断罪された悪役令嬢は、神対応でやり返す

越智屋ノマ@魔狼騎士2重版

中の人が、自由すぎる。

「侯爵令嬢マリア=ティルヴィア! そなたに婚約破棄を申し渡す」


「殿下。申し訳ありませんが、今の、もう一度言ってくださいますか? わたくし、殿下のお声なんか全然聞いてませんでした」


  噛み合わない。


大陸西部の強国アスカリテでは、いま、王太子と婚約者との間に噛み合わぬ修羅場が発生していた……



    ※※※


このエウレカ大陸は、女神エウラが産み落とした陸地であると言い伝えられている。

男神ノヴァが自らの血潮で海を作り、妻である女神エウラが陸地を産んだという神話だ。


エウラは、愛を司る女神。

ゆえに、大陸に現存する108国家の王家には、婚姻に関して2つの戒律が定められている。



【戒律1】

王子・王女の婚約を、親などが勝手に決めてはいけない


【戒律2】

一度誓った婚約は絶対に破棄してはならず、生涯、相手を愛し続けなければならない



女神エウラが、各王家に対して太古に課した定めだという。エウラを祀る最古の神殿には、エウラ自身がそのよう書き残したとされる石板が安置されている。


「王族が自由恋愛で婚約者決めちゃっていいの??」……という素朴な疑問を投げかけたくなるが。ともかく、女神エウラがそのように定めたとされているのだから、仕方ない。



女神エウラによって作られたエウレカ大陸。

だが、エウラが実際に人間の前に降臨したという記録が残っているのは、すでに300年以上前のこと。今では民の大半が「女神なんて、しょせんは迷信」「女神が実在する訳がない」と心の中では思っており、本気でエウラの存在を信じる者はむしろ少数派だ。


各国家の統治者さえもエウラ崇拝を形骸化させており、今では大陸のあちらこちらで「戒律違反」が起こっているのが現状である。




――ほら。

たとえば今、大陸西部の強国アスカリテでは一つの「戒律違反」が起ころうとしている。


   ***


「侯爵令嬢マリア=ティルヴィア! そなたに婚約破棄を申し渡す」


大陸有数の巨大国家・アスカリテ王国。

女神エウラを祀る夜宴の最中に、『事件』は起こった。


王太子ガイゼル=アスカリテは、底冷えのする眼差しで、目の前にいる令嬢を睨み据えている。



王太子の前にいる黒髪の美しい令嬢は、ティルヴィア侯爵家の長女マリア。今年18歳になる彼女は、王太子の婚約者である。


主人であるマリアを侮辱され、マリアの後ろに控えていた護衛騎士のリゲルはわなわなと肩を震わせていた――だが、リゲルには何もできない。一介の騎士ごときが、王太子に物申すことなど許される訳がないからだ。




王太子ガイゼルは、無言で立ち尽くすマリアを見て酷薄な笑みを浮かべた。


「どうした、マリア。ショックのあまり言葉も出ないか? ふだんは悪知恵をめぐらせて陰湿な嫌がらせばかりしているクセに、いざとなると何も言えないのか。本当に愚かな女だ!」


ざわ……

夜宴会場にいる貴族たちが、修羅場を目の当たりにして小さくざわめき立っていた。



護衛騎士リゲルは、我慢の限界とばかりに王太子とマリアの間に割り込もうとした――自分の命はどうなっても構わないが、マリア様を侮辱されることだけは許さない――そんな覚悟が、リゲルの顔には刻まれている。



だが侯爵令嬢マリアは、そんなリゲルの腕をそっと引いて静止させた。

「お下がりなさい、リゲル」

「……しかし、マリア様」


有無を言わさぬ静かな瞳で、マリアは護衛騎士リゲルを見つめた。夜闇に似た彼女の黒瞳は、どこまでも冷静だ。マリアの目を見て、リゲルは冷静さを取り戻した。


(さすがマリア様は聡明なお方だ、このように侮辱されても顔色一つ変えないとは。それに引き換えこの俺は、なんと浅はかな人間なんだ……!)


