俺は縛られたくない!

高取和生

第1話


 プロローグ



 障子は夕焼け色に染まり、天井から吊るされた女の表情かおもまた、上気したように紅を増す。

 室内には、何本もの縄が、蜘蛛の巣の如く張られている。

 女は、加賀友禅の着物ごと、縄でくくられている。

 緩んだ襟元の奥には白い胸が息づき、乱れた裾からは弾力に満ちた下肢が伸びる。


 室内は上下左右からの照明で、熱気を保つ。

 居合わせる者の目付きも、熾火をはらむ。


 一人だけ。

 場違いな子どもがぼんやりと、女を見つめる。

 たくさんの縄が、女の体を取り巻き模様を作っている。

 眉を寄せ、唇を半開きにした女は、苦しくないのだろうかと。

 

「あと一本。あと一本で、生命の樹が完成するぞ」


 一番年配の男が低く言う。

 その言葉に応じて、若い男が一本の縄を引く。


 瞬間。


 ブツリと音がする。

 天井から吊るされた、照明機材が落ちる。


 ガッシャ――ン!!

 

 機材が粉砕された音に、一瞬遅れて響く叫び声。


「……ぎゃああああ!!」


 落ちた照明機材は、子どもの体を潰していた。




 ◇◇◇十五時◇◇◇




 授業が終わり、境遼太さかいりょうたは軽快な足取りで、家庭科準備室に向かう。

 途中の廊下で、古紙をまとめようとしている女子を手伝ったり、業務職員のおっさんが台車引くのを手伝ったりしながら小走りに進む。


 遼太は高校に入学して、早半年が過ぎたのだが、身長は男子の平均以下でしかも童顔。よく中坊に間違えられる。

 彼が向かっている家庭科準備室は、家政部の活動場所だ。

 部員は遼太以外女子。


「ハーレムじゃん!」


 まさかまさか。

 遼太はよく言えば、家政部のマスコットキャラ。

 その実態は、弄られ役なのだ。


「あっ! リョウ君だあ」


 部室に入ると、二年生がぽつぽつ集まっていた。もちろん、全員女子。

 一人の先輩が「よしよし」と言いながら、遼太の頭をナデナデする。

 およそ高校生男子に対する扱いではないが、遼太は苦笑しながらするりと身をかわす。

 そのまま自分の作業袋を取り出し、その続きを始める。


「だいぶ進んだね」


 ふわりと鼻腔をくすぐる甘い香りをまとい、遼太の後ろから声をかけてきたのは、副部長の雪代遥香ゆきしろはるかだ。イイトコのお嬢様で校内三大美人の一人。


「はい。来月の文化祭には、間に合わせます」


 遼太が取り組んでいるのは、編み物である。それも「アラン模様」を描き出す、棒編みだ。

 アラン模様とはアイルランド由来の、編み物の模様である。

 

「ちょっと編み目に偏りが出るね。やっぱり、指先の力、左右に差があるのかな?」


 覗き込む雪代に遼太はドキっとするが、限りなく冷静に答える。


「指のリハビリも兼ねて、やってますから」




◇◇◇十七時◇◇◇




 部活後、遼太は塾に向かう。

 小人数制の塾である。


「あ、来た来た! イイもん手に入ったぞ、遼太」


 教室に入ると、田中藤一郎たなかとういちろうが遼太を手招きする。

 田中は遼太とは別の高校だが、なぜか出会った時から遼太を構う。

 遼太は公立で、田中はどこかの私大の付属。だが、習熟度別の塾では遼太と同じクラス。


 要するに。

 わりと、アホなんじゃないだろうか。

 

「ふふふ、お前とは、同じ臭いがするからな」


 最初に会った時に遼太は言われた。何の臭いかと遼太が聞けば、田中はドヤ顔で答えた。


「ヘンタイの臭い!」


 迷惑この上ない。だが、田中自ら、己のヘンタイ性を吐露したのも事実。

 よって、田中が言う『イイもん』を想像するのも、難しいことではない。

 とりあえず、遼太は訊いてみた。


「何? イイもんって」


「ふっふっふっ~何だと思う?」


 遼太は一瞬殴りたくなった。

 田中は、尖った顎を突き出して一冊の本を取り出す。

 表紙には、こう書いてある。


『縄名人・最後の縛り!』


 思わず遼太は突っ返す。


「こういうの、いいよ。俺苦手だから」


「えっ? お前、エロ本ダメなの? 動画派?」


「動画もだけど、俺の好みは十八から三十九までの清純系で、できれば制服。白衣とCAは大好物。だけど……」


 遼太のストライクゾーンは、まあまあ広いのだ。

 しかし、なぜこんなにも、己の性癖を暴露しなければならないのか?

