使いかけの香水

風と空

第1話 久々の訪問

 雪がちらちら降る中、うっすら積もった雪をサクサクと踏み締めて、俺こと伊藤 大地だいち(19)は祖母の家に向かっていた。


 去年祖父が亡くなり一人になった祖母。広い家での正月は寂しいだろうと、海外出張中の両親から依頼されたのだ。


 俺は、大学冬休み中だし、久々にばあちゃんにも会いたいし、二つ返事でここに居る。


 街中の大きな屋敷が今ばあちゃんが一人で住んで居る家だ。今時珍しく蔵がある家だからすぐわかる。


 が、門のところまで来て蔵が変わっているのに気がつく。

 蔵の扉が変わってる……?


 あの重厚な扉ではなく、喫茶店のドアのようにオシャレなドアに代わっている。しかもドアの横には木製の看板で、「喫茶 憩いの蔵」と書いている。


 は!? 喫茶店?聞いてねぇぞ。


 だけど中からばあちゃんの話し声が聞こえるし、確かにばあちゃんの敷地内だし。


 取り敢えずドアをゆっくり開けて中の様子を覗いてみると……


 天井の梁からペンダントライトが吊り下げられ、店内はカウンター席四つにテーブル席が三つとこじんまりしているが、決して狭くなく大人の隠れ家的な感じがする空間だ。


 カウンター席には一人のお客が座っていて、ばあちゃんがカウンター内で作業しながら話しをしている。


「いらっしゃい!大地だいち!良く来たねぇ。ほら早くこっちに座って休みな」


 ばあちゃんが入り口に立っている俺に気づいて呼びかける。めっちゃ元気じゃん、と思いながら言われた通りカウンター席に近づく。席に座ると先客さんと目が合い一応頭を下げて挨拶をしてみた。


 …… 凄え綺麗な人だ。


「大地紹介しておくよ。うちの常連さんの木崎きざき真琴まことさんだよ。真琴さん、うちの孫の大地、大学生さ。私の様子をわざわざ見に来てくれる優しい子だよ」


 ばあちゃんがコーヒーの準備をしながら紹介してくれる。


「ふふっ。沙都子さとこさん良かったですね。優しいお孫さんが居て。初めまして木崎真琴です。すぐ近くに住んでいるOLです。宜しくね」


 優しいそうな笑顔で手を差し出す真琴さん。慌てて自己紹介する俺。


「あ、伊藤大地です!宜しく」


 俺も手を差し出して握手をする。真琴さんの柔らかい手の指には銀の指輪がはまっていた。


 あー…… 当然居るよなぁ、彼氏。


 なんとなく残念に思いながら挨拶し終えた俺は、ばあちゃんに疑問をぶつける。


「ばあちゃん、いつから喫茶店なんかやってんのさ」


 俺の前に出来たてのコーヒーを置いて、カウンター内の椅子に腰掛けるばあちゃん。


「去年の12月からだねぇ。忙しかったよぉ。準備に追われてね。でもオープンしたらありがたい事にご近所さんが利用してくれてね。真琴さんは初日から来てくれてたね」


「ええ、いい雰囲気の喫茶店ができたって聞いて、来て見たら沙都子さんと話すのが面白くって。時間があったらくる様になっちゃいましたね」


「そうだったねぇ。おかげで私も良い話し相手ができたってもんさ」


 二人でわかりあっているけど、俺にはさっぱりわからない。


「いや、そもそも喫茶店なんて、なんでやってんだって聞いてるんだって」


 俺の質問に木崎さんとばあちゃんが目を合わせて笑い合う。

 ばあちゃんがカウンターの下から四つ折りになった紙を出してきた。


「大地、読んでご覧」


 ばあちゃんから紙を受け取り開いてみると、じいちゃんの字で『死ぬまでにやりたい事』と書いてあった。


「え?何これ?じいちゃんの字じゃん。何関係あるの?」


「ホレ、黒丸の四つ目に書いてあるだろ?」


 ばあちゃんが教えてくれたところを見ると『沙都子さんと喫茶店を開く』と書いてあった。


「え?じゃあ、じいちゃんが生きてる時から準備してたって事?」


「そうさ。あの人の夢を叶えるために始めたってのに、簡単に急性心筋梗塞でおっ死んでしまって。…… 大変だったんだよ。


 でもあの人結構前にそれ書いてたみたいなんだよ。準備は万端で、後は業者に依頼したりするだけでね。まぁ、資格は取らされたけどねぇ。おかげで寂しさ感じる暇なかったさね」