年齢はリゲルより2つも下だが、マリアは冷静沈着な才女である。さらに、今日のマリアは普段以上に堂々としており、人間離れした気品のようなものまで漂っている。


マリアは王太子ガイゼルの前に一歩進み出て、貴族淑女の礼をした。

「……王太子殿下に、ひとつお願いがございます」




そして。


マリアは顔を上げると、「てへぺろ♪」みたいな茶目っ気あふれる笑顔になって小首をかしげた。


「殿下。申し訳ありませんが、今の、もう一度言ってくださいますか? わたくし、楽団の調べを楽しんでおりましたので、殿下のお声なんか全然聞いてませんでした」


ざわざわざわ!!

マリアの超絶不敬発言を耳にした周囲の貴族たちが、一斉にどよめき立った。


「っ!? 貴様、何と非礼な!」

王太子が苛立ちまみれの怒声を上げる。



つい先ほどまで華やかな雰囲気に包まれていた宮廷内の庭園。王太子の唐突な「婚約破棄宣言」で一瞬のうちに静まり返り、今度は婚約者マリアの「全然聞いてませんでした」発言によって激しくざわついていた。



「調子に乗るな、マリア=ティルヴィア! 醜悪なそなたの悪行の数々を、今ここで暴いてやる!」


そう叫ぶと王太子は、自分の背後に控えていた美少女を引き寄せ、愛おしげに美少女の肩を抱いた。


「そなたは、私のフィーナに対して様々な愚劣なる行為を働いた! そなたのように醜悪な女を、我が妃として迎えるわけにはいかない!」

「……『私のフィーナ』?」


マリアは興味深そうに目を見開いて、フィーナと呼ばれた少女を見た。白銀色の髪がしとやかに輝く、儚げな美貌の令嬢であった。


「あら、かわいらしいご令嬢ですこと。こんばんは、フィーナ様」

マリアがにっこり笑って礼をすると、フィーナはびくっと身をこわばらせた。そんなフィーナをかばうように、王太子は優しい微笑みを向ける。


「……大丈夫だよ、フィーナ。私が君を守るからね。君は何も心配しなくていい」


そしてフィーナへの慈愛から、マリアへの侮蔑へ。王太子は態度を豹変させて、マリアへの断罪を再開した。


「マリア、そなたは嫉妬に狂ってフィーナを貶めていたそうだな。フィーナがすべてを教えてくれた! ――そなたはフィーナのドレスをワインで汚したり、階段から突き落とそうと企てたり、フィーナの食事を腐敗したものとすり替えさせたりしたそうだな。愚行の数々、許される行為ではない!」


「あら、そんなの知りませんわ。わたくし、そのような制裁いじわるは趣味ではありませんし。ですが……フィーナ様、もしかしてそれは、わたくしへの要望リクエストですか? わたくしに虐めて欲しかったとか?」


王太子からの圧力をまったく受け止める気がないマリアは、淡く笑ってフィーナに問いかけていた。


「もしかして、被虐的嗜好をお持ちですか? でしたら、わたくしが腕によりをかけて、あなた好みの虐め方をしてさしあげま……」

「黙れ!」


王太子が怒声とともに手を振り上げる。その瞬間、掌からまばゆい光がほとばしった。

その閃光を見た瞬間、夜宴会場にいた全ての者が平伏した。


「口答えをするな、マリア! 『祝福持ち』の私を、愚弄するつもりか!」


――あの光は、『女神の祝福』。女神エウラが王家に与えた魔法能力だ。

天地自然に働きかけて大地を豊穣に導き、穀物の実りをもたらす特殊な大地魔法。王家の中で当代にただ一人にだけ発現するという、『女神の祝福』――この能力を持って生まれた者は、王位継承権にかかわらず次の王位を継ぐことが定められている。



