縁起が良いので、死んでくれ

海沈生物

第1話

 正月はと称されるモノで溢れている。例えば、ただの日の出は「初日の出」としてと持て囃される。例えば、ただの神社参拝が「初詣」としてと持て囃される。例えば、ただの高カロリーな料理が「おせち」としてと持て囃される。


「だったら、自殺だって正月にすれば"初自殺"としてんじゃねーかなと思って」


「……はぁ?」


 元旦早々、それも朝の五時のことだった。私は今日の十二時からバイトがあるというのに、この男は私に「海へ大至急来てほしい!」と鬼気迫る声で電話をかけてきた。正直この男とは、腐れ縁以上の関係はない相手である。なので、普通に行ってやる必要などなかった。


 だから、一言「絶対無理っ! ねるねるねるねるねるからっ!」と言って電話を切ってやった。すると、どうだろうか。今度はLINEのスタンプを連打してきた。毎日朝昼晩「愛してる」って言わないと不安で鬼電してくるタイプの彼女かよ。とはいえそれだけなら、私もまだ「ハハッ……」と灰色の溜息をつくだけ済んでいた。

 

 しかし、そのスタンプはインターネットで有名な漫画の可愛い生き物のやつだった。最近市場人気が出てきて、各地でグッズ展開やアニメ化もしているコンテンツだ。その生き物に罪はない。しかし、いくら「可愛い生き物」だって何度も送られてくると、途端に「憎悪の対象」へと変わる瞬間というものがある。私は彼が一向にスタンプ連打をやめない様子を見ると、そっと「ブロック」というボタンに触れかけた。


 ……そう、触れかけたはずなのに。その結果がこのザマである。海で向かい合う、男と女。結局、私は彼のスタンプ連打に敗北してしまった。必死に一時間も連打し続けている姿に「こんなに頑張っているのに、このまま無視するのも可哀想かな……」という憐憫の感情が湧いてしまったのである。


 そして、話は冒頭に戻る。彼は私の「はぁ?」という声に、嬉しそうな笑みを浮かべてきた。変人と言われて喜ぶタイプの男なのか、お前は。そう呆れていると、彼は靴と靴下を脱ぎ、裸足で海に足を晒しはじめた。「突然ミュージックビデオに出てくるすごい美女がやること以外が許さない、エモいことしたくなかったのか?」と心の中で静かに煽ってやった。


 すると、彼は本当にミュージックビデオに出てくる美女がやる、あの見返り美人とまったく同じ構図で振り向いてきた。笑いかけた頬をキュッと締め直す。


「なぁ、お前。……俺と一緒に死なねぇか」


「それは……無理ね。私には生きてやりたいことがまだまだ沢山あるし。美味しいご飯を食べるとか、すごい気の合うオタク女友達を作って死ぬまでシェアハウスするとか」


 彼は私の言葉に顔を下に向けた。これは、エモい奴がやってくる。そう予想した、次の瞬間のことだった。

 

「……だよなぁーーーー! お前が"いいよ"とか言ってきたら、解釈違いで死んでもらうところだったわ。そのぶれない生への信念こそ、お前という人間だよなぁ!」


 あろうことか、この男は大歓喜していたのだ。こ、怖い。この心底イカレた男は、心底勝手に私にを抱いてきて、心底勝手に歓喜してきたのである。正直「き、きもちわるっ!」と思った。しかし、わざわざそれを声に出して言うほど私も子どもではない。



 息をするように嘘をついた。「生への信念」とか一度も持ったことがないけど、場に合わせてだけしてあげた。その言葉の裏側に気付かないまま、彼はただ純粋に目をキラキラと光らせてくる。


「お前もか? いやぁ、腐れ縁のお前が理解してくれるのは素直に嬉しいなぁ。お前はとても良い奴だからな! ……でもさぁー。本当のところをいえば、俺が死ぬのは嫌なんだろ?」