 先輩の女子たちが口にする『カワイイリョウ君』の真実の姿なんて、こんなもんだが。


「SMはNG。縛りは特に嫌い!」


「はああ……」


 田中は遼太の強気の主張に少々感動し、九割がた呆れ、本を引っ込めた。




◇◇◇十九時◇◇◇



  

 塾が終わり、遼太も田中も教室を出る。


 「じゃあな」

 「またな」


 そう言って別れた二人だった。

 あとは家に帰ってゲームでも、と足を早めた遼太の足元に、ばさりと本が落ちた。

 縄の字が見える。

 ああ、田中が持ってた本だ。


 「いらねえってば、田中」


 田中の去った方を振り返った遼太は、むりやり車に乗せられそうになって、暴れている男子の姿を認めた。


「!」


 慌てて遼太は走った。

 縛り本を持ったまま。

 

「田中!」


 車のドアが閉まりそうになった時に、遼太は田中の腕を取る。

 同時に後頭部に重い刺激を受け、遼太の意識は沈んだ。



◇◇◇幕間◇◇◇




 薄明。

 縁側で並ぶ二つの影。

 祖父と孫である。


「おじいちゃん、『縛る』って、何を縛るの? 何のために縛るの?」


 孫に微笑む祖父は答える。


「己を縛る全てのものから、解放されるために縛るのさ」


「よく、わかんない……」


「いずれお前が大人になれば、分かる日が来るさ。そもそも、縛って出来る模様は、神様に捧げるもの。己が持つセクシュアリティのくさびを解き放ち、神と一体化する。それが真の『縛り』だよ」


「ぜんっぜん、わかんない!」


 祖父は笑いながら孫に紐を持たせ、結んだり解いたりを繰り返す。




◇◇◇二十二時◇◇◇



 音が頭に響いた。

 はっとして薄目を開けると、蛍光灯の光と、それを反射する白い床。

 どこだ、ここは。

 俺は一体……


 考えを巡らせようとしたが、頭が痛い。

 頭を触ろうとして遼太は気付く。

 どうやら、手足が拘束されている。

 そして、床の上に転がされているようだ。

 しかも、背後に誰かいる。


「目が覚めたようだな」


 上から聞こえる男の声。

 ふいに遼太は思い出す。

 塾からの帰り、拉致されそうになった田中を助けようとしたこと。

 田中を連れ去ろうとした連中は、黒い服を着た男たちだったこと。


 そうだ!

 田中は?


「起きてるよ、俺は」


 遼太の背後から、田中の声がした。

 なるほど、背後にいたのか。

 しかし、なぜ。

 田中はさらわれ、自分まで巻き添えになり、何処かわからない場所で床にいる?


「悪いな坊ちゃん。あんたには、死んでもらわなきゃならなくてね」


 なんだって!?

 死ぬ? 田中が?

 ちょっとまて、俺は! 俺はどうなる?


「まあ、お友だちと一緒だから、寂しくないだろう」


 いやいやいや!

 心中なんて真っ平だ!

 しかも、何て言った、今!


「お、俺は、友だちなんかじゃねえええ!」


 遼太が叫ぶと、男たちは目を見合わせる。


「ああ、二人は恋人同士だったのか」


 待てえええ! なんでそうなる!


 背後の田中がぼそっと呟く。


「すまん、遼太。俺、お前の気持ちに気付いてやれなくて」


 それも違うぞおおお! 


「なんで田中が死ぬんだよ! しかも俺まで一緒にって。理由くらい話せよ!」


 遼太はキレ気味に叫ぶ。


「そうだよな、そのくらい知りたいよな。そこの坊ちゃん、田中君だっけ、十六歳の誕生日を迎えると、困る人がいるんだよ。だから、その前にドッカ――ン!」


 ドッカ――ン?

 遼太は小声で田中に尋ねる。


「お前、誕生日っていつ?」


 田中は照れたように答える。


「明日」


 なんですって!

 じゃあ、田中と俺の寿命って、今日いっぱいなんですか!!!

 こんなことなら、あんなコトやそんなコト、さっさとしとくべきだった!


