ショッピングモールでの一日もこういうことだったのだろうか……ただ、知っている人に会わなかっただけ……今日も一日、市内を歩いたのだが、結局、誰にも会わないのだから、何か『非日常』と感じることも、意外とありふれた一日……そういうものなのかもしれないと思った。

 その日は一日中二人で過ごし、映画を見たり、夕食も二人で食べた。和也は美弥と二人きりというシチュエーションもあり、少し一緒に飲んだお酒にかなり酔ってしまったようだ。


気が付くと自分の家、もう朝になっていた。


 前の日にお酒を飲んで、どうやって帰って来たんだろうと思うことがある。酔ったときの記憶というものはさかのぼって忘れることがあるらしい。店できちんと勘定をして、タクシーに乗って家まで帰っているのに、朝になるとお酒を飲んでいる途中から記憶が消えているということがあるようだ。


 その日、美弥に電話すると、

「昨日はありがとう」

と言われた。どうやら普通にタクシー乗り場まで行って二人はそれぞれ別のタクシーに乗って帰ったという。

「タクシー乗り場まで送ってくれてありがとう」

とも言われた。


 それから数日間、高知に滞在したが朗と奈緒子に会うことはなく連絡することもなかった。美弥も二人とは連絡を取らなかったそうだ。

 聞けば、美弥にとって朗はもともとあまり知らない高校時代の同級生という感じだし、奈緒子にしても高校時代同じクラスではあったが、もともと友達が少なかった美弥は特に奈緒子と仲が良かったというわけでもなく、高校を卒業後は大学時代はまったく連絡を取ることもなかったそうだ。奈緒子が言っていたように、大学を卒業してから何度かイベント会場で一緒に仕事をしたことがあった。さすがに同じイベント会場での仕事で高校時代同じクラスにいた二人なので、そこはすぐにお互いわかったし懐かしさもあり意気投合した感じだったそうだ。そんなイベントが数回あって交流が深まったという。なので二人は高校時代から友達というより、社会人になってから友達になったという感じだという。

 そういう感じの友達関係なので、日頃から、連絡を取り合ったり、休みの日に会うこともなく、日常ほとんど接点はないという。今回の帰省中のことにしても、わざわざ電話をして話をするほどの仲でもなく、美弥にとっては、たまたま同窓会からの流れで四人が一緒になったという感じだった。もともと人見知りな性格の美弥の方は、今また連絡を取るのも少し気が引けると言う。


 そんな中で起きた、あのショッピングモールの出来事は四人をつなげる話題というより、何か触れるのがわずらわしい出来事に思えた。

また、いつか会うことがあったら話の種にはなるのだろう……

でも、今また、わざわざ電話をして話したい出来事ではなかった。


 そして数日後、和也より一日先に高知をつ美弥を空港まで見送りに行った。

 美弥は白いニット帽、白いサマーニットの半袖シャツにジーンズ。白いスニーカー。白いキャリーバッグと小さな手提げのバッグを持って空港に現れた。白一色に近いよそおいに、いつもの『青柳美弥』を見た気がした。

 少しの間、何を話すでもなく二人は土産売り場を見たりしながら時間を過ごした。

和也は、エルモールの帰り際にキスしたことを美弥がどう思っているのか、まだ気になっていた。その後もこうして普通に会ってくれることを考えると、怒っているような感じではない。しかし『何も思っていない』ということはあるのだろうか? いろいろ聞きたいことはあるが、美弥の気持ちを聞く勇気とタイミングがなかなかつかめなかった。

「和也君は明日、東京に帰るんだよね。お互い『東京に帰る』って言い方は、ちょっと違うかもしれないけど」

「そうだね『東京に行く』なのかな」

美弥の方も、あの時のことを気にしているような雰囲気はあって、何か意識して話をらそうとしているような気もする。やっぱり突然あんなことをしたので、嫌われてないまでも、気まずい感じなのだろうか?

変な無言の空気ができるときがある。

お互いに、まだ『本当に話したいこと』があるのに言い出せないようなもどかしい感じが漂う。

時計を見る美弥。


「もう、行かなきゃ」

「そうだね」


このまま別れたくない……そう思うが言葉がでない。


歩き出そうとしながら、

「和也君、また、会おうね」


美弥はスッと

和也の顔をのぞき込むように顔を近づけ和也の唇にキスをした。


時間ときが止まったように感じた。


とても長い時間に感じた。


「……先に東京に帰って待ってるね」

美弥は微笑みながら手を振って、搭乗ゲートに消えていった。


高知の夏は終わった。


 その夜、また、エルモールの迷宮に引き戻されるような出来事があった。久し振りに朗から電話がかかってきた。

「おう、和也、明日は東京に帰るがか?」

久し振りに聞く朗の土佐弁。

「ああ、朗。ごめん。この前はショッピングモールで……」

どっちが悪いかわからないが、和也は思わずごめんと言ってしまった。

「なんの話」

「ショッピングモールのことだよ。エルモールで朗と奈緒子を見失ってしまって……」

「はあ? 何言いゆう。エルモールなんて聞いたことないぞ」

「え?」

「おまえ、同窓会の時、だいぶうちょったろうが。おれがタクシー乗り場まで送っちゃったの覚えてないろう」

何を言っているかわからない。こっちがエルモールの話をしているのに、なんで前の日の同窓会の話になる?

