崇拝のその先に

宮川雨

崇拝のその先に


 朝目を覚ますとまず目に飛び込んでくるのは彼の美しい顔だ。天井や壁など部屋中に貼られた様々な表情はどの角度からみても美しい。

 私はその顔をぼんやり見つめながら今日も神様に感謝する。神様、彼を地上に降ろしてくださり誠にありがとうございます。そうして神様への感謝を行った後、私はベッドから起き上がって写真に写っている雄志ゆうしくんに朝の挨拶をする。


「おはよう、雄志くん。今日はとても天気が良くていい気分だよ。え? ふふ、そういえば今日はお仕事お休みだったね、どこかいくのかな?」


 これは毎朝行う私の日課だ。雄志くんに今日一日どう過ごすのか話をするのが私の幸せな時間。私にとってもだけど、きっと雄志くんにとってもそうだろう。だって毎朝こうしてお話してくれるんだから。

 そんな幸せな時間を過ごしていると、ドアの外から幸せな時間を壊す嫌な声が聞こえた。


「ちょっと由梨! あんたまだ起きてこないの!? 朝ごはん片付かないんだけど」


 そういってノックもせずにその人は私の部屋をドアを開けた。最悪、今まだお話の途中だったのに。


「なに姉さん、いま大事なところなんだけれど」


「だから朝ごはん! さっさと食べてバイトにいく支度しなさいよ。それにしても、相変わらずひどい部屋。なんでよりにもよって雄志なんか好きになるんだか。あんた本当に悪趣味」


 そう言われた瞬間、身体中の血が沸きあがるような感覚がした。この人はいま一体何をいった? 


「何を言っているの、雄志くんは最高の人よ。笑顔が素敵で、ファンの女の子たちにも優しくて共演者の人にもよく気にかけてくれる最高の人よ」


「ああ、そうだね。確かに顔はいいけれど、ファンの女の子や共演者の女の子を目につけてとっかえひっかえ遊んでいるっていう噂がたっていて、事務所も頭を悩ましているアイドルじゃない」


 ああ、この人はそんな低俗な噂を信じているのか。あまりにも哀れな人。雄志くんは神様が天から降ろしてくれた存在、そんな下賤なことをするわけがないじゃない。

 とにかくさっさとご飯を食べてバイトに向かわないと今度は父さんたちまででてきて面倒なことになる。ここは大人しく下に向かおう。


「いま下にいくからとにかく出て行って。すぐに向かうわ」


「そうしてよ、それじゃあ」


 姉はそう言うとドアを閉めて自分の部屋へと向かったようだ。私は深いため息をはいたあと、壁に貼られた特にお気に入りの写真に向かって声をかけた。


「じゃあ今日も雄志くんのためにバイト頑張ってくるね、行ってきます」




 私がバイトをしているのはそれはもちろん雄志くんのためだった。彼がでるライブに行くのはもちろん、動画配信などを行っている時に少しでもお金を投げるためにも必要だった。でもお小遣いでは賄いきれないため、こうしてメイド喫茶のバイトをしている。

 普通のファミレスとかのバイトより給料がいいところで働くことができたのは幸いだった。客はめんどくさい人たちが多いけれど、雄志くんのためだと思ったらなんでもなかった。電車に乗って3駅ほどの場所で通いやすいし。

 そして今は冬休みのため高校の授業もなく稼ぎ時だ。私は入れられるだけバイトを入れたため、いまこうして電車に乗ってバイト先に向かっている。それにしても、電車の中に乗っている人たちは猫も杓子も同じような顔をしてスマホやら本やらを見ている。

 しかし、そんな中で私は光る存在を見かけた。


「雄志くん…?」


 そう、私の愛してやまない雄志くんだ。その存在を認知した瞬間、声をかけようと人をかき分けて彼のもとへ行こうとした。雄志くん、雄志くん、私よ! 覚えているでしょう、だってライブの時私といつも目が合うし、前は握手会で髪型をほめてくれた! 可愛いって言ってくれた! ほかの人たちは気のせいって言っていたけれど、そんなことはない。だって私たちは愛し合っているのだから。

 雄志くんのもとへ行こうともがいていたが、次の光景を見て私は思わず言葉を失った。彼は隣にいた女性の方を抱きしめて微笑み合っていたのである。

 

 あれは誰? 雄志くんに見える別の存在ではないか? いや、でもあんなにも光り輝いている存在が雄志くんでないはずがない。じゃああの隣にいる女はだれ? 彼に姉や妹はいなかったはず。従妹にもそんな仲のいい子がいるなんて情報はなかった。

 つまり、あの女は…? そこまで考えると急に気分が悪くなり、吐きそうになった。ちょうど次の駅に着いたため私は急いでその電車から降りて空いていたベンチに座り込んだ。


「雄志くんは、私のことを愛していなかったの…?」


 10分間そのベンチに座って冷たい空気に触れていたら気分も落ち着いてきた。しかし思考はとまらず、ある答えにたどり着いた。私はその答えを導き出したと同時にスマホである物が売っている場所を検索し、その場へ向かった。




 雄志くんがどこに住んでいたのかなんてとっくの昔に知っていた。だって彼のことを誰よりも知っていたかったから。家族構成や出身地、学歴、その他諸々も。女の影があるのも本当は知っていたけれど、ずっと見て見ぬふりをしていた。

 だって彼は神様が地上に降ろした尊い存在、そんなことをするはずがない。そう思い込んでいた。でもいま彼は地上の空気に触れて穢れ切ってしまったのだ。あの頃の綺麗で尊い存在はもういない。

 夜になり雄志くんの住んでいるマンションの付近で彼を待っていると、少しふらつきながらマンションに向かってくる人がいた。雄志くんだ。私は彼に近づいて声をかける。


「あの! 雄志さんですよね。私、実はずっとあなたのファンで…!」


「んー? えー、本当に? 嬉しいなあ、こんな可愛い女の子がファンだなんて。ねえねえ君、名前は?」


「由梨です」


「由梨ちゃんかー、本当に可愛いな。ねえ、よかったら俺の部屋に遊びにきなよ。楽しいこと一緒にしようよ」


 私は自分の名前を言っても私だと気が付かない雄志くんに最後までなんとか保っていた糸がぶちん、と切れた音がした。そっか、あんなにも何度も握手会にいって名前を言っても、投げ銭を投げても認知すらしてくれなかったのね。

 

「どうしたの。あ、もしかして寒いのかな? ほらこっちおいでよ」


 そういって無褒美に私の方に近づいてくる彼を見て、彼はもう地に落ちたのだと確信した。ダメだ、地に落ちたのなら私が天に返してあげなくちゃ。だって彼は綺麗な姿でいてこその人なのだから。

 私はコートのポケットにしまっていた刃物を取り出して何のためらいもなく彼の胸にその刃物を突き刺した。雄志くんはなにがなんだかわからないって顔をしている。


「地に落ちた存在なんていらない。さようなら」

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崇拝のその先に 宮川雨 @sumire12064

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