 生命の危険を感じた遼太の脳に、 パチンとスイッチが入った。




◇◇◇二十二時半◇◇◇



 遼太の内部に起こった変化を知ってか知らずか、まあ知らないのだろうが、田中は自分語りを始めた。


「俺さ、『側妃』の息子なんだ」


 側妃って何だよ!

 お前の家は、異世界の貴族か!


「親父はコンチェルトの跡取りで……」


 コンツェルンの間違いだな、多分。


「親父の一族は、血の繋がった息子が十六歳になったら、正式に跡取りとして認める、そういう決まりがあって。……正妻さんは、女子しか産まれなかったって」


 まったく、前近代的なお宅さまですこと。

 前近代的といえば……


「ああ、ウチも一緒か」


 遼太の心の声が漏れた。

 ついでに遼太は田中に訊く。


「じゃあ、お前が十六になって困るのは、正妻さんとその娘、なのか?」


「その通り!」


 帰り支度を始めた、黒服の男が叫ぶ。

 いいのか、ばらして。


「依頼主さんは、血を見るのは嫌だけど、花火がお好きでな。このビルからデカい花火が上がるのを、見たいそうだ」


 それで、ドッカーーンですか。

 そうですか。

 って……


「ふざけんじゃねえええ!!」


 遼太は怒鳴って体を起こす。


 遼太の両腕を縛っていた縄は、はらりと落ちる。

 縄の結び目は、綺麗にほどけていた。

 両足を結んでいた結束バンドを、遼太は指一本で引きちぎる。


「えっ! 遼太、お前……」


 田中が素で驚く。

 田中にとっての遼太とは、小柄童顔ちょい弱気、かつマニアックな性癖の持ち主という認識しかない。

 それが、全身に怒りのオーラを漲らせている。


「お前、いいカッター、持ってたんだな」


「ちげ――――よ! 俺は、俺にとって、

ほどけない縄は、ない!!」


 遼太は手袋を脱ぐように、左手を右手首から指先へと滑らす。

 すると。


「おい、坊ちゃんのカレシ、なんだ、そりゃあ!」


 黒服の男が遼太の右腕を指さす。


 まさに手袋を脱ぐが如く。

 遼太の右腕は皮膚を脱ぎ、鋼鉄の光を放っていた。


「ふふふ、俺まで拉致ったのは、お前らの極大ミスだったな!」


 人格変容。

 顔貌変化。


 遼太はおもむろに駆け出し、黒服の男たち数人を右腕で殴る。

 疾風の如き遼太の動きに、さしもの黒服たちも、かわしきれない。


「「「ぐああっ!!!」」」

 

 黒服たちは、簡単に倒れた。




◇◇◇二十三時◇◇◇



 遼太は田中を縛っていた縄も、すぐにほどいた。


「あのさ、遼太。右手のこと、訊いてもいいか?」


「あ、コレ? 別に、隠すほどのものじゃないけどな」


「いや、隠しておいた方が良いと思うぞ。それって、義手、なのか?」


「そうだな、一応義手だ。なんで俺が義手になったかっていうと……」


 遼太はため息を一つ吐く。

 そうして経緯いきさつを話す。


「俺のじいちゃん、母親の方のね。網野っていう、有名な『ナワシ』だった」


「えっ! あ、網野って!」


 ごそごそと、その辺に適当に置いてあったカバンから、田中は本を取り出す。

 

「やっぱり! 『縄名人』の網野師匠!」


 網野という母方の一族は、江戸時代は奉行所に勤める下級武士だったという。

 犯罪者の捕縛には定評があった。

 罪人を捕縛しているうちに、網野家の何かの血が目覚めたのであろう。

 そして、罪を犯してもいないのに、縄をかけられたい、縛られたいという人たちが、存在することに気付いたのだ。 

 

 その血を濃く受け継いだ遼太の祖父は、女性の美しさを極限まで高めるような縛り方を研究した。

 美しい縛り方、縄の模様を画像でいくつか残した。


 遼太は、幼い頃より祖父に懐き、しばしば撮影現場を見学していた。

 そこで事故に遭う。

 遼太の右手と右足は、ひどい損傷を負った。


「たまたま親父が、ロボットの研究者だったから、普通の義手よりハイスペックなものを作ってくれたんだ」


 遼太に殴られて倒れていた黒服たちが、ヨタヨタと立ち上がる。


「お話の途中でスマンな。縄をほどいても無駄だ。このビル全体が、火薬庫だ」


 そう言うと、黒服たちは室外へと飛び出す。

 ドアはロックされた。

 安全圏へと脱出したら、リモコンで起爆させるのだろう。


「やっべえ! ドア開かないぞ!」


 田中が泣きそうな顔になる。


 遼太は窓から外を見る。

 今いるのは十階かそこらだ。

 東京タワーとレインボーブリッジが見えている。

 東京湾の近くだ。


 遼太はコンコンと窓ガラスを叩く。

 これなら、いける!


