その3
迷宮都市アガルタの一角にある武具屋は、冒険者御用達の名店である。
それでも……二十一世紀の日本を基準とした客に対する配慮があるかと言えば、ない。
具体的に言うと試着室がない。
――これ着るのかぁ……マジかぁ……
薄い布でインスタントに仕切られた部屋の片隅、壁に立てかけられた姿見を前に金髪碧眼の魔術師アクィラはため息を吐いた。
先ほどまでトルソーに飾られていたオリハルコン製のビキニアーマーを摘まんだまま。
『試着させてほしい』と(クロウが)言ったらあっさりオッケーが出た。
かの店主は持ち逃げされるとは考えていないらしい。
「はぁ」
もう一度ため息を吐いた。
ビキニアーマーは手に取ってみると、想像以上に小さくて頼りない。
曰く『鎧としても一級品』とのことだが……店主を疑うつもりはなくとも、素直に頷くことはできそうにない。
じっとりとした眼差しで、正面の姿見と向かい合う。
うらぶれた感のある店内の様子とは裏腹に神経質なまでに磨き上げられた鏡、その表面に映っているのは、もちろんアクィラ自身に他ならない。
ボロボロのローブを含めて身に纏っていた装備品をひとつ残らず外した一糸まとわぬ生まれたままの姿は、思わずため息が出るほどの――美少女だった。
腰のあたりまで届く、緩く波打つ金色の髪。
夏の日の晴れた空を思わせる大粒な蒼い瞳。
長いまつげ、繊細な眉。
すーっと通った鼻梁に、瑞々しく艶めく桃色の唇。
耳の形、顔の輪郭に各パーツの配置。
すべてが完璧だった。
首から下もなかなか尋常なものではない。
まず何よりも目に付くのは、たわわに実った胸の双丘。
キュッとくびれたウエストを経て下半身に向かう、メリハリのきいた曲線。
身長に比してお尻の位置は高く、程よく肉がついた脚は細くて長い。
贅肉はひとかけらもないが、筋肉的な隆起も見当たらない。
そして冒険者という荒事稼業に似つかわしくない、傷ひとつなく日焼けの後すらない白い肌。
――これがオレ、なんだよなぁ……
元の姿とは似ても似つかない姿に、ため息をもうひとつ。
どうしてこうなったのか、原因は不明だった。
異世界に転移してきたことと関係あるのかどうかもわからない。
はじめは違和感だらけだったけど、それでも――三年も経てば慣れてしまった。
三年である。
諦めがついたと言いかえた方が正確かもしれない。
「……でも、美少女かイケメンかって言われると美少女なんだよなぁ」
姿が変わるならイケメンよりも美少女の方が面白い。
アクィラ自身がそう思っていることは、まぎれもない事実だった。
日本で暮らしていたときから、そんなことを口にしていた記憶もあったりする。
「さて」
いつまでも全裸で突っ立っているわけにもいかない。
試着である。
――言われなくてもわかってるっての。
口を愚痴で膨らませながら、自らの極上な肢体にオリハルコン製のビキニアーマーを充てると――
「ひゃっ」
変な声が出てしまった。
昔の自分だったら絶対に出さない類の声だった。
希少金属オリハルコンとは言え、生の肌に直接充てるとさすがに冷たかったのだ。
「どうした!?」
「な、なんでもねーよ!」
薄布一枚隔てた彼方に写る大柄なシルエットが揺れた。
聞こえてくるのは狼狽まみれなクロウの声。
――過保護か!
