ep18/幸福の対価

「夢って綺麗きれいよね。キラキラして宝石みたい」


 蝋燭ろうそくしか明かりの無い、牢獄のような部屋の中。

 暗闇に照らし出された黒髪をき上げながら、白銀の鎧をまとった絶世の美女――探獄者ダイバーの頂点である八英騎グロリアスでもある――ルルエ・ウルアズーラが、客人に向かい親しげに語り掛けていた。


「誰しも若い頃は夢を信じているもの。出来ない事など無いと全能感にあふれ。時間も可能性も無限にあると誤解し。欲しいもの全てを手に入れられると信じている」


 上機嫌で喋り続けるルルエに対して、客人はひたすらに沈黙している。

 闇夜のように暗い室内では、客人の年齢も性別も分からない。ただ一つだけ確かなのは――客人は酷く怯えており、その息は荒く乱れ、身体は小刻みに震えていた。


「……でもね。成長するにつれて、そんなのは無理だって分かるの。ちっぽけな人間の手につかめるものなんて、そう多くはないのだと気付いていく。そして何かを手に入れるという事は、他の何かを手に入れない選択なのだという事にも」


 一瞬だけ哀愁あいしゅうただよわせるルルエだったが、すぐに柔らかな笑みを取り戻す。

 そしてなおも口を閉ざす客人に向かって、一方的に持論を重ねていく。


「ところであなたは、世界平和を夢見た事はある?

 いえ、具体的にどうこうという話じゃないわ。漠然ばくぜんとしたものでもいいの。

 世界中から戦争が無くなり、差別が無くなり、貧困が無くなり、病気が無くなり、誰もが平等で笑い合って暮らせる……そんな美しい世界を夢想したことは? きっと誰でも、一度くらいはあるんじゃないかしら?」


「……けれどね。やっぱり、大人になるうちに不可能だと気付くの。

 現実はあまりにも無慈悲だから。こんな話をしている間にも世界中のどこかで、誰かが病魔におかされ、貧しさに餓え、暴力に怯え、誰かの悪意によって虫ケラのように死んでいく」


「でも、いちいちそんな現実を直視したら、生きることが辛くなってしまうわよね?

 趣味に没頭する事も出来ないし、色恋にうつつを抜かす事も出来ないし、御飯も美味しく食べられない。楽しむこと全部を否定してしまう」


「だから人は自分の心に嘘をいて、現実を忘れようとするの。

 自分が信じたいものだけを見て、不都合な現実からは目をらし、もやがかった思考で毎日を過ごし、刹那せつなの快楽におぼれる。自分の弱い心を守る為にね」


「そうやって人は――あなたも。世界中にあふれる不幸から目を逸らし、面白おかしく生きてきた。違うとは言わせないわよ?」


 唐突な糾弾に当惑する客人に、その端整たんせいな顔をずいと寄せるルルエ。

 しかし微笑みは冷笑へと変わっており、細める眼には怒りの種火が宿っていた。


「だって、ちょっと想像すれば分かるはずよね? 路地裏に足を運べば、ありとあらゆる不幸が見られる事ぐらい。あなたはそれを知らんぷり。

 違うと言うなら、なぜ彼等を助けにいかなかったの? どうして今まで都合良く忘れていたの? 『仕方ないことだから』の一言で、全てを有耶無耶うやむやにしてしまう気?」


「あなたの気持ちは分かるわ。私だってあなたと同じ弱い人間だから。

 ただ私が我慢ならないのは――あなたが己に吐いた嘘を忘れて、罪にまみれた心と魂に気付かずに、のうのうと幸せそうに暮らしていたこと。そんなの許せるワケがないじゃない…………ふふふ……うふふっ……あははははははははっ!」


 もはやルルエは、き起こる憎悪ぞうおを隠そうともしない。

 ヒステリックな狂笑を上げ、光無き瞳で呪い殺さんばかりに見下ろしている。


「ふふふっ……確かにあなたは英雄となった。裕福な暮らしを手に入れ、帝国の救世主と持てはやされ、希望に満ちた明日を夢を見て、それはそれは気持ち良かったことでしょう」


「でもね――決して忘れないで。勝利の下には幾千いくせんの犠牲となったむくろまり、栄光のかげには幾万の憎悪と無念が渦巻き、幸福とは幾億の血涙から生まれた罪悪ざいあくの結晶なのだということを。

 もしも地獄にちた亡者たちが、今のあなたを見たらどう思うかしら?」


「うふふふっ……きっとそれが私だったら、絶対に許せないでしょうね。

 虚飾きょしょくまみれた勲章くんしょうを引き千切り、薄っぺらい信念と尊厳を踏みにじり、爪と皮をいで臓物を引きずり出して……苦しめて苦しめて苦しめて……それでも殺してあげない。そうやって未来永劫みらいえいごう、己の罪深さを教えてあげるの」


 激情に震える白い指先で、客人のほほでるルルエ。

 とうとう客人は心が折れてしまったのか、か細い嗚咽おえつを漏らしていた。


「……あらあら、ごめんなさい。怖がらせるつもりは無かったの。

 私はあなたと仲良くなりたいの。何せこれから、共に神還騎士団アルムセイバーズで戦う仲間になるんだから。さっきも言ったけど……今日は簡単なお願いをしに来ただけ」


 一転して、聖女と見まごう笑みを浮かべ、客人の手を優しく握るルルエ。

 びくりと身を固くした客人の耳元で、薔薇ばらの香気をただよわせてささやく。


「たった一つだけ……小さな嘘を吐いてくれればいいの。それだけであなたは、望んでいた未来を手に入れる事が出来るのよ。

 悩む必要は無いでしょう? もうあなたは充分に罪深いもの。それにまた全部忘れて幸せになれるはずよ。だってあなたは自分に嘘を吐くのが得意じゃない」


 しかし、威圧的いあつてきな説得にも――最後の抵抗なのか――客人は首を縦に振ろうとしなかった。


「断ってもいいけど、私としては悲しいわね。せっかくの新しいお友達が、心の無い操り人形になるなんて。そんなの美しくないもの。

 それと……勘違いをしてるようだから教えてあげるわ」


 何か言いたげな眼の客人に、ルルエは先回りするように答える。


英雄あなたの代わりなんていくらでもいるの。歪蝕竜ツイストドラゴンを倒すなんて、神還騎士団にとっては造作も無いこと。空猫ノ絆スカイキャッツが獣災で功績を上げられたのは、運良く怖がりな皇帝様がいたおかげ。

 あなたたちに求められているのは、英雄を演じる道化になること。そしてそれは……操り人形にだって可能な仕事なのよ?」


 無情な真実を突き付けられ、力尽きたように項垂うなだれる客人。

 そのあごを持ち上げ、ルルエは無理矢理に自分へと視線を向けさせる。


「さぁ、そろそろ返事を聞かせて? あまり時間は無いの。うふふふっ……この後に、あなたのお友達とも会う約束をしていてね」


 人とは思えぬ、おぞましいほど美しい微笑と共に――ついに終焉しゅうえんが告げられる。


「子供じみた夢と友情ごっこはもう終わり。幸福の対価を払う時よ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


〈作者コメント〉

どうも。クレボシと申します。

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※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。

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ABYSS×BLAZER【長編ファンタジー】 紅星 @abaaba

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