 ズン!!


 地震のようにビルが揺れる。

 爆発が始まった。

 田中は念仏を唱え始める。


「飛ぶぞ、田中!」


 爆発音とガラスの割れる音。

 爆発の音が近づいて来る。


「へっ? 飛ぶ?」


 遼太は思いきりガラスを殴る。

 そのまま田中を抱えて、十階から飛び出す。

 遼太と田中が飛び出したと同時に、爆風と炎がビルを包んだ。




◇◇◇二十四時五分◇◇◇



 遼太と田中が拘束されていたビルが、黒煙を上げて砕けていく。

 消防車が何台も駆けつけて来る。


 遼太はまあまあ無事に着地したが、田中は目を回していた。

 十階程度の高さなら、飛び降りても大丈夫だ。

 遼太が祖父の撮影現場で損傷したのは、右手だけではなかった。

 右足もまた、重傷を負っていたのだ。


「おい田中! 起きろよ!」


 ぺちぺちと田中の頬を叩く。

 ひゅっと息をのむ音がすると、田中は目を開ける。


「え? え? あれ?」


 田中の意識は混迷中らしい。

 遼太は笑って田中に言う。


「お誕生日、おめでとう」





◇◇◇幕間◇◇◇



 息子の手術が終わり、境は廊下でうなだれる義父に告げた。


「遼太の義手と義足は、無事に装着できました」


 境林太郎さかいりんたろうは医用工学の先駆者である。

 まさかその技術の実践を、息子で試すことになるとは思っていなかったが。


「……すまなかった」


 義父は深々と頭を下げた。


「お義父さんも、これからは本業を全うしてください」


「ああ……」


 義父の本業は、住職である。

 タナトスとエロスの融合などと言って、ここしばらく趣味を優先させていた。


 結ぶ。

 縛る。


 これらは人間にとって、原始時代から獲得されたものだ。

 ただしその目的は多岐にわたり、一部呪術にも使用されてきた。

 捕縛行為もまた、罪をしばり、人を犯罪へと誘う魔を、封じていたのだと言う。


 神経線維と人工の手足を結びつける境の技術も、何かを封印していたのか。





◇◇◇翌朝◇◇◇



 

 昨夜の大立ち回りのあとは、遼太もさすがに疲労したようで、終電で自宅に帰ると、そのまま爆睡した。

 田中は……どうなったっけ?

 まあ、いいや。


 朝、登校前に父の研究所に赴く。

 遼太の父、境林太郎は、しばらく大学の研究室にいたが、研究費が削られたのと、大学から起業する許可を貰ったので、自宅の近くに研究所を造った。


「義手に三か所、義足に六ケ所の破損がある。何したの、お前?」


 父に手足の状態を診てもらうついでに、遼太はコトのあらましを伝えた。

 拉致とか爆発とか聞いても、林太郎は驚かなかった。

 

「ま、よくあることだな」


 その一言だけだった。

 だが。


「十六の誕生日で、大企業の跡取りになる、なんて俺にはピンとこないけど……」


 遼太のセリフに林太郎の目が光る。


「十六で跡取り? 爆発……跡取りを巡るお家騒動……ああ」


「何か知ってるの?」


「多分、その企業って……」


 父が名指しした企業名を聞き、遼太の顔つきも変わった。




◇◇◇一か月後◇◇◇




 その後、遼太も田中も、表面上はいつも通りの生活に戻った。

 遼太は文化祭に向けて、編み物の仕上げにかかり、田中は、一族現当主から、跡取りとして認められたそうだ。


「ただね、俺に何かがあったら、本家の長子が跡取りだって……」


 塾であった時に、田中はそんなことを言っていた。


「じゃあ、まだ安心できないじゃん」


 田中はへらへら笑って言う。


「そんときはまた、よろしく」


「いやだ!」


 遼太はふと思い出し、田中に一枚のチラシを渡す。


「何コレ? 文化祭?」


「そうそう。ウチの高校、日曜日は外部にも公開するから。俺は作品の展示会場にいるよ」


 田中を呼んだ遼太は、ある計画を立てていた。





  

