第3話

のらりくらりと家まで帰る。

特に寄り道する先もなく、今朝、自分が歩いてきた足跡を遡るように歩く。


イヤホンを耳にすれば邪魔な音が一切、聞こえなくなってしまう。こんな時間がずっと続けばいいのに、と夕暮れに照らされるやけに猫背な影がより一層自分の情けなさを表していた。


家と学校を反復横跳びするだけの毎日を抜け出そうとする気力も、今の僕にはない。


人は変わるとはよく言うが、もうずっとこんな調子の僕を見ても同じことが言えるだろうか。


周りだけが変化していって何も変われない自分に怯えてばかりの僕を見ても同じことが言えるだろうか。


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家に着く前に母からLINEが来た。


『ごめん。突然だけど今日から家空けることになった。旅行行ってきます』


突然だけどって前置きで、ここまで驚いたことは初めてだった。


『家空けるってどのくらい?』


そう返信した。すぐさま母から返答は来た。


『1週間かな。もしかしたらもっと長くなるかも』


えぇ!?と心の中で大きくため息を吐いた。

母はいつも大胆で一直線な人だ。急にこのようなことをするのにも何か訳があるのだろう。


女手1つでここまで育ててくれた母への不器用な息子なりの気遣いだ。理由は特に聞かずに僕は了承することにした。


しかし、1つ問題があって…。


『ママ友と一緒に行くんだけど、1週間の間、相手の子と同居してくれない?』


『え?嫌だよ。同居は』


『そこをなんとか!お願い』


『相手の子も旅行、連れて行ってあげれば?』


『その子、高校生だから1週間も学校行かなかったら勉強追いつけなくなるじゃない?』


『高校生なら1人で1週間くらい過ごせるよ』


『女の子よ?』


『…。余計に無理だよ』


そこまで文を打つと、母からの返事が少し遅くなった。1分ほど待つと


『もうその子、家に居るみたいよ?』


と、突拍子のないことを言い出した。


『追い出してよ。俺帰れないじゃん』


『無理です。では、1週間楽しんで!』


『はぁ。お母さんもな』


そこまで打って会話を終わらせた。

家に帰ると、初対面の女の子がいる。

そしてその子と1週間、共に暮らす。

今の引っ込み思案な僕にそんなことできるわけがない。


何を話そう?

部屋掃除したかな?

トランプ、家にあったっけな?

と頭の中が混乱しだした頃には、もう家についてしまっていた。


家のドアを開ける時のあの安心感が、今は真逆の感情と化している。最後に女の子とちゃんと話したのはいつだろう、と思い返しているとこんな時にも初恋の相手だった結城さんの顔が浮かぶ。


そういえば何故僕はあの日、告白したんだ?


