ぞうのはな子さん

みずえ

第1話 ぞうのはな子さん(完)

はな子さんは、東京の井の頭自然文化園にすんでいます。

今はすっかり年を重ね、皺もふえ、最後の歯が1本残っているだけになってしまいましたが、日本にきた頃はまだ2歳半の小さなかわいらしい象でした。

昭和24年(1949年)8月22日、オラフ・マークス号っというデンマークの船に乗って、タイという国を出発しました。

その頃の日本は、戦争が終わり、みんなが平和を願い始めた頃でしたが、大人も子供も貧しくて、あまり楽しい事がない時代でした。

そんな人々に喜びを与えるため、タイの王宮で大切に育てられていたはな子さんが送られてきたのです。

タイではガジャと呼ばれていました。サンスクリット語(インド古代の言葉)で象という意味です。

はな子という名前は、戦争中猛獣処分で死んでしまった象の花子さんの名前にちなんで、日本の子供たちにもらった名前です。

当時、日本にいた象は動物園非常処置要綱の第一種「最モ危険ナルモノ」という種類に分類され殆どが殺されてしまったのです。

優しいお母さん象や、大好きな仲間とお別れをして、たった一頭で日本にやってきたはな子さん。


誰もしらない。

仲間もいない。

船の上から見えるのは、青い海と、広い空。

どこまでも どこまでも 海と空しかみえません。

さようなら故郷。

さようならお母さん。

はな子さんの頬をつたう涙は、海の味がしました。


9月2日 朝8時。

日本の神戸港へ到着しました。

そして夕方には、特別貨車に乗って東京へ向かったのです。

ガタンゴトン、ガタンゴトン、お月様を追いかける様に、はな子さんを乗せた汽車は夜の町を走り続けます。


おやすみなさい はな子さん。

日本で初めて見た夢はどんな夢?

緑眩しい故郷の森の夢?

優しいお母さんの長い長い鼻の夢?

おいしい干草の夢?

