第14話


「行かないと……」


 総司は、血を這うように、雪の上を進む。


 彼の通過した後には、長い血の跡が残っていた。


 そこまでして彼が向かう先、そこにいるのは彼の好きな子だ。


 黒髪の長髪が似合う、いつも元気な笑顔の似合う女性。自分のことを十七歳とかみえみえの嘘をつくが、そんなところも可愛らしい魅了を持つ存在。


 そして、この世界における総司の唯一の見方。


「寿……さん」


 総司は、たどり着いた。


 好きな人に見てもらえるような顔色でもないが、そうも言ってられない。


 総司は手を伸ばし、折れた木の幹を背に座る寿の膝を触った。


 冷たい雪を触っていたせいか、総司の手に感触はないはずだ。それでも、総司は確かな温かみを感じた。


「寿さん、終わったぞ」


 総司がうつ伏せのままそう言うと、俯いていた寿と目があった。


「お疲れ様、総司君」


 彼女は優しく微笑んでいた。


「俺さ、あいつ、倒したぞ」


「ふふっ……逃げられたんでしょ?」


「倒したも逃げたも変わらんだろ」


 寿の声を聞いて、総司は少し安心したように脱力した。


「なあ、寿さん」


「なあに? 私のことが好きな総司君」


「……聞いてたのか」


「まあね、で? どしたの」


 寿はいつもと変わらない様子で総司に尋ねた。


 だから、総司も悔しくていつもと同じ感じで言った。


「俺、寿さんのこと好きだ」


「……そう」


「だから……」


「待って」


 寿は、総司のセリフをそこで止めた。そして、総司の頭にポンと手を乗せた。


「その先は、私と同じ目線で、言ってくれる?」


「……分かったよ」


 総司は唯一使える右手で、体を起き上がらせた。


 いよいよ、寿と向かいあう。


「俺と、付き合ってください」


「……総司君」


 寿は愛おしそうな声をあげ、静かに総司を抱きしめた。


 好きな人からのハグに少し顔を赤くしながら、総司は手を寿の後ろに伸ばした。


 寿は、その状態のまま口を開いた。


 総司の耳元で微かな声が発せられる。


「嫌だよ、ばぁーか」


「!?」


 ブシャッ


 総司が痛みに気づいた時、それは総司の背中に鋭い『ナイフ』が刺された時だった。


「……え」


 何が何だか分からず、総司は寿の後ろに回していた手を下げた。


 下を向けば、左肩の少し下、胸の辺りから伸びている銀色のナイフが目に入った。


 それは、背中から貫通している。


「寿、さん?」


「なぁに、総司君」


「これ、は?」


「ん?ナイフ、だよ」


 寿はそう言って、ナイフを総司に刺したまま、回転させた。


「ぐぁぁあああああああ!!!」


 総司が痛みに顔を歪め、悲鳴をあげる。


「……はぁ、はぁ、どうして!?なんでだ」


 総司は、そこでようやく状況を理解した。


 今、自分が刺されているのだと。目の前の女、寿によって。


 総司はとにかく距離を取ろうと、一歩分下がった……が、それ以上は進めずに仰向けに倒れた。


 ドサッ……


 ナイフは寿によって抜かれており、彼女の手には血だらけになったナイフがあった。


 総司は虚になる視界の中、平然と立ち上がり己を見下ろす寿が見えた。


「ふふふふふっ」


 寿は不敵に笑っていた。


「ふふふっ、その顔!その顔が見たかったわ!総司君」


「お前、何者だ……」


 それは、これまで総司が分かったつもりでいた寿の様子と大きくちがう。寿は、いつも明るくて元気な女の子なのだ。こんなサイコパスチックな狂人とは違う。


 目の前の女性は、彼の知る寿ではないと、総司は尋ねる。


「寿さんを、どうした!?」


 すると、それを聞いた寿はさらに笑った。


「はははっ!さいっこうだよ、総司君!こんな時でも『寿さん』の心配?」


「どう……したんだ!」


 飛んでしまいそうな意識を繋ぎ止め、やっと思いで叫んだ。


「寿さん? ここにいるじゃん!私が寿さんだよ?」


「違う、寿さんは……」


「ううん、違わないよ、総司君」


 それは、真剣なトーン。ふざけている様子は全くない。


「私は、『君が知ってる』寿さんで間違い無いよ」


 いまだにその意味を掴みきれない総司は黙って目の前の女を見ていた。


「君が初めて会った私、あれから今までの私は全部私だよ。ぜーんぶ演技、『嘘』だったんだよ!」


