その4
地球(の日本)だったら『清水の舞台から飛び降りる』的な、この世界なら『オルサナに身を投じる』的な心持ち――つまり思い切って薄布をガーっと横に引いて、金髪碧眼の美少女魔術師アクィラは相棒である黒目黒髪の男剣士クロウの前にその身を晒した。
アクィラは……ドーンと胸を張った。
羞恥心で縮こまっている自分より、堂々とカッコつける自分を選んだ。
時を同じくしてこの世界にやってきた親友に、みっともない姿を見せたくはなかったから。
「……」
「……」
「……」
静寂が重かった。
沈黙が辛かった。
まるで魔術めいた無音の時間は、つい先ほどまで鏡に映る自分の姿を見て浮かれ上がっていたアクィラの精神に平静を与えるには十分な威力を秘めていた。
――あ、あれ?
戸惑いのあまり、艶めく桃色の唇が引きつった。
街を歩けば誰もが振り返る暴力的なまでの美貌と、男だったら股間に直撃するナイスバディを守っているのは、オリハルコン製の下着もといビキニアーマーのみ。
何なら本人が一番『こいつはヤベェ』と認めるほどにアレな姿である。
善かれ悪しかれ何かしらの反応はあると思っていただけに、ショックがデカい。
得体の知れない知りたくない衝撃に打ちのめされたアクィラの脳裏に、閃光が奔った。
――待てよ……これを買うってことは、これを着るってことなわけで……
ダンジョンとか、街の中とか。
実際にこの鎧もどきを身に着けて生活するイメージをまるで想像していなかったことに遅まきながら気づかされた。
『どう考えてもダメだろ』と頭のどこかから声が聞こえてくる。
『どこから見ても最高なんだがァ』と背中を押す声もまた、頭のどこかから聞こえてくる。
このビキニアーマーが自分に似合っていることは事実なのだ。
アクィラの中に存在する男のソウルが叫んでいた。
文字どおりの意味で魂の叫びだった。
このシャウトを無視することは自分自身を否定することに繋がるのではないかとさえ思えるほどには、本気の本音だった。
「……」
「……」
「……」
「……おい、何か言えよ」
ぶっきらぼうさと気恥ずかしさが無意識かつ絶妙にブレンドされた声に当てられて、黒髪の剣士はハッと身体を大きく揺らし、何度も何度も目をしばたたかせ、口をパクパクと開いたり閉じたりして――
「お前……最高すぎるだろ……」
奇天烈な反応の後に出てきたのは感嘆の声だった。
それも、今までに耳にした記憶がないほどの賛辞だった。
「はっはっは、もっと褒めろ」
クロウの賞賛を受けて、アクィラの頬が自然に緩んだ。
同時に脳内で渦巻いていた思考が、ひとつの方向性を持って流れ始める。
つまり――調子に乗った。
先ほどまで羞恥のあまり縮こまっていたくせに……という気持ちもなくはなかったが、褒められれば悪い気はしない。
そもそも別に悪いことをしているわけではないのだ。
自信と羞恥心が拮抗すれば、時を置くことなく前者が後者を上回ることは自明の理。
「すげぇわ……お前、マジですげぇ」
「そうだろ、そうだろ」
腰に手を当てたまま、再び思いっきり胸を張った。
極小の鎧に守られているだけの豊かな胸の双丘が勢いよくぷるんと揺れる。
自分の胸元を凝視しながらゴクリと唾を飲み込む相棒の無防備な頭部を、アクィラは杖で軽く叩いた。
「いつまでもアホ面晒してんじゃねーぞ、正気に戻れ」
「あ、ああ……いや、予想以上過ぎて……生きててよかった」
「そこまで言うほどかっつーの」
苦笑いを浮かべつつ、アクィラも『そんなもんかもしれねーな』と思っていた。
立場が逆だったら。
もしも自分が男のままでクロウが女になっていたら、そしてこの店を訪れていたら……きっと同じようにこの鎧を着るように勧めていただろうし、同じようにビキニアーマーを身にまとったクロウを見て感嘆のため息を漏らしていたかもしれない。
「それに、まぁ……コスプレみたいなもんと思えば……何ともないか」
唇から零れた声は、自分自身を納得させるための呪文だった。
――何ともない? 本当に?
