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「何の電話だったの?」
リビングに戻ると、英梨花がそう尋ねてきた。仙堂は微笑んだ。
「関永さんから。OCASの復帰について調整をしてくれるそうだ」
「あら、よかったじゃん」
言葉とは裏腹に、英梨花の目には悲しみが見え隠れする。仙堂も呼応するように応える。
「寺田も、あいつなりの正義を全うしようとしたんだ。そのやり方が間違っていただけで」
英梨花はリビングの向こうでテレビに釘付けになっているさくらに目をやった。
「もう終わったのよね?」
松島が部屋の前に荷物を置いていったという事実は、子を持つ英梨花にとって、とてつもない恐怖だった。引っ越しも検討していたのだ。
「もう大丈夫だ。俺たちを脅かすものは、もう何もない」
仙堂の脳裏に、吉野の不敵な笑みが蘇る。
「インクの染みに気づいたのが誰なのか、分かったんですよ」
吉野は、ただ単にインクの染みに気づいたのが英梨花であると気づいたからそう言っただけに過ぎないだろうというのが、仙堂の結論だった。もともと、話があっちへ行ったりこっちへ行ったりするような人間だった。あのタイミングで英梨花のことを仄めかしたのは、ただの偶然だったはずだ。九条が息絶えたあの井戸の中に残されたワタリガラスの羽根の意味を答えられなかった鶴巻。吉野は、その時点で英梨花の存在を頭の中に浮かべていたのかもしれない。その証拠に、英梨花は言っていた。
「ワタリガラスはワルキューレと共に描かれることがあるの」
「ワルキューレ?」
「戦死した者の魂の運命を握っている女性のことだよ」
「また運命か……」
「『大鴉の言葉』という詩の中で、ワルキューレはワタリガラスと会話をするの。この詩は断片的に残っていて、現在確認できるのが二十三連ある」
仙堂は目を丸くした。
「だから、ワタリガラスの羽根が二十三本……」
吉野は何かが起こることを感じ取っていた。感じ取っていたというのは、正確ではない。取調室で吉野のそばの机に腰かけた仙堂が、被害者たちの顔写真を並べた時、そこには明確なメッセージが記されていた。
***
〝お前を逃がす〟
島原の顔写真にはペンでそう記されていた。吉野は仙堂の顔を見上げた。その驚きを隠しきろうとする表情に、仙堂は笑いが込み上げるのを堪えるのに大変だった。
「何が言いたいんですか?」
〝実況見分を行う〟
倉敷の顔写真にはそう書き添えられている。そして、九条の顔写真には最後のメッセージが綴られていた。
〝そこで起こることに身を任せろ〟
***
そして、その通りになった。吉野は、小型護送車のドアを閉めた寺田に、運転席を指し示して、
「早く出せよ」
と言った。彼は寺田が仙堂の手先であると勘違いしたのだろう。
「パパぁ~」
思いを巡らせていた仙堂の耳にさくらの声が届く。仙堂は笑顔になって娘のそばに歩み寄る。
「どうした?」
「マコがね、またレナちゃんにいじわるしたの」
さくらがテレビ画面を指さしている。マコが砂場の砂をレナに引っ掛けているところで映像が一時停止されていた。
「さくらはこんなことしちゃダメだぞ」
「サンタさん来なくなるから~?」
「そうじゃない。誰かを大切にできない人は、誰にも大切にされなくなっちゃうからだ」
仙堂はそう言って、内心で自分を笑っていた。
***
寺田は、仙堂が思っていた以上に想定通りの動きをした。寺田が自分のことを疑いの目で見ていたことに、仙堂は気づいていた。自分に対する憤りの感情を吉野に向けさせれば、吉野を排除することができると期待していた。
吉野が仙堂の裏の顔を知っていたことは、部屋の前に内刳の仏像の首を置かせたことから明らかだった。仏像の中に事件現場から確保した薬物などを詰め込んで配送していたことを再現して、吉野は自分が仙堂のことを知っていることを明示したのだ。
仙堂にとって、警察組織は忌み嫌う存在だった。心血を注いで尽くしていた自分を、警察は一度のミスで見放そうとした。だから、これは仙堂の復讐でもあった。そもそも、OCASの提唱は、忍成や島原といった警察庁、警視庁の上層部にパイプがある金蘭倶楽部のメンバーを通じて仙堂が行ったものだ。寺田をOCASに引き入れたのも、自分を探ろうとする邪魔者を手近に置いておくためだった。他のメンバーたちは、それなりの腕を持った者を、かつての仲間の中から見繕ったに過ぎない。
吉野の出現は、仙堂にとって危機であると同時に僥倖だった。仙堂の裏の顔を知っている、いわば共犯者たちを、母の死に対する復讐の名目で勝手に排除してくれたことは、仙堂の思わぬ収穫だった。
寺田は、九条を恩師と信じて疑わなかったが、九条こそ仙堂に警察組織への復讐心を芽生えさせた存在だった。警察内部の情報が自然と集まっていた九条は、その情報を利用して私腹を肥やしていたのだ。
吉野の偶然性を装った犯罪行為は、仙堂の中に黒い計画のアイディアをもたらした。懐を探ろうとしていた邪魔な寺田を排除するために、彼と吉野を潰し合わせる……そのためのプロセスを寺田は仙堂の思うように歩んでくれた。
斎場にやって来た記者すらも、仙堂にとってはそのプロセスの導き手に過ぎなかった。九条の死で仙堂への憤りが吉野に向かっていた寺田と共に記者に危害を加えることで、暴力性を顕在化させた。OCASの部屋で仙堂が寺田に倣うように怒りを物にぶつけたのも、怒りの感情を共有できる人間だということを意図的に示すためのパフォーマンスだった。そして、記者への私刑という二人だけの秘密を作ることで、運命共同体である自覚を芽生えさせ、英梨花の危機が自分事であるように仕向けた。
吉野が英梨花の存在を仄めかした時、仙堂は心の中でほくそ笑んでいた。飛び出して、スマホを取り出した。電話をかける振りをして、真っ暗な画面を耳に当てて叫んだ。
「出ないッ──!」
そう言えば、単純な三田村が話を聞くことは判っていた。
***
「パパ、なんで笑ってるの~?」
さくらに言われて、仙堂は我に返った。
「ん? 笑ってるように見えたか?」
「シンヤみたいだった」
シンヤはマコに思いを寄せるクラスメイトだ。マコの気を引こうとして、レナをいじめようとする。
「なんだ? パパが悪い奴だと思ってるのか?」
そう言って、さくらの脇腹をくすぐった。さくらがキャッキャと笑う。
「や~め~て~!」
笑いながらやって来た英梨花に仙堂は言った。
「今日は出前でも取るか」
「さくら、ピザ食べた~い!」
仙堂は英梨花の頭に手を伸ばして、引き寄せた。
「無事でよかった……」
英梨花は仙堂の背中に手を回して、きつく抱きしめた。
──了
マーブリ・アナンケー 警視庁捜査一課異常犯罪分析班 山野エル @shunt13
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