沈めェッ!!!人魚ォッッッ!!!!!

染谷市太郎

お前はすでに沈んでいる

 海浜高校。九州沿岸に建つこの高校は人魚と人間、二つの種族の学び舎である。

 その高校で最も有名な部活は、当然、サッカー部でもバスケ部でも野球部でもましてや吹奏楽部でもない。

 合唱部だ。


 1年生としてこの海浜高校に転入した旭川沫アサヒカワマチは、その門戸を叩くこととなった。

 決して沫が望んだわけではない。かといって拒否したわけでもないが。

 転校初日、まだ右も左も分からない沫をクラスメイト達が力強く強引に勧誘した結果である。

 その熱心な勧誘の理由を、沫は現在その身を以って理解することとなった。

 購買での総菜パン、菓子パン、弁当類、軽食類の購入。さらにお茶や水、スポーツドリンク類の購入及び、先輩が待つ中央広場への運搬。

 端的に言えばパシリだ。

 この労働を、上級生に選ばれてしまった下級生が行わなければならない。

 クラスメイト達はなぜ沫を勧誘したのか。それはこの苦行を果たす人員生贄を増やすためである。あわよくば、自分へとその順番が回らないように。


 さて、当の沫は合戦場ともいえる購買で、その試練を顔色一つ変えることなく遂行していた。

 大量の生徒に揉まれ、一つに括った長髪の黒髪が引っ張られるというハプニングもあった。しかしかっちりと制服に包んだ長身で人混みをすり抜け、目的の商品をお釣りも出さずに購入する。

 尤も困難と聞かされていた購買のアップルパイでさえ、難なく確保した。

 そして大量の荷物を抱え込み中央広場と走った。その抱え込んだ量を見れば、沫が合唱部のパシリであることは一目瞭然だ。廊下は走るな、なんて注意をする生徒も教師もいない。


「遅いぞ!転入生!」

「はい」

 中央広場に到着し、開口一番、沫の教育係である先輩に怒鳴られる。まだ昼休み開始5分だが、待っていた先輩方にとっては5分も長いのだ。そんな理不尽に反感する権利を下級生には与えられていない