コスプレはイベント会場とかスタジオでするもの。
対してこのビキニアーマーは、これから日常で身に着けるもの。
エロい格好をするのは変わらないにしても、さすがに全然違うと言わざるを得ない。
何より……十年来の親友から不埒な視線を向けられることに慣れることができるかと問われれば、これは残念ながら――
「……残念だよな?」
「何がだ?」
「何でもねー」
「なんだそりゃ」
からからと笑うクロウにカチンときた。
大胆に露出された胸のうちに渦巻く複雑な感情を理解しようともしない相棒に、自分でも理不尽だと認めざるを得ない怒りが込み上げてくる。
杖を握る手に自然と力が籠った。
――落ち着け……オレたちは親友だ。ガキの頃からの、な。
心の中で何度も唱えた。
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
お互いに初めて顔を合わせた幼稚園のころ。
一緒にバカなことばかりやっていた小学生のころ。
大人になったつもりで、でも今にして思えばガキだった中学生のころ。
ふたりでグラビアやエロ本に一喜一憂していた平和で、でも退屈な毎日の記憶。
――色々変わっちまったがな。
同じ高校に入って、ふたりで家に帰る途中のことだった。
気が付いたら異世界――この世界にいた。
いつもくぐっていたトンネルの先に、見たこともない草原が広がっていた。
慌てて振り返っても、やはり草原が広がっていて……あの日からアキラと九郎は剣と魔法のファンタジー世界の住人になった。
アキラは魔術師アクィラとなり、九郎は剣士クロウとなった。
そして、三年の月日が流れた。
「……今まで上手くやってこられたんだから、別にいいんだけどよ」
「何がだ?」
「何でもねー」
「そうか……悩みがあるんなら聞くぞ」
「何でもねーって言ってんだろ」
強めに言い返したら、クロウはワザとらしげに肩を竦めてため息を吐いた。
チッと舌打ちひとつ。
――何でもなくは……ないんだよな。
鈍痛を訴えてくる額に手を当てた。
実のところ、言われなくとも気づいていた。
世界が変わり、アキラの性別が変わった……だけではない。
ツーカーの仲だったふたりの間で意思疎通の齟齬が見られるようになった。
普段は上手く行っているのに、ときおり上手く行かなくなる。
そういうことが、これまでにも何度かあった。
おそらくこれからも何度もある。
そんな確信があった。
――ええい、しっかりしろ、オレ!
心の中で叱咤して、後ろを振り返った。
訝しむクロウを置いて、ひとり姿見に足を向けた。
丁寧に磨かれた鏡面に映る、飛び切りの美少女とにらめっこ。
かつての自分とは似ても似つかない……でも、もはや違和感のない顔。
「これが、オレだ」
背後の相棒に聞こえないよう、小声でそっと呟いた。
不安が滲み出ていた美貌に、無理やり気味な笑みを浮かべる。
「いいじゃねーか。おもしれーじゃねーか」
面白い。
それは間違いない。
だって……美少女なのだ。
誰もが羨むほどに絶世の美少女なのだ。
憧れのビキニアーマーを身に纏った美少女なのだ。
ありふれた高校生男子でいるよりも、ずっと面白いに決まっている。
「アクィラ?」
「どうよ? オレ、最高だろ?」
ワザとらしくいかにもなポーズをとると、背後の親友から絶賛された。
その声は少しくすぐったくて、同時に誇らしかった。
不思議な感情を胸に、ふと首をかしげた。
「しっかし試着しといて今さらなんだが……」
「どうしたアクィラ、何か問題あるのか」
猛烈な勢いで詰め寄ってくる相棒を押しとどめる。
赤い布を見せられた牛みたいだと呆れながら。
「いや、これ……オリハルコンだろ。メチャクチャ高いんじゃねーかな、と」
「あ」
ふたり同時に店主に視線を送った。
クロウは口を大きく開けたまま。
アクィラは頬を掻きながら。
店主は黙って頷いた。
「大丈夫だ。俺が出す」
値段を聞いたクロウが即断した。
対するアクィラは絶句した。
冒険者としてそこそこ名前を売っているふたりをして、ためらいを覚えるほどの額なのに……黒髪の相棒の決意に改めて驚かされた。
アホかと。
バカかと。
艶めく唇を引き結んだままクロウを睨みつけ――しかる後に金髪の魔術師(身に着けているのはビキニアーマーのみ)は裸の肩を竦めて、ふーっと息を吐いた。
「……じゃあ、お前が次に買う剣の代金はオレが出すわ」
「そこまでしてもらう必要はないが」
「お互い様だろ。そんなにこれが気に入ったのかよ?」
からかい気味な声とともに、胸甲を繋いでいる紐に指をひっかけてやった。
大きくて白くて柔らかそうな双丘が撓んで揺れる。
クロウはノータイムで頷いた。
「ああ、気に入った。お前もだろ?」
「……否定はしねーよ」
視線を逸らしながら遠回り気味に肯定した。
お互いに長い付き合いだから、この手の趣味は把握してるしされている。
それでも――自分の口から出た言葉を耳にした瞬間、今さらながら頬が火照りを帯びていることに気づかされた。
熱の正体がわからないまま、白くて細い指でお尻の食い込みを直した。
クロウは、そんなアクィラを不思議そうに見つめていた。
アクィラの唇が、不意に開かれる。
「あ、ついでに上着も買いたいんだが」
「却下。ロマンがない」
「……殴るぞ」
「殴れよ」
やっぱり噛み合わない。
金髪の美少女は無言で天を仰いだ。
オレとアイツとビキニアーマー 鈴木えんぺら@『ガリ勉くんと裏アカさん』 @hid
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