File01-02

 まだ朝日が昇りきっていない朝の、魔導管理局の職員寮の一室。無機質な目覚まし時計のアラーム音が部屋に鳴り響いていた。

「うー……」

 ベッドと掛け布団の間から、手が伸びて頭もとにあるデジタル時計に触れる。そこでようやく、アラームの音が止まった。

「まだ……、寝れる……」

 布団の中から聞こえるのは低い男の声。まだ覚醒できていない掠れた声の主はそのまま布団にくるまって二度寝を決め込もうとしていた。

 しかし、そんな彼の願望は無慈悲に打ち砕かれる。

[緊急通知を受信しました。繰り返します、緊急通知を受信しました]

 先ほどの目覚まし時計の音とは違う、甲高いアラーム音と共に電子音声が通知を告げる。それを聞いた男は布団の中で大きく舌打ちをする。

「っ、くっそ……」

 ベッドから降りてきたのは、黒髪の男。諦めたかのような大きなため息を吐きながら、テーブルに置いていた携帯端末を手に取った。

「はい、こちらリュウ・フジカズ」

 寝ぼけた黒い瞳で、まだ掠れたままの声で通話をしているこの男こそ、魔導管理局機動部隊第三隊に所属する、『黒き死神』ことリュウ・フジカズである。

[おお、起きてたかリュウ。おはよう]

「……お前のこの連絡がなければもうひと眠りするところだったぞ、デュオ」

 通話越しのにやけた声を聞きながら、リュウは苦い表情を浮かべる。しかし通信相手――第三隊のトップでありリュウの上司である司令官デュオ・クローヴは愉快そうな笑い声をあげていた。

[朝から俺の声が聞けてハッピーじゃないか?]

「……さっさと用件を言え」

 おどけた様子で言うデュオに対し、リュウは苛立ちを隠しきれない低い声で返す。

[はいはい。住居エリア付近で強力な魔力波動を感知した。パワーランクは推定B以上、魔獣の反応で間違いないな]

「……魔獣か」

[ああ。早朝から申し訳ないが、さっさと出動してくれ]

 申し訳なさを一切感じられないデュオの言葉にリュウの眉間に深く皺が刻まれる。

「デュオ、お前知ってるか? 昨日、俺が何時に任務を終わらせたか」

[確か九時じゃなかったか?]

「その後の報告書作成を含んだら十時を過ぎてた」

[それはあれだ。お前が報告書作るのが遅いだけだ]

 嫌味を込めて言ったリュウの言葉もデュオにあっさりと返される。その返答に苛立ちを覚えながらも、リュウは唸るように「わかった」と返事をした。

「うちの部隊、戦闘に出られる魔術士なり魔導士なり増やせよ」

[何言ってんだ? お前ひとり居れば十分だろ、最強の魔術士殿?]

 通話の向こうのデュオがにやにやと笑っているのが目に見えたリュウは苛立ちを込めた指で端末の通話終了ボタンを押した。そして端末を耳から離して画面に表示された魔獣の状態と出現エリアを確認した。

「ったく、ふざけやがって」

 言いながらリュウはテーブルの上に置いていた黒のモチーフがついたネックレスを首にかけて着替える。それから冷蔵庫を開けて、中に入っていた栄養補給用のゼリー飲料を手にした。ちらり、と冷蔵庫の中にある調理用の食材を見て、リュウはまたため息を吐き出す。

「朝飯ぐらい、ゆっくり作らせろよ」

 ぽつりと愚痴をこぼしてゼリー飲料を飲みほした後、リュウは黒いロングコートを羽織って部屋を出た。


***


 送られた資料にあったエリアは、住居エリアのすぐそばにある林だった。林の近くの公園周辺にはすでに警察官が数名立っていた。出勤や通学の人々が怪訝そうな視線を向けると、警察官が声を上げる。