皆が王太子ガイゼルに平伏する中、マリアだけはあきれた表情で光を眺め続けていた。


「あの、殿下。今、手を光らせる必要ありました? 『女神の祝福』は手品じゃないんですから。威嚇用の小道具に使ってはいけませんわ」


「っ、おのれ……どこまでも私を愚弄する気か。女神エウラに祝福されたこの私を、侮るとは良い度胸だ……」


ガイゼルは恥辱で顔を赤く染め、ぎりりと歯を軋らせた。


「今日のそなたは、ずいぶんとふざけた態度をとるではないか!? いつも淑女ぶって何を考えているか分からない根暗な女だと思っていたが。……さては、『婚約破棄など不可能だ』と高をくくっているのであろう!?」


「まぁ、その通りです。王家の婚約は『女神の戒律』で縛られていますから、婚約破棄など許されませんよ? ……あなた自身が4年前、マリアわたくしを見初めて婚約を申し入れてきたのでしょう? でしたら、一生きっちり愛していただかないと」


なんとふてぶてしい! と、王太子は吐き捨てた。

堂々と言ってのけるマリアに、人々は唖然としている。


マリアのすぐ脇に控えている護衛騎士のリゲルさえ、呆気に取られて口をぽかんと開けていた――いつものマリアは、絶対にこんな態度は取らない。平素のマリアは貞淑で聡明で、淑女の鑑のような人なのに……今日はどうしてしまったのだろう?