「嫌……とまでは思わないけど、生半可な気持ちで死ぬな、とは思うわね。だから、ちゃんと信念や理由があって"死にたい"と思っているなら死ねば良いと思うわ。ただ、説明もできない漠然とした感情……それこそ、『檸檬』で言う所の"得体の知れない不吉な塊"のようなもので死にたいと思っているのなら。それなら、死んでも後悔するだけだと思うので、やめておいた方が良いと思うわ」


 知らんけど。いや、適当に今思い付いたことを言っただけなので、本当に知らんけど。というか、お前が死のうが生きようが興味ないけど。

 早く家に帰ってもうひと眠りしたいし、入水するならさっさとしてほしい。止めてほしいと思うのなら、そんなことせずにさっさと帰宅してほしい。寝ろ。そう思いながら「ふわぁ」と欠伸をしようとした、次の瞬間のことだ。


「だよなぁーーーー! お前が"そうだよ"とか言ってきたら、解釈違いで死んでもらうところだったわ。その傭兵みたいな死生観こそ、お前という人間だよなぁ!」


 「傭兵みたいな死生観」とか持った記憶はないけど、それはちょっとカッコ良くていいなと思った。一度も持ったことないけど。カッコ良いと思った影響か思わず頬が緩みかけたが、その程度のことでアイツに喜んでいるとは思われるのは癪だった。なので、無理矢理表情を戻した。


「……それで、なんだけど。単刀直入に聞くけど、アンタは私にどうしてほしいの? アンタにとって、解釈違いじゃない私にとって欲しい行動ってなんなの? 五秒以内に答えて」


 私が「いーち、にぃー」と数えはじめると、まさか主導権を握られると思っていなかったらしい男はあたふたと焦った。焦れ、焦れ。さっさと私を家に帰らせろ。


「た、単刀直入にで良いんだよな?」


「よー……そうよ。……ごぉ」


「あっ、ちょ、あ……お、んだよ!」


 そっちだったんだ、と思った。一緒に死んで欲しい、ではなく、殺して欲しいの方だったのか。私も一介のオタクなので、一定数「殺されたい」という性癖を持つ人がいるのは理解している。しかし、どこの世界に「腐れ縁」の年に一度か二度会うか怪しい相手に対して「殺してくれ!」というやつがいるだろうか。…………いや、いるか。言葉にしてみて思ったけど、別にいるな。ただ現実で本当にそれをやってしまうやつが絶滅危惧種並にいないだけで、創作上においてはそういう倒錯的な性癖を持ついくらでもいるなと思った。


 とはいえ、現実で目の前に「殺してくれ!」と言われると困ったことである。それが創作上の出来事と類似しているだけで、実際は「犯罪者になって牢屋に入ってくれ!」と言われているのと同意義なのだから。仮に私が「人」ではない「人外」であったのなら。「人」の作った法や倫理に縛らず、圧倒的な力で彼を殺してあげたのだけれど。

 残念ながら、私は薄皮一枚めくっても中にあるのは一般的な人間と同じ内臓やら心臓だけである。それ以外の未知の器官はない。血も別に緑や青ではない。私は軽く深呼吸をした。


「……それは、無理な相談ね。私、犯罪者になりたくないし」


「そこをなんとか!」


「無理よ」


「俺の百万円ある貯金をお前に相続……じゃねぇ、遺贈してあげるからさぁー!」


「ひ、百万…………む、無理よ! 結局犯罪者として捕まったのなら、百万なんてはした金はただの紙切れになるだけだわ」


「じ、じゃあ……な、何をプレゼントしたら、お前は俺を殺してくれるんだよっ!」


 男は酷い剣幕で逆ギレしてきた。こんな理不尽なキレ方されることあるんだ。突然の逆ギレに私が動揺していると、不意に左頬に鋭く尖った針が飛んできた。針の掠れた場所からじんわりと赤い血が出てくる。その針は彼の手から飛んできたものだった。その手の中にはどこから用意したのか、数十本の針があった。