 笑いながら言うばあちゃん。

 …… 強いな。


「大地さん、それ私も見せて貰ったけどね。ご主人さん色々面白いこと書いているのよ。一番目なんだと思う?」


 真琴さんがクスクス笑いながら教えてくれたところをみると


「げ!じいちゃんこれ本当に食ったのか!?」


 一番目に『シュールストレミングにチャレンジしてみる 』とあった。これってめちゃくちゃ臭いものだよな。


「そこに書いているのはほぼやっていたよ。全く困ったもんさ。リビングの中でやられてねぇ。しばらく匂い取れなかったのなんのって」


「私もこの話聞いた時笑っちゃいましたね。一番がこれなんだって。で、ご主人さん一口食べたら、何重も重ねたビニール袋に入れて、速攻ゴミ箱に突っ込んだって聞いて」


 ふふふっと笑う真琴さんに、その時の事を思い出して嫌な顔をするばあちゃん。


「うわ、流石チャレンジャーだな、じいちゃん。あ、この話は知ってる。『イタリアのベネチアでゴンドラに乗ってみたい 』ってなんでベネチア行ったんだって思ったもんな」


「素敵ですよね。水の都ベネチア。私も行ってみたいなぁ」


「こちとら夢だったからって連れ回されて大変だったんだよ。いきなりパスポート用意しようって言われてねぇ」


 ため息つきながらも嬉しそうな顔をして言うばあちゃん。まあ、それがじいちゃんだよなぁ。


 いろんな事に興味を示して、取り組んでいたじいちゃんは実は俺の憧れだ。あんな風に俺も生きてみたい。


 まあ、それまで必死に働いて働いて来たじいちゃんだから出来たんだろうけど。


「だけどね、やれてない事もいっぱいあったのさ。喫茶店の他にもう一つどうしてもやりたい事があってね。大地、五番目なんて書いてある?」


 目を紙に向けると『大地に夢を託す』とあった。


「ばあちゃんこれって…… 」


「ああ、ついに渡せるんだね。真琴さんは悪いけどここで待っててくれるかい?大地はついておいで」


 ばあちゃんがカウンターから出てきて入り口に向かう。真琴さんは知っているのか笑顔で、手を振って「行ってらっしゃい」と俺を送り出す。


 先に行くばあちゃんの後をついて行くと、ばあちゃんが止まった場所は車庫。


「大地シャッターを上げてご覧」


 ガラララ……


 言われた通りシャッターを上げるとそこにあったのは、軽トラの荷台に居住空間を作ったモバイルハウスだった。


「ばあちゃんこれって…… 」


 俺が驚きで動けないでいると、ばあちゃんがポケットからあるものを出して俺の手に乗せる。


 これは車の鍵?


「大地、じいちゃんに言ったんだって?大きくなったらいろんなところ見に行くんだ!って。


 じいちゃん本気にして色々考えて、大工の仲間にも手伝って貰って作ってたんだよ。立派なものだろう?」


 ばあちゃんが息子を自慢する様に、ポンポンとモバイルハウスを軽く叩く。


「え?あれ俺中学の時だぜ…… そんな前からかよ」


「じいちゃんに言ったら最後さ。こうと決めたらやり通すからねぇ。ホラいいから、入った入った」


 ばあちゃんがモバイルハウスの入り口を開ける。

 中は上の方に窓があり光が入ってはいるものの薄暗い。


 足台もちゃんと準備されて居て、それを使って中に入る。中は壁際に折り畳み椅子とベッドの本体にマットレスが準備されていた。


「凄え、案外狭くないもんだな…… 」


 入った途端不意に懐かしい匂いがした。辺りを見ると、床に使いかけの香水がある。


 じいちゃんの香水だ。


 オシャレでもあったじいちゃん。

 匂いも男の身だしなみだって言ってたんだよなぁ。


「ばあちゃん、じいちゃんの香水があった」


 外で様子を見ているばあちゃんに香水を持って行く。


「なんだ。ここにあったのかい」


 嬉しそうに受け取るばあちゃん。それを見ながら懐かしそうに話し出す。


「…… じいちゃん、よくこの場所に居てねぇ。よく想像してたんだよ。大地は喜んでくれるだろうか、大地は何処に行くんだろうか、旅はどんな感じだろうかってね。


 じいちゃんは旅にも出たかったんだよ。もっと世界は広いはずだってね。でも私と一緒にやる夢を優先させた。


 だからこれを大地に渡してもう一つの夢を託す事にしたんだ。…… 大地、お前はこれを受け取るかい?」


 ばあちゃんは、じいちゃんの香水を俺に差し出す。


 じいちゃん、あんた凄えよ。


 死ぬまで夢を追いかけて努力するなんて。


 俺なんかの為に、こんな凄えもの残すなんて。



 …… 受け取らないわけないだろうが!



「ばあちゃん!俺やってみたい!このモバイルハウスで、自分の目でまずは日本を回ってみたい!」


 ばあちゃんはニヤッとして、俺にじいちゃんの香水を渡す。


「じゃあ、あんたにじいさんの想いを託すよ。あんたはじいさんの代わりにしっかり見ておいで」


 ばあちゃんは俺の肩をバシッと叩いて気合いを入れる。

 俺はばあちゃんの目を見てしっかりと頷く事で答えた。



 まさかこんな事があるとは夢にも思わなかったが、俺の中学時代の目標は、春、大学に休学届けを出して実行された。


 じいちゃんの香水と共に。

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