「……嘘?」


「そう!う、そ!そもそも、見ず知らずの冴えない男を無償で助けるわけないでしょ?」


「でも、この一ヶ月……」


 総司は、確かな暖かみを感じていた。


『あれも嘘だと言うのか?』


「嘘だよ!!」


 その言葉に嘘偽りはない。即答。


 寿はニヤリと笑うと、歯を光らせた。


「私の目的それはね、君を殺すこと……そして、今の、絶望に染まった君の顔を見ること!!」


 そう言って寿は恍惚とした表情を浮かべる。


「そう……か」


 そこで総司はいよいよ全ての現実を受け入れた。


「貴方の知っている『寿さん』はね、ずっと『嘘』をついてたの」


 そう言った途端、寿の顔が変わっていった。


 粘土のように整った顔がぐにゃりと歪み、新しい顔を形成した。


 それは、十代後半のハリのある肌。綺麗な黒髪は金髪に変わる。ツンッと尖った目がいかにも小悪魔という見た目をしている。


「改めましてこんにちは、総司君!これがホントの私……いや、それすら嘘かもね!」


「お前、は……」


 総司は寿……だった存在を見つめながら、一つ尋ねた。


「私は春国の名無し。名前がないの」


「名無し?」


「そ!でも、あえて名付けるなら……」


 女は、総司の髪の毛を掴むと、無理やり顔を上に上げさせた。


「……っ」


 痛みで顔を引き攣らせた総司と女の目が合う。


「私の名は、『エイプリル』……嘘をつく者。そして、嘘を楽しむ者だよ!!」


「エイプリル……」


「ほんと、総司君、最高だったよ!私が適当に優しくしてやればつけあがってさ……好きです!なんて、……ぷふふ」


 寿、否、エイプリルは髪の毛を引っ張りながら顔を近づけた。


「笑えたよ! 総司君」


「テメェッ」


 総司は唯一使える右手をエイプリルの顔面めがけて繰り出すが、それは簡単に避けられた。


 エイプリルの手が総司の髪から離れる。


「おい、こと……いや、エイプリル」


「どうしたの?」


「俺は殺されるんだろ?」


「そだよ!」


 何が楽しいのか、エイプリルは笑顔で言った。さっきまで自分がもたれかかっていた木の幹に腰を下ろした。


「なら、聞かせてくれよ……お前の加護の力」


「いいけど……嘘かもよ?」


「それでいいよ」


 落ちそうになる瞼を懸命に開き、総司は続きを促す。エイプリルは少し考えてから、口を開いた。


「私の加護『エイプリル・フール』はね、『嘘を貫く』力だよ!例えば、別の誰かになりすましたり、ね」


 別の誰か、言うまでもなく今回は『寿』のことだ。エイプリルは、冬国にいた二番隊隊長寿になりすまし、総司に嘘をついて楽しみながら殺す機会を窺っていたのだ。


「お前、もしかして寿の前は『秋国』の誰かになりすましてたのか?」


「お、よく分かったね」


「大方、例の『占い』の加護の情報もそこで知ったってところだろ?」


 エイプリルはそこで黙ってしまった。


「ホント、ここで君を殺せておけるのは、良かったよ!頭の回転も早いみたいだし、あの月美ちゃんを撤退させるだけの強さも持ってるみたいだしね」


 そう言いながら、エイプリルは懐から包み紙に包装された飴のようなものを取り出し、口に放り込んだ。


「……んっ、これ甘いな」


 どうやら飴のようなものは薬だったようだ。エイプリルの身体の傷がどんどん治っていく。


 そこで、自分の身体が修復したことを確認したエイプリルは、よいしょっという可愛い掛け声とともに立ち上がった。


「なぁ、ほんとに俺、殺されるのか?」


「そだよ!君は私の敵だからね」


「……エイプリル、最期に教えてくれ」


「総司君それさっきも聞いたよ!」


 断られそうな雰囲気を感じ取り、総司は断られる前にと質問した。


「どうやって入れ替わってるんだ?」


「……?」


 そこで、エイプリルが聞いてくれると思い、総司は丁寧に尋ね直す。


「お前、もともとここに住んでた寿って奴と入れ替わってたんだろ? でもその能力、自由に使えるわけじゃないよな? だって、それができるなら冬の神……『黒姫』になることだってできるはずだ」


 総司の考えはこうだ。


 それができるのなら、彼女が『神』を偽り、本物の方を殺すことだって出来るはず。もしそれが難しくても、神の取り巻きの一人にさえなればそれで暗殺して、季節を消すことができる。