「女神の戒律など、知ったことか! お前への愛などとっくに冷めた。婚約破棄は、決定事項だ!」


「女神に誓った婚約を、本当に反故になさるのですか? あなた、『女神の祝福』の能力保有者のくせに女神を軽んじるのって、矛盾していると思いません?」


「知るか! 女神崇拝など、形式的な儀式に過ぎない! 本気で女神を信じる人間なんて、今では一握りの聖職者だけだろうが!!」


――今の発言は流石に問題じゃないの? とでも言いたそうな顔で、マリアは眉をひそめた。

女神崇拝は王家の絶対事項なのに。

しかも、王太子自身が『祝福』持ちのクセに。

……どうせその祝福は女神由来の力じゃなくて、「王家の血筋に刻まれた特殊能力なのさ!」くらいにしか思っていないのだろう。


「女神に誓った婚約を、殿下は本当に破棄なさるのですね。……二度と撤回できませんが、お間違いはございませんか?」

「当然だ! お前の代わりなど、いくらでもいるんだ。さっさと消えてしまえ! ふてぶてしい女め」

「……かしこまりました」


マリアは残念そうに溜息をついてから、深々と礼をした。……だが、次の瞬間。




「それでは債務不履行につき、殿下の『大切なもの』を没収いたします」




清明な声でそう告げながら、マリアは静かに顔を上げた。

黄金色の光を放ったマリアの瞳に見据えられ、王太子は糸が切れたようにバタリと倒れる。


夜宴会場から大きな悲鳴が上がった。

「殿下!? ガイゼル殿下ぁ――!」

「ガイゼル殿下が殺されたぞ!」

「マリア嬢が、呪殺使いの魔女だったとは……!」


一同騒然。


王太子は白目を剥いたまま、ピクリとも動かない。

王太子に抱かれていたフィーナ嬢は真っ青な顔であとずさり、王太子の亡骸に近寄ろうとさえしない。


居合わせた宮廷医師が王太子の脈を取り、衛兵たちはマリアを「賊だ!」と取り囲んでいる。護衛騎士のリゲルは、マリアを守ろうと必死だ。

……ところが『王太子殺し』の犯人であるマリアは、緊迫感ゼロの態度でニコニコしている。


「これは一体何の騒ぎだ!」

「何があったのですか!」

国王と王妃が駆けつけ、息子の亡骸を見て悲鳴を上げた。



「おのれ、魔女め……よくも我が息子を殺したな!?」

事のあらましを聞いた国王は、剣を抜いてマリアに切っ先を向けた。




「殺していませんよ? 人間の命なんて貰っても、使い道がありません。要らないモノは、受け取らない性分なんです、わたくし」


マリアは邪気のない顔でそう言うと、宮廷医師に呼びかけた。


「お医者様? 殿下はご存命でしょう?」

「は、……はい。気絶しておられるだけでございます」

「でしょう? わたくしが殿下から取り上げたのは、命ではなく『これ』ですもの」 


マリアは高らかに右手を掲げた――彼女の手は、まばゆい光の玉を握っている。


「ガイゼル殿下の肉体に宿っていた『女神の祝福』を、没収いたしました。彼のように女性を軽んじる坊やには、不適切な能力ですから」


マリアの行動は明らかに異常であった。

その場にいる全員が、マリアを凝視し警戒している。


国王が、声を荒げた。

「貴様……マリア=ティルヴィアではないな? いったい何者だ!」


「女神に名乗らせるのですか? まったく……時代を経るごとに、人間はふてぶてしくなってゆくから困りものです」


マリアは笑った。マリアは――いや、マリアの体を操っている『彼女』は、面白おかしそうにくすくすと笑みをこぼしている。


『尊きアスカリテ国王陛下、わたくしは女神エウラでございます、以後お見知りおきを――みたいな感じにご挨拶しておけば満足ですか?』


マリアの体を脱ぎ捨てて、黄金色の粒子を纏った女神が現れた。一瞬前まで女神に宿られていたマリアが、脱力してその場に倒れこむ――護衛騎士のリゲルは、とっさに彼女を抱きとめた。



 め、女神!

 女神エウラだ……!



真珠の肌と波打つ黄金の髪。黄金色に輝く瞳のその女は、まさに聖典に描かれる女神エウラそのものだ。女神エウラの姿を目の当たりにして人々は激しく動揺し、一人また一人とエウラの前にひれ伏し始めた。


『わたくし、普段は人間社会に口出ししない主義なのですけれど。今回だけは特別に、盛大に口出しすることにしました。なぜならば……』


女神は後ろを振り返り、気絶しているマリアに微笑みかけた。


『こちらのマリア=ティルヴィア嬢が、わたくしを信奉する敬虔な信者だからです。彼女、ガイゼル王太子の不貞に悩んで毎日わたくしに救いを求めていらしたので。……久々にがっつり頼られたので、本気で介入したくなってしまいました』


女神のドヤ顔を、一同は戸惑いがちに見つめた。


『ガイゼル王太子の素行の悪さは、以前から見知っておりましたよ? たとえば、そう――王太子のお気に入り・フィーナ=エレ男爵令嬢の件ですが……』


いきなり女神に名指しされ、フィーナはびくりと身をこわばらせた。

『フィーナ、怖がらなくて良いのですよ? あなたの事情も、きちんと理解していますから』


「わ、わたしの事情……?」

『エレ家の抱える多額の負債を肩代わりしてやるから……と言って、ガイゼル王太子はあなたに関係を迫ってきたのでしょう?』

「なんでそれを……!?」

『女神ですから』


どやー。

女神のどや顔に対して、突っ込みを入れる権限を持つ人間などない。


『でもその借金の原因、王家が絡んでますからね? 王室直営のカジノで、エレ男爵は王太子にカモられてしまったんですよ。あなたの親を借金漬けにした挙句、救いの手を差し伸べてあなたを手に入れる……こういう卑劣な行いを、自作自演あるいはマッチポンプと言います』


まったく、情状酌量の余地もありませんね。――と嘆かわしそうに首を振り、女神エウラは国王を半眼で見やった。


『……子供の育て方を間違えましたね、アスカリテ王。戒律違反やその他もろもろの愚行を鑑みて、ガイゼル王太子に『女神の祝福』を与えるわけにはいきません。わたくしの機嫌を損ねた罰として、アスカリテ王朝は滅亡させてしまおうかしら』


「ど、どうかそれだけはお許しください! 女神さま!!」

奴隷のように地に頭をこすりつけて懇願してくる国王を見て、女神はニヤニヤ笑っていた。


『まぁ、一国の滅亡というのは結構たいへんですからね……民を苦しめるのはわたくしの本意ではありませんし。では代わりに、この『祝福』は他の王子に与えることに致しましょう』


他の王子?


