9 マルティの想い
彼女たちが部下になってはや一週間。ずっとマルティとの関係はぎくしゃくしたままだった。
これじゃ、らちが明かない。
ここはやっぱり、上司の私から話を振った方がいいだろう。
終礼のあと、私はマルティを呼び止めた。
「マルティ、ちょっといい……?」
彼女は戸惑ったような表情を見せながらも、意を決したようについて来てくれた。
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園庭の隅っこのほうに設置された従業員休憩スペースは、主にタバコを吸う人の貯めのスペースだ。今の時間は誰もいない。
黒塗りのベンチに二人で腰掛けると、私たちの距離は自然と人一人分、空いていた。
これがマルティとの今の距離なんだと、改めて心に刻んで話を切り出す。
「えっとね……キュウから貴女のこと聞いたわ」
他人から自分の話を聞いた、というのはあまり気持ちのいいものではない。それが苦手な上司ならなおさらだ。でもあえて切り出すと、マルティは目線を合わせないまま身を固くした。
想像通りの反応に良心が痛む。しかしここから話を始めなければ、私たちの関係はずっとこのままになってしまう。
マルティの反応を見ながら言葉を選ぶ。
今、私が一番伝えたいことは――。
「足抜けした時にものすごく心配してくれてたこととか。私なんかに憧れて、二丁銃使いになったこととか。自分がこんなに有名になってるなんて知らなくて、貴女みたいな子がいることも知らなかった。……ごめん、これは言い訳ね。ともかく、心配してくれてありがとうって、まずは伝えたかったの。そして、傷つけちゃって、本当にごめんなさい」
どんな形であれ、彼女の尊敬や信頼を裏切ってしまった。
それを、まずは素直に謝りたかった。
そのうえで、彼女の言葉が聞きたかった。
「貴女が私のことを嫌う理由って……それよね?」
尋ねてみるも、返答はなし。
無視しているという感じじゃなくて、彼女も言いたい事をいくつも持っていて、それをまだ言葉にできない感じで。
沈黙が重い。
なにか喋りたくてしょうがないけど、彼女の発言を奪ってしまいそうなのでぐっと堪える。
マルティは言葉に迷っていたけれど、意を決したように私の方を見て言った。
「――結婚して、本当に幸せでしたか?」
いきなりの直球。言葉に詰まる。
それでもなんとか言葉をひねり出して、答えた。
「正直に言えば、幸せだった時もあるし、幸せじゃなかった時も……たくさんあったかな」
「じゃあなんで、その結婚生活を捨ててここに戻ってきたんですか?」
マルティがそう思うのも当然だ。逆の立場だったら私だって同じ質問をする。
周囲が死んだという中で必死に弁解までしたのに、実は結婚して足抜けしてて、そしたらいきなり業界に帰ってくるなんて。
傍から見たら行動が支離滅裂だし、不満に思うのもわかる。
そこでマルティが意外な事実を口にする。
「借金を理由に離婚されたんだと、婦長様がおっしゃっていました」
な、何で知ってるの?
個人情報を漏らされては困りますよ、婦長様……。
驚きが顔に出ていたのか、マルティが補足説明してくれる。
「勘違いなさらないでください。婦長様と私は大叔母様と又姪の関係なので、私室に呼ばれることもあるのです。そこでご当主様に電話でお話しされているのを、私がうっかりと聞いてしまったのです」
血縁者だったの?! 確かによく観れば目元がよく似ている。
そんなどうでもいい驚きは無視して、彼女は話を戻して続ける。
「私には結婚というものがわかりません。見聞きした話では、末長く愛し合うものだと思っていました。それが幸せな家庭だと、――調べた限りでは、そう書いてありました」
……もしかして、私が足抜けした理由を知って調べてくれたのだろうか。
俯いたマルティにつられて私も俯いてしまった。
だって、私も同じように思っていたから。
結婚したら愛し合って、尊敬し合い、助け合い――そうやって気持ちをやり取りしてひとつの家庭を築いていくものだと、信じていた。
「借金背負ったら、夫は妻を捨てるんですか? それが幸せな結婚生活だったんですか? そんなことするために業界を辞めたんですか?」
マルティから漏れ出す怒りが、とても苦しい。
私が過ごした結婚生活に彼女が憤るなんて、いろいろ間違っているとは思う。結婚生活をしたのは私であって、彼女ではない。彼女が憤って良いのは、私が業界を捨てたというその無責任な行動に対してだけだ。
でもそんなマルティを見てても、私は理不尽なんて思えなかった。
だって、マルティの顔が泣きそうに見えるのは、きっと気のせいじゃない。
どうして泣きそうなのかなんて――ちょっと考えれば、解る。
「私は、貴方と仕事をしたくありません。……もうしわけありません」
そう言って立ち上がり去っていく後ろ姿を、私は見ている事しかできなかった。
=====
とぼとぼと屋敷へ戻るとキュウが心配そうに出迎えてくれた。
「ベルナ姐さん……」
「マルティと話してきたわ。いや、鋭いよね、あの子」
笑ってみるけど、キュウの表情は晴れない。
……そうだよね。自分でも今、酷い顔をしてるって思うもの。
すると唐突にキュウが頭を下げた。
「ごめんなさい。実は、心配になって後つけてたんす……。話、全部聞いてました」
そうか、彼女だったのか。なんとなく、誰かが聞き耳立ててる気がしたけど。
さすが隠密というか、気がする程度にしか感じなかった。
キュウは拳を固めた。
「マルティだって、勝手に憧れて勝手に失望して、自己中はどっちだっての……っ! オレからきつく言っときますから、姐さんは気に病まないでくださいっ」
「いいのいいの。……っていうか、マルティが言いたかったこともわかるから」
――彼女は、幸せですかって聞いてきた。
たぶん私が幸せな結婚をしてたら……マルティは諦められたんだろう。
仕方なかった、それが正解だったって。
でも、全然そうじゃなかったから怒ってた。
相手のことを本気で慕ってないと、あんなに思いつめたりしないだろう。
キュウから話を聞いた時からそうだった。私なんかの事を、本当に慕って、心配して、好きでいてくれた子がいたんだ。
その純粋な気持ちに返せるものが何一つもない自分が、いま、私を打ちのめす全部だった。
笑顔で「幸せよ」って言えたら良かったのに。
結婚なんて、しなければよかったんだろうか?
もしも、結婚前にこんなに慕ってくれている後輩がいたと知ってたら……私は業界を抜けてでも結婚していただろうか? もっと、違う道を選んでいたんじゃないだろうか。
私、間違えた……?
なんだかんだ後悔したって、過去は変わらない。
前を向いて、キュウに精いっぱい、心配をかけないように笑って見せる。
「心配してくれてありがと、キュウ。私もいろいろ反省しなきゃいけない事があるから……だから、ちょっと何かできるよう考えてみるわ」
幸い、ここにきてから自分を振り返る時間は十分に取れてる。
しかも、明日はお休みだ。
これからどうするか、真剣に考えてみよう。
婚家を追い出されたので復職して最強メイドになります 紅犬 @aka-inu
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