Dear my ……(2023晴明誕生日SS)

「……おや?」


 ふと目を開けると、そこは学校の教室の様な場所であった。不思議に思って目をしばたかせる。窓から入る風でカーテンが揺れていた。


「これ、は……」


 小さく呟いて、かぶりを振るう。何故だか思考がぼんやりとしていた。

 とにかく、今日は帰らなくては。何か、大切な用があったはずだ。


 おもむろに立ち上がり、ガラガラと教室の扉を開ける。すると、偶然教室の目の前を通ったらしい二人組と目が合った。


「げっ……! 生徒、会長……」


「ん、晴明先輩じゃん! やっほ〜」


 生徒会の副会長を務める彼は僕の顔を見た途端、蛙が潰れたかの様な声を上げて顔をしかめる。誰もが羨むスーパースターな彼女は、いつもの様に誰彼もを元気付ける様な笑顔を浮かべた。


「やぁ、十六夜に宵霞しょうか。元気かい?」


 思わず嬉しくなって、口角が吊り上がる。少しでも二人を見ていたくて、目が閉じきらない様に目を細めた。

 この顔をすると、よく十六夜に胡散臭うさんくさいと言われてしまう。心外だ。


「貴方のお陰様で元気ではありません。全く、また余計な案件増やしやがって……」


「とか言っちゃうくらいには十六夜は元気で〜す! アタシも超元気! なんなら今からカラオケとか行っちゃう?」


 十六夜は不機嫌そうに顔を背ける。宵霞は僕が楽しい時にする様な笑顔を浮かべて、その背をバシバシと叩いていた。


「うーん……すまないね、今日は早く帰らなくてはいけないんだ」


 いつもであれば、宵霞のその魅力的な誘いに乗っただろう。でも、何故か今日はそんな気分にならない。とにかく早く帰らなくてはならないと、そんな心地がするのだ。


「そ? おっけー、じゃあまた明日ね!」


「はぁ……余計な事はせずに真っ直ぐ帰って下さいよ。では……お気を付けて」


 誘いを断られても尚笑顔を絶やさない宵霞は、いつも彼女がライブの最後にやる様に手を振る。十六夜も十六夜で僕の身を案じてくれている様だ。

 その事に嬉しくなって、また口角が吊り上がる。仲良く話しながら去っていく二人の背中を見送りながら、再び歩き出した。


****


「――ですので、今日こそヤタさんは最高の走りを見せてやろうと思いましてねぇ!」


「えぇ〜それやとまたウチ、アンタに付きっきりでタイム取らなあかんやん……なぁなぁ、美藍めいらんぃひん?」


「アイ、いいですヨ! 本日は麻雀部も休みで暇ナノデ!」


 階段を下れば、賑やかな声が耳に飛び込んでくる。階段近くの掲示板の前に溜まっているのは……確か陸上部のエースとマネージャー、そしてその友人だった。


「やぁ、三人とも。今日も部活かい?」


「おや生徒会長。そうですよ! 今日は絶好の走り日和ですからね!」


「アイヤ、カイチョーサン! ワタシも陸部に遊びに行く所デス!」


「あぁ〜っ! せ〜め〜せんぱぁ〜いっ! あんなぁ、ヤタがウチの事こき使いはるんよぉ。先輩からも何か言ってくれはらん〜?」


 僕が声をかければ、彼女らは更に騒がしくなる。誇らしげに息巻くヤタ、嬉しそうに破顔する美藍めいらん、甘えた様な声を出し、腕に縋り付いてくるハク。


「はぁっ!? このクソ虎ァッ! 何言ってやがるんですか!?」


「や〜ん、怖いんよぉ〜」


「もーほらお二人トモ、カイチョーサンが困ってますヨ」


 わざとらしく相方を挑発するハクの態度に、思わず笑みがこぼれる。彼女らはいつも賑やかで楽しそうだ。

 ヤタはともかく、ハクも美藍もじゃれて遊んでいる様で、そんな相手がいる事を何処か羨ましく思ってしまう。


「なぁ先輩、今日部活遊びにはらん?」


「すまないハク、今日は少し予定があってね……」


 計算されたかの様な上目遣い。しかし残念ながら、今日は彼女の誘惑に負けている暇は無いのだ。


「あら残念ですわぁ。それじゃ気ぃ付けてぇなぁ〜」


「ではカイチョーサン、再见さよなら!」


「次は遊びに来て下さいよ! ……よーし、部室まで競走ですよっ!」


「ウチパス」


「ワタシもデス」


 三人は賑やかに去って行く。その背が見えなくなっても尚、はしゃぐ様な彼女らの声は聞こえ続けていた。


 僕も早く帰らなくては。

 そうふと思い返して、再び足を進め始めた。


****


 少し日が傾いてきた。窓から射し込んできた夕日の美しさと眩しさに、目を細める。


「……へっへーん! あたしに追い付けるもんなら――っ!? わぷっ!?」


「おっと」


 突如走る鈍い衝撃。慌てて目の前に視線を戻せば、尻もちを着いている亜麻色の髪の少女。同じく亜麻色の宝石の様な瞳を何度もしばたかせている彼女へ向けて、「大丈夫かい?」と手を差し出した。