◇◇◇おっさんたちの雑談◇◇◇



 ある企業の応接室で、二人の中年男性が向かい合っている。

 元々の知り合いなのか、二人ともくだけた口調で、雑談を交わしている。


「悪かったな、境。ウチの若いモンが迷惑かけた」


「いや、ウチの倅も後先考えず、ビル一つ壊したようだ、スマン」


 おっさんの一人は、遼太の父、境林太郎である。


「あのビルは、再開発のために取り壊す予定だったからな、実害はないよ」


 もう一人のおっさんは、「ほら」と言って、ぽんっとテーブルに札束を置く。


「息子さんへの見舞金だ。取っとけ」


 境林太郎は、「悪いな」と言いながら、表情も変えずに札束をしまう。


「ところで境、お前、研究に戻らないのか? 映像による脳内記憶の再構築を行って、義手義足使用者の感覚を取り戻すって、世界で最初に成功したのはお前だったろう」


 林太郎は苦笑する。


「ああ、まあな。だが、あれは倅が特殊な能力を持っていたからで、再現性は低い。それよりも……」


 林太郎は尋ねる。


「お前こそ、本当に長男にすべてを相続させるのか?」


「ははっ! まさか! アイツはバカだから無理だ。後継ぎは、長女に決めているさ」


「なら良かったよ、雪代」


 林太郎の目の前にいる中年の男性は、総資産二十兆円を有する、ユキシロコーポレーション筆頭株主、雪代藤雄であった。




◇◇◇文化祭初日◇◇◇




 文化祭初日はつつがなく終了し、翌日のために遼太は一人、展示会場となっている教室に残っていた。

 家政部の面々の作品は、レース編みのテーブルクロスやポシェットなどが机に置かれ、それぞれに値札が付いている。

 遼太の編んだ長いマフラーは、教室の窓際にかけられているが、こちらは値札が付いてはいない。


「まだ、残っていたの?」


 副部長の雪代が、ひっそりとやって来た。

 遼太は軽く会釈する。


「あなたの作品は売らないの?」


 値札のない遼太のマフラーを見た雪代が訊く。


「売れるような出来ではないですから」


 ふわりと香る女子の髪。

 ぎくりとした遼太の右手を、雪代は握る。


「この手……」


 遼太は息をのむ。心臓が跳ねた。


「短期間で、良く編めているわ、アラン模様のマフラー」


「あ、ありがとうございます」


「アラン模様って、どうやって生まれたか知ってる?」


「たしか、アイルランド地方で、防寒用に……」


 雪代は艶やかに微笑む。


「そうなんだけどね。水難事故で亡くなる人の身元をはっきりさせるため、それぞれの家系で独特の模様を作り出したのが始まりみたいね」


「はあ……」


「家の問題は、面倒くさいわ」

 



◇◇◇文化祭二日目◇◇◇




 翌日の一般公開日の午後に、田中がやって来た。

 