「この先で魔獣の反応を感知しました。ただいま魔導管理局の対応を待っていますので、絶対に近づかないでください」

「ええ、魔獣?」

「こんな場所にも出るのか……」

「早く管理局来てくれないかな」

 警察官の声を聞いて人々が不安そうに言いながら公園から離れる。そんな中、公園に近づく姿が一つあった。

「あの、すみません。魔導管理局ですが」

「はい?」

 黒いコートを羽織った、魔導管理局の手帳を広げながら声をかける黒髪黒目の男。その姿と手帳に記載された名前を見た警察官ははっと目を見開いた。

「あっ! も、もしかして『黒き死神』のリュウさん?!」

「あー……はい……。魔導管理局機動部隊第三隊のリュウ・フジカズでーす……」

 警察官が目をきらきらと輝かせて言えば、その視線を受けたリュウは苦々しい表情を浮かべる。そして警察官の大声を聞いた通行人が物珍しそうにリュウの方を見ていた。

「えっ、あれが『黒き死神』?」

「すごい強いって人でしょ? あんな感じなんだ」

「なんか思ってたより地味ー」

「……あ、あの。この先の魔獣討伐は俺がしますので、周辺の警備をお願いします」

 苦笑いを浮かべたリュウが言えば警察官は「もちろんです!」と意気揚々に敬礼をして見せる。朝から元気だな、と思いながらリュウは林の中に入った。

「本当に何なんだよ、『黒き死神』って。別に俺が言い出したわけじゃねえっての」

 周囲の声はしっかりリュウにも届いていて、そんなよくわからない期待を受ける側としては無駄に疲れるだけだった。そんな愚痴を零していると、携帯端末から通信音が鳴った。リュウは端末を操作して、耳につけたインカムで通話を受けた。

「こちらリュウ・フジカズ。ミリーネ、ポイントには到着したぞ」

[ご苦労様、リュウ]

 通話をかけてきたのはリュウと同じく機動部隊第三隊の主通信士の魔導士、ミリーネ・ダリヤ。

「お前も朝早くからご苦労さん」

 恐らく彼女も自分と同様に朝から呼び出しを受けたのだろう、と思いながら労いの言葉をかければ通話の向こうで小さく笑う声が聞こえた。

[お互い様ね。さて、状況を確認するわよ]

 ミリーネの言葉と同時に、リュウの目の前に薄く光るホログラフ映像が表示される。そこに映されているのは周辺の地図と、赤丸のマーキング。

[対象魔獣のパワーランクは推定A]

「……Bって聞いてたが?」

[当直の通信士が探索下手だったのよ。何なら出現ポイントも10㎞の誤差があったわ。あんなの訓練所だったら落第よ]

 リュウの問いかけに対してミリーネは苛立ちを隠さないままはっきりと言った。どこの通信士か知らないが、ミリーネにしっかり文句を言われたのだろう、とリュウは少しばかり同情した。

[確認できたカラーコードは赤。魔力波動から自然発生型の魔獣と判断]

 魔獣――元々は普通の動物であったはずが体内に魔力を生成させる器官が生じてしまったことにより普通の動物から発達した身体能力や生命力を持ち、さらには魔術に近い特殊能力を発動させる生命体のことである。現在もその発生機序は明らかになっていないが、通常の動物よりも凶暴性が高くなっており人に危害を加えるものもいる。一般の重火器では魔獣を完全に駆除することは困難であり、魔獣の討伐においては魔術の行使が必須となっている。

「自然発生型……ウィザード関与は薄いか」

[現時点ではね。でも、完全に可能性は否定できないわ]

 魔獣には自然に体内で魔力を発生させる器官、魔鉱石を生じさせてしまった自然発生型と、外部要因で魔力を与えられた魔力注入型が存在している。後者では特に魔導管理局に属していないウィザードが魔獣を生成して、魔力を持たない人間を攻撃することもあった。

[リュウ、聞こえるか]

 通信先からデュオの声が聞こえた。先ほどまでの砕けた声色とは違う彼の声に、リュウは耳を傾ける。

[当該魔獣が周辺環境に影響を及ぼす前に討伐。現時点で登録外ウィザード、魔導士の関与の可能性は低い。が、もしも関与が疑われる場合には犯人の確保。以上が今回の任務だ]

「了解」

 リュウが頷いて返事をすると同時にホログラフは消えて通信は切れた。林の中はしんと静まりかえっていて、風が木々を揺らす音が聞こえるだけだった。リュウは首にかけていたネックレスを外し黒のモチーフを垂らすようにチェーンを持ち胸の前に掲げる。

「魔術展開」

 リュウが唱えると、ネックレスが黒い光を帯びる。光に包まれたネックレスは形を変え、リュウの手の中で黒いロッドと化した。ロッドの頭部部分の空洞にリュウは魔術コードが記載されたカートリッジを挿入する。リュウは静かに目を閉じてロッドの頭部を地面に向けた。

「探索魔術発動」

 その言葉と同時にリュウを中心とした足元に緑色の光を帯びた円形の魔法陣が展開される。魔法陣はそのまま大きく広がり淡い光を残して消えた。リュウの周りに小さく風が吹いた後、ゆっくりと目を開いた。