「ミナミ様。申し訳ございません」

 教育係は深々と自分と沫の頭を下げる。

 その先にはミナミと、その他上級生が中央広場のプールを陣取っていた。

 学校中に張り巡らされた水路に通じる、縦横高さ20メートルを超えるプールを、まるでわが物顔で占拠する彼女らは、人魚だ。

 そして海浜高校の強豪、合唱部のエースでもある。

「あらあら、体が大きいだけでどんくさい子ねぇ」

 中央に座す合唱部部長、ミナミはその青空色の尾びれを水中で優雅に漂わせながら、沫を冷たい瞳で下げずんだ。

「お前、早くお渡しなさい」

「はい」

 教育係に小突かれ、沫は両手に抱えた拾得物をささげようとする。

 その足元に、透明な尾ひれが忍び寄っていた。

 ずだんっ、と沫の長身が倒れる。当然、食べ物やペットボトルはその下敷きになってしまった。

「まぁっ」

 ミナミは悲鳴を上げた。

「なんてこと!私たちのお昼が!」

「なんてこと!ミナミ様のアップルパイまで!」

 ミナミの取り巻きたちは嘲笑い、その視線をミナミへ向ける。

「……っ!」

 ミナミは怒りに震えていた。

「私は購買のアップルパイを毎日のお昼にしているのよ!それをつぶすなんて!私に飢え死にしろって言うの?!」

 鬼のように怒るミナミ。

「いいえ」

 沫はそのような意図はないと端的に返す。

 決してふざけているわけではない。いたって真面目な態度だ。しかしその様子はさらに状況を悪化させた。

「バカにしているの!?」

 怒声は校舎のガラスを震わせた。

「私が直々に教育してあげるわ!」

 ミナミの尾が沫をプールに引きずり込んだ。


 中心に落とされた沫。その周囲をミナミと取り巻きが囲んだ。

「またか」

 周辺の生徒は巻き込まれまいと校舎に潜み、野次馬として見物する者が残る。

 ミナミの取り巻きが大きくひれをうねらせた。

 水中ともなれば、当然人魚の独壇場。水中で人魚に囲まれてしまえば逃亡は絶望的だ。

 ミナミの取り巻きたちが水を掻いた。プールに発生する大きな波。通常の人間はこの波をかいくぐり、陸地へ上がることは困難である。

 その波は沫を襲った。二回三回と迫りくる波。翻弄されるしかないそれに、沫は上下に揺れる。

「いかがかしら?それとも恐怖で悲鳴も上げられないのかしら?」

 沫の姿を見下すミナミ。

 そして波に飲まれた沫が水面から消えた。

「ミ、ミナミ様!彼女は北海道から転校してきたばかりです!さすがにここまでに!」

 浮き上がらない沫に、教育係が直訴する。

 その声に、周辺の観客も顔を曇らせた。

「北海道って確か水泳の授業なかったんじゃなかった?」

「え?やばくね?あいつ溺れてるってわけ?」

 ざわざわとさざめく周辺の声に、ミナミも眉を顰める。

「あなた、ちょっと引き上げてきなさい」

 取り巻きの一人に指示を出した。

「いいんですか?」

「また事故を起こせば次は休部だけでは済まないわ」

 以前の”教育”で、一人救急車を呼ぶ騒ぎになったことがあった。尤も彼女はその後回復したが。大げさな騒ぎに、ミナミは大変迷惑をこうむったのだ。

「……遅いわね」

 水中へ向かったはずの取り巻きなかなか上がってこない。

 深さがあるとはいえ、人魚には浅いくらいだ。

 しかし底が黒く塗られているため、陽光の反射もあり水上からは中をしっかりと確認することができない。

 すると、ぷかりと水面に人影が浮いた。

「あら、仕事が遅い……」

 文句を言おうとしたミナミ。

 しかし浮き上がったそれは、先ほど沫を引き上げに向かった取り巻きの一人だった。

「お、おい、変な冗談はやめろよ」

 ミナミのそばにいた人魚が、ぷかりと浮かぶそれに近づく。

「ぎゃぁっ」

 そして彼女も水中に引きずりこまれた。

 ややあって悲鳴を上げた彼女が水面に浮かび上がる。

 沫の姿はない。

「なっなんだよっ」

「おい!出てこい!」

 理解不能な状況に、戸惑いの声を上げる取り巻きたち。

 しかし、立方体のプールはシンとして返答はない。

「ぎゃっ」

「ぎゃっ」

 今度は二人、水中に引きずり込まれる。

「なっなんだよっなんなんだよ!」

 混乱するミナミの取り巻き。

 一方のミナミは静かに見つめていた。

「そこね!」

 青空色の尾びれが水中を大きく掻く。水面が盛り上がった。

 気絶した二人の人魚と共に、黒い影が水上に放られる。

 その影は空中で弧を描き、プールの縁に着地する。

「あなた、いったい何者」

 ゆっくりと立ち上がった長身。その姿に、ミナミは目を見開いた。

 制服は脱がれ、黒の水着姿の沫。

 そして水着の下から主張する、はちきれんばかりの筋肉群。制服に隠れていたのだ。

 長身の肉体全体が筋肉の鎧に覆われていた。その立ち姿はただそこにあるだけで周囲を圧倒した。

 髪ひもが解けた長い黒髪が水を吸って体に張り付いている。

 沫は再び水中へと飛び込んだ。

「来るわよ!」

 黒い水着と黒い長髪が底の黒に紛れて水面からでは目視不可能にする。

 ならばと取り巻きたちは水中へと潜った。

 先ほどは不意を突かれたが、相手は人間。水中では人魚の彼女らが有利なはずである。

 捕らえた黒い影。一直線に向かう。

 がしりと捕まえた。

 しかしその感触は布。それは脱ぎ捨てられた制服だった。

 背後の水が揺れた。

 とっさに振り向く。しかし遅い。沫の腕が人魚の首に絡みついた。

 人魚は水を飲み込むことで水中の酸素を得る。首を締められればその通り道が塞がれ窒息する。

 落ちかけた仲間をすくおうともう一人の人魚が襲い掛かる。しかしその腹に沫の剛足がめり込んだ。

 みぞおち、急所を突かれた人魚はそのまま痛みに気絶する。腕の中の人魚もまた同様に白目を剥いていた。

 水面を見上げた沫。海面から落ちる三つの影。


「あいつ!」

「やめなさい!」

 ミナミの制止にも関わらず、水中の攻防を見た残りの取り巻きも潜りだす。

 しかしミナミだけは理解していた。

 あれは人間だ。しかし人間ではない。

 暖かな海で育った我々とは異なる。

 北の海。氷に覆われた冷たい海で育った狩人。

 水中での戦い方を知り、水中での殺し方を知っている。

 それこそが、旭川沫。

 人魚に育てられた、人間だ。


 二人の人魚が向かってくる。

 沫は水底を蹴り急接近した。そしてすれ違いざま。腹部と胸部の狭間、エラに腕を突っ込む。肺をまさぐられるようなものだ。痛みで人魚は悶絶した。

 それらの髪を掴み上げ。人魚のひれのように沫の足はうねる。水を足場に、沫の体は水上へと急上昇した。

 水上に姿を現す。

 鯱のように飛び上がるその肢体。

 沫とミナミ。かち合う二つの視線。

 水面に叩きつけられた人魚。沫は陽光を浴び、黒い影となってミナミへと迫った。

 狩られる側だと悟らせる。

 その、肉食獣の視線で以って。

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