「やっぱ共学っていいなあ。女子がいて」


 田中はあちこちキョロキョロと見回り、落ち着きないことこの上ない。


「で、遼太の部室って、どこ?」


 入場制限の時間になり、帰っていく人が増えて来た。

 校内生は、後夜祭準備を始めている。

 人の流れを把握した遼太は、田中を展示会場に連れていった。


「あら、もう閉めようかと……」


 展示会場に一人残っていた雪代が、顔を上げる。


「!」


 雪代は田中を見て硬直した。

 田中は、雪代の美貌に見とれていた。


「境君。この人……」


「ご存じですよね、雪代先輩。あなたの、ユキシロコーポレーションの跡取りとなった、田中くんです」


 さらりと遼太は雪代に告げる。

 雪代の表情は、みるみるうちに、変容する。

 あたかも鬼女の如く。


「えっえっえっ? なに、遼太、ユキシロって、ええっ! 雪代って、まさか! 義姉ねえさん?」


「ねえさん、なんて呼ばれたくないわ!」


 田中の反応に、雪代の唇は、三日月のような形になる。


「やっぱり、知ってたのね、境君。そして、あなただったのね、あのビルから脱出したのは」


 田中はガタガタ震えている。

 遼太が予想した通りの反応だ。

 雪代は笑顔を崩さぬまま、二人に話を続ける。


「なんで後継ぎは男子なのか、あなたはご存じかしら?」


 雪代は物差しを手に持ち、田中を指す。

 田中はふるふると、子犬のように顔を振る。


「雪代一族繁栄のために、女は贄として、使われるからよ!」


「に、え? ってまさか、生贄?」


 田中は声も震えている。


「その通り。現に母は捧げられたわ。……まあ、贄の儀式が中止になって、命は助かったけれどね」


 遼太の脳裏に、吊るされた女性の姿が浮かぶ。

 色の白い、綺麗な女性だった。

 たしか、あの時祖父は言った。あと一本、あと一本の縄が結ばれると……


「生命の、樹」


 雪代の目に驚きの色が浮かぶ。

 遼太の手には、いつの間にか自分で編んだマフラーが握られていた。


「この模様、気が付かなかったですか、先輩」


 遼太が広げたマフラーには、両脇の縄模様に囲まれて、真っすぐ伸びる幹と、そこから枝分かれする無数の枝が編まれていた。

 その模様こそ「生命の樹」である。


「その模様が……」


 遼太は編み上げたマフラーを、するすると解き始める。


「何するの! せっかくの、生命の樹が!」


「くだんねえ!」


 遼太の顔には怒りが浮かんでいた。


「男とか女とか。後継ぎめぐって拉致るとか!」


 遼太の手には大きな毛糸の球が出来ている。


「そんなことで、命をやり取りするとか! 血の繋がった、姉弟だろうが!」


 遼太は、右手の義手を出し、毛糸球を天井に投げる。

 毛糸は空中でいくつもの綾を作り出す。


「俺の手は、子どもの頃に壊れた。だからこんな機械が付けられたよ」


 遼太の右手のことは、雪代も少しだけ知っていた。

 だが、まさか人造人間のような、銀色に光る義手とは思っていなかった。


「なんで壊れたか知ってるのか? 先輩」


 教室の床から天井まで、毛糸で作られた樹の模様。


「あんたの母親の儀式に、巻き込まれたからだ!」


 雪代の顔色が変わった。彼女の瞳は、一層大きくなる。


「お前もだ、田中! ご大層な跡取りになんぞ、なりたくなかったら、きっぱりそう言え!」


 田中はハッとする。


「俺はなあ、こんなマジックもどきの技出す手なんて、欲しくなかったよ。指先は器用になったけど、俺の指に血は通ってない。熱さも冷たさも、感じねえ!」


 遼太はポケットから出した、小型のボイスレコーダーを再生する。


『……後継ぎは、長女に決めているさ』


「お父さん!」

「パパ!」


 それは遼太の父林太郎と、雪代家当主との会談の一部だった。

 全部流すと、田中が落ち込むだろうと遼太は判断した。


「賢明だな、雪代の親父さん。一族の決まりとか贄とか、そんなこと言ってる時代じゃないんだろ」


 雪代は俯いていた。

 田中はぼんやりとしていた。


「切っちゃえよ、田中! 先輩もさ。縛ってるものをすっぱりと!」


 遼太は天井から下がっている編模様を指さし、二人にスチール製の物差しを渡す。


「こんな風にさ」


 遼太は右手の人差し指で、編み目に触れる。

 すると遼太が触れたところは、編み目がはらりと解ける。


「うわああ!」


 田中が物差しを振り回す。

 つられて雪代も一心に編み目に切りかかる。

 

 切られ、ほどけて舞う毛糸は、花のように散っていった。





◇◇◇エピローグ◇◇◇



 遼太は父の研究所で、バージョンアップされた義手の装着をしていた。


「今度は、皮膚感覚にこだわってみたぞ」


 林太郎がそう言うので、左手の指先で右手の義手を触ってみる。

 

「あ、あったかい!」


 遼太の喜色まじりの声に、林太郎は満足そうに頷いた。


「ところで遼太。お前、冬休み前に進路希望出すんだろ? 理系か? 理系だよな」


「いや、北欧文化を勉強したいから、多分文系だと思う」


「ダメだ! 理系じゃないと学費出さん!」


 ああ、うるさい。

 まったく、こんなことまでシバリがあるのか。

 家出するぞ、マジで。


「俺は、

縛られたくないぞおおお!」

 

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