はな子さんがどんな夢をみたのかは、お月様しか知りません。


9月3日 夕方。

東京の潮留駅につきました。

空は夕焼け色にそまっていましたが、はな子さんを待っていたのは、かわいらしい子供たちのお日様のような笑顔でした。


こんにちは ぞうさん

小さなぞうさん 子供のぞうさんだ

本当に鼻が長いのね


はな子さんが来るのをずっと待っていた子供たちが、大勢あつまってくれました。

翌朝、こんどはトラックに乗り、上野動物園へ向かいました。

戦争が終わって2年あまり経っていましたが、空襲で焼かれた町の残骸があちこちに残っていました。

はな子さんを乗せたトラックは、そんな町をゆっくりゆっくり走りました。

はな子さんがビックリしないように。

子供たちにはな子さんを見せてあげられるように。

子供たちからもらったきれいな花の首飾りをつけたはな子さんの目には、この町の景色がタイとは違うという事がわかっていたのでしょうか。

トラックが通る道には、たくさんの人の列ができていました。

大人も、子供も、みんながはな子さんを見にきたのです。


それから3週間後、インドという国からインディラという名前の象がやってきました。

インディラは15歳。

優しく賢く、そして8本の爪を持っていました。インドでは8本爪の象は幸せのしるしとして貴重がられています。

野生で暮らしている象のメスは集団で生活をします。

はな子さんは、よいお姉さん象が来てくれてうれしかったようです。

お互いに鼻と鼻でご挨拶をしました。

「こんにちは はな子さん」

「こんにちは インディラさん」

二頭は直ぐに仲良しになりました。

そのうちに、他の町からも「象に合いたい。象を見せて下さい」という希望があり、移動動物園というものが始まりました。

上野動物園の人気者たちの旅がはじまりました。

はじめのうち、小さなはな子さんはお留守番でした。

けれども、しばらくするとはな子さんも、トラックで小さめの移動動物園に参加し、東京のあちらこちらをまわる事になりました。

それは、暖かな春の頃でした。

世田谷の砧大緑地

八王子の富士森公園

立川の諏訪公園

五日市、青梅市、氷川町(現在の多摩市)、吉祥寺の井の頭自然文化園。

ほとんどの人が本物の象を初めて見たのです。

こんなに大きな生き物がいたんだなあ。

なんて優しい目をしているのかしら。

はな子さんは、上手に鼻を動かしてリンゴを口へ運びます。

子供たちの小さな手から、パチパチと拍手がなりました。

どこへ行ってもはな子さんは大人気でした。

そして、5月31日の夜、東海汽船の黒潮丸という船にのって大島へ向かいました。

ライオンのリリーもいっしょです。

大島は東京よりも自然が多く、はな子さんはうれしくて散歩の途中、木の茂みに入りこんでしまいました。

青々とした葉っぱの匂い。

やわらかな土の感触。

木漏れ日が、はな子さんをやさしく包みます。


昭和29年(1954年)3月5日。

梅の木に、小さな白い花が咲きはじめた頃でした。

上野動物園にはインディラさんのほかにも、ジャンボーさんというお姉さん象がきていて、象舎では三頭の象が仲良く暮らしていました。

そこで、井の頭自然文化園の近くに住む子供たちから

「上野動物園ばかりに象があつまっている。こちらにも象をおいてください」

という強い希望があり、はな子さんが井の頭自然文化園へお引越しをする事になりました。

なぜ、一番年下のはな子さんがお引越しをする事になったのか、本当の所はわかりません。

上野動物園を旅立つ時、今までかわいがってくれた飼育係のおじさんが、涙をいっぱいためながら、大好きなお芋と人参を口にいれてくれました。

上野動物園の園長さんは、はな子さんの背中をさすりながら、

「かわいがられるんだよ かわいがられるんだよ」

と何度もいいました。

はな子さんを乗せたトラックが動き出すと、インディラさんもジャンボーさんも「プオー」と悲しそうに鳴きました。

はな子さんも、「プオー」と悲しそうに鳴きました。

はな子さんはまたひとりぼっちになってしまいました。

7歳の時の事です。


井の頭自然文化園は、移動動物園で来た事がありましたが、今度はここが新しいお家になります。

上野動物園にくらべると、小さくて静かな所です。

はな子さんを見に来る人の数も、上野動物園ほどではなくなりました。

飼育係りの人も、かわりました。

初めて象の世話をする事になった、若い男の人でした。

はな子さんが言う事を聞くように、食べ物の量を減らそう。

若い飼育係の人は考えました。

象は食べる事が大好きです。大きな身体には大きな胃袋がついているのですから。

それなのに、はな子さんはたくさん食べさせてもらえませんでした。

お腹がすいたなぁ。

大好きな人参やお芋やりんごをたくさん食べたいなぁ。

それに、いつまでたっても一人きり。

インディラさんやジャンボーさんは何処にいるんだろう。

せっかくお姉さん象と一緒にすごして、いろいろな事を教えてもらおうと思っていたのに、また一人になってしまいました。

はな子さんは、一人になるにはまだ早すぎたようです。


それから2年後のある夜の事でした。

お酒に酔った男の人が、はな子さんを驚かそうと、こっそりしのびよってきました。

この男の人は、時々夜中に忍び込んでは、動物にいたずらをしていた人でした。

