第13話

「こんな寒い季節、無くなっても誰も困らんよの」


 総司をうちのめした月美による、誰に向けたわけでもないそんな呟き。


 しかし、それに応える声があった。


「おい、この世界の四パーセントに謝れ、兎女」


 視界の悪い雪の中からする男の声。


 すると、月美は少し目を見開いて声のした方を見た。


「おいおいおい、お主、しつこすぎんか?」


「はっ、そりゃあな……」


 煙が次第にはれ、そこには真っ赤な血を垂れ流す総司がいた。手に持つホウキは、柄が完全に折れている。


 それ以上に身体はひどいものだった。目の上は青く腫れ上がり、もともと使い物にならなくなっていた左腕はあり得ない方向に曲がっている。


 しかし、彼は死んでいなかった。彼の目は生きていた。


 そして、血がなくなって青白くなった唇を、彼は動かした。


「惚れた女の前だからな」


 それが再び二人の何回戦目を知らせるゴングの合図となった。


「リリース【ホウキ】」


 新しいホウキを召喚し、総司は月美に向かった走った。


「ははっ、お主にいいことを教えてやろう」


 月美は、木槌を構え直して、迎え撃つ姿勢をとる。


「我々が占ったこと、それは『近くにいる強敵』などではない」


 そのタイミングで、総司のホウキが月美の喉元を捉えた。


 しかし、それはひらりと簡単にかわされる。


「我らが知りたかったこと、それはの……『今後、秋国の脅威になりうる若芽』だ」


 総司はホウキを手元までまた引き、二度目の突きを放つ。


「まだまだ『若芽』だからこそ、ここにやってきたのは『兎飛び』でどこへでもジャンプできる、我一人!!」


 三、四、五……


 総司は耳を傾けながらも、攻撃の手を緩めない。総司は分かっていたのだ。次の攻撃を受ける時、それは己が倒れる時だと。


「今回、寿というイレギュラーもあったが、間違いない。我々の目当ては総司とやら、お主だ!!」


 月美はホウキの攻撃など気にした様子もなく、木槌を軸に右へ左へと舞うように避けた。


 そこで、無駄だと悟った総司はひとまず月美から距離を取った。


「つまり、お前は俺を倒すために、秋国から『一歩』でここまで来たってわけか」


「その通り!であるから、我はこれから最強の一撃必殺技でお主を屠ることにする」


 月美の目が変わった。


 それは、おおよその草食動物がする目ではない。むしろ、草食動物を襲う肉食獣の目をしていた。


 赤く光る。


「さらばじゃ、冬国の日本人よ」


 兎は、笑顔でそう言うと、空高くに手を上げた。

 

 そして唱える。


「リリース【臼(うす)】!!」


 臼の召喚。それは、上空に浮いていた。


「でけぇ」


 半径十メートルほどの餅臼。


「まさか!?」


 総司が叫ぶと同時に、月美は脚力を利用して飛び上がった。


 臼の目の前に浮かび上がる。


「お主の諦めの悪さ、嫌いではなかったぞ」


 月美は、木槌を臼に向けて、思いっきり振るった。


 ゴンッッ


 餅臼に木槌が衝突し、臼が勢いをつけて落下する。


「くそがぁぁあ!!!」


 それは、生物が最期に見せる咆哮。


 総司は直感で分かっていた。あの速度で迫り来るものを避けることは無理だと、ホウキで防ぐのも無理だと。


 しかし、諦めてなどいなかった。


 彼の奥深くの心象、それは『生きたい』という純粋な単純なもので埋め尽くされた、


 なんの確信もない。ただ、総司は自分が生きるためにどうしたらいいのか、身体の赴くままに行動した。


「おらぁあ!!」

 

 それは、『投げる』という行動。


 投げたものは、もちろんホウキだ。


 ホウキなど、投げたところで衝撃を和ませることなどできない。


 しかし、総司は右手にホウキを握りしめ、槍投げの要領で臼に向けて、ひいてはその先にいる月美に向けてホウキを放った。


 そして……


 ビュンッッ


 ホウキは空気を切り裂きながら、真っ直ぐに突き進んだ。


 それは、空気の抵抗や重量など全てを無視し、鳥のように、弾丸のように、紛れもなく『飛んだ』。


「……え!?」


 驚いたのは総司だった。普通のホウキだと思っていたものが飛んだのだから。


「いや、まて、これは……」


 そこで総司の脳内に一つの可能性が出てきた。


「魔法の……魔女の、ホウキ」


 魔法使いのホウキは空を飛ぶ。


 これは、日本人ならみんなに刷り込まれてきた常識だ。もちろんフィクションの話だったが、かの有名な魔法学校に通う話も、黒猫を連れた宅急便の話も、みんな『ホウキで空を飛ぶ』。


