最終話

「明日、僕の家に来ない?」

 大阪城公園や造幣局で桜の開花がはじまっていた陽気の朝。思いきってメールを送ってみた。映画を観ようとか、手料理を作るよとか、ほか何度か言い訳を書いては消し、結局なにも書かずに誘うことにした。映画や手料理ではなく、僕のことを知ってもらいたかったからだ。春の風につられて、洗剤の匂いが部屋に充満する。あの夜から煙草を吸うのはやめた。僕の健康面に思っていたような変化はみられないけど、彼女の家で灰皿をみることもなくなった。

「行く。なんか食材を持ってくから、夕飯も一緒に食べよ」

 その後もたわいのないやり取りをいくつか交わし、「カズくんの家、初めてだから楽しみにしてるね」といったメールで締めくくられた。相変わらず僕は口べただし職場でも浮いたままだけど、彼女がそばにいてくれている、この半年間その事実だけで十分に幸せだった。この世界に彼女がいればそれで良い。そしてそれを願っても実現させるためにはけじめをつけなければならない。いつも引っぱってもらってばかりだったけど、一生に一度の誓いは僕がたてよう。今度こそ彼女に僕自身をさらけだすんだ。僕にとっての女神は彼女自身なのだから。さあ、掃除をして迎えいれる準備をしなければ。

 みんなを一度移動させ隅々まで掃除機をかけていく。数年間彼らを座らせていた新聞紙の下は思いのほか劣化しておらず、むしろ陽やけを回避した白無垢のフローリングが顔をみせていた。初めて彼女と結ばれて本物に触れた日から煙草とともに日課もやめた。だからといってこれまで愛でてきた彼らを見棄てるような馬鹿なことは考えない。みんなは家族なのだから。家族にはふさわしい席を準備してある。掃除機を片づけ、さっきまで新聞紙を敷いていた箇所に白い布を敷いていく。ひとりずつ身体を拭いてやり、部屋を囲むように並べていく。赤にしようか迷ったけど、こうしてみるとやはり白にして正解だったとひとり満足した。最後に使い古したローテーブルの脚を外してクローゼットのなかに仕舞う。そして中央にひと際光沢のあるシーツを敷き、六帖一間を見渡してあらためて達成感と充足感につつまれた。明日から、ここに小鳥遊優がいる。その光景を想像すると今から待ち遠しかった。

 午後六時、インターホンがなった。買い物袋を持った彼女を部屋へと案内した。リビングドアをひらいたときにみた彼女の顔を、僕は生涯忘れない。期待、好奇、困惑。もう見られないと半ば諦めていたピースを手に入れた。

「これ、なに」

「ええから入って。ひとりずつ順番に紹介するから」

 なかなかこちらに来ようとしない彼女がじれったくて手を引こうとつかんだ途端。

「いやっ──」

 明確な拒絶をもって振りはらわれた。拍子に袋が床に叩きつけられた。白いシーツの上に透きとおった赤い液体が染みをひろげていく。まるで僕の用意した舞台ごと否定されたようで、それは、うまく表せないけど、つまり悲しいことだった。

「まって」

 もう一度手をにぎると、今度はちゃんと受けいれてくれた。それだけだった。踊るようだった表情は沈み、丸みを帯びた肩はかたく小刻みに震えている。彼女を怖がらせてしまったことをひどく後悔した。僕はただ、僕のことを知ってもらって、彼女に永遠の愛を誓いたかっただけなのに。

「驚かせてごめん。悪気はないっていうか、みんなは僕の家族で、最初に紹介したかっただけなんや。やけどやめとく。怖がらせたくないから。でも僕の話は聞いて。ね?」

 軽く手をひけば抵抗なくふたりが部屋に納まった。みんなが見守る中央に彼女を立たせ、僕は片ひざをついてひれ伏すように頭を垂れる。最後に見た彼女の表情が気に食わなくて、再び彼女に顔をむけ微笑みかけた。どうかいつものように花を咲かせてほしい。一瞬でかまわない、その瞳にひかりがもどるまで、僕はこうしてあなたの手をつかんで待つつもりだから。

「ねえ、どうしたの? なんか変だよカズくん。ご飯にしようよ。もう大丈夫だから」

「優さん」

 聞こえないふりをして言葉を続けた。僕はうまく発音できているだろうか。顔は自分でもわかるほど熱く、こわばっている。

「愛してる。あなたは僕だけの女神だ」

 勇気を出して伝えると、彼女はやっと笑ってくれた。困惑と照れのまざった命の信号が手首から伝わる。

「幸せになろうな」

 僕がいつまでもそばにいる。僕たちは永遠に家族になる。

「……うん、うれしい」

 彼女の頬には赤みがさし、瞳には変わらない優しさが灯っていた。歪なみんなの中で咲いた一輪の花だ。

 晴れの日も雨の日も、健やかなるときも病めるときも、如何なるときもあなたを愛すると、誓います。

 胸もとでじっとしている長年をともにしてきた相棒に手をかける。指先はもう迷っていなかった。染みは、止めどなくひろがりつづけた。

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ぼくだけの花よめ 白川迷子 @kuroshi

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