記憶を振り返ろうとすると鍵がかかった扉のように何かに引っかかって開かない。


そんな頭の中とは違い現実は簡単なもので、今朝、鍵をしたはずの家のドアをいとも簡単に開いてしまう。


ガチャ。


娘1人で1週間、家に居させるのも確かに不安だけど、娘1人をママ友の息子の家に泊まらすのも、なかなか不安じゃないのか。


今更ながらそんなことを思いながらもう後戻りはできない。僕はカバンをおろしリビングへと向かう。


家の中は真っ暗でほとんど何も見えないが、誰かに荒らされた形跡や他人がいるような空気は一切、感じられず、この空間には僕1人しかいないとそう思わさせられる。


だけど今朝、かけたはずの鍵は開いていたし、母からのLINEでももうママ友の子は家に来てるはず。


僕は恐る恐るリビングの電気をつけて一声

「ただいま。誰かいますか?」と独り言のように呟いた。声はただ壁を跳ね返って僕の耳にしか入ってこない。


「はぁ。何なんだ。まったく」


と、俯きながらため息を吐いた途端、視界が何かに覆われる。


「だーれだ?」

「えっ?」


後ろから女の子の声がする。

どうやら僕は目を手で覆われているらしい。

突然のことで驚いたけど、僕は動揺を隠しながら返事に答える。


「母の友達の娘さん…ですか?」

「正解です」

「…」


このやり取りのその先が見つからない。

行き止まりで空気が凍ってしまう。


「…な、何で目隠しするの?」

「さぁ。なぜでしょう?」


なんとか捻り出した質問も空振りで終わる。


「では、私の方からも質問です」

「はい?」

「今日は何の日か分かりますか?」

「今日が…何の日?」

「はい。今日が何の日か。わかるまで目を瞑っててくださいね」


「…」


目を瞑ると彼女の手が離れる。

それと同時に緊張が解けて頭がよく回る。

昔の記憶が蓋を開けた炭酸のように溢れ出した。


昔、結城さんと遊ぶ約束をした時もこんな風に目隠しされていたな。

早く会いたい僕を弄んでいたのかは分からないけど、会うといつも少し遅れて目を隠してきて「だーれだ?」って言って現れる。


あの日も、少し遅れて来ると思ってたんだけれど。


僕はようやく思い出した。今日という日がどんな日だったのか。あまりにも悲しい気持ちが先行していてすっかり忘れていた。


目を開くと、電気がついて部屋が明るくなっていたが、しばらく目を瞑っていたので視界がぼんやりしていて辺りが見えない。


目を擦りながら振り返ると、


「結城…さん?」


先程まで教室で見た、結城さんが大きなバースデーケーキを持って僕の目の前に立っていた。


「何で…?」


「16歳のお誕生日おめでとう。未来くん」


ニッコリ笑う彼女と不思議と涙を流す僕。


「今日から1週間、泊まることになりました。結城未来です。よろしくね」


「佐々木未来…です。こちらこそよろしく」


「ふふっ。じゃあケーキ食べよっか」


結城さんはテーブルにケーキを置いて、ロウソクに火をつけた後、また部屋の電気を消す。


「じゃあ、改めまして…ハッピーバースデートゥーユー♪」


結城さんの歌声が聞こえる。状況に脳みそが追いついてくれない中、歌声だけがただ耳に拾われる。


「ハッピーバースデーディア未来くんー。ハッピーバースデートゥーユー!」


歌が終わったので僕は思い切りロウソクの火を消す。結城さんをそれを見て電気を再びつける。


「お誕生日おめでとう」


「…。何でケーキなんか?」


「未来くんのお母さんに頼まれたんだ。あいつ、多分自分の誕生日だってこと忘れてるから。思い知らせてやってって。サプライズ大成功だね」


「…。じゃあ泊まるってのは嘘か」


「ううん。泊まるのはホントよ。私のママも家空けるから。ここで1週間過ごすから」


「…」


僕は黙り込む。あの頃好きだった結城さんが今日から1週間、ここで過ごす。それは嬉しいことなんだろうけど心のどこかで何かがずっと引っかかっていて落ち着かない。


「結城さん。あの時のこと、覚えてる?」

「うん?」


「小学生の頃、結城さんにラブレター書いて、遊具に呼び出したんだ」


「…」


「でも、来なかった…。今更、だと、思うかど、答えがそうだったとしても、僕はあの時の答えが知りたいんだ…だから」


その時、スっと僕の唇に結城さんの人差し指が喋るのを阻止した。


妖艶な表情で、僕の目を見た彼女はとろけるような声で


「内緒」


と言った。


「ごめんね。女の子にはどうしても言えない秘密の1つや2つ、あるんだ」


真剣な目でこちらを覗く結城さんに惑わされ、分かったと言わんばかりに頷くと、結城さんは「なんてね」と意地悪な笑顔を見せた。


彼女のどこまでが本心で、どこまでが嘘なのか、底が知れない。


こうして僕と初恋の結城さんとの、奇妙な1週間の同居生活が始まった。


1日目。

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