 すると、エイプリルはニンマリと笑顔をきめた。


「よく分かるね君……私の『エイプリル・フール』の能力の一つ、『変装』はね、『一度相手を騙し切ること』が条件なんだよ!」


「騙し切ること……?」


「そっ! 私が『誰か』に変装した状態で交流を深める。それで、最後に実は嘘でした!って……そこで、騙し切ることができてたらこの『変装』が使えるんだよ!」


 それはつまり、エイプリルが『本物の寿』の近くで『誰か』になりすましており、騙し切ったということになる。


 だからこそ、エイプリルは寿になることができているのだ。


「まて、じゃあ本物の寿って奴はもう……」


 死んだのか? そう尋ねる。


「……んー、死んではない、よ」


 エイプリルは自分の頬に手を当て、少し上を見て考える。


「私はこの屋敷に『メイド』になった、それで、『寿』を騙し切り、寿になることができたんだよ」


 そこで、ため息を一つつく。


「私の能力はね、一つだけ欠点があって、変装する相手が『生きている』ことが必須なんだよ。だから、私は『寿』にはなれるけど、『メイド』にはなれない」


 つまりは、メイドはもう死んだということ。


 そこまで言うと、エイプリルは急に目を輝かせた。いいアイデアでも思い浮かんだのか、その目で総司に詰め寄る。


「そうだ、総司君! まだ君を殺してない今なら、私、総司君にもなれるんだよ!!」


「……!?」


「私は君を騙し切ったからね!君を殺すのは、君自身……うん!フィナーレには最高じゃない!?」


 エイプリルはそこまで言うと、ナイフを手に持ったまま、恍惚とした表情で能力を使用する。


「変装【総司君】」


 すると、エイプリルの身体に変化が生じ始め……




 なかった。


 エイプリルは先ほどと同じ状態でその場に立っている。


「……? 変装【総司】」


 首を傾げながらもう一度唱えるが、それでも何も変わらない。十秒経っても三十秒経っても……。


「あれ?おかしいな」


 エイプリルはそれから何度か挑戦したが、一向に変化はなかった。


「変装【そうじ】」


 五回ほど唱えた時、次に口を開いたのは総司だった。


 彼は、仰向けに倒れたまま、エイプリルに向けて言葉を放った。


 それは、不敵に笑う道化師のようだった。


「あっ、そういや寿さん……俺も言うことがあるんだった」


「言うこと?」


 エイプリルは目を細め、総司を見下す。


「そそ、お前は俺に『嘘』をついてたよな?」


 エイプリルは眉を顰め、黙って話を聞いてる。

 その表情を見た総司はかえって楽しげに口を動かした。


「実はさ、『俺も』だよ」


「……どういうことかな? 総司君」


 静かな怒り。計り知れない憎悪がエイプリルから放たれる。嘘は彼女の専売特許。それを目の前の男が使用していたと聞いて許せるほど、彼女の器は大きくなかった。


「『見ず知らずの冴えない男を無償で助けるわけない』だったか?ああ、まさしくもって俺も同意見だ」


 総司は、体を起こし、右手の人差し指を思いっきりエイプリルに突きつけた。


「けど、俺はお前を信じようとしたんだぜ? そんな善人もいるのかもってさ……事実、俺はお前に『恋』をしてたよ」


「ねえ、さっさと説明してくれるかな?」


 エイプリルの悔しそうな声を聞いて、総司は笑った。


「いやだよ、ばぁあか!!」


 瞬間、『エイプリルの』足元から『門松』が生えてきた。それは、竹槍のようにエイプリルの足の裏に穴を開けた。


「がぁぁあ!! おい、総司!どう言うことだ、説明しろ!!」


 エイプリルは悲鳴を上げながらも、素早く足を引き抜くと、傷ついた足を前後に動かし、総司の前まで行って彼の胸ぐらを掴む。


 そして、グイッと引っ張った。


「まさか、開いたな!? あの部屋を!!」


「そうだよ、『掃除ができないふり』をして、ゆっくり丁寧にな!!」


 刹那、ほぼゼロ距離になった二人を別つかのように、総司とエイプリルの顔の間に、『羽子板』が現れた。


 そして、二人の頭の上で声がする。


 それは、透き通った女性の声だった。


「『私の』総司君から……離れろ!!!」


 羽子板はそのままエイプリルの顔面に直撃した。


 羽子板の効果、『カウンター』が発動し、彼女の体は、後方二十メートルは吹き飛んだ。


 そして、総司の前に立っていたのは、『着物』を着た美しい女性だった。真っ黒な長髪をたなびかせる立ち姿は、美しい一輪の花を彷彿とさせた。黙っていれば『上品な大人』と言う言葉が最も似合う存在だろう。