はな子さんは驚きました。

とっても恐かったのです。

象は体が大きいから強いと思うかもしれませんが、実は恐がりで、優しくて、泣もろい動物なのです。

どんな生き物にも人間と同じ、心というものがあるのです。

驚き、無我夢中になったはな子さん。

長い鼻をふりまわし、脚をあげ、恐怖と戦いました。

夜中の出来事で、見ていた人は誰もいませんでしたが、翌朝象舎のミゾの中で、その男の人は死んでいました。


はな子さんは、すべての人間が良い人とは思えなくなりました。

そして、心に壁を作ってしまったのです。


それから、4年がたちました。

相変わらずはな子さんは、たくさん食べさせてもらえませんでした。

友だちといえるような、自分以外の存在もいません。

大自然にくらべたら狭い象舎の中も、何だか広く感じてしまいます。

前脚には鎖がついていました。


ある日の事です。

はな子さんの餌の上に、飼育係の人が倒れてしまいました。

突然、持病の発作が起こったという説や、はな子さんの前脚に繋がれていた鎖につまずいたとか、いろいろ推測されましたが、本当の所は誰にもわかりません。

昔の事で、その時の事をはっきり目撃した人がいたのかさえもわかりません。

わかっている事は、その男の人が死んでしまったと言う事です。


それからはな子さんは、「人殺し象」と言われたり、石を投げつけられたりしました。

新聞記者や報道の人がかけより、カシャカシャと写真を撮って驚かされました。

両前足を鎖で繋がれ、何日も薄暗いオリの中に閉じ込められていました。

餌も十分にもらえず、体をきれいにしてもらう事もなく、どんどん痩せていき、アバラ骨がみえる程でした。

昔の元気なはな子さんを知っている人たちは、

「かわいそうに、あんなに痩せてしまって」

「以前はもっと元気で、かわいらしかったのに」

と、はな子さんを不憫に思う人もいました。

井の頭自然文化園や、前に住んでいた上野動物園の人、いろいろな人たちが「どうしたらいいのか」考えました。

そして、ベテランの飼育係りのおじさんがはな子さんの面倒を見ることになりました。

おじさんの名前は山川さんと言いました。

山川さんは、心を傷つけ、人間不信になってしまったはな子さんに、毎日毎日、愛情をもって接しました。

痩せた体もなかなか元には戻りませんでした。

人の前に出ることも拒みました。

はな子さんが、以前のように元気な心を取り戻すのに、6年もの年月が費やされました。

動物も、人間も、傷つく心は同じです。

いじめられれば、自分を守る為に心に壁を作ります。

時には、自分を守る為に相手を傷つけてしまう事もあるのです。


はな子さんが日本に来て50年以上が経ちました。

昔のはな子さんの事を知っている人もだんだん少なくなってきました。

優しい山川さんも、今はもういません。

けれども、山川さんと同じように愛情をもって育ててくれる飼育係のおじさんたちがいます。

一本しか歯がないはな子さんが、餌を食べやすいように細かく刻んだり、すりおろしたりしてくれます。

毎日身体を撫でたり、ふいたり、語りかけたりしてくれます。

それでも、時々昔の事を思い出す時があります。

そんな時は、おしりをむけてしまいます。


今でも休日には、たくさんの子供や大人が、井の頭自然文化園へ遊びにきます。

はな子さんと一緒に写真を撮ったり、「はな子さーん」と声をかけたりしています。

はな子さんを見つめ、子供の頃を懐かしく思う人もたくさんいます。

いろいろな事がありましたが、今のはな子さんの周りでは、時間はゆっくりゆっくり過ぎているようです。


暖かな日差しの中、目を細め、ひとりぼっちでダンスをしているはな子さん。

何を考えているのでしょうか。

緑眩しい故郷の森の事?

優しいお母さんの長い長い鼻の事?

おいしい干草の事?


戦後まもなく、2才半の小さな象が一頭、船にのって日本へやってきました。

それは、どんな運命がまっているのか、想像もつかない旅の始まりでした。

自分で決めた旅ではなかったけれど、決められた運命だったのかも知れません。

もしかしたら、人間がその運命を変えてしまったのかも知れません。

はな子さんは何も言いません。

だた、大きな体をユッサユッサとゆすりながら、じっと私たちを見つめています。

けれども私たちは、はな子さんから何かを感じる事ができるはずです。

優しさとか、暖かさとか、思いやりの気持ちとか、です。

そして、それはあなた自身がもっている力でもあるのです。


いつまでもはな子さんが私たちの心の中に生き続け、優しい瞳で見つめてくれることを願っています。


2001年 春 


近況ノートに、はな子さんの写真や、プロフィールを綴ったHP「月の雫」を紹介しています。

https://kakuyomu.jp/users/wpw/news/16817330651642608389


HP「月の雫」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mizue/

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぞうのはな子さん みずえ @wpw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