その2

「お前さんら、そいつに興味があるのか?」


 金髪碧眼の美少女魔術師アクィラ。

 剣士の装いをした黒目黒髪の男、クロウ。

 ふたりが鎧と呼ぶのもおこがましいビキニアーマー(とふたりが呼んだ鎧もどき)の前で語り合っていると、カウンターの奥から深く野太い声が聞こえてきた。

 揃って視線を向けた先からは、沈黙を保っていた店主が微動だにしないままに目だけでぎょろりと睨みつけてきていた。

 圧倒されて腰を抜かしかねない眼光だ。

 しかしてふたりは……まるで怯んだ様子を見せない。


「あります」


「あるかないかで言えばなくはないけど……これ、どうなん?」


 即答したのはクロウ。

 うにゃうにゃと答えつつ逆に問い返したのはアクィラ。

 据えた匂いが漂う室内で三つの視線がぶつかり合って、重い沈黙が降りた。

 ややあって――


「……嬢ちゃんが気にするのはわからなくもないが、そいつは鎧としても一級品だぞ」


 名状しがたい感情が込められた店主の声に、クロウの漆黒の瞳が煌めいた。

 アクィラの青い瞳にはウンザリ気味な光が宿り、艶めく桃色の唇が微妙に引きつった。


――鎧としてもって……それ以外に何かあるのかよ?


 金髪碧眼の少女は口を閉ざしたまま、心の中で呻いた。

 眉を寄せつつ、陳列されていたビキニアーマーに再び向かい合う。

 最大限好意的に解釈しても水着に酷似していて、率直に言えば下着っぽい。

 これが鎧としても一級品だなんて真顔で言われても、とてもではないが『なるほど』と首を縦に振る気にはなれない。

 

「マジで言ってんの?」


「おう。何と言ってもそいつは……オリハルコン製だからな」


「……うわ」


「Oh……」


 髭を扱きながら答える店主の声に、ふたりは息を呑んだ。

 オリハルコンと言えば神話や伝承の中で謳われる超希少金属のひとつだ。

 神代ならともかく現代では鉱脈そのものが存在せず、錬金術等でも生成することはできない。

 強大な魔力が込められており、軽量であり頑丈でもある。

 おおよそ武具の素材として、これ以上を望むことはできない。

 そういう金属であった。


「オリハルコン……お前、なんでこんな姿になっちまったんだ」


 店の片隅でトルソーに飾られたビキニアーマーを前にアクィラは慨嘆した。

 どうせならカッコイイ魔剣とか、いかにもそれらしい重厚な鎧ならよかったのに。

 見た目を裏切らない透きとおるような声の端々に、恨みがましげな感情が滲み出ていた。

 

「そう言うな。せっかくの貴重なオリハルコンだからな……迂闊に他の金属と混ぜちまったら取り返しがつかんし、まともなものを仕立てるには量が足らんかった……ということらしいぞ」