「……魔獣の位置を確認」

 リュウは走り出し、魔獣を探知した場所へと向かう。少しずつ魔力波動が強くなっているのを感じていた。

「パワーランクAの魔獣……しかも、カラーコードは赤か」

 リュウが呟いた時だった。前方から獣の低い咆哮が聞こえてきた。

「なかなか面倒臭そうな相手だな」

 ロッドの頭部を後方に向けると、リュウの足元に緑色の光を帯びた魔法陣が展開された。

「魔術展開」

 魔法陣が一際強い光を放つと共に、リュウの足元から突風が吹き荒れる。その風に乗るように、リュウの身体は高く跳躍した。

「……あいつか」

 魔力波動を追うまでもなく、視線を落とせば林の中で遠吠えをするオオカミのような魔獣の姿が見えた。その姿を確認したリュウはロッドを振り、もう一度風を起こして魔獣の目前に着地した。

「さっさと仕事終わらせて二度寝させてもらうぞ」

 突然目の前に降りてきたリュウの姿を見た魔獣は爛々と不気味に光る赤い目を向ける。リュウの方は軽く首を回してストレッチをした後にロッドを構えた。

「モード、サイズ」

 リュウの声に反応してロッドの頭部部分のカートリッジから黒い魔力の光が生じる。光は少しずつ集まり曲型の刃のようになり、ロッドは真っ黒な大鎌のような姿に変形した。その様子を睨んでいた魔獣が低い声で唸れば、その口の端から真っ赤な炎が漏れ出た。

「赤の魔獣はいろいろ厄介なんだよ」

 リュウがぼやくように言うと、その声に反応した魔獣が大きく口を開きながら駆け出す。口の中から生じた炎がぐるぐると球状の塊を形成して、その火球が咆哮と共にリュウに向かって放たれる。

「朝からうるせえな!」

 リュウが鎌を横一線に振るえば、火球は淡い赤の光と化して消滅する。しかしその光の中から魔獣が飛び掛かる。リュウが一歩後方に跳躍して回避するが、魔獣は勢いを弱めることなく再びリュウに向かって走り出す。

「魔術展開!」

 後方から追いかける魔獣にロッドを向けてリュウが唱えると、小さな黒い球体がロッドを振るった軌道上に現れる。

「シュート!」

 ロッドを魔獣に向けたまま唱えれば、球体が一気に放たれる。しかし魔獣は竜の攻撃に怯むことなく、球体を回避しながら駆ける。避けられた球体が地面に黒い痕を残しているのを一瞥したリュウはもう一度同じように球体を形成した。

「一発ぐらい当たってくれよ! シュート!」

 苦い笑みを浮かべながらリュウが唱えると再び球体が放たれる。先ほどより数を増やした分だけ球体は小さくなっていたが、代わりに魔獣に向かう速度は上がっていた。威力が弱くなっていると察しているのか、魔獣は球体の攻撃を回避することなく速度を保ったまま疾走する。しかし、リュウは魔獣の身体に黒い痕がついているのを見て口の端に笑みを浮かべた。

「そろそろ終わらせるぞ」

 リュウの小さな声に呼応するように、ロッドの刃が黒い光を帯びる。それに気づいた魔獣が、再び口を大きく開いた。咆哮と同時に、今度は紅蓮の炎が勢いよくリュウに向かって吐き出された。

「おっと?!」

 背後に迫る炎の濁流に気づいたリュウは目を丸くさせて地を蹴り、跳躍する。魔獣の真上に飛んだリュウはにや、と目を細めた。

「……ってビビるわけねぇだろ! 魔術展開!!」

 リュウが怒鳴るように唱えれば、魔獣の身体についていた黒い痕が棘を形成して硬化する。身体に突き刺さる棘に、魔獣は口の端から炎を出しながら悲鳴を上げた。その様子を見ながら地面に着地したリュウはロッドを魔獣に向ける。

「探索魔術発動!」

 ロッドの先端から緑色の魔法陣が展開され、そのまま魔獣の足元にも同じ魔法陣が生じる。緑の光に包まれた魔獣の腹部から、一際強い赤い光が見えた。

「そこか」

 リュウが駆け出すのを見た魔獣が、あがくように頭を振りながら再び炎を吐き出す。目前に迫った炎を見切って、リュウは再び高く飛ぶ。

「魔術展開!!」

 リュウの声に気づいた魔獣が顔を上げるが、すでにリュウは魔獣に向かって黒い鎌を大きく振っていた。

 魔獣の腹部に、黒の縦一線が入る。

 直後、魔獣の身体は赤い光に包まれた。魔獣が最期の咆哮を上げると、炎を帯びた赤い光が周囲に飛び散ってその姿は消え去った。

「……余計な仕事を作りやがって」

 魔獣から放たれた炎が周囲の木々に燃え移る。それを見たリュウは本日何度目ともなる大きなため息を吐きながらロッドを振って鎌から元の形状に戻した。そしてロッドを天に向けた。