 そんな女性は、パッとその場にしゃがむと、総司の顔を覗き込んだ。


 そして、上品さとはかけ離れた質問を総司に繰り出す。


「総司君!!大丈夫?顔近かったけど!キスとかされなかった?匂いを嗅がれたり、舐められたりしなかった!?」


 それは、美しさを全て台無しにする残念発言だった。


「大丈夫だからそれ以上近寄るな『寿』、本当にお前の方が正解だったとは……」


 総司が寿と呼ぶ存在。


 彼女は間違いなく冬国二番隊隊長、寿その人だった。事実、見た目はエイプリルが化けていた寿と全く変わらない。


「うぅ……本当に、何もされてないんだよね?私の総司君」


「何もされてないって……というか、俺はいつお前のものになったんだよ」


「そりゃあ、私を『開かずの間』から救い出してくれたあの日からだよ!!」


 開かずの間から救い出した日……それは、総司がこの屋敷に来てから二日目のことだった。あの日、総司と寿(エイプリル)は掃除をしていた。


 そこで、『寿の善行』にどうも納得がいっていなかった総司は、前日に屋敷の奥で見つけていた『カギがかかった部屋』に何かあると感じ、そこを別の部屋にあった『バール』でこじ開けたのだ。


 それ以降、寿(エイプリル)がやって来ないように、ずっと掃除をしているふりをして道を塞いでいた。


「まさか、そこに本物の寿が幽閉されてるとは思わなかったがな……しかも、あんなガリガリの状態で」


 エイプリルの言うように、彼女の能力『変装』は、相手が生きていないと発動出来ないらしい。だからエイプリルは寿を閉じ込めていた。


 屋敷の鍵のかかった角部屋で寿は、いくつかのペースト缶と共に放置されていた。


 総司がバールでやっとこさ扉を開けた時、そこは物凄い悪臭が立ち込めていた。そして、そこにいたのだ。虚な目でやせ細った『寿』が。


 彼女は、手足や口を拘束された状態で床に倒れていた。痩せ衰え、直視するのも憚られる様子だった。


「初めは必要最低限のことしかしか話さない、廃人だったのにな……」


「でも、そんな私に……それこそ、暗くて臭くてヒョロガリだった私に、いつもご飯を持ってきてくれたでしょ?お世話をしてくれたよね?」


 そう。総司が『ご飯係』として多めにご飯を作っていたのは、何も寿(エイプリル)がたくさん食べるからという理由だけではない。


 本物の寿にご飯を運ぶためだったのだ。


「にしても、本当にあの寿さんがエイプリルだったなんてな」


「だから言ったでしょ!? あれは敵だって」


「でも、信じたかったんだよ」


「好きだから?」


「そう。でも、もういいよ、あいつは敵だったらしい」


 総司は諦めたように目線を下に下げた。

 そして、そんな総司に掛けられる明るい声。


「……総司君! 実はこの私、『本物の寿』は、総司君のこと好きだよ!!だから私と付き合おうよ!ほら、顔もあの女と同じでしょ?」


 寿はそう言って覗き込んだまま総司に笑いかけた。彼女は顔を赤らめて、返事を待つ。


 が、総司は照れることもなく平然と言った。


「実はって……知ってるよ、そのくらい。何回聞いたと思ってるんだ」


「じゃあそろそろイエスと言ってもらおうか」


「残念ながらそりゃ無理だ。俺が好きだったのは、付き合いたかったのは寿さんだ。お前じゃない」


 総司は自分で言っていてもめちゃくちゃなことを言ってるのは分かっていた。それが叶わぬ願いであることも。


 寿は振られた……が、そんなこと彼女にとっては日常茶飯事のことだった。


「もう、いつまでも靡かないなぁ、総司君は……まっ、そんな一途なところも好き!!」


「……はぁ、無駄話はいい、今はエイプリルを殺ってくれ」


 動けない総司は、後方に飛んで未だに立ち上がれていないエイプリルを指差した。


 寿は、それに笑顔で応える。


「もちろんだよ!私の恋敵、絶対に仕留めてみせる! 今日までの怒りを込めてね」


 寒い冬空の下、寿はエイプリルに向けて歩き出した。

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追いこまれた冬派(4%)、異世界の大掃除を決行する。 @himejinn

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