駆けろ、陰陽師(2023緋月誕生日SS)

妖魔縛々ようまばくばく! 急急如律令!」


「焼き焦がせ焔っ! 急急如律令!」


 現し世とは違う異様な暗紫色の空の下、疎らに背の高い岩が点在する、伍番街道の荒地にて。突如として甲高い二つの声が轟いた。

 瞬間、緋色と紺色の妖力がぶつかり合い、混ざり合い、爆ぜる。迫り来る幾つもの業火を突如り出した土の壁が弾いて、そうして生じた噴煙の中を緋色の少女――安倍緋月は駆けた。


 緋月はけぶる噴煙の中、相手を居場所を見極めようと、足を止める事無くしかと目を凝らす。

 その直後、前方に意識を集中させる緋月の背後に、朱橙色の鬼火がゆらりと出現した。それは緋月を捕らえようとその焔の手を伸ばす。

 ぞくりと纏わりつく様な妖気が心臓を撫でた。


「――っ!? そこっ!」


「――! やるわね、緋月ちゃん……!」


 第六感で危機を感じ取った緋月は間一髪でそれを躱すと、逆に鬼火へと攻撃を仕掛けた。妖気を纏った裏拳を受けた鬼火は仰天したようにその身を揺らすと、賞賛の言葉と共に大気に溶けていく。


「逃がさないよっ!」


 緋月は鬼火の姿が完全に消え、相手の元へと戻るその前に色濃く残る妖力を辿り、それの持ち主の元へ術を送り込む。

 これは呪詛返しと同じ原理だ。陰陽師であれば誰もが使える――緋月はこの術が得意であった。


「――っ!? くそっ!」


 どこか遠くで声にならない悲鳴と、苛立ち吐き捨てる様な声が聞こえた。

 緋月の狐耳がピクリとその音を捉える。緋月は耳が良い故に、その声の主がどこにいるか理解することなど、緋月にとっては造作もないことであった。


 相手は鬼火を使う。つまり鬼だ。身体能力は妖狐である緋月以上にある。緋月が送り込んだ術――妖魔縛々は捕縛術であったが、それも未熟な自身の腕と相まって、鬼である相手にとってはお遊びの様なものであるはずだ。

 つまりその身体能力を生かされて、今分かっている居場所から逃げられてしまう可能性も充分にある。


 だから緋月は、風が如くその場へと駆け付けるべく足を必死で動かした。


 駆けて、駆けて、駆けて――すぐ様緋月は目的の場所へと辿り着く。勿論駆け出してから十秒も経っていない。

 だが、物音は一切しなかった。相手は確かに悲鳴を上げたはずなのに、捕らわれている気配すらも無い。


 ――もしや、既に術は破られた後なのでは無いか?


 そんな不安が頭をよぎって、緋月は瞬時に岩陰に飛び込んで様子を伺った。この間にも相手は自分を狙っているのでは無いかと言う緊張が身体中を支配し、自然と呼吸が早くなる。バクバクと存在を主張する心臓の音が、やけに煩く感じた。


「…………!」


 その瞬間、緋月は自身の術に捕らわれ藻掻く何者かの姿を目にする。時折舞う焔――それは、相手の得意術のはずだ。

 緋月は、相手が居場所を気取られぬ様静かに術を対処している事を察して、ちろりと唇を舐めた。


「――! よぉしっ! もーらいっ!」


 勝利を確信した緋月は、岩陰から勢いよく飛び出し、大技を吹っ掛けようと振りかぶる。


「……ふふ、外れですわ」


 しかし、飛び出した緋月の目に映ったのは、狙っていた相手の姿ではなく、人の形に揺らめいている鬼火の姿であった。先程追い払った鬼火とは違い、青鈍色あおにびいろの鬼火。

 そう、鬼が使役しているのは一体だけでは無いのだ。


「んえぇ!?」


「悪ぃが勝ちは譲らねぇぜ!」


 囮の可能性を考えていなかった緋月が素っ頓狂な声をあげるのと同時に、その真上から声が落ちてくる。

 緋月が慌てて上を見上げると、そこには緋月に狙いを定めて落下してくる影の姿が。


「んひゃあっ!?」


 間一髪で緋月は前方へ滑り込み、その場から離れた。瞬間、バコンと地面が割れる音がする。先程まで自分が居た所を見れば、ひび割れの中心に拳を叩き込んでいる鬼の姿がそこにあった。


「ちぇっ、外したか!」


「ちょ、ちょっとぉっ! そんなの当たったら死んじゃうよぉっ!?」


 大技を外し不服そうに口を尖らせる鬼と、体勢を立て直しながら慌てた様に文句を零す妖狐が、煤けて真っ黒な顔を突き合わせ、お互いに見つめ合う。


「……ぷっ」


「……ふはっ」


 刹那、笑い声が弾けた。しゃらしゃらと可愛らしい二つの笑い声が響いて行く。

 緋月と対峙する鬼の名は紅葉。これは退治でも、ましてや喧嘩でも無い。ただの模擬戦だ。


「なにそれぇ! 紅葉真っ黒〜! あはははっ、お腹いたぁいっ!」


「お前もだろーがよ! はははっ、もう勝負にならねぇ〜!」


 同時に、先程の緊張した雰囲気とはうってかわって和やかな空気が流れ始める。先程まで妖気をぶつけ合っていた二人は、互いの顔を見合ってケラケラと笑い声を上げ続けた。


「あー、笑った笑った。……って言うか緋月お前、誕生日だってのに俺と勝負なんかしてていいのかよ? 言ってくれれば、もっと他の事もしたぞ?」


 流れる涙を拭い、やれやれとかぶりを振りながら問うた。この勝負が始まったのは、緋月が「紅葉と戦ってみたい!」と言い出したからなのである。


「ん? いーのいーの! あたし、皆みたいに強くなりたいから、紅葉と一緒に特訓したかったんだ〜」


「ははっ、お前らしいな」


 そのといに緋月が堂々と胸を張って答えると、怪訝そうな表情を浮かべていた紅葉も「お前らしい」と呆れ返ったように笑った。


「ま、とりあえず帰ったら美味いもんでも作ってやるよ。……りんご飴でも何でも、な?」


「ほんとーっ!? やったぁっ! あたし、紅葉の作るりんご飴だぁいすき!」


 深紅に燃ゆる雲が流れる空の下、二つの声は絶えることなく木霊して行く。それは、これからもこれまでも、ずっと変わらないであろう事であった。



 ――稀代の陰陽師の孫娘、安倍緋月。

 この日、この世に生まれ落ちけり。

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陰陽亭〜短編集〜 祇園ナトリ @Na_Gion

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