和也は混乱した。

話をしていると同窓会の次の日は朗は奈緒子やほかの友達と海に行ったと言う。

あのエルモールのときの感覚が甦る。また、夢が始まるのか? これ以上わけがわからない会話になるのは避けたいと思い和也は適当に話を終わらせた。

「明日は見送りに行けん。ごめんな」

と朗は電話を切った。


 何なんだ。最後の最後に、また、振り出しに戻るような感覚。和也はこの理解に苦しむ不思議な感覚は、もう許してほしいと思った。

 どこからどこまでが現実かわからなくなるこの感覚。エルモールから始まった不思議な感覚は、すべてが夢でもいいと思った。

 でも美弥との出会い、思い出は夢であって欲しくないと思った。もし、彼女との出会いや思い出が夢なら、ずっと夢の世界で目が覚めないで欲しいと思った。

疲れた。疲れているんだ。自分にそう言い聞かせた。

ベッドに仰向あおむけに寝る……


 ふと部屋の本棚を見ると、高校の卒業アルバムが目に入った。


『美弥は現実だよな……昨日の空港での美弥とのことは夢じゃないよな……でも、もし……もし、エルモールのことがすべて夢なら、どこまで夢なんだ……』


 今、目の前にある卒業アルバムの中にその答えがあるような気がした。

アルバムを開くのが怖かった。

『僕には……高校時代の美弥の記憶がない』

でも、ここでアルバムを確認しておかないといけない気がした。もし、夢なら受け入れなければならないとも思った。


 そうだ、そもそも、美弥との出会いはすべて夢のような瞬間の連続だった。美弥が演奏する姿を思い出す。

今まで自分が生きてきた中で……

こんな神のようなヴァイオリン演奏をする知り合い女性が現れることなんてあるのか?

こんな世界水準のヴァイオリニストが同級生にいたのに知らなかったなんてことがあるのか?

彼女は小さい頃からヴァイオリンを弾いていたという、当然、高校生の頃はすでに、その世界ではかなり有名なヴァイオリニストだったようだ。そんなかみ女子高生が高校時代の同級生だったのに記憶にない、知らなかった……そんなことがあるのか?

 この数日間の美弥との思い出を失いたくない。しかし、受け入れ難いが、すべてが夢だったという方が自然な気がする。


 久し振りに高校時代の卒業アルバムを開いた。


……『青柳美弥』……


和也の学生時代の記憶にまったく残っていなかった彼女は……

確かに、その卒業アルバムの中にいた。

アルバムの中の彼女の表情に微笑みはなく、まっすぐどこかを見つめていた。

 そして少し離れたところに『有澤奈緒子』の写真がある。活発で隣の和也たちのクラスにもよく来ていた奈緒子には記憶がある。

次のページには自分と朗の写真。


美弥は本当に隣のクラスにいたのだ。

ホッとした安堵あんどに包まれ、もう一度、美弥の写真を見た。


 次の日、和也は午前の便で高知をった。

羽田空港に着き足早あしばやにモノレールに乗る見慣れた景色を見ながら、浜松町駅に着く。そこから山手線で新宿まで行き小田急線に乗る。昨日は美弥に連絡を取ることなく早い時間に眠ってしまった。電車の中で考える『美弥と初めて会ったのはこの電車の祖師ヶ谷大蔵駅だった』どこかで彼女に連絡を取りたいと思いながら、連絡を取れずに小田急線の中にいる。この時間、まばらな電車の中の人々は皆それぞれに思い思いに外の景色を見たり、スマホを見たり。

 和也はまっていた疲れと、この帰省の間の変な緊張感、そして何かわからないものに巻き込まれたような感覚にドッと疲れが出てきて、いつの間にか眠ってしまっていた。気が付いて慌てて周囲の景色に目をやる。どうやら祖師ヶ谷大蔵は、まだ過ぎていないようだ。

 そして、間もなく祖師ヶ谷大蔵駅に着いた。駅に着いたのは昼過ぎだった。電車を降りるといつも見るような人の波。そこに白い服に身を包みヴァイオリンのケースを持った女性の姿を見つけることはできなかった。やっぱり彼女との出会いは夢だったのだろうか? 彼女とはもう連絡を取ることもできないのだろうか?

 そんなことを考えながら駅の改札を出る『……いや、彼女とのことは幻ではないはずだ』和也は急いで美弥に連絡を取ろうとスマホを手に取った。


「和也君。お帰り」

後ろから聞き覚えのある声。


和也が振り返るより先に後ろから抱き着かれた。

振り返り和也も美弥を抱きしめた。

「美弥ちゃん。会いたかった」

「私も、たった一日しか経ってないのにね。今日はここで、ずっと待ってたんだよ」


人目も気にせず、二人はしばらく抱き合っていた。

どこまでが夢なんだろう。

どこまでが夢であっても、美弥を失いたくないという思いは変わらない。


「ねえ、美弥ちゃん、僕と付き合ってもらえないかな」

「私なんかでよかったら……」


駅から歩きだす二人。

白いフクロウのマスコットと二人の姿は街の人ごみのなかに消えていった。

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ラビリンス・エルモール KKモントレイユ @kkworld1983

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