時は今――光秀の連歌 🌦️ 

上月くるを

時は今――光秀の連歌 🌦️




 あのころの自分は傲慢で軽率で無神経だった、いまにして橙子さんは思い至る。

 子どもたちも犬も家にいたころで、無邪気に (💦) 年末年始の楽しみを語った。


 黙ってうなずいていた女性スタッフが言った「わたしには最も辛い期間です」。

 瞬間、手にしていた珈琲カップの重量がずんと増した。ご、ごめんなさい。🙇


 この年末年始、政府は初の「孤独・孤立対策相談室」なるものを開設したらしい。

 いくら専門家でも、会ったこともない人に電話して本当に癒せるのか、孤独が。


 ふつうに考えて思うが、お祭り気分の亀裂に沈む存在に気づいたことは、いい。

 マジョリティは放っておきマイノリティに配意するのが本来の政治だろうから。




      🏛️



 

 かつて、地方テレビ局の番組審議委員会で勇気を奮って疑義を呈したことがある「家族を強調し過ぎると、悲しい思いをする視聴者がいる」即却下された。(笑)


 いま思えば、某オカルト宗教の後ろ盾を得た与党が少子高齢化対策を絡めて家族や家庭をやたらに強調し同性婚や夫婦別姓を蹴とばし、マスコミもその尻馬に乗った。


 それが例の銃撃事件で地に潜った不満の危険性に気づき、その出口として慌てて「孤独・孤立対策相談室」をつくったのかな、遅きに失するが、ないよりは、いい。




      🌿




 例により(笑)話はがらりと変わる。

 今年の大河ドラマにこと寄せて……。


 歴史にifはないといえど、もし本能寺の変がなければ家康はどうなっていたろう。

 信長の招待で京見物を楽しんでいた、その最中の、まさかの大坂だった。(笑)


 トップクラスの事を起こす前、明智光秀が愛宕山・威得院で巻いた連歌が面白い。

 というと一部ファンから不謹慎の誹りを受けそうだが、純粋に文芸として面白い。


  

 ――時は今あめが下しる五月さつき哉        光秀

   水上まさる庭の夏山           行祐ぎょうゆう

   花落つる池の流をせき留て        紹巴しょうは


 

 それから六日後の天正十年(一五八二)六月二日、まさに歌をなぞったような事態を引き起こした光秀に、僧・行祐と連歌師・紹巴は、天晴れの快哉を贈ったろうか。

 

 拙稿の前半と後半をやや強引に結べば、追いこまれた心に貸す耳が必要ということになるが、それでもやっちまった光秀を顧みればどうだろうねえ、と思う正月二日。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時は今――光秀の連歌 🌦️  上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