 他の金属との合金にすれば量は確保できる。

 しかし、金属としての能力はオリハルコンそのものより劣化する。

 さらに厄介なのは、一度混ぜてしまった金属は二度と分解することができなくなること。

 だから……貴重なオリハルコンが失われるリスクを考慮すれば、そのままの分量で用いる手段を考案した方がいい。

 店主は重々しげに、どこか言い訳がましく語った。


「なるほど」


「なるほどじゃねーよ」


「ちなみにそれを造った鍛冶師は、どこぞのお姫様にそいつを献上しようとして家を追われたそうだ」


「処刑されなかっただけ感謝しとけ」


 王族相手に下着同然の鎧を差し出した時点で不敬罪的な危険を感じずにはいられない。

 少し考えれば想像つきそうなことなのに、そんなバカをやる人間なんて――


「その鍛冶師、俺らと同類かもな」


「……お前もそう思う?」


 ぼそりと呟いたクロウにアクィラの言葉が続く。

 店主は不思議なものを見るような眼差しを向けてくる。


「同類? 何百年も前の話だぞ」


「マジか~」


 少女は額に手を当てて天井を仰いだ。

 その声には言葉にし難い複雑な感情が宿っていた。

 一方のクロウは顎に手を当てて、何事か考えるそぶりを見せて――


「なあ、アクィラ」


「……なんだよ?」


 何気ない声に、アクィラの背筋を冷たい震えが走った。

 猛烈に嫌な予感がしたが、問い返さずにはいられなかった。

 ガキの頃から行動を共にしている腐れ縁もとい幼馴染な男が次に何を言い出すか、容易に想像がついてしまっていたが……それでも、あえて問い返した。


「お前さ、これ着てみないか?」


「なんでだよ?」


 返事はノータイム。

 予想どおりの言葉だった。


「お前なぁ……正気か?」


 パートナーにこんなものを着せるなんて、それは真っ当な発想ではない。

 人格を疑われても文句が言えないレベルでヤバい。

 真顔で指摘したアクィラに、クロウもまた真顔で言葉を返す。


「この前のオーク退治、覚えてるか?」


「……」


「お前がローブの裾を踏んづけて、オークの目の前でずっこけて」


「……危うく『くっころ』しかかったな」


「前から思ってたんだが……いくら魔術師とは言っても、そんなゾロっとしたローブは冒険者に向いてなくないか?」


 滔々と語るクロウの言葉は否定し難いものだった。

 ギルドで依頼を受けて開拓村の間近に巣食うオークの群れを討伐した記憶は新しい。

 あの時はローブの裾を踏みつけただけでなく、藪に引っかかったり脚に絡んだりとロクなことがなかった。

 幸い今も命を繋いでいるものの、致命的なタイミングでやらかしていたら……少なくともアクィラはここにはいなかっただろう。

 黒髪の剣士の言葉はイチイチ正論だった。


「……本音は?」


 もっともらしい理屈を並べ立てる相棒に、少女は胡乱げな眼差しを向けた。

 お互いに長い付き合いだ。

 アクィラはよく知っていた。

 この男が正論を並べ立てるのは、本音を隠すためだということを。

 黒目黒髪の剣士は相棒の非難めいた視線をものともせず胸を張った。


「これは絶対お前に似合う!」


「言うと思った……」


 またもや予想どおりの答え。

 全身からごっそり力が抜けた。

 聞き耳を立てていたらしい店主がワザとらしい咳ばらいを立てていた。


「……そりゃ否定はしないけど、なんでオレが」


「なあ、アクィラ……いや、アキラ。あの夏の日の水着ガチャ、覚えてるか?」


 クロウのアクィラをアキラと呼んだ。呼び直した。

 呼ばれた当の本人は――きゅっと桃色の唇を引き結んだ。


「九郎、お前……」


 クロウではなく九郎。

 少女の口から出た名は、微妙に音程がズレていた。

 その青い視線の先で、黒髪の男は目を閉じたまま天井を見上げていた。

 閉じられた目蓋の裏には、ここではないどこかの景色が映っているに違いなかった。


――九郎……


 ふたりで歩いた学校の帰り道、手にはスマートフォン。

 小遣いどころかアルバイトで稼いだ金まで全額ブッ込んだ記憶。

 狙っていた期間限定キャラが出なくて泣く泣く親友に金を借りた思い出。

 なにもかもが今はもう遥かに遠い、ふたりの故郷の光景がアクィラの胸にも甦った。


「……」


「大爆死したお前に貸した諭吉、覚えてるか?」


「覚えてるけど……お前……3年も前の、しかもあっちの話をこっちで持ちだすか?」


「あの時『何でもする』って言っただろ?」


 過去に貸した金を理由に破廉恥な格好をするように迫る男。

 物心ついた時からの付き合いとは言え、どう考えても最低だった。


「それ、マジで言ってんのか? 他の女に言ったら官憲に突き出されるぞ」


「こんなことはお前にしか言わない。それに……お前ならわかってくれるだろ?」


『お前にしか言わない』

『お前ならわかってくれる』

 詐欺師の常套句を真顔で口走るクロウを前に、アクィラは首を横に振ることはできなかった。

 なぜなら――クロウの言うとおりだったから。


 ビキニアーマーをひと目見た瞬間、直感した。

 これは間違いなく今の自分によく似合う。

 絶世の美少女な自分にこそよく似合う。

 目の前のバカの魂を賭けてもいい。


「……」


 わかる。

 わかってしまう。

 同じ――男として。

 否。

 元、男として。

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