「あ……うん! あたしこそぶつかっちゃってごめんなさい、晴明先輩!」


 緋月はえへへ、と恥ずかしそうに笑うと、僕の手を掴んで立ち上がる。そして即座に謝罪の一礼。

 その様子がとても愛おしくて、狐耳が揺れる頭を優しく撫でてやれば、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「って、違う! あたし、こんなことしてる場合じゃないんだった!」


「――? 何か急ぎの用事――」


「見付けたぞ緋月ぃっ!」


 急に慌て出した緋月の態度。それを不審に思った僕の声を、まさに怒り狂う鬼の様な怒号が遮った。


「わーっ!? 追い付かれちゃった!」


「あれ、晴明先輩? こんにちは! ……って、やっと追い付いたぞ緋月!」


「やぁ、こんにちは紅葉。二人とも、一体何をしているんだい?」


 紅葉は僕らの前で急停止。律儀に挨拶をしたと思えば、次の瞬間には鬼の形相で緋月を睨み付けている。

 仲の良い二人が喧嘩をしているとは思えず、そして好奇心には抗えず、一体何をしているのかと問うた。


「紅葉が強制的に勉強させてくるのっ!」


「緋月が補習から逃げようとしてんだよ!」


 二人の声は重なって響き渡った。食い違う意見。恐らく、正しいのは紅葉の方だろう。

 緋月の必死な表情に思わず頬が緩む。その頭にそっと手を乗せながら、


「緋月、課せられた使命から逃げるのはよくないよ」


 と優しく諭せば、緋月はバツが悪そうに目を逸らして唸った。やがて、諦めた様な大きなため息を一つ。


「うぅ……わかったよぉ……」


「ったく、俺も一緒にいてやるからさ。ほら、行くぞ……じゃあな、晴明先輩!」


「ありがとぉ紅葉ぁ……晴明先輩、またね!」


 二人の少女は手を繋ぎ、他愛も無い話をしながら去って行く。

 しばらくそれを見送って居れば、五時のチャイムが鼓膜を叩いた。その音で我に返って、昇降口へとまた歩き始めた。


****


 ようやく校舎の外に出た。外では既に日が暮れ始め、世界は橙色に包まれていた。

 早く帰らなくては。


 気が付けば、町は懐かしい都へと変わっていた。気にする事はない。ここの角を曲がって、この道を真っ直ぐに行けばいい。

 早く帰らなくちゃ。


 何度か角を曲がって、ようやく大きな屋敷が見え始める。思わず駆け足になった。

 あと少し、はやくかえらなくちゃ!


「――かあさま!」


 門をいきおいよく開けて家へととびこめば、そこには大好きなかあさま。まっしろなかみと、まっしろなしっぽ。大好きな大好きな、やさしいかあさま。


「おや、おかえり晴明。そんなに急いでどうしたんだい」


「ただいまかえりました! かあさまに早く会いたくて、走ってかえってきたのです」


 やっと会えた!

 うれしくてうれしくて、思わず早口になってしまう。かあさまはそんなわたしの頭をやさしくなでてくださった。


「きいてください、かあさま。わたし、たくさんのお友だちができたんです! きつねの子も、鬼の子も、みんなみんな、わたしの大切なお友だちです!」


「そうかいそうかい、それは良かったねぇ」


 わたしはかあさまにお友だちの話をした。なぜだか名前はおもいだせないけれど、みんなみんな、やさしくておもしろくて、かあさまと同じくらい大好きなお友だちだ。

 かあさまはわたしのあたまをなでながら、やさしく目を細める。まるで、わたしが宝物を見ている時みたいだ。


 もっと話したい! もっといっしょにいたい!

 そうおもっていたけれど、無理みたいだ。かあさまは少しかなしそうにわらい、


「晴明、そろそろ時間だ。お前はもう行かなくてはいけないよ」


 と、やさしくわたしのかたを叩いた。


「いやです! わたしはもっとかあさまと一緒にいたいです!」


 わたしはかなしくって、さみしくって、思わずその手にしがみつく。ようやく会えたのに、ようやく話せたのに、もうお別れだなんて、ぜったいにいやだ!


「大丈夫さ晴明――お前には、沢山友達が居るんだろう?」


「――――!」


 目を、見開いた。


「大丈夫。お前はもう、ひとりぼっちじゃない」


 優しく笑う母の言葉が、静かに胸を打つ。


「かあ、様……うん、嗚呼、そうだ……そう、だった。ありがとう、母様。僕はもう、一人じゃないね」


 そう、そうだ。今の僕は、あの頃の様に一人では無い。

 緋月が、紅葉が、十六夜が、宵霞が。ハクやヤタ、美藍も夕凪ゆうなぎも、皆が僕の傍に居てくれる。


 もう、一人になりたくても、皆が僕を一人になんてさせてくれない。泣きながら一人の夜を過ごす事も無いのだ。


「ありがとう――行ってくるよ、母様。お元気で」


「……あぁ、身体に気を付けるんだよ、バカ息子」


 母は、すっかりしわがれた声で笑った。

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