反射的に感情が高ぶって怒鳴り返すと、相棒は『そ、そうか』としゅんとしてしまった。
時を同じくしてこの世界に転移してきた親友は、今も昔も変わらないまま。
――羨ましいような羨ましくないような……
あまりにも様変わりしすぎてしまったアクィラとしては、考えれば考えるほどに何とも複雑な気分になる。
それはともかくとして――
「ふぅ」
深呼吸をひとつ。
改めて胸に鎧(仮)を充ててみると……オリハルコン製の胸甲は驚くほどに丁寧に仕上げられていた。表も裏も一切手抜きはない。
いつも身に着けている下着よりも滑らかな肌触りだった。
制作者である何百年か前の鍛冶師の本気と実力を思い知らされる。
神代の金属であるオリハルコンを加工できるというだけでも相当な腕の持ち主であることは疑いようもない。一方で、その力をあらぬ方向に全身全霊でブッ込む変態性には呆れざるを得ない。
元男なアクィラ的にもヤバい奴認定待ったなしだった。
だが、それはそれとして……今は別の問題が立ちはだかっていた。
「むぅ……」
「どうした、アクィラ?」
唸ると、再び布越しにクロウの声が返ってきた。
心なしか浮き足立っているように聞こえたが、純粋に心配しているようにも聞こえた。
十年来の時間を共にした親友の声は聞き慣れているはずなのに、最近はその声に含まれる感情を上手く掴み取れないことがある。
「これ、小さいな」
「お前のが大きすぎるんだろ」
「そういうことをハッキリ言うな、アホ」
先ほど以上の声で怒鳴り返すと同時に頬が熱を持った。
アクィラは別に太っているわけではない。
単に色々恵まれているだけだ。
主に胸とか。
「いや……ワザと小さく造ってやがるんだ、これ。そうに違いない」
ぶつくさ愚痴りながら留め金を確認し、お尻の食い込みを指で直した。
普段は自慢しがちなナイスバディは、小さすぎる面積の鎧にどうにか収まってくれた。
「……」
チラリと鏡を見た。
ビキニアーマーを身につけ始めてからは、ワザと見ないようにしていた。
でも、いつまでも現実から目を逸らし続けるわけにもいかなくて……やむなく、やむなく横目で鏡に映った自分の姿を見てみれば――
「おおう、これは最高レアの風格。課金が捗るヤベー奴」
引き結ばれていた唇から、自然と自賛の声が漏れた。
今でこそ絶世の美少女だが、アクィラは元々男だったのだ。
地球にいた頃は健全な男子高校生だったのだ。つまりスケベであった。
それだけに、男の視点で今の自分の姿がどれほど優れているのかは割と客観的に評価できる。
「こいつぁ……スゲェ」
完璧な出来栄えだった。
ソシャゲに実装されたら大事になる。
トンデモ美少女キャラの水着バージョン。夏イベの目玉になるレベル。
金が足りなかったらアルバイトどころかサラ金してでも天井までぶち込む奴が続出する。
万が一ガチャに天井が設定されてなかったら……否、たとえどんな低確率でも出るまで回す。
確定。
SNSが大炎上してトレンドに載って――そして、この手のキャラはたいてい性能が人権だったりするものだから、それでまた炎上する。
……なお、アクィラ自身は冒険者界隈ではそこそこ名前が売れてきてはいるものの、人権性能と呼ぶほど優秀というわけではない。
平均よりちょっとイケてるぐらいの魔術師である。自称。
「はぁ……オレ、最高かよ」
先ほどまで頭の中で渦巻いていた羞恥心は一瞬でどこかにすっ飛んでいった。
エロい格好をした美少女は、いつの時代でもどこの世界でもご褒美である。
たとえそれが自分自身であっても。アクィラの中の男がそう言っている。
見ているだけでテンション上がる。いかにもなポーズなら三倍増しだ。
「最高レア……マジか、俺にも見せろ」
「うるせー、黙れ」
小うるさい親友を一喝して黙らせ、自分は鏡をガン見する。
試しに軽く飛び跳ねてみると――揺れた。
豊かに実り過ぎたアレが。
絶景である。
「……セーフだな」
「セーフって何の話だ? お前、今、何をしている?」
「黙ってろって言ってるだろ。カーテン開けたらぶっ飛ばす」
怒鳴り返しつつ、胸元に手を当てた。
生の肌越しに心臓がバクバクと脈打つ鼓動を感じる。
さらに、ここに来て身体の奥からカーッと熱が湧き上がってきた。
羞恥心だ。
「……」
振り返って後ろを見ると、ゆらゆら揺れるろうそくの明かりに大柄な影が揺れている。
その影からは心なしか――否、明らかに期待が滲み出ている。圧を感じた。
布越しに相棒の姿を見つめるアクィラの喉が唾を飲み込んだ。
ゴクリと。
その音はことさら大きく鳴り響いた。
店内の沈黙が重かった。
空気がピリピリと肌を撫でてくる。
得体の知れない緊張感がいやが上にも高まってくる。
桃色の唇を引き結んだまま、何度も『問題ない』と心の中で唱えた。
――へ、変に意識するのがおかしいんだよ。うん。
異世界にやってきた今でこそ女になっているものの、もともと自分は男なのだ。
カーテンの向こうにいる親友は、もちろんそのことを知っている。
クロウは決してアクィラに期待を寄せているわけではない。
エロい姿の美少女を妄想して舞い上がっているだけだ。
「……だよな?」
自問に答えはなかった。
クロウは律儀に口を閉ざしている。
なぜかと言えばアクィラが『黙れ』と言ったから。
「……ッ」
覚悟を決めて薄布を横に引いた。
すぐ外に待機していた親友な男と目が合った。
アクィラの蒼い視線とクロウの漆黒の視線が正面衝突。
昔と変わらない相棒の眼差しは、しかし多分に驚きを宿していて。
「……」
「……ど、どうよ?」
強がり気味に尋ねてみれば……先ほどまで静寂が支配していた室内に歓声が溢れかえった。
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