「もういい。お前が俺を殺してくれないのなら、俺がお前を殺してやる」


「れ、冷静になりなさい! どうして目的の内容が逆転しているのよ! 死ぬなら一人で勝手に死になさい!」


「それは嫌だ! 一人で死んでしまえば、俺がこの世にいたことを覚えてくれる人がいなくなる! 両親は幼い頃に死んじまったし、ばぁちゃんはこの前癌で死んじまった。だからもう、俺には何もない。このままゾンビのようにこの町で生き続けるか、正月という時にに殺してもらって、この世に自分の生きた"証"を残す以外の選択肢がないんだよ! だからさぁ……!」


 もう言ってること全てがめちゃくちゃである。多分、今の彼の頭には「合理性」という概念がないのだろうなと思った。「目の前に交差点があることを認識しながら、アクセル全開でウィンカーも出さずに右折する車」のように、もう間違った思考を止めることすらできないのだろう。それは悲しいことである。しかし、正直私の命の危機が迫っているので悲しんでいる場合じゃない。その"証"とやらのために、簡単に死んであげることはできない。


 私は裸足で追いかけてくる彼から逃げた。時折投げてくる針は私の頬や腕を何度も擦り、その度に心臓の鼓動が高まる。死にたくない。こんなトンチキな状況下で死にたくない。オタクのシェアハウスの夢をこんな所で終わらせるわけにはいかない。しかし、ここは砂浜である。急いで走るものは、簡単に足を取られる地形である。最近リモートワークの影響で足腰の弱っていた私は、不意に転んでしまった。

 なんとか立ち上がって逃げようとしたが、その男は私にいつの間にか追いついていた。男は私を押し倒し、馬乗りで針を見せつけてきた。彼は私の顔の一メートルほど前で、気持ち悪い笑みを浮かべていた。


「さぁさぁさぁ、選んでくれ! この針を手にして今すぐ俺を殺すか、この針で俺に殺されるのか。"選択肢は二つに一つ"、さぁ! さぁ!」


 ここで殺したら正当防衛扱いになってくれるだろうか。しかし、相手は「腐れ縁」である。年に数回会う程度の関係とはいえ、見知った顔の人間を殺してしまえば、否が応でも心が痛むこと間違いなしだろう。あと、犯罪者にもなってしまうし。


 どうしようかと迷っている内にも、針は私の右目に近付いてくる。それなのに、手を動かすことがない。というか、この男が私の右手を尻の下に敷いているせいで、使い慣れてない左手だけだと針を掴んで抵抗することができない。

 本当に"選択肢を二つに一つ"にするな。あぁ、これで私の人生は終わりだ。南無阿弥陀仏。今更仏に縋っても意味ないのに、つい都合の良い時だけ縋ってしまう。せめて、あんまり苦しまずに死なせてくれ。


 そう祈りつつ、私は目をつむった。しかし、次の瞬間のことだ。海から「人ならざる者」の悲鳴が聞こえてきた。その「人ならざる者」は奇妙な声を上げて私の方に近付くと、そのまま私の身体の真上までやってきた。そして、次の瞬間のことだ。


「……やめろーーーーっ! やめてくれ! 俺の生きた"証"を……欲しいのはみたいな奴じゃなくて。や、やめっ——」


 その声を皮切りにして、突如として彼の声が聞こえなくなった。一体、私の目の前で何が起こっているのか。私は急いで目を開けようとしたが、なぜか開かなかった。それはまるで、圧倒的な「人外」の力によって目蓋を押さえつけられているような、そんな感覚があった。


 私が目を開けられるようになった時には、そこにはもう誰もいなかった。ただ私という存在が砂浜の上に寝転がっているだけだった。胸元は少し湿っていて、あの男の持っていた針だけがあった。その針は私の心臓の上で綺麗に立っていた。それはまるで茶の中に立つ茶柱のようで、元旦早々からなと思った。

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