「魔術展開」

 唱えると、上空に青い魔法陣が展開される。そしてそこから雨のようにパラパラと水が降り始め、周囲の炎を消し始めた。木の焦げた匂いと地面が湿気た匂いとが混じる中、魔獣がいた場所に残っていた真っ赤な魔鉱石がぎらりと強い光を放っていた。リュウは魔鉱石から放たれている魔力波動の弱まりを確認して、ゆっくりと近づいて手にした。

 リュウの手の中に納まる程度の大きさのその石。それが動物の体内で発生した魔力を有した石状の器官、魔鉱石である。魔獣から隔離された魔鉱石は魔術を発動させるための魔力を持たない。しかし動物の体内で生じることにより、保有する動物の意思により魔術を発動させることができるのだ。しかし外的要因で魔術を発動させるには魔術の発動経路を記したコードを魔鉱石に刻んでストーンと呼ばれるアイテムにする必要がある。今リュウが持っているロッドやカートリッジの中にもストーンが使用されており、所有者の魔力に応じて魔術が発動できる。

 青の魔法陣から展開された水は止まり、木々の隙間から朝日が入り込む。もう少し清々しい朝を送りたかったな、と苦い表情を浮かべながらリュウは手の中にある赤い魔鉱石に視線を落としてから、インカムに触れた。

「こちら、リュウ・フジカズ。魔獣の討伐任務、完了だ」


***


「多少の植林の焼失はあったものの、人的被害はゼロ。いやあ、さすが我らが第三隊のエース様よ」

「何がエースだ、やかましい」

 魔獣討伐から数十分後の魔導管理局機動部隊第三隊の通信指令室。早朝ということもあるのか、通信機前に座っているのは主通信士であるミリーネの姿しかなかった。そして指令室の中央の座席に座っていた司令官、デュオがにこにこと満足そうな笑みを浮かべているのを見てリュウはげんなりとした声で返した。それを聞いたミリーネが振り返ってリュウに向かって手を振った。

「いいわね、リュウ。もっと言ってやって」

「当直時間帯に申し訳ないとは思ってんだぞ? でも当直の魔術士たちで対応するよりお前たちが動いてくれた方が事が早く済むと思ったんだよ」

「確かにパワーランクは高めだったが、複数人居ればそんなに手のかかる相手じゃなかったぞ」

「でもな、今日俺が当直だからさぁ……下手に他の部署の魔術士動かすより、自分のところで済ませた方が面倒じゃないじゃん?」

 開き直ったように言うデュオを見るリュウとミリーネの視線は冷え切っている。要は、自分の手間を増やしたくないからわざわざリュウとミリーネを出動させただけなのだ。

「ほら、ミリーネも言ってただろ? 当直の通信士、まだ若手だったんだよ。下手な状況送って混乱させるより、我らが第三隊のスーパー通信士のミリーネが状況把握してくれた方が助かるし」

「あんたの褒め方のレパートリー少なすぎない?」

 デュオの言葉にミリーネは眉をひくつかせながら低い声で尋ねる。デュオとミリーネが一応恋人同士であることを知っているリュウは、まるでそんな気配も感じられない二人のやりとりを聞いて乾いた笑い声を漏らしていた。

「しかしAランクの魔獣討伐がものの十五分で終わるんだから本当にお前は優秀な魔導士だよ、リュウ」

「……お前さっきのミリーネの言葉聞いてたか?」

 しみじみと言うデュオにリュウは呆れの視線を向ける。デュオはその反応に不服そうに腕を組んで大きく息を吐いた。

「なんだよ、純粋な誉め言葉だろ! ま、今日は朝早かったから報告書は明日でいいぞ。戻ってゆっくり休んどけ」

「言われなくてもそうするつもりだ」

 はあ、と大きくため息を吐き出してリュウはデュオに背を向けて指令室を出ようとした。

「あっ。後で当直終わったらお前の部屋行くから、朝飯よろしくな!」

 陽気に言った直後、デュオの顔面に赤い魔鉱石が直撃した。後ろでミリーネがガッツポーズをしているのを見たリュウはふっと笑って黒いロングコートを翻して指令室から出た。

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Magician of Black―魔導管理局の黒き死神― 桃月ユイ @pirch_yui

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