「もしかして、ホウキの可能性ってのは……」


 その時、臼とホウキが衝突した。


 その重みは、ホウキを操る総司自身にもかかってくる。


 しかし、ホウキは止まらない。


 臼を、何百キロ、何トンはある月美特製の臼を、押し退けた。


 臼は勢いを失い、そのまま地面に落下していく。


 それでもまだあまりあるホウキのスピード。


 もはやホウキではない。そこにあるのは『槍』だった。


「……なっ!?」


 自分が木槌を振るって送り出した臼が、重力に引きずられるように落下していく様を見て、もしくは、自身に迫るホウキを見てか……


 月美は驚きの声をあげた。


 そして、


 放たれたホウキは月美の頬をかすめ、そのまま大気圏にまで飛んでいってしまった。


「感覚が、途切れた」


 しばらくしてから、ホウキとの繋がりを失ったソウジがそう呟いた。


 ドサッ


 臼が地面に落下する。


 そしてそれとほぼ同時に、空に上がっていた月美が地面に着地した。


 彼女は頬から血を垂らしながら、総司を睨んだ。


「お主、やはり生かしてはおけぬ」


「リリース【ホウキ】」


 総司は、新しいホウキを生み出すと、また槍投げ選手のように足を開き、思い切り後ろにホウキを引いてから、放った。


 ビュンッッ


 一直線に月美のもとへ。


 しかし、真っ直ぐなコースで、月美は簡単に避けた……


 が、ホウキは自由自在。


 総司が手をくいっと招くと、それに従ってホウキは月美を追跡した。


「ちっ、面妖な」


 ガンッ


 月美が避けられないのならと、木槌でホウキを潰した。地面でホウキが粉々になる。


 しかし、それで止まる総司ではなかった。


「なら、いくらでもくれてやるよ」


「……お主、いい加減不愉快である」


「リリース【ホウキ】【ホウキ】【ホウキ】【ホウキ】……」


 総司は次々とホウキを生み出すと、持っては投げ、持っては投げを繰り返した。


 月美は一つ一つ木槌で撃ち落としていく。


 防戦一方。


 この言葉が最も似合う戦場へと変わる。



「俺は右手さえあればいくらでも放てる。この手を残したこと、後悔しろ」


「……ああああああああっっ」


 月美は、怒りのこもった声を出しながら、両手で木槌を握りしめ、次から次に飛んでくるホウキを薙ぎ払っていく。


 木槌は重くて小回りの効かない武器。


 月美は、一度防ぐにもかなりの体力を消耗していた。


「おらおら、まだいくぞ!」


「今すぐ止めよ、総司ぃい!!」


 総司は止まらない。月美の周りには、粉々になったホウキが散乱し、しばらく時間が経てば光となって消えていった。


 五分。十分。十五分。


 そして、三十分が経過した頃。


 グサッ


 ついに、ホウキを追いきれなくなった月美の下腹に、ホウキが刺さった。


 ボタッ……ポタポタッ


 血が月美の腹から滴り落ちた。


「リリース【ホウキ】」


 総司は攻撃をやめなかった。


 そして、再び放たれたそのホウキは、月美の方目に突き刺さった。


「ガァァァアア!!!!」


 月美が悲鳴をあげる。


 プチュっという不快な音を立て、ホウキが二つとも月美から抜けた。


「ぁああ、あああ」


 片目を手で覆い、月美はうずくまる。


「はぁ、はぁ……」


 そこで、総司は力尽きた。


 ホウキを召喚するにも体力を消費する。ただでさえ月美にやられてボロボロだったのに、さらに自分に負荷をかけたのだ。


 膝から崩れ落ち、うつ伏せで倒れた。


「ああっ……あぁ」


 敵を逃してたまるかと、総司は顔だけ月美に向けた。


 彼女は、彼女は立ち上がっていた。


 右目から血を流しながら、立ち上がった。


 そして、人差し指で総司を指差した。


「お主、絶対に、いつか、殺す」


 左目でキツく睨みつけ、木槌をほっぽり出したまま、月美は腰を低くした。


「兎飛び……」


「待て、逃げるのか兎女!!」


 それは、遠くにジャンプするときの動きだと総司も分かっていた。


 しかし、総司の言葉になど耳にも留めず、目線だけで語った。「次はないぞ」と。


 総司は、自分の圧倒的不利を感じ取り、黙った。


「脱兎!!」


 瞬間、月美は消えた。遥か上空へと。


 静かになった空間。


 総司と寿と、バラバラのホウキのかけら、持ち主を失った木槌……そして、白い雪と赤い血、そんな異質な空間。


「これが、異世界……か」


 総司の声が青く澄んだ空に消えていった。

 

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