「しかし、我らの子はガイゼルただ一人でございます。国王である私自身にも、他の兄弟姉妹などおりません」

『実はもう一人いるのですよ――』


右手の上の光球に、女神は「ふっ」と息を吹きかけた。光球の形をとっている魔力体――『女神の祝福』は、風船のようにふわりふわりと宙を舞い、やがて一人の青年のもとに降りていった。


女神の祝福を受け止めたのは、侯爵家の護衛騎士リゲルであった。


『リゲル=アスターク。あなたに『女神の祝福』を与え、次期国王に任命します』

「なっ……!?」


リゲル自身もその他全員も、女神の発言に困惑している。


国王は、嚙みつくような剣幕で女神に異を唱えた。

「女神さま、何をおっしゃるのですか!? 王家と無縁の騎士ごときに、なぜ女神の祝福を……?」



『リゲルは国王あなたの種から生まれた子ですから、きちんと王家の血を引いています』



 ざわっ!


『王妃との婚約期間中に、あなた、けっこう遊んでましたよね? レガリオ子爵家のレベッカ嬢を手籠めにしたときのこと、覚えていますか? 一夜の火遊びから生まれた子供が、そのリゲルですよ。……レベッカはその事実をひた隠しにしているので、リゲル本人は何も知らなかった訳ですが。まぁ、女神権限で暴露してしまいましょう』



リゲルは蒼白になっている。

国王はもっと蒼白になっている。

王妃は顔を怒りで赤く染めて国王の剣をひったくり、国王に飛び掛かっていた。



『もう、どうして男ってバカなのかしら。悪いことが出来ないように、わたくしが直々に愛に満ち溢れた戒律を作ってあげたのに。……戒律違反は身を滅ぼしますよ? 次期国王リゲル=アスターク、よくよく肝に銘じておきなさい』


……でもまぁ、リゲルは一途だから心配いりませんね、きっと。と、女神エウラは呟いていた。



修羅場を展開している国王夫妻と、夜宴会場に居合わせたすべての人間を眺めながら、女神エウラはゆっくり夜空に昇っていく。


『まぁ、そんなこんなで色々大変でしょうけど、アスカリテ王国の皆さん、あとは上手くやってください』

「お、お待ちください女神様! 俺はこの先、どうしたら……」


気絶しているマリアを抱いたまま、リゲルは悲痛な声をあげていた。


『知りませんよ、女神は気まぐれなんですから。……でも、いざとなったら本気でわたくしに神頼みしてご覧なさい? マリアみたいに、助けてあげます』


自由気ままにふわふわと。女神エウラは空に昇った。眠るマリアに、そっと呟く。


『マリア、私を頼ってくださってありがとう。……ガイゼルなんかと結婚しなくて良かったですね。あなたには、リゲルのほうが似合っていると思います』


女神はすでに、空高く。

地上の者たちには、遠ざかる女神が砂金のように小さく輝いて見えた。



『あなたに沢山の幸福がありますように』


女神のささやきは夜空に溶けて、人間たちの耳には届かなかった。


  ***






『……あー。久々に人間の体に乗り移ったら、すごく疲れちゃいました。300年ぶりかしら』


夜空にプカプカ漂いながら、女神エウラは独り言をつぶやいていた。


『まったく、今どきの王族たちは、女神を全然信じないから困りものですね。戒律違反が止まりません……まぁ、別に破ってもいいんですけどね、あんな戒律。半分はノリで決めちゃったみたいなモノですし』


女神エウラは、愛と豊穣の神。

愛し合う男女が氏族同士の政略の駒として扱われて引き裂かれるのを不憫に思い、遠い昔に2つの戒律を定めた。――それが、『親の都合で婚約を決めてはいけない』『一度誓った婚約は破棄せず生涯愛し合う』だ。


わたくしってば最高の戒律ルールを作ってあげましたよ! と満足していたエウラだったが、そのうち人間たちが自分の意志で戒律違反をし始めたから手に負えない……。


人間は、心変わりする生き物だ。自由意志で決めた婚約さえ安易に破棄しようとするし、すぐに愛が冷めて次の相手を求めようとする。


『短い人生なんだから、じっくり見据えて愛し合えばいいのに。……まったく、人間は気忙しい生き物ですね』




『だったら人間なんかに執着しないで、さっさと愛想を尽かしたらどうだ?』

よく響く男の声が、エウラの耳を打つ。同時にがっしり抱き留められていた。


『……あら、こんばんはノヴァ』


空中でいきなりエウラに抱きついてきたのは、夫である男神・ノヴァだった。引き締まった体躯と赤銅色の肌をしたノヴァは、人間の男には無い独特の色香を放っている。


『わたくし、気持ちよく一人で飛んでたところなのに……いきなり抱きしめるなんて、マナー違反だと思いませんか?』


鬱陶しそうな声音でつぶやくエウラのことを、ノヴァは豪快に笑い飛ばした。


『相変わらず冷めた女だな、エウラ。そんなところが可愛いんだお前は。よし、今から愛し合おう』

『今日は嫌です。……できれば、毎日遠慮します』


ははは、とノヴァはさらに楽し気に笑った。


『ところで、さっきの話だが。お前は人間に執着しすぎるぞ? いっそ人間なんか全部滅ぼして、神の眷属を新たに作って大陸を分割統治させてはどうだ?』


『……あなたって過激派ですよね』


『褒めるな、くすぐったいぞ。――というわけで、エウラ。それでは早速、俺と子を成そう。百人ばかり作ってそいつら全部をお前の眷属として用い、エウレカ大陸を分割統治させようではないか。愚かな人の仔らに代わり、太古のごとく我ら神族が聡明なる統治を……』


『おだまりなさい、ノヴァ』

エウラは、夫をデコピンして弾き飛ばした。


『わたくし、人間が好きなんです。人間を勝手に滅ぼしたら許しませんから』


『うーん、分からんなぁ。あんなサルみたいな生き物のどこが良いんだ』

『可愛いじゃないですか、人間って』

『人間なんかより、俺のほうがよっぽど可愛いだろう? 一途だし。俺の愛は海より深いぞ?』


『あなたの愛は粘着質なので、あんまり気持ちよくありません。わたくし、ふわっと軽やかで甘い恋愛がしてみたいんです。……マリアとリゲルみたいな、清らかな関係性が理想ですね』


勝手に抱きついてくる夫をシレっと振り払いながら、エウラは夢見る乙女のような口調で言った。


『あぁ、そうだわ。人間に化けて、100年くらい地上で暮らしてみようかしら。ひょっとしたら、わたくしに純朴な愛を注いでくれる素敵な男性に出会えるかもしれませんし……』


のらりくらりと星空を泳いで逃げ続けるエウラと、それを追いかけるノヴァ。2人の姿はまるで、夜空でダンスをしているようだ。やがてノヴァは妻の手を摑まえると、ニヤリと笑って抱きしめた。


『不貞を禁じる愛の女神おまえが、不貞願望を口にするのか? そんなふしだらなことを口にするお前は、罰として深海の牢獄に閉じこめてやる。そして牢屋の中で毎日俺と愉しもう』


強引に抱きしめられたエウラは、まんざらでもなさそうな様子で微笑んでいる。


『……でも、それだとわたくしがちっとも愉しくないのでお断りします。だって、海の底では人間の暮らしが見えないでしょう? 人間観察はわたくしの大事な趣味なんですから……取り上げないでくださいね、ノヴァ』


『分かった分かった』と囁きながらキスを落としてくる夫を、エウラはちょっと面倒くさそうにいなしていた。夫ノヴァの溺愛を適当にあしらいながら、女神エウラは明日も明後日も、箱庭大陸に生きる子供たちを見守ることだろう。



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