急:聖女マリラの伝説が、今、始まる。

『我を復活させたのは其方そなたか……』

 地響きのような、何重にも重なったような、禍々まがまがしい声が辺りに響き渡る。

 邪竜は瞳を真っ赤に燃えさせながら私を見下ろしてきていた。

『その褒美に、其方そなたの願いを一つ叶えてやろう』

 凄い! 七つ集めずに願いを叶えてくれるなんて! なんてお手軽なの!!


 私はクルリと邪竜の方へと向き直る。そして両腕を振り上げて願いを叫んだ。

「私の願いはマリラ姉様の幸せよ! だから姉様の為に、自力で再封印されて!!」


 ……。

 …………。

 ………………。

 え? 何、この、間。


 何でこの邪竜、固まってんの?

 あれ? なんでマリラ姉様やマシューも固まってんの? 執事バトラーのギルバート──ギルは四つん這いになってるし。

 唯一、メイドのダイアナはこっち指さして大爆笑してるけど。


『よ……よもや、そなた、マジもんの狂人なのか……』

 やっと口を開いた邪竜が、禍々まがまがしい声でそんな事をボソリと漏らす。

「自力で再封印してくれる邪竜がドコにいるんですか!!!」

 ギルが全力のツッコミを入れてきた。あれ? 私、そんな変な事言ったかな??

「だって、願いを叶えてくれるっていうから……」

 この邪竜、そう言ったよね? 聞き間違いじゃないよね??


 邪竜はムフゥと一つ息を吐き出すと、ギシギシ音を立てながら身体を真っ直ぐに引き起こす。

『やはり人間は愚かよ。数百年経てどもそれは変わらぬよう。やはり、滅ぼさねば!』

 そう言うとともに、邪竜は息を吸い込んで胸を膨らませる。

 その胸元が赤く光り輝いたかと思うと──


 ゴォォォォォ!!!


 首を振り下ろし、猛烈な炎を吐き出した!!


「きゃあぁぁ!!」

 マリラ姉様のそんな悲鳴。慌ててそちらを振り返ると、マシューが剣を振りかざし魔法の防壁を展開させ、後ろにいるマリラ姉様とギル、ダイアナを炎から守っていた。

 さっすがマシュー! 聖騎士パラディンの肩書はダテじゃないね!!

「このままではもたない!!」

 その圧力に片膝をついたマシュー。魔法の防壁がジワジワと縮んでいく。

 すると──


 ジジッ……


 マリラ姉様の、美しいカラスの濡れ羽色の毛先が、音を立てて燃え尽きていく。


「マリラ姉様に何してくれてんじゃこのクソトカゲがァ!!!」

 私は飛び上がり右腕を振り上げ、満身まんしんの力を込めて邪竜の横っ面をブン殴った。

 その瞬間、激しく白い光が弾け、邪竜が木々を薙ぎ倒しながら横へと転がる。


『な?! なんだと?! この力……そなたは本当に聖女なのか?! 聖女が我を復活させたと言うのか?!』

 そんな事を呟きながらヨロヨロと起き上がる邪竜。

 私はそんな言葉を最後まで聞かずスカートをたくし上げた。そして地面を蹴る。

「本物の聖女はマリラ姉様よッ!! そんな姉様の髪の先を焦がすとか!! その罪の意識で死ね!! 罪悪感に潰されろ!! 地面に頭めり込ませて謝罪しろ!!!」

 邪竜が私の渾身こんしんの蹴りを腕でガードする。しかし即座に私は上へと飛び上がり、身をひるがえして全力のカカト落としを邪竜の脳天へと叩き込んだ。


 私の攻撃のたびに、なんか光がピカピカするけど、邪魔だなこの光! なんなのこの光! ウッザ!!!


『や……やめっ……! なんなのだこの聖女は?! 今までの聖女は、こう、杖などに力を込めて、魔法として放っていたハズッ……

 聖女の力を拳に込めるっ……だと?! そんな馬鹿な?!』

 さっきからブツブツぶつぶつうるせえなクソトカゲが!

 私がジャブの連撃を邪竜の胸に叩き込むと、グハァ、という情けない声を出しながら後ろへと倒れ込む邪竜。

「本物の聖女はマリラ姉様だっつってんでしょーがッ!! 私は偽聖女なの! 聖女が邪竜を素手でブン殴るとかしないでしょ?!」

 私は一度跳び下がって距離を取った。

 そんな背中に、執事バトラーのギルの声が刺さる。

「聖女どころか、過去誰も邪竜を素手で殴り倒した事はありませんよ!!」

「あるわよ! ホラ! なんとかの子孫とかいう勇者の御一行の中の、武闘家が!!」

「いやー、たぶんー、某古代遺跡から出土したー、黄金に輝く爪とかー、装備してたと思いますよー」

「しかもソレ、おとぎ話でもなくゲームの設定!!」

 メイドのダイアナまで参戦して。もー。何なの? 二人とも!

「勇者はいるのよ!! だってマリラ姉様がそう言ってたもん!!」

 マリラ姉様が、私に嘘をつくワケないじゃない!


「マリラ……」

 防壁を解除して肩で息をするマシューが、疲れた顔でマリラ姉様の方を向き直る。

 マリラ姉様は美しい顔をかげらせうれいをおびさせて、更に顔を美しくしていた。

「あの……アンが小さい頃、寝る時にお話してあげてたんだけど……アンって、あんまりお姫様の話が好きじゃないみたいで、だから代わりに……勇者の話をしていたの。なんか、とても楽しそうに聞いてくれるもんだから、つい私も、面白おかしく話を盛ってしまって……」

 ああ、マリラ姉様、その沈痛ちんつう面持おももちも素敵ね! 笑顔も勿論素敵だけど!!

 そんなマリラ姉様の姿をずっと見ていたかったけど、後ろで邪竜が起き上がる音がしたので、私はそちらへと改めて向き直った。


『このような……事がっ……』

 邪竜は頭をブルブル横に振りながらも、四肢ししを踏ん張り私たちの方へと身体を向け直す。

『このような事が、あって、たまるものかッ……こやつは聖女でも何でもないっ……! 聖女がこのような──』

「だからそうだつってんだろうがッ!!」

 私はスカートをたくし上げ、再度地面を蹴る。

「私は聖女じゃない! 勇者御一行の武闘家の生まれ変わり! 聖女である姉様を助け、守る為に生まれてきたの!!」

「ああ……なんか、武闘家の生まれ変わりとか云々、そんな事も言ってしまった気がする……だって、アンが喜ぶから……」

 なんか背後から、そんな姉様の声が聞こえた気がするけど気にしない!

 私は周囲の木の幹を蹴って上へ上へと飛び上がる。

「アンタも! ただのクソトカゲね! 邪竜であるハズがないわ! 私ごときの攻撃が通じるんだもの!」

 そう! そうに違いない!!

 だって邪竜なら聖女の攻撃しか通じないハズなのに、そうじゃないって事は、下っ端のタダのデカいトカゲなのよ!


 トカゲが大きく息を吸い込む。するとその胸が真っ赤に燃え上がった。

『この邪竜をトカゲと言わしめる其方そなたこそが、本物の──』

 トカゲがパカリと口を開く。その喉の奥には、マグマのように燃え沸る、圧縮された炎が見えた。


 私は右手を硬く握りしめて拳を作る。

「だァかァらァーーー!! さっきから言ってんでしょうがァー!!

 本物の聖女はマリラ姉様なの!」


 私が突き出した拳と、トカゲが吐き出した炎がぶつかる。


 しかし、私の拳は炎を突き破った!


「私は!! 偽聖女なのっ!!!」


 炎の先に見えたトカゲの顔。

 私はまとわり付く炎を身体を回転させて払い除ける。

 そしてその勢いのまま──


 渾身こんしんの回し蹴りを、トカゲの横っ面に叩き込んだ。


 ***


 ふむ。

 私のような偽聖女に倒されてしまうなんて、コイツやっぱり邪竜なんかじゃなかったのね。

 せいぜい、中ボスぐらいかな?


 私は、地面に邪竜の形の燃え尽きた跡だけを残したヤツの残骸を見下ろしていた。


「い……今まで……封印までしかできなかった筈の邪竜を……」

 あ、あれはマシューの声か。

「倒して……しまった……」

 あれはギルね。

「わー。世界平和がー。あっさり訪れたー」

 そんな事言うのはダイアナ。

「……どうしましょう……私があんな寝物語をしたから……」

 ああ、うるわしの姉様。私ももっと姉様と一緒に寝て沢山お話し聞きたいわ。


 みんな勘違いしてる。

 コイツは邪竜ですらないってーのに。私が倒せてる時点で邪竜じゃない。

 しかし困った。

 コイツ、邪竜じゃなかったのか。

 って事は、姉様が本物の聖女だって証明する事は、まだまだこれからって事ね。

 ヨシ。


「マリラ姉様!」

 私がクルリと振り返ると、何故か全員がビクリと肩を震わせる。

 私はパタパタと姉様の元へと走り寄り、その足元にひざまずいた。そして、その白魚のような手をそっと取る。

「邪竜を探す旅に出ましょう?」

「「「「は?」」」」

 何故か全員が同じ顔をした。

「私は、世間に、勘違いしている事を知らしめたいの」

「か……勘違い?」

 私の言葉に、姉様は形の良いまゆを少しだけ歪める。ああ、そのいぶかしげな顔もお可愛らしい!

「本物の聖女は姉様なんだって、みんなの目を覚まさせたいの。

 その為に、邪竜を探し出す旅をするのよ。

 そして邪竜をほふって、姉様が本当の聖女なんだって、みんなの勘違いを晴らしたいの!」

 なんて完璧な計画。

 大丈夫よ。

 本物の聖女である姉様の力があれば、邪竜なんて指先一つでチョチョイのちょいよ。

「いや、勘違いしてるのはアンお嬢──」

「そうすれば、マシューとも結ばれる事ができるのよ?」

 執事バトラーギルバートの言葉を遮って、私は言い募る。

「え?」

 目をパチクリさせるお姉様。ああ可愛い! その顔で白米三合イケる!!

「いや、アン。俺たちは友人とし──」

「マシューも一緒に旅に出ましょう? マリラ姉様をお守りするのは、聖騎士パラディンである貴方の役目よ!」

 危ない危ない。こんなシチュエーションで愛の告白はダメよマシュー。こんな色気のないシチュじゃ萌えない。


 私はスクリと立ち上がり、クルリとみんなに背を向ける。

「さあ! 忙しくなるわよ! これから早速、旅支度をしなきゃいけませんからね!!」

 そうよ。こんな所でノンビリしてる場合じゃない。

 早く姉様が本物の聖女である事を証明しなければ!

「あー。この思い込みの激しさー。ストーカーそのものー」

 メイド・ダイアナの言葉は無視し、私は天に拳を突き上げた。


「聖女・マリラの伝説は、ここから始まるのね!!」

 そんな私の言葉に

「……ごめんなさい、ちょっとこの子、シスコンが過ぎてて……」

 そうポツリと漏らしたのは、誰だったのか。


 ともかく!

 私は聖女・マリラ伝説の始まりを感じて、身を震わせて天の太陽を仰ぐのだった。



 了

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偽物聖女は本物の不遇聖女を影ながら溺愛する。 牧